「浅野家に生まれて壊れずに生きていくなんて無理無理」 作:クリオネf。t
どんよりと広がる暗い雲。今にも一降りしそうな空模様だ。學峯から呼び出された修は現在席を外している。彼女が
「助けて……」と弱々しくもどこか切羽詰まったその声に、ただ事では無いと思った。周りのクラスメイトが「どうかしたのか」と声をかけてきたが、その時の矢田にはそれに応える余裕もなく慌てて教室を飛び出して修の元へ向かう。言われた通りプール周辺を捜索すれば修はすぐに見つかった……が、彼女は既に青白い顔で気を失っていた。それに何より、手首から肘関節にかけて血塗れであった事に矢田は更に血相を変える。気を失っているのは血を流しすぎたのもあるのだろう。傍には同じく血塗れの枝が落ちていて、それで自分の手首を刺したのだろうという事は明白だった。
気を失った彼女を矢田ひとりで運ぶのは大変だ。勿論運べない事はないが、この怪我だ。一刻も早く応急処置をしなくてはならない。矢田はすぐに殺せんせーへ連絡をいれた。彼はすぐに飛んで来て、血を流し気を失っている修を見るなり顔色を変える。
「こ、これは酷い…木の枝で傷つけているため裂傷になっています。それに、傷口に木屑が入り込んでますね…普通の刃物よりも雑菌も多いでしょうから、後から熱を出す可能性もあります」
殺せんせーはそう言いながら傷口の木片を迅速に取り除いていく。
「保健室からガーゼを持ってきました。これでしばらく傷口を圧迫しましょう」
矢田は自身の膝を枕代わりに修の頭を乗せて、殺せんせーに渡されたガーゼで彼女の傷口を圧迫して止血する。そこから10分程経っただろうか。殺せんせーがペットボトルを持って戻ってきた。
「水道水です。これで傷口を綺麗に洗い流します」
傷口の異物を完全に取り除くために流水をかける。それが終わったら水分を拭き取り、最後に包帯を巻いた。
「あとは…保健室のベッドで安静に寝かせておきましょう」
「…うん。……殺せんせー。あーちゃん、大丈夫だよね…」
「…何とも言えません。ただ…理事長と話さない方がよかったのかもしれません」
とは言え、學峯と会わせまいとするとそれはそれで修が知られまいとした事を知られてしまう可能性があったかもしれない。非常に難しい問題である。
彼女を連れ校舎に戻れば、心配していたクラスメイト達が集まってくる。そして手首に痛々しい包帯の処置が為され気を失っている修を見たクラスメイト達は当然顔色を変えた。E組にとって修は、もう単なる"理事長の娘"ではなく"大切な仲間"なのだ。勿論、烏間やイリーナなど他の教員2人も血相を変えて駆け寄ってきた。
目が覚めて大勢に囲まれていたら混乱させてしまうかもしれないとの事で、付き添いは彼女が咄嗟に助けを求めた矢田に一任された。ベッドに横たわる修は顔を苦しげに歪めてしきりに「ごめんなさい…ごめんなさい…」と
しかし、懸念する事はまだ残る。
彼女の帰る場所だ。そこには当然學峯も帰る。矢田の家に泊めるというのも可能ではあるが、それだとかえって何かを悟られそうで悪手な気がした。そこで思い出す。学園祭一日目の昼間、学秀との話し合いを済ませて戻ってきた修が表情こそ動かないものの嬉しそうに「少しだけど学秀君にちゃんと話せた」と言っていた事を。今、彼女が家族の中であまり気を張らずに接する事の出来る相手は兄である彼のみだ。それならば、彼に連絡を取るしかないだろう。当然矢田は学秀の連絡先など持っていないので、申し訳ないが修のスマホを拝借する。パスコードは分からなかったが、幸いにもこの機種は指紋認証でもロックが解除出来るものであった為容易にロック解除をした。登録された連絡先一覧から「学秀君」を選んで発信する。彼が通話に応答したのは早かった。
『修。お前、大丈夫なのか』
開口一番にその一言。理事長に呼び出された際に何かあったのは明白だった。
「…あの、浅野君」
『…誰だ、君は。修はどうした』
電話口の相手が妹ではないと分かった学秀が険しい口調で問うてくる。矢田は努めて冷静に修の現状を説明した。受話器越しに息を飲む音が聞こえてきて、短い間があった後「…それで、今どこに」と返答がくる。
「旧校舎の保健室だよ」
『……。分かった。今すぐそっちに行く』
今までならば絶対に旧校舎に寄りつく事はなかったであろう学秀が、確かにそう口にした。余程修の事が心配らしい。それだけ大切に思っているようで、矢田は何だか少しだけ安心する。
学秀がこちらへ出向くとなると、国家機密である殺せんせーを晒すわけにはいかない。変装したとしても違和感に気づかれそうであるし、学秀相手に色々誤魔化せそうな気がしない。矢田は教室で個人的に勉強を教えている殺せんせーに学秀がこちらへ向かっている事を伝えた。