「浅野家に生まれて壊れずに生きていくなんて無理無理」 作:クリオネf。t
「あーちゃんはさ、どうして本校舎にいた頃あんな風に振る舞ってたの?」
最初に矢田とカフェに行ってから、彼女とはよく放課後2人でお茶するくらいに親しくなった。今日も2人でカフェを訪れており、その中でそんな疑問をぶつけられる。
「……。そうじゃないと駄目だから」
「駄目って?」
「強者じゃないと、お父さんがっかりする…から。それに明るくしておかないと、お母さんを悲しませちゃう…し」
矢田はぱちくりと瞬きを繰り返した。
修は伏し目がちになりながらぽつりぽつりと呟くように続ける。
「お父さんは…強くある事を求めてる。実の父親であっても支配できる人間であれ、って…だから私は、そうしないといけない。そうじゃないと…がっかりさせてしまう。…でも」
「…でも?」
矢田は続きを促した。
「でも…今のお父さんや学秀君の姿を見るお母さんは…凄く寂しそう。だけど私が…明るく笑顔で振る舞えば、お母さん、ちょっと安心したように笑う、から…だから」
父親の期待に答える為に周りから一目置かれ頼られる強者でありつつ、母親を安心させる為に明るく気さくで話しやすい浅野修を演じている。それはつまり、常に自分を殺し続けているという事ではないのか。
「あーちゃんは…家でも違う自分を演じてるって事?そんなの…」
「もう…慣れたの。気づいたらずっと演じていて…今はもう、自分が何がしたいのか、とか。…分からなくなってしまった。その時感じてる気持ちも、よく分からなくて。何となくモヤモヤ、とか。自分の気持ちを…上手く言語化、出来なくなってしまって」
修はきっと、家族を大切に思う気持ちが強いのだ。だから自分の事など後回しにして、家族の為に動こうとしてしまった。その結果が今なのだろう。
「私…ずっと、おかしいの。中学、上がる少し前から…食べ物の味、段々しなくなった。人の顔…認識出来なくなって…」
「えっ…」
修の状態は思ったよりもずっと深刻らしい。そんなに前から味が分からないという事は、こうやって自分とカフェでお茶をしている時も。この前のように皆で巨大プリンを分けて食べた時も…ずっと味が分からなかったと。そう矢田は考える。
「そう、だったんだ。…でも、私達の事ちゃんと判別出来てた…よね?」
「…事前に名簿で全校生徒のクラスと名前を覚えてるの。あとは実際に話したり…教室とか廊下とか、その辺で集まって話してる人の会話に耳を傾けたり…そうやって声を覚えて…声で判別、してる」
「そうなんだ…」
果たして、これを凄いと言って片付けてしまっていいのだろうか。少しずつ分からなくなったという事は、元々はきちんと顔を認識する事が出来ていたという事だ。味覚障害も、相貌失認のような症状も…恐らくどちらも心因性のもの。ずっとずっと無理をし続け、それがじわじわと彼女の体と心を蝕んだ。
「殺せんせーは…知ってるの?」
「…味が分からない事と顔が分からない事は話してない。気づいてる可能性は…あるかもしれない、けど」
「…どうして私に話してくれたの?」
かなりデリケートな話題だ。話す事自体とても勇気のいる事の筈。ましてや担任である殺せんせーにすら話していない事を。
「分からない、けど。桃花ちゃんには…話しておかなきゃ、って思った。
自分の気持ちが分からない彼女なりに、矢田の事を信頼してくれている。彼女の置かれている状況は深刻だけれども、自分を信じて頼ってくれる事を矢田は酷く嬉しく感じた。
「ありがとね、あーちゃん。話してくれて」
「……うん」
表情は変わらない。それでもどこか安心しているように見えた。この先彼女が家族と気兼ねなく接する事が出来るようになるといいのだが。