降って湧いてきた科学知識で現代快適生活   作:サカサカ

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別視点:拡散される

 

 

 

 

 林教授は、机の上に広げられた書類の束とタブレットの画面を交互に見比べ、小さく唸った。

 

 一つは、倉田(くらた)圭介(けいすけ)がまとめた試験セルの製造記録。もう一つは、匿名サイトの管理人『Admin_N』が公開しているPDF資料である。

 

「使用材料、ロット番号、製造日時に温度と湿度……各工程の所要時間から、使用した設備と充放電条件に至るまで、すべて記録してあるな」

 

「はい。第三者が同じ手順を再現できるように、改めて正式な記録として整理しました。市販のリチウムイオンセルとの比較データも添えています」

 

 倉田の言葉に、教授はタブレットの画面をスクロールした。

 

 理論、製造手順、測定方法、保護回路の設計、想定される失敗例、そして現代の一般材料への置換リスト。

 

「これは……単なる思いつきや、机上の空論を書いたメモじゃない。最初から『他人に作らせるため』にまとめられている」

 

 そのやり取りを少し離れた席で聞いていた博士課程の先輩、神谷が、半信半疑の顔で近づいてきた。

 

「いや、いくらなんでも話が出来すぎじゃないですか。倉田が偶然、測定エラーを引き起こすような粗悪品を作ってしまっただけでは?」

 

 神谷は以前、この資料をネット上のデマだと一蹴していた。

 

 教授は神谷へ視線を向けた。

 

「なら、君の手で作ってみなさい」

 

「えっ」

 

「倉田の記録と、この資料だけを頼りに、君自身で一から試作するんだ。倉田は一切口出ししないこと。それで同じ結果が出れば、倉田だけが偶然作れたという可能性は消える」

 

 神谷は渋々といった様子で白衣を羽織り、耐薬手袋をはめた。

 

 倉田から渡された資料と記録だけを頼りに、粉末の計量と混合、シートの形成と積層、加熱と加圧の工程を進めていく。

 

 資料の指示は細かかった。

 

 材料を混ぜる順番、乾燥後に空気へ晒してよい時間、積層時の圧力変化、毎分何度という単位で指定された昇温速度。

 

 神谷は途中で何度か眉をひそめたが、自分の経験で勝手に工程を変えることはしなかった。

 

 倉田は少し離れた場所から、黙ってその様子を見守っていた。

 

 数時間後、神谷の手によって新しい簡易試験用セルが完成した。

 

 神谷は外観と重量を記録し、自らセルを充放電試験装置の端子へ繋いだ。

 

 初期充電のプログラムを走らせる。

 

 モニターに表示される電圧と電流、積算されていく受入電力量を追っていた神谷の顔から、次第に嘲笑と余裕が消えていった。

 

 同重量の市販セルなら、とっくに充電が終わっているだけの電力量を受け入れても、試験セルは安定したまま充電を続けている。

 

 規定時間の安定化を挟み、放電試験へ移る。

 

 多少の個体差はあるものの、結果は倉田が作ったセルと同じだった。

 

 市販セルを大幅に上回る電力量を蓄え、その大部分を放電時に取り出すことができた。

 

「本当に、作れちゃいましたよ……」

 

 神谷は、得体の知れないものを見るような目で、小さな黒い試験セルを見つめた。

 

 偶然ではない。

 

 少なくとも、必要な設備を持つ人間が資料通りの手順を踏めば、倉田以外にも再現できる。

 

 その事実が確認されると、研究室では追加測定が始まった。

 

 開放電圧の推移、充放電時の発熱、内部抵抗、充放電効率。負荷条件を変えた場合の容量と出力の変化。

 

 複数のセルを使い、条件を変えながら数回の充放電を行ったが、目立った劣化や性能低下は確認されなかった。

 

 もちろん、この程度の回数で長期寿命や数万回という耐久性を断定することはできない。

 

 それでも、数回の使用で急激に性能を失うような欠陥品ではないことは分かった。

 

 次に、研究室では測定用とは別に作ったセルから断面試料を切り出し、内部構造の分析を行った。

 

 電子顕微鏡で断面を観察した教授たちは、モニターに映し出された画像に息を呑んだ。

 

「なんだ、これは……」

 

 使っているのは、ごくありふれた市販材料だ。

 

 だが、資料に指定された温度と圧力の工程を通した結果、従来の製法では見られない、規則的な微細構造が内部に形成されていた。

 

 それぞれの粒子が無秩序に固まっているのではない。異なる材料が一定の間隔と方向性を持ち、複雑な経路を作り上げている。

 

 しかし、なぜこの特定の温度と圧力で、その構造が形成されるのか。

 

 なぜ、その構造によって大量の電力を安定して保持できるのか。

 

 資料に記載された高度な数式が、具体的にどの物理現象を表しているのか。

 

 専門家である彼らにも、完全には理解できなかった。

 

「作ることはできる。性能も測れる。それなのに、なぜそうなるのかを説明しきれない……」

 

 林教授は眼鏡を外し、眉間を揉んだ。

 

「大学内の測定だけでは、評価手順そのものに共通の見落としがある可能性を否定しきれん。念のため、外部にも出そう」

 

 教授は付き合いのある外部測定機関へ、厳重に梱包した試験セルを送ることにした。

 

 依頼名目は『新規構造の試験用蓄電セル』。

 

 匿名サイト由来の技術であることは詳しく説明せず、特性不明の試験品として、純粋な性能測定だけを依頼した。

 

     * * *

 

 倉田が匿名掲示板へ再現報告を投下してから数日。

 

 リンクが貼られたスレッドには、日々さまざまな書き込みが入り乱れていた。

 

『比較条件がおかしいだろ。どうせ自演』

 

『いや、俺の環境でもそれっぽい数値出たぞ』

 

『捏造乙。投資詐欺の仕込みだろこれ』

 

『仮に本当だとして、こんな高密度なもん家庭で作って発火しないのか?』

 

『素人が作るのはやめとけよ。安全性まだ分からんだろ』

 

『軍事転用とかされないのかこれ』

 

『誰が責任取るんだよ』

 

『資料読んだけど設備ないと無理じゃね? ホムセン工作の範囲じゃないぞ』

 

 短い茶化し、雑な批判、専門的な質問。

 

 全員が急に信じるわけではない。

 

 だが、資料を実際に読み、必要な材料や工程を確認する人間は確実に増えていた。

 

 電子工作の経験者、大学の研究者、企業の技術者、そして海外フォーラムの利用者たちだ。

 

     * * *

 

 某県にある小規模な材料研究所。

 

 研究員の宮本は、掲示板のリンクからダウンロードした資料をタブレットに表示し、一人で試作を行っていた。

 

 完成したセルを測定装置へ繋ぐ。

 

 だが、充電を始めようとした直後、端子電圧が不自然に落ち込み、装置が異常を検知して停止した。

 

「駄目か……いや、待てよ」

 

 宮本は資料の『失敗例』の項目をスクロールした。

 

『症状:初期充電開始時に端子電圧が不安定化。局所的な短絡が発生し、保護回路が作動』

 

 さらに原因欄を確認する。

 

『原因:粉砕不足による粗大粒子の残留。粒径分布が指定範囲を外れた場合、積層時に局所的な導通経路が形成される』

 

「これか」

 

 宮本は使用した粉末の記録を見直した。

 

 粉砕時間は普段使っている材料と同じ条件にしていた。目視では十分に細かく見えたため、そのまま使用していたのだ。

 

 ミルの粉砕時間を延ばし、ふるい分けによって粒径分布を資料指定の範囲へ揃える。

 

 ほかの工程も一つずつ見直し、二度目の試作へ取りかかった。

 

 完成したセルを装置へ繋ぎ、慎重に初期充電を始める。

 

 今度は保護回路が作動しない。

 

 端子電圧は安定し、積算された受入電力量が時間とともに伸び続けていく。

 

「マジかよ……」

 

 その後の放電試験でも、市販セルを明確に上回る結果が出た。

 

 宮本は何度も測定条件を確認した後、グラフのスクリーンショットを保存した。

 

 そして、日本の匿名掲示板と、普段から出入りしている海外の技術フォーラムへ簡単な報告を書き込んだ。

 

『条件を守って再製作したところ、再現できた。まだ追加検証中だが、公開資料は本物の可能性が高い』

 

 これで、再現報告は一つの大学から出た一件だけではなくなった。

 

     * * *

 

 アパートの自室で、相良(さがら)直人(なおと)はパソコンのモニターに映るアクセス解析画面をじっと見つめていた。

 

「増えてる……」

 

 公開当初は一日数件だったアクセス数が、今では数百件単位へ跳ね上がっている。

 

 PDF資料の閲覧数も、CADデータのダウンロード数も、明らかに伸びていた。

 

 国内の匿名掲示板からの流入だけではない。海外圏からと思われるアクセスも混ざり始めている。

 

 第三者が立ち上げたミラーサイトや、資料を転載したページから流れてくる閲覧者もいた。

 

 直人は椅子の上で小さくガッツポーズをした。

 

 自分が頭の中の知識を形にし、それが現実の誰かへ届いている。

 

 掲示板を開けば、再現報告が増えている。

 

 直人は新しく投稿されたグラフを閉じては開き、同じ文章を何度も読み返した。

 

 だが、喜びの中に、僅かな怖さも混ざり始めていた。

 

 仮に今、自分がサイトを閉鎖したとしても、この技術は消えない。

 

 誰かのローカルフォルダへ保存され、別のサーバーへ転載され、さらに別の人間が複製する。

 

 すでに技術は直人の手を離れ、一人で止められるものではなくなりつつあった。

 

 怖がって公開を止めるほどではない。

 

 むしろ望んでいたことだ。

 

 それでも、公開ボタンを押したときには実感できなかったネットの拡散力を、直人はようやく肌で感じていた。

 

 ふと、スマートフォンの画面に通知が点灯した。

 

 サイトの隅にひっそりと置いていた、暗号資産の寄付窓口へ入金があったことを知らせるウォレットの通知だった。

 

 確認すると、数百円から数千円程度に相当する少額の送金が、数件届いていた。

 

「うおっ、マジで振り込まれてる!」

 

 直人はアクセス数が増えたとき以上に喜んだ。

 

 見ず知らずの人間が、自分の公開した技術に価値を感じ、実際に金を払ったのだ。

 

 何度も取引履歴を開き、数字を確認する。

 

 だが、数分後には冷静になり、頭を掻いた。

 

「これ、日本円にするには取引所の本人確認とか、税金の計算とか、めちゃくちゃ面倒なんだよな……」

 

 金は入った。

 

 しかし、匿名性を保ったまま、すぐコンビニで使えるようなものではない。

 

 口座の数字は増えたのに、実験材料を買う金としてはまだ使えないという、妙な状態だった。

 

 海外のオープンハードウェア系フォーラムを巡回すると、すでに第三者による簡単な英語要約や、自動翻訳にかけたらしい資料が出回り始めていた。

 

 中には、技術用語の意味が変わってしまっている怪しい翻訳もある。

 

「変な誤訳で失敗するヤツが出ても寝覚め悪いし、正式な英語版を作っておくか。サイト側にも翻訳表示機能を追加しよう」

 

 外部の翻訳サービスやプラグインへ接続するつもりはない。

 

 直人は脳内の知識から翻訳と表示に必要な技術を引き出し、次の作業予定へ加えた。

 

     * * *

 

 数日後。

 

 大学の研究室に、林教授が依頼していた外部測定機関からレポートが届いた。

 

 大学側の数値と完全に同じというわけではない。

 

 装置や測定条件の違いによる多少のばらつきはあった。

 

 それでも、結果は誤差範囲内で整合していた。

 

 重量当たりの容量は既存の市販セルを大幅に上回り、投入した電力の大部分を放電時に再び取り出せる。

 

 充放電時に異常な発熱は確認されず、別の機関が別の装置で測定しても、その傾向は変わらなかった。

 

「……測定ミスでは説明できない、ということか」

 

 林教授はレポートを机に置き、深く息を吐いた。

 

 理論や原理を完全に理解できたわけではない。

 

 だが、試験セルが既存の蓄電池を大幅に上回る性能を示していること自体は、否定できなくなった。

 

     * * *

 

 同じ頃。

 

 都内にある大手電池メーカーの研究開発部門。

 

 技術者の真田は、ネット上で話題になり始めた『Admin_N』の資料と、国内外で出始めた複数の再現報告を印刷し、上司である部長のデスクへ並べていた。

 

「ネット上の怪情報だろ、こんなものは」

 

 部長は呆れたように書類の端を指で弾いた。

 

 だが、真田は引き下がらなかった。

 

「材料構成も、具体的な工程も、測定条件も詳細に書かれています。特別なレアメタルは必要なく、材料費も安い。うちの設備ならすぐに試作できます」

 

「再現報告とやらも、自作自演かもしれん」

 

「その可能性はあります。ですが、嘘なら数日で分かります」

 

 その日の午後。

 

 研究開発部門の会議室に、数人の研究員が集められた。

 

 壁に設置された大型モニターには、直人が作成したPDF資料が映し出されている。

 

 誰もが無言で、画面に並ぶ数式と工程表を見上げていた。

 

「誰が書いたんだ、これは」

 

 部長が低い声で尋ねた。

 

「不明です。サイトの管理人は『Admin_N』という名義しか使っていません」

 

 真田が答える。

 

「特許はどうなっている?」

 

「現時点では確認できません。サイトを見る限り、技術資料は利用条件も示さず、すべて公開されています」

 

「こんなものを、何の制限もなくか?」

 

「はい」

 

 しばらく、誰も口を開かなかった。

 

 資料が偽物なら、それで終わる。

 

 だが、仮に本物なら、自社が現在開発している製品も、将来計画も、そのままでは済まない。

 

 部長は再びモニターへ視線を戻し、材料一覧と製造工程を最初から確認した。

 

 やがて、鋭い視線を真田へ向ける。

 

「材料を揃えろ」

 

 真田が姿勢を正した。

 

「まずは、作ってみる」

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