爆豪勝己の再教育   作:てるみや

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初投稿になります。
よろしくお願いします!


灰の世界

 

灰が、空を被っていた。

 

爆豪勝己は、地に膝をついていた。立てなかった。

 

胸の中で、エッジショットが極限まで細く身を変え、止まりかけた心臓を肩代わりしてくれている。その借り物の鼓動だけが、薄れかけた意識をこの世に繋ぎ止めていた。

 

(倒した……はずだった)

 

確かに、この手で削った。追い詰めた。終わらせたはずだった。

 

なのに男は、何事もなかったように戦場の真ん中に立っている。死柄木の中のガキを、誰も取り戻せなかった。だからこいつは、還ってきた。

 

戦場には、もう声がなかった。仲間たちが、ヒーローが倒れている。

赤い髪が灰に半分埋もれている。硬化したまま投げ出された腕は、もう動かない。少し離れて、半分白く半分赤い髪。氷を張ったきり溶けることのない右半身を、瓦礫に預けて伏せ呻いている。

 

見知った顔がそこら中に倒れ、呻き声が空間に響く。

涙は湧かなかった。涙を流す機能まで、とっくに灰になっていた。

 

その中で、たった一人。出久が、立っていた。

 

(立つな)

 

勝己は霞む視界で、それを見ていた。

 

(もう、立つな。お前、限界だろうが。腕も足も、とっくに動いてねェ。なのに何で立てる。何でまだ、前を向ける)

 

声にはならなかった。喉が震えるだけだった。

 

「ありがとう。おかげで僕は、より完全な僕へと生まれ変わることができたよ」

 

オール・フォー・ワンの声が、戦場に響く。

 

「だけどねえ……緑谷出久。足手まといを引き連れて、我が物顔で戦場で暴れたと思えば、何もできていないじゃないか」

 

 出久の肩が、跳ねた。こちらからは顔色が伺えない。

 

(聞くな)

勝己は奥歯を噛んだ。

 

(そいつの言葉を聞くな。お前は昔から、その手の言葉に誰より弱い。自分を勘定に入れねェその癖を、こいつは見抜いてやがる)

 

「2年前まで無個性だった君が、ウドから個性を貰ってたった一年で僕に勝てると、本気で思っていたのかあ?」

 

出久は答えない。傷だらけの拳を握り、ただその言葉を浴びていた。

 

「ハハハ……あぁ、そういえば…」

 

男は心底おかしそうに、喉を鳴らした。

 

「君みたいな出来損ないが、僕と弟の結晶であるワンフォーオールを後生大事に使っている。…ワンフォーオールの生みの親として、恥ずかしくなってくるなあ」

 

出久の握った拳から、つ、と血が伝った。爪が、皮膚を破っている。

 

「弟から始まり、勇気と力のあるものが、そしてオールマイトが託したものの果てが、これとはねえ。歴代も、恥じているだろうなあ。」

 

愉快そうに、こぼれる笑みが我慢できないオールフォーワン。

 

出久の喉から、潰れたような音が漏れた。何年もかけて積み上げてきたものが、内側から軋み、崩れていくのが、勝己には見えた。

 

「まずは――その心を、壊すとしよう」

 

男の視線が、ゆっくりと滑った。倒れた仲間を撫で、それから、膝をついた勝己の上で止まった。

 

「爆豪くんには、先ほど痛い目を見せてもらったからねえ」

その目が笑った。男は慈しむような声で続けた。

 

「君はよく戦った。誰よりも最後まで。だからこそいい。君のような強い子が、無様に意味もなく死ぬ。それを見せつけられるほど緑谷出久は深く折れる。君の強さは、最後の最後で緑谷出久を壊すために使われるんだよ。今までで一番の働きだねえ」

 

 

ふざけ、やがって。

 

勝己は動こうとした。指の一本でも、声の一欠片でも。

 

逃げろ、こっちを見るな、お前は何も悪くねェと。何か一つでも出久に届けたかった。

 

だが、借り物の心臓はそれだけの無理も許さなかった。指は痙攣しただけ。声は空気が漏れただけだった。何百回も世界を爆ぜさせてきた両手が、今はただ灰の上で震えている。

 

力が出ない。生まれて初めて、本当に、何ひとつできなかった。

 

(くそが…守る…はずだった)

 頭の芯が、すうっと冷えていく。

 

(なのに最後まで、こいつの道具か。出久を壊す、楔か。いいように使われるだけかよ)

 

 出久の顔が、こちらを向いた。

(見るな……っ。見るな、出久。お前が俺を気にした、その瞬間が、こいつの狙いなんだ)

 

男の指先が、軽く揺れた。

 

それだけだった。

 胸の中で、エッジショットの気配が押し潰された。借り物の鼓動が、ぶつりと止まった。

 

 

「……あ」

 

力が抜けていく。痛みはなかった。

ただ、芯から熱が引いていくだけだった。冷たい水に、ゆっくり沈むみたいに。

 

膝が、灰の上に崩れた。

 

仰向けに倒れた視界に、赤黒い空が広がった。

その端で、出久がこちらへ駆けようとして、瓦礫に足を取られ転んでいた。傷ついた腕を伸ばして、口が勝己の名前の形に開いていた。

 

声は、もう聞こえなかった。勝己は最後の息を振り絞り言葉に変えた。

「……わり、ィ」

 

 掠れて、ほとんど音にならなかった。

 

「出久。……一緒に、勝って、や……ねェ」

 

その先は続かなかった。喉が、もう動かなかった。

届かない言葉だと、わかっていた。それでも勝己は、最後にその名前を呼んだ。

 

枯れたはずの目尻から、熱いものが一筋、灰の上に落ちた。爆豪勝己が涙を流すのを、緑谷出久は、生まれて初めて見た。

 

いつも怒っていた幼馴染。誰の前でも泣かなかった男。それが灰の上で、何かを言いかけて、泣いていた。

 

その唇が、確かに「いずく」と動いた。確かめるより早く、動かなくなった。

「か……かっちゃん……」

 膝が崩れ、出久はその身体に縋りついた。

 

まだ、温い。なのに胸が上下しない。さっきまで悪態をついていた心臓の音が、どこにもない。

 

また、かっちゃんが。僕の前で、僕を庇って。あの時みたいに――そして今度は、もう、目を開けない。

 

「おいおいどうした」

 オール・フォー・ワンが、満足げに息を吐いた。

 

「君が一番、誰にも見せたくなかった顔だろう。さあ、笑顔はどうした? 皆を救けるんじゃ、なかったのか?」

 

救ける。

 

その言葉が、出久の一番深いところを撃ち抜いた。救けられなかった。一人も。目の前で、また一人。けっきょく自分は、名前のとおりの、何もできない出来損ないのままだった。

 

人を救けるのだと、自分を立たせてきた、たった一本の芯が、音もなく折れた。涙すら、出なかった。

 

――――――――――――――――――――――――

 

 

目を、開けた。天井があった。木目の模様。隅に、古いシミ。

勝己はそれをしばらく、意味もわからず眺めていた。

灰も、瓦礫もない。血の匂いも、火薬の焦げた臭いもしない。

あるのは、洗剤の匂いがかすかに残る見慣れた天井だけだった。自分の部屋の、天井だった。

 

胸に手をやる。脈があった。借り物ではない、自分の心臓が、肋骨の内側で当たり前のように打っていた。

 

手を見た。傷ひとつない、細い指。何百回も爆破で焼いて分厚くなっていたはずの掌が、つるりとしている。ガキの手だった。

 

「おい勝己ーッ!! いつまで寝てんだ! 今日入試だろうが! 寝坊して落ちたら笑い話にもなんねェだろうが!!」

階下から、怒鳴り声が突き上げてきた。勝己の身体が、固まった。その声は知っていた。知りすぎていた。無理やり現実へと意識を持っていかれる。

 

「……オフクロ」

 

いつもなら、クソババアと吐き捨てる。だがその言葉は、出てこなかった。

 

馬鹿な…俺は、オールフォーワンに負けて…出久はどうなったんだ。

跳ね起きた。机の上で、スマホが光っている。震える指で掴んだ。日付が、表示されていた。雄英高校、入学試験当日。すべてが始まった、あの朝だった。

 

勝己は、スマホを握ったまま動けなかった。夢なら、こんなに頭は冴えない。こんなに、何もかも覚えていられない。出久がどう泣いたかも、仲間がどう倒れていったかも、あの男の指先の動き一つに至るまで、全部、覚えている。

 

なら、これは何だ?

 

答えは馬鹿げていて、けれど一つしかなかった。戻ってきた。

あの最後の瞬間、言葉にすらできなかった願いだ。もう一度なら、という、たった一つの願いが、どういう理屈でか、叶っちまった。

 

「勝己! 聞いてんのか!!」

 

「……っせェな!! 起きてっからちょっと待てよ、クソババア!!」

 

怒鳴り返した声は、いつも通りの自分の声だった。なのに、喉の奥が妙に熱い。勝己は乱暴に顔を擦った。手のひらが、わずかに震えていた。クソが、と低く吐き捨てる。

 

窓の外では、何事もない朝が回っていた。電車の音。誰かの自転車のベル。まだ何ひとつ壊れていない世界。出久が、みんながまだ笑えている世界だ。

 

頭の中で、未来が設計図になって広がっていく。誰がいつどこで倒れ、あの男がどう動き、自分がどこで一手間違えたのか。問題を解く前から、答えはぜんぶ握っている。

 

あの世界で、俺は最後まで立っていた。だが、立っていただけだ。守ったつもりで、最後は出久を壊す楔にされた。一緒に勝つと、とうとう言ってやれなかった。

 

今度は違う。

 

勘違いすんなよ、と鏡の中のガキを睨む。同情で世界を救う気はねェ。あいつらが生きてるのは結構なことだが、感傷じゃねェ。守り抜く。全員の、てっぺんに立った上でだ。

 

 俺に追い越されんなよ、出久。

 

今度こそ、誰一人、灰にはさせねェ。

 

覚悟を決め、制服に袖を通す。掌の爆破は変わらず脈を打っている。変わったのは、それを握る頭の中身だけ。1年、先を行く頭だけだ。

 

「行ってくる」

 

階段を降りながら、いつも通りの乱暴な声でそう言った。台所に立つ母親の背中を、一瞬だけ見つめたことには、誰も気づかなかった。

 

 

雄英の正門は、記憶のままに馬鹿でかかった。受験生たちが緊張した顔で吸い込まれていく。その一人一人の顔を、勝己は無言で確かめながら歩いた。

 

雷のような黄色い髪の男が、隣の受験生に何か言って笑った。灰の中で、腕を投げ出したまま動かなくなっていた、あの男が。自然と視線を逸らしてしまった。

 

耳にジャックを持つ女が、緊張した面持ちで校舎を見上げている。あいつも、あいつも、息をしていた。何も知らない顔で、今日という日に怯えていた。

 

奥歯を噛む。表情は一ミリも動かさなかった。ここで足を止めたら、顔を歪めたら、それは弱さだ。

 

「か……かっちゃん」

 

背後から、声がした。

 

振り返らなくても、わかった。緑色の、ぼさぼさの髪。そばかすの浮いた頬。最後に見た泣き濡れた顔の――その、ずっと前の顔。

 

「……お、おはよう」

 

勝己は、振り返らなかった。胸の奥に、爆発させる場所のない熱が溜まっていく。最後まで言ってやれなかった言葉が、まだ喉につかえていた。

 

やがて、背を向けたまま、低く言った。怒鳴り声では、なかった。

「……頑張れよ。デ――」

 

口が、何年も使ってきた蔑称を勝手に象りかけて、止まった。もう、違う。あいつは、その名で呼ぶべき奴じゃ、なかった。

 

「……出久」

 

そのまま、歩き出す。正門をくぐり、二度目の世界へ、一歩を踏み出していた。

 

背後で、緑谷出久が、きょとんと立ち尽くしていた。一度も、そう呼ばれたことのない名前だった。




一旦こんな感じですかね。
それではまた、次話で。
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