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つかさの三泊四日に及ぶ沖縄旅行は、満足の行く形で終わった。
つかさが滞在した久米島のエリアは、昔の雰囲気が色濃く残っているところで、大昔にテレビドラマか何かで見た覚えのある、赤い瓦屋根の平屋が並んでおり、石畳の落ち着いた通りに、サイズがバラバラのいささか粗い石垣が立っていて、その内側に、シュロの木がいかにも南国の風情で伸びていたり、ソテツが無骨に植わっていたり、フヨウの白い花が艶っぽく咲いていたりした。柔らかに吹く風は澄んでおり、都会のようにゴミの悪臭や人々の渾沌とした想念を運んでくる気配がなかった。
当地の食事はおいしかったし、現地の人はのんびりして接すると癒されたが、つかさにとっていちばん鮮烈だったのは、やはり、目当てにしていた海辺から水平線までの眺めだった。
広々とした浜には風が自由に吹いていて、つかさの髪は乱れ、目や口に入ったりしたが、暮れなずむ夕日と、夕日の明るいオレンジ色に染まった海原は、圧倒的で、凄絶だった。悩みや欲望などのあらゆる細々とした雑念は、大いなる自然の絶対的に強固なる意志の前に脆く潰え、要らぬ力みは弛緩し、つかさはひとりの人間としての矮小さを思い知って恥じ入り、彼女の対極に存在し、また包括している大自然の絶大さに恐れ入ると同時に、深く安心するのだった。亡くなった母の顔が、二宮、しずく、みわこの顔が、目の前の空間に次々と浮かんでは、つかさの正面の広漠たる遠景に、風に飛ばされるようにして飛んでいき、夕焼けの光に燃え尽きるようにしてなくなった。
だからこそ、横浜に帰ってきた時(あるいは、飛行機に乗って首都圏の雑然としたビル街が見下ろされた時すでに)、仕事、家事、彼氏にしてしまったうだつの上がらない男の相手、等々、やるべきことにまみれた日常の労苦が生々しくそして忌々しく思い浮かんで来、つかさはホッとするなどせず、むしろがっかりするようだった。
ずっと楽しく気楽に過ごしてきたはずのつかさは、ようやく夜暗くなった頃に、アパートの最寄りの駅に到着した時、ドッと疲れに襲われて、引いているスーツケースがひどく重くなったように感じた。
駅舎より出ると、辺りはガランとしていて物寂しかった。楽しかった思い出は、つかさにとって、たしかに麗しいものだけれど、早くも過去になろうとしており、時間の経過の残酷さが実感されてくるようだった。
アパートまでの道中のあの公園――しずくと出会ったあの公園に、人影はいなかった。蒸し暑い真夏の都会の夜、草むらなどで、夏の虫が鳴いていた。
オートロックのパスコードを入力してアパート内に入り、階段を上って廊下を歩いていき、自分の部屋の前に、つかさは数日ぶりに立った。たしかに面白くないという感情に苛まれていたけど、彼女には、いささかホッとする部分が、ないではなかった。彼女はポケットから鍵を取り出すと開錠し、中に入った。旅行者は、ほこりっぽいにおいと暗闇に迎えられた。
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