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菊花学園には、マニュアルがあった。脱走などで行方不明になった児童への対処のためのマニュアルである。脱走が発覚すると、施設では、その後一時間以内に警察まで迅速に届出がなされるようになっており、しずくの件は、彼女がきっとそうであるに違いないと推断したように、施設で事件としてすでに取沙汰されていた。
対象の児童が幼少であれば、捜査の緊急性は高いとされ、活動が活発になるが、十四歳のしずくは、その年齢から家出と認識され、また、彼女の家出が繰り返された既往のものだったので、緊急性は高いとされず、とりあえずは、管轄区域の警察のパトロールによって捜される手筈となった。過去の二度とも、しずくは警察に捜されたが、発見される前につかさのアパートに行って、その活動は無駄骨となったのだった。
さて今回も、しずくは外をずっとさまようのではなく、奇縁によって匿われる形となった。しずくと関係性のあるところを巡っている警察は、きっとまた、空振りばかりすることになるだろう。
夕方になるまで、しずくはずっと部屋におり、高橋の帰宅を待っていた。その間、しずくはあきらと喋ったり、ボーッとしたりして過ごした。会話を通じて、しずくは自分の身空について話し、また、逆にあきらについて聞き、彼女が高校生であり、夏休み中であること、偏差値の低いクラスで気随気ままに過ごしていて、成績が著しく低いことを知った。
五時半頃、まだ部屋が日射で明るい中、扉が開き、高橋が、半袖のTシャツと長袖のコンプレッションインナーと作業ズボンという出で立ちで帰宅した。
「ただいま」、と高橋が言うと、あきらが「おかえり。お疲れ」、とねぎらって迎えた。
高橋はしずくを見ると、彼女のことを忘れてしまったかのように、まるで見知らぬ人を見るようにきょとんとしたが、すぐに思い出したようだった。
「しずく、だっけ?」
彼は部屋に上がると、キッチンの冷蔵庫に向かい、中からペットボトルの炭酸飲料を取り出して一口飲み、キャップを閉めた後、しずくのそばに座った。
「この子、アタシらの仲間に入りたいんだってさ。いろいろと事情があるみたいで」
「へぇ」、と高橋は意味深長に反応した。近くに来た彼の顔が、しずくの目によく見えるようになり、彼の顔は、汗の跡でギラギラしており、よく日焼けしていた。後ろに撫で付けられたやや長めの黒髪は、労働でかいた汗のせいか、毛先が濡れて束感が強かった。
「まぁ、分かってると思うけど」、と高橋。「おれたち、あんまり評判のいい人間の集まりじゃないぜ。おれはケンカで補導歴があるし、他の連中だって……」
「アタシは、学校サボってブラブラしてたら注意された」
あきらが言い加えた。
「それでも、いっしょに来たいと思うか?」
その問いに、しずくは即答できなかった。その問いの響きに、彼女はよく耳を澄ましてみた。仮に否と答えれば、彼女はここを去らないといけなかった。また一人になって彷徨しなければならなかった。しかし、彼女がどこに行けるというのだろう。新しい展望となる形で彼女を迎えてくれるところはどこにもなく、彼女が行きつくことのできる先があるとすれば、それは、実家か、施設しかあり得なかった。実家または施設に帰ることは、しずくにとって試みの失敗と後退を意味した。郷愁は薄々感じていたけれど、その誘惑に負けて帰るのは、彼女の気負いが許さなかった。
しずくは、繋がれている重たい鎖を断ち切りたかった。彼女はまだそれに繋がれており、高橋のコミュニティがそれを断ち切る助けになるかどうか、確信は持てなかったが、選択肢のない彼女は、賭けてみるしかないのだった。
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