降って湧いてきた科学知識で現代快適生活 作:サカサカ
都内の大学院で材料工学を専攻する修士1年の
画面に映っているのは、匿名掲示板に貼られていた怪しい長いURLからダウンロードしたPDFファイルだ。タイトルは『超高密度固体蓄電シート・簡易試験用セル設計資料』。
何度見返しても、素人の妄想で書かれたトンデモ論文には見えない。
記載された材料はすべて実在し、一般的な通販や研究室の在庫で入手できるものばかりだ。オカルト科学にありがちな未知の素材や、危険な薬品を要求する工程は一切ない。大学にある一般的な研究設備で十分に製造可能であり、保護回路や測定方法の設計も極めて現実的だった。
ただ1つ、理論容量だけが既存のリチウムイオン電池の数倍から10倍近いという異常な数値を叩き出している。
「いくら見ても、理屈の破綻が見つけられないな」
数式のどこかに致命的な前提のズレがあるはずだ。倉田はそう考え、実物を作って間違いを探すことに決めた。
翌日、倉田は設備管理を担当している博士課程の先輩に相談を持ちかけた。
「先輩、ネットで公開されてた固体蓄電セルの設計なんですけど。材料費も安くて危険な工程もないんで、予備実験として余ってる材料と空き時間でちょっと試していいですか?」
「なんだこの長いURL。個人サイトか? 既存電池の数倍なんて性能、どうせ投資詐欺か何かのフェイクだろ。作っても失敗するに決まってるぞ」
「ですよね。俺もそう思うんですけど、どこが嘘なのか確かめたくて」
「まあ、余剰材料の範囲なら勝手にやれ。事故だけは起こすなよ」
先輩からの許可を得て、倉田は早速作業に取り掛かった。
資料に従い、電子天秤で正確に材料を量り取る。しかし、指定された混合順序が普段の研究室での手順とは微妙に異なっている。薄膜を形成し、タイマーを使って1工程ごとの時間を厳密に管理していくが、資料には空気に晒せる時間や、加熱時の昇温速度まで1分単位で細かく指定されていた。
「いくらなんでも、ここまで神経質にならなくても大体のものは作れるだろ」
倉田はこれまでの経験則から、乾燥などの一部の工程を普段のやり方に寄せて省略した。
数時間後、消しゴムの半分ほどの大きさの黒い試験セルが完成した。
外観の写真を撮り、重量を記録する。開放電圧を確認すると、一応の数値は出た。
倉田は充放電試験装置へ接続し、資料で指定された条件で初期充電を開始した。
しかし、充電を開始してすぐ、電圧は急速に上昇し、短時間で上限電圧へ達してしまった。モニター上は満充電のように見えるが、装置が記録した受入電力量は非常に少ない。
嫌な予感を抱えつつ、一定時間休ませてから放電試験へと移る。
放電を開始した途端、電圧のグラフは急降下し、あっという間に設定された下限電圧へ達して装置が放電を停止した。
「なんだこれ。全然ダメじゃないか」
様子を見に来た先輩がニヤニヤと笑う。
「ほら見ろ。そんな怪しい資料、時間の無駄だったな」
倉田も苦笑いしつつ、ふと資料の『失敗例』のページを開いた。そこにはこう記載されていた。
『症状:初期電圧のみ正常。充電開始後、短時間で上限電圧へ到達するが、受入電力量は規定値を大幅に下回る。放電開始後に電圧が急落。内部抵抗が想定値より高く、特定の層が正常に形成されていない』
今さっき起きたセルの挙動と完全に一致している。さらに、原因の項目にはこうあった。
『原因:材料の吸湿。乾燥処理後から積層までの時間超過。指定された低湿度環境が維持されていない』
倉田は息を呑んだ。自分が「そこまで厳密でなくてもいいだろう」と省略した工程が、ピンポイントで失敗原因として指摘されていたのだ。
怪しい資料を試しているのではない。自分の手抜きを正確に予測した資料を検証しているのだ。倉田の中で、認識が明確に切り替わった。
「もう1回だ」
倉田は資料の条件を完全に守り、第2の試作に取り掛かった。
材料を規定時間しっかりと乾燥させ、グローブボックス内で低湿度環境を維持しながら作業する。乾燥後から積層までの時間をストップウォッチで計り、加圧曲線を指定通りに設定し、加熱と冷却のプロセスも自動制御で行う。同時に、同条件で複数の試験セルを作成した。
さらに今回は比較対象として、試験セルと近い重量の市販リチウムイオンセルを用意した。両者の重量を精密に測り、市販セルの状態を規定条件へ揃える。充電時に投入した電力量(Wh)と、放電時に取り出した電力量をそれぞれ記録し、最後に重量当たりの電力量(Wh/kg)へ換算して比較する準備を整えた。
同じくらいの重量で、どちらがどれだけの電力量を蓄えられるかを明確にするためだ。
その頃。相良直人は自室のパソコンで、サイトのアクセス状況を監視していた。
相変わらず大半の閲覧者は数秒で離脱していくが、同一の閲覧セッションと思われる不自然なアクセスが1つだけあった。
PDFを最後まで読み、CADデータを保存している。材料一覧を繰り返し開き、製造工程のページを読んだ後、一度『失敗例』のページへ移り、しばらくして再び製造工程へ戻っていた。
「これ……本当に誰かが作ってて、一度失敗したんじゃないか?」
直人は画面の向こうにいる顔の見えない誰かの存在を感じ取った。しかし、管理人として接触はせず、ただじっと推移を見守ることしかできなかった。
研究室では、第2の試作セルが完成していた。
倉田は試験セルと市販セルをそれぞれ充放電装置へ接続し、それぞれの安全範囲に合わせた条件で充電比較を開始した。試験セルは、資料の中で指定された安全側の電流を使用する。
数時間後、市販セルは通常通り満充電となり、装置が充電完了を知らせた。しかし、隣の試験セルはその後も涼しい顔で電力を受け入れ続けていた。
受入電力量が市販セルの2倍、3倍と増えていく。表面温度を測り、膨張や異臭がないかを確認するが、全く異常はない。夜になって、ようやく試験セルは上限電圧へ達した。
倉田は画面の数値を見て驚愕したが、まだ冷静だった。内部で未知の副反応が起き、電力が熱などの別の形で消費されている可能性も残っているからだ。
一定時間休ませて電圧を安定させた後、倉田はいよいよ放電比較へ移った。
それぞれの安全範囲内で、比較可能な負荷条件に設定する。装置が電圧と電流を継続記録し、最終的な電力量を算出していく。
最初は両方とも正常だった。しかし次第に市販セルの電圧が徐々に低下し始め、やがて公称値付近で正常に放電を停止した。
一方で、試験セルの放電曲線はほぼ平坦なまま維持されている。市販セル1個分、2個分、3個分の電力量を越えても、終わる気配がない。
「嘘だろ……」
深夜の研究室で、倉田は測定ミスを疑った。
配線を1本ずつ確認し、電流計を交換し、別の電圧計で並行測定を行う。独立した計器で確認し、外部電源が回り込んでいないか調べ、充電時の投入電力量を再確認する。市販セルが正常な値を示しているため、装置全体の故障ではない。確認するたびに、異常ではなく測定が正しいという可能性が高まっていった。
研究室から人が帰り、窓の外が暗くなる。室内は測定器のファンの音と空調の音だけになった。倉田はコンビニで飲み物を買い、グラフと時計を何度も見比べながら、簡易ベッドで仮眠をとっては気になって何度も起きた。
翌朝。出勤してきた先輩がモニターを見て目を丸くした。
「おい、電流設定間違えてないか? 装置の校正不良だろ」
先輩は自ら生データを開き、配線を確認し、別の計器へ繋ぎ直した。市販セルが公称値通りに終わっていることを確認すると、絶句した。試験セルはまだ放電を続けていたからだ。
先輩の態度が急変し、慌てて指導教員を呼びに行った。
ようやく放電が終了した後、倉田はデータを照合した。
充電時に投入した電力量と、放電時に取り出せた電力量。そして重量当たりの電力量。
結論は明らかだった。充電時に大量の電力を受け入れただけではなく、少なくとも、投入した電力の大部分がセル内部へ蓄えられ、再び取り出せることが確認されたのだ。
理論値そのものには届かないが、同重量の市販セルを大幅に超えている。
同時に作った別セルも測定すると、多少の個体差はあるものの、すべて既存セルを大きく上回る結果を出した。これは偶然の成功ではない可能性が高い。
倉田は1息つくと、元の匿名掲示板を開いた。
掲示板では相変わらず「管理人の妄想」「AI生成」「投資詐欺」「誰も再現していない」と馬鹿にされ続けている。
倉田は長々と反論する気は起きず、匿名で簡単な再現報告を投稿した。
『初回は失敗したが、湿度条件を守って再製作したところ、複数セルで動作した。同重量の市販セルを大幅に上回っている。充放電の入出力を測定済み。現在も追試中だが、まだ正式な確定ではない』
添付したのは、試験セルの写真、市販セルとの比較グラフ、重量の記録、そして測定条件の一部だけだ。大学名や研究室名、特徴的な設備は一切映さないようにした。
投稿直後、掲示板の反応は案の定だった。
『はい自演』
『グラフ捏造乙』
『管理人本人だろ』
『詐欺仲間の援護射撃』
『ただの測定ミス』
しかし、その中に資料を実際に読んだと思われる人間からのレスが混ざり始めた。
『失敗例のどれと一致したんだ?』
『充電時の投入Whはちゃんと測ったか?』
『比較セルの重量は同程度で揃えてるのか?』
『放電条件の詳細を教えろ』
倉田はそれらの具体的な質問に最低限だけ回答し、それ以上の応酬は避けた。
だが、そのやり取りによって、掲示板の空気が「全員が馬鹿にする状態」から「嘘かもしれないが、検証可能な報告が出た状態」へと確かに変わり始めていた。
同じ頃、直人のサイトへのアクセスが急速に増え始めていた。
PDFの閲覧、CADのダウンロード、材料一覧、失敗例、製造工程へのアクセスが連続して記録されていく。
何事かと思い掲示板を開いた直人は、そこに倉田の再現報告を見つけた。
添付されたセルの構造写真や測定グラフの推移を見て、直人にはそれが本物だとすぐに分かった。
「……マジで作ったヤツ、出た」
自分以外の人間が、自分の公開した技術を本当に再現したのだ。強烈な承認欲求が満たされるのを感じながら、直人は画面を見つめたまましばらく固まっていた。
研究室では、掲示板への投稿後も検証が続けられた。
別の日に新しい材料を用意し、工程を最初からやり直す。一部の装置を変更し、別の人間も測定へ参加して再製作を行ったが、それでも同じ傾向が明確に出た。
ここに至り、倉田個人の予備実験ではなく、研究室内でも「設計資料に従えば再現可能である」という認識が成立した。
数日後。教員たちは騒ぎ立てることはせず、測定手法の再精査、材料の純度証明の取得、サンプル数の追加、製造工程の記録整理、そして外部測定機関での確認や資料の出所調査へと冷静に動き始めた。
「いいか倉田。確証が得られるまで、勝手に外部へ公表するな」
指導教員からそう命じられ、倉田は少し気まずい思いをした。すでに匿名掲示板へ簡単な報告を出してしまっているからだ。とはいえ、大学名や詳細なデータは出していないため、黙っていれば大問題にはならないだろう。
「しかし、この資料を一体誰が公開したんだ」
「分かりません。ただ、先生……これ、もうネットで誰でも見られる状態なんですよ。俺たちが黙っていても、いずれ別の誰かが作ります」