降って湧いてきた科学知識で現代快適生活   作:サカサカ

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はじまり

 

 

 相良(さがら)直人(なおと)の19歳最後の日、いや、20歳を迎える前夜は、ひどくありふれた日常の延長線上にあった。

 

 誕生日だからといって、特別に豪華なパーティーが開かれるわけではない。夕食時に両親から「おめでとう、これで堂々とお酒が飲める歳ね」と軽く言われ、スーパーで買ってきた少し高めの寿司をつまんだくらいだ。あとはSNSのメッセージアプリで、ネット上の友人数人からお祝いのスタンプが送られてきた程度である。

 

 直人自身も、20歳になるという実感はまるきり湧いていなかった。

 

 堂々とお酒が買えるようになるとか、その程度のメリットしか思い浮かばない。クレジットカードなんかは18歳の成人の時に作ってしまったし、今更20歳になったからといって大きな変化があるわけでもなかった。むしろ、年金だの税金だの、よくわからない大人の責任とやらがのしかかってくる面倒くささの方が勝っていた。

 

 時刻は23時58分。

 

 直人は実家の自室で、いつものようにパソコンのモニターと睨み合っていた。画面の左半分では動画投稿サイトの実況プレイを流し、右半分ではプログラミングの学習サイトを開いているが、どちらにも大して集中していない。

 

 彼の部屋は、彼自身の興味の散漫さをそのまま体現したような空間だった。

 

 ベッドの下には積み上げられたままの新作ゲームソフト。デスクの脇には未開封のロボットのプラモデルが2箱。棚には電子工作のキットが作りかけの状態で放置され、足元には分厚い技術書が無造作に積まれている。

 

 ふと、モニターの横に置かれたスマートフォンの画面が明るくなり、「バッテリー残量15パーセント」という無慈悲な警告を表示した。

 

「あー、また充電切れそう……モバイルバッテリー、どこやったっけ」

 

 直人は椅子の上で胡座をかいたまま、机の上の地層と化したガラクタを漁り始めた。

 

 その時、1階のリビングから母親の鋭い声が飛んできた。

 

「直人! あんた、今月の電気代また1万5000円超えてたわよ! ずっとパソコンつけっぱなしにしてるからでしょ!」

「うるさいな! 今からスリープにするところだって!」

 

 直人は適当に返事を投げ返し、大きなため息をついた。

 

 自作のデスクトップパソコンは、排熱性を気にしてケースファンを4つも積んでいるため、ブォーンという低い駆動音を常に響かせている。電気代を食っているのは事実だが、これがないと重い処理に耐えられないのだ。

 

「スマホの充電はすぐなくなるし、パソコン周りのコンセントはタコ足配線で限界だし、電気代は高いし……もっとこう、永久機関みたいな夢の電源、ないもんかね」

 

 机の奥から引っ張り出した、表面が傷だらけの古いモバイルバッテリーを手に取りながら、直人はぼやいた。

 

 このバッテリーも最近はすっかり劣化してしまい、1回スマホを充電しただけで空っぽになってしまう。

 

 デスクトップ右下の時計が、23時59分から、0時00分へと切り替わった。

 

 その瞬間だった。

 

 直人の頭の中に、何の前触れもなく()()は現れた。

 

 激しい頭痛があったわけではない。視界がフラッシュのように白く染まったわけでも、神々しい声が脳内に響き渡ったわけでもない。

 

 ただ、手元にある劣化したモバイルバッテリーを見た瞬間、ごく自然に「理解」してしまったのだ。

 

『リチウムイオン電池の正極材におけるコバルトの結晶構造の崩壊と、電解液の不可逆的な酸化分解反応によるガス発生。それに伴う内部抵抗の上昇と、リチウムデンドライトの析出によるセパレータへの微小な損傷……』

 

 まるで、昨日食べた夕飯のメニューを思い出すかのように。

 

 あるいは、何百回も読み込んだお気に入りの漫画のセリフをそらんじるかのように。

 

 直人の脳内に、手元のバッテリーの内部構造、化学反応の推移、劣化の根本原因、熱損失の割合といった詳細なデータが、瞬時に湧き上がってきた。

 

「……は? なんだこれ」

 

 直人はモバイルバッテリーを放り出し、両手で自分の頭を抱えた。

 

 専門学校で情報処理や基礎的な電気工学は学んでいるが、バッテリーの化学反応をここまで分子レベルで鮮明にイメージできるほどの知識はないはずだ。

 

 気味が悪くなり、直人は思考を振り払おうとした。

 

 しかし、一度開いた知識の扉は、直人のちょっとした疑問に即座に反応した。

 

「もっと、こう……劣化しなくて、容量を劇的に増やせる構造って、作れないのか?」

 

 そう考えた瞬間。

 

 直人の脳内に、全く見知らぬ、しかし完璧な整合性を持った『蓄電体』の設計図が展開された。

 

 それは既存の液体電解質を使った電池ではなかった。完全な固体。黒いシート状の物質。

 

 使用する炭素系材料と微細な金属箔の積層構造。セラミック素材の配合比率。製造に必要な加熱温度から、指定された圧力、充放電を制御するための微小な保護回路の設計、安全基準に至るまで。

 

 膨大なパラメーターと数式が、滝のように直人の意識を駆け巡る。

 

「おいおいおい……待て待て待て」

 

 直人は慌ててパソコンのブラウザを開き、検索窓に脳内に浮かんだ謎の素材名や理論の一部を打ち込んだ。

 

 検索結果には何も出ない。

 

 ヒットするのは、大学の研究室が発表した「将来的な可能性」を示唆する論文の断片や、それに似た名前の無関係な企業サイトくらいだ。

 

 自分の脳内にある『完成された理論』に合致する情報は、インターネットの広大な海のどこにも存在しなかった。

 

 直人は部屋の中を見回した。

 

 ブォーンと鳴り続けるパソコンのケースファンを見る。

 

「このファンの騒音と排熱効率、もっと良くならないか?」

 

 疑問を持った瞬間、直人の脳内には『流体力学に基づいた非対称ブレードの最適解と、磁気浮上軸受による摩擦係数ゼロの回転機構、および熱電変換を利用した自己冷却システム』の図面が浮かび上がった。

 

 部屋の隅にある空気清浄機を見る。

 

「フィルターの交換なしで空気を綺麗にする方法は?」

 

 即座に、『特定波長の紫外線照射とナノレベルの触媒を用いた、空気中微粒子の完全分子分解機構』が提示される。

 

 直人はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

オカルトや魔法ではない。脳内に浮かぶのは、すべて厳密な数式と物理法則に裏打ちされた、ガチガチの『科学技術』だった。

 

 ただ、それが現代地球の科学レベルを、軽く数十年、いや数百年は置き去りにしているというだけだ。

 

「俺……頭、おかしくなったのか?」

 

 誰かに聞けば「中二病をこじらせた痛いヤツ」で片付けられるだろう。

 

 だが、直人の感覚は恐ろしいほどに冴え渡っていた。脳内の技術情報は、ただの妄想にしてはあまりにも緻密で、論理的で、現実的すぎた。

 

 直人は椅子に深く寄りかかり、天井を見上げた。

 

「もし、この知識が全部本物だとしたら……」

 

 直人の口元が、無意識のうちに歪んだ。

 

 人類の文明を前進させよう、貧困や環境問題解決しよう、などという崇高な使命感は、悲しいかな、彼の中には一ミリも湧いてこなかった。

 

 最初に浮かんだのは、極めて俗っぽく、小市民的な欲望である。

 

「この技術で特許を取れば、一生遊んで暮らせるくらいの大金持ちになれるんじゃね?」

 

 億ションに住み、最新のハイエンドPCを並べ、3食デリバリーで済ませる夢の堕落生活。

 

 しかし、その妄想は数秒でしぼんだ。

 

「いや、無理だ」

 

 特許を申請するには、当然ながら本名と住所が必要だ。19歳の専門学生が、突然こんなオーバーテクノロジーの塊を提出したらどうなるか。

 

 間違いなく、出所を問い詰められる。

 

企業に持ち込んだとしても同じだ。身元調査をされ、怪しまれ、最悪の場合は技術だけを奪い取られるかもしれない。

 

 さらに嫌な想像が連鎖する。

 

 もし、この技術が国家レベルで目をつけられる代物だったら?

 

「黒塗りのバンで拉致されて、どこかの地下施設に監禁されて、一生国のために新兵器の図面を引かされる……あり得る。映画で見たやつだ。絶対に嫌だ」

 

 直人は身震いした。

 

承認欲求はある。自分の知識で世界が驚くのを見たいという欲求はある。

 

 だが、そのために自分の平穏な日常が破壊されるのは、顔や名前が世界中に知れ渡るのは、絶対に御免だった。

 

「とにかく……まずはこれが本物かどうか、確かめるのが先だ」

 

 直人は机に向かい直り、ノートを開いた。

 

脳内にある『超高密度固体蓄電シート』の完全版は、ナノレベルの加工設備や、特殊な環境下でしか精製できない高純度素材が必要で、とても個人の部屋で作れるものではない。

 

「今、俺の部屋にある道具と、通販とかホームセンターで買える素材だけで作れるレベルまで、性能を落とした簡易版……あるか?」

 

 検索窓にキーワードを打ち込むような感覚で、脳内に問いかける。

 

 すると、すぐに「簡易試験用セル」の設計図が引っ張り出された。

 

 必要な材料は、市販の炭素系粉末、数種類の金属箔、特定の工業用セラミックパウダー、術用、そして耐熱用のエポキシ樹脂。あとは加熱用のホットプレートと、圧力をかけるための自作の万力状の治具があればいい。

 

 直人はすぐさま大手通販サイトを開き、必要な材料を次々とカートに放り込んだ。

 

 合計金額は、約2万3000円。

 

 今月のアルバイト代の残りが綺麗に吹き飛んだが、直人は躊躇なく購入ボタンをクリックした。

 

 数日後。

 

 直人の部屋は、さながら粗悪な違法ドラッグの製造工場のようになっていた。

 

「くっさ! なんだこの樹脂、めっちゃ刺激臭するんだけど!」

 

 直人は換気扇を全開にし、タオルで口元を覆いながら作業に没頭していた。

 

 材料は届き、脳内の設計図も完璧だ。

 

 しかし、致命的な問題があった。直人の手先の器用さは、ただの「趣味でたまに電子工作をする素人」レベルでしかなかったのだ。

 

「あーもう、薄膜が均等に伸びない! ピンセットが滑った! 積層がズレてる!」

 

 ミリ単位の調整が必要な工程で、直人の不器用な指先は何度もミスを犯した。

 

 自作した圧着用治具は力を入れすぎてバキッと音を立ててひび割れ、加熱工程では温度管理が甘くて樹脂の一部を焦がした。

 

「直人! あんた部屋で何燃やしてんの! 変な臭いが1階まで降りてきてるわよ!」

「燃やしてない! ちょっと接着剤の臭いが出てるだけ!」

 

 扉越しに飛んでくる母親の怒声に冷や汗をかきながら、直人は失敗作の黒い塊をゴミ箱に放り投げ、何度目かのやり直しに挑んだ。

 

 徹夜の作業が2日続き、目の下に濃いクマができた頃。

 

 直人の机の上には、消しゴムの半分ほどの大きさしかない、不格好で表面がザラザラした黒いシート状の塊が転がっていた。

 

「……できた。一応、形にはなった」

 

 直人は震える手で、その『簡易試験用セル』にデジタルマルチメーター(電圧計)の端子を当てた。

 

 ピッ、という電子音と共に、液晶画面に数字が表示される。

 

『3.72V』

 

「おお……」

 

 しっかりと電圧が出ている。

 

 直人は次に、100円ショップで買ってきたUSB接続の小型ファンを分解し、直接リード線を繋いでみた。

 

ブィィィィン! と、ファンは勢いよく回転を始めた。

 

「よし、動く。とりあえず電気は蓄えられてる……でも、ここからだ」

 

電圧が出るだけなら、レモンに釘を刺したってできる。問題は、その中にどれだけのエネルギーを保持しているか、だ。

 

 直人は電子負荷装置を引っ張り出し、試験セルに接続した。

 

 1Aの定電流放電テストを開始する。

 

 一般的な同サイズのモバイルバッテリーのセルなら、数時間で電圧が急降下して空になるはずだ。

 

 直人はストップウォッチを押し、画面の推移を見守った。

 

 1時間が経過した。電圧は微動だにしない。

 

2時間が経過した。まだ落ちない。

 

5時間が経過した。ファンは狂ったように回り続けている。

 

「……嘘だろ」

 

 直人は画面を凝視したまま、呟いた。

 

 結局、その小さな不格好なセルが沈黙するまでには、丸1日以上の時間を要した。

 

 計算上の容量は、控えめに見積もっても既存のリチウムイオン電池の10倍近くを叩き出していた。これなら、スマートフォンのバッテリーも数日から10数日は余裕で持つ計算になる。

 

しかも、その後の急速充電テストでも発熱はほぼゼロ。

 

 最後に、安全性を確かめるためにベランダへ出て、セルをカッターで乱暴に傷つけ、さらにはハンマーで叩き潰してみた。

 

 発火しない。膨張もしない。有毒ガスも出ない。

 

 ただ物理的に壊れただけで、熱暴走の兆候は一切見られなかった。

 

 直人はベランダにへたり込み、壊れた黒い破片を見つめた。

 

「本物だ」

 

 不器用な素人が、ホームセンターと通販の素材を使い、適当な温度管理で作った、劣化版の試作品。

 

 それでこの性能なのだ。

 

 もしこれを、工業レベルのクリーンルームで、高純度の素材を使い、ナノレベルの精度で積層し、本来の性能である100倍級を発揮させたら、一体どうなる?

 

 直人の脳内で、パズルのピースが組み合わさっていく。

 

スマホの充電が数ヶ月不要になる……いや、電気自動車なら、1回の充電で日本を縦断できるレベルだぞ……

 

 影響はそれだけにとどまらない。

 

 家庭用の大型蓄電設備が普及すれば、電力網の概念が変わる。ドローンは鳥のように何日も空を飛び続け、航空機すら電力で飛ぶようになるかもしれない。

 

 最悪の場合、軍事兵器の動力源としてバランスを崩壊させる。

 

「ヤバい。これはマジで()()()()()だ」

 

直人は身震いした。

 

こんなものを、一個人が抱え込めるはずがない。一企業が独占していい代物でもない。

 

 直人は部屋に戻り、パソコンの前に座った。

 

SNSのタイムラインをぼんやりと眺める。

 

『スマホのバッテリーすぐ減るんだけど! 買い替え時かな』

『EVの充電スタンド混みすぎワロタ。三十分待ちとかふざけんな』

『電気代高騰で工場ヤバいっす……』

 

 世界中の人間が、エネルギーの制限に不満を漏らしている。

 

 直人はニヤリと笑った。

 

 匿名掲示板に「すんげー電池作ったから見てくれ」と写真をアップしようとして、マウスに置いた手を止める。

 

「ダメだ。こんな写真一枚とデータだけじゃ、どうせ『はいはいAI生成乙』『投資詐欺のフェイク動画だろ』って言われて終わる」

 

 必要なのは、誰かに信じてもらうための証拠ではない。

 

 誰でも作れて、誰でもその異常性を確認できる、完璧な『設計図』そのものだ。

 

それをインターネットの海に放り投げ、世界中の研究者や企業に勝手に作らせ、勝手に驚かせればいい。

 

「正体不明の天才技術者……悪くないな」

 

 直人はブラウザの新しいタブを開き、海外の無料ウェブサイト作成サービスの登録画面にアクセスした。

 

 画面の中央には、『サイト名を入力してください』という空欄が点滅している。

 

 直人はキーボードの上に指を置き、カタカタと音を立てながら、その空欄をどう埋めるか楽しげに悩み始めた。

 

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