「浅野家に生まれて壊れずに生きていくなんて無理無理」 作:クリオネf。t
「死神」と名乗る殺し屋にイリーナが攫われたり、そのイリーナが裏切りとも呼べる行為をしたり、紆余曲折の末E組へ戻って来たりと短期間で数ヶ月分とも言える大きな出来事を経て、やって来た大きなイベント。学園祭だ。
校内中の期待の目を浴びつつ、E組の出し物は山という立地を活かしたものになった。山の食材をふんだんに使った飲食店。目玉はどんぐりつけ麺だ。
修に与えられた役割は矢田と共に麓で集客する事。
「あ、あーちゃん…どうしたのそれ?」
しかし集客をする修のその姿を見て矢田は衝撃を受けていた。何故か猫耳カチューシャを装着していたからだ。
「…普通にやるより集客出来るって、岡島君が言ってた」
また岡島か。
修は元の性格から来るものなのか…割と色々な事に無頓着で、天然なところがある。この前の男子の盗撮事件の時だってそうだ。岡島の言葉を真に受け、男子が集まる中であろう事か自身のスカートを捲ろうとしたほど。その時は慌てて止めたので未遂に終わったが…
「い、嫌なら嫌ってちゃんと言わなきゃ駄目だよ?」
「? 別に嫌ではない…と思う。集客出来るならやる…」
「そ、そっかー…」
確かに嫌々やっているようには見られないので、矢田はそれ以上言及しなかった。
「……桃花ちゃんもつける?」
何故か自分のつけているものとは別にもう1個持っているようで、それを手にして矢田の方をじっと見つめている。
「わ、私は遠慮しておくね…」
「……そう」
なんだか少ししゅん、としているように見えた。修は表情こそ変わらないが、何となく彼女のちょっとした感情の変化が分かるようになって来た。
「というかなんでもうひとつ持ってるの?」
「岡島君からもらった…」
「岡島君…」
岡島は後で叱っておこう。そう心に決めた矢田だった。
「あれ、浅野君じゃない?」
1日目の昼下がり。ライブイベントで忙しい筈の学秀がわざわざ麓まで出向いてきた。近頃は家で話しかけられる事もめっきり無くなってしまい、暫く会話を交わしていなかったので何故ここまで来たのか疑問に感じた。
「修。話がある。…来い」
「でも…」
「行っておいでよあーちゃん。大事な話みたいだし」
「…分かった。行く」
矢田に行く事を勧められ、修は大人しく学秀へ着いていく。人気の少ない場所へ連れて行かれ、手に持ったココアを手渡された。
「…?」
学秀がじっと修を見つめる。
「話…って、何?」
「……その前にその耳を外せ。何なんだそれは」
「猫耳…?」
修の返答に思わず溜息を漏らす。見れば見るほど本校舎にいた頃の修とは別人だ。
「いいから外せ」
「……。…分かった」
学秀があまりに外せとしつこいので、修は猫耳を取り外す。彼女に自覚は無いが、案外気に入っていたし楽しんでいた。だから少し腑に落ちなさそうにしている。
「単刀直入に聞くが…その話し方はなんなんだ。それに表情も」
学秀は躊躇う事なく率直に切り込んできた。なんだ、と言われても修自身あまりよく分からない。
「分からない…けど。人前でこっちの話し方したのは、E組が初めて。…でも、大分前から私はこんな感じ…」
「いつからだ」
「いつ…。…正確には、よく分からない。多分…中学に上がった頃はもう、こんな感じだった…気がする」
「…どうして。どうして今まで何も」
「……。言ったら、責任を感じさせてしまう…から。それは…嫌だった」
手塩にかけて育てた娘が自我を喪失した。その上味覚障害や相貌失認のような症状まであるだなんて、両親に「自分達は育て方を間違えた」と責任を感じさせてしまうと思ったのだ。
「だとしても」
「どうすればよかったか、なんて…分からない。私、何も分からなかった。自分が何を感じてて、何が好きで、何がしたいかとか…今でもまだよく分からない」
ただ、昔から確かなのは「両親を悲しませるのは嫌だ」という感情のみ。
「…それならお前は。『E組の秘密を知って理事長の弱味を握る事』に拘りは無いんじゃないのか」
それは暗に「お前がE組に行った本当の理由は何だ」と言いたいのだと窺える。修は何も言わず、ただ目を伏せる。学秀は「…まぁいい」と言って深くは聞いてこなかった。修が学秀の様子から何かを察するように、学秀も修の様子から何かを察したのだろう。
「学秀君」
修がそう呼んだ時、学秀の瞳が僅かに揺れる。
「私…E組の事、悪くないって…そう思う。嫌な事、あっても…誰かに優しくできるところとか。間違う事、あっても…それを受け入れて前に進めるところ、とか。それに…ありのままの私を、受け入れてくれる。…今はまだ、怖い…けど。いつか、本校舎の人達とも…ありのままの私で向き合いたい、と思う」
「……。そうか」
沈黙が続く。
手の中のココアは時間が経ってぬるくなっていた。
「…早く飲まないと冷たくなるぞ」
「……うん」
ズズ、とカップに口をつける。相変わらず、甘い香りがするだけで味はしない。そんな事は分かりきった事のはずなのに、何故だか学秀から手渡されたものは味がするのではないかと思ってしまったのだ。
「お前は好きなものが分からないと言っていたが…ココアは好きだっただろう、昔から」
「……そう、だっけ。……言われてみれば、そうだった、気がする」
「本校舎にいた頃もよくココアを買っていただろう」
「……。そう、かも……?」
学秀がそう記憶しているあたり、そうなのかもしれない。自分ではあまりよく考えずに飲み物を買っていたので分からなかった。どうせ何を買っても味がしないから。
「私…味覚が無くて」
「……は?」
「人の顔も…認識できない」
「なっ!?…それはいつからだ」
「中学にあがる少し前、から…」
「なんでそれを早く言わなかったんだ…!」
「……ごめんなさい」
「だが…少なくとも本校舎にいる頃のお前は、誰かの名前を間違えるという事も無かっただろう。味の感想も普通だった」
「声で識別してるの…味は…匂いで想像してる…」
違和感のないように、ごく自然に振る舞う為に彼女が身につけた術。学秀は言葉を失っている様子だった。色々と衝撃が大きいだろう。妹が自分自身の感情を分からなくなっていた事も、味覚を失っていた事も、人の顔を認識出来なくなっていた事も。何ひとつ気づかなかった事を悔しく思う。クラスは違えど、同じ屋根の下で生活しているというのに。
「……。…そうか。時間を取って悪かったな」
「ううん…大丈夫。私も…学秀君とは、ちゃんと話したいと思ってた、から」
妹が前を向き始めているきっかけがE組にある事も気に入らなくはある。けれど、それだけの何かがあるのだろうとも何となく思う。学秀としては非常に癪ではあるのだが。
「……とりあえず僕は戻る」
「うん。…あ」
持ち場へ戻ろうとする学秀を見て、何かを思い出したかのように声を出す修。学秀が「なんだ」と振り返ると、ス…と差し出される猫耳。
「……それを僕にどうしろと」
「学秀君も着けてみるかと、思って…」
「何故??」
正直今までで一番意味不明な妹の行動に戸惑いが隠せない。だが修は至って真面目に言っている。
「そもそもなんでそんなものを持っているんだ」
「岡島君が、こっちの方が普通にやるよりも集客出来るって、渡してくれた…桃花ちゃんにも勧めた、けど桃花ちゃんは着けないって…だから、学秀君、どうかなって…」
「着けないぞ、僕は」
「……絶対似合うのに……」
「絶対に着けないからな」
「……わかった」
自分では自分の感情がよく分からないと言っているものの、学秀の目には割と猫耳を気に入っているように映る。妹に猫耳なんぞを渡して着けさせた岡島に対して、どうしてくれようかと思案しつつ学秀は今度こそその場を離れた。
学園祭はそれからも滞りなく開催された。2日目はグルメブロガーの男子中学生が自身のブログでどんぐりつけ麺を発信した事で大盛況となり、これ以上食材を採ってしまうと山の生態系を崩しかねないと打ち止めに。それでもE組は総合成績3位を飾る運びとなった。
猫耳がお気に召した修ちゃん。