集まった受験生の数は、記憶のままだった。
雄英の大講堂は、緊張で薄く張りつめている。前の席で膝を小刻みに揺らす奴。手のひらに書いた文字を何度も確かめる奴。
爆豪勝己は自分の席に背を預け、その全部を、どこか遠くから眺めていた。
受験番号順に振られた席。その並びも、覚えていた。
だから、隣にあの気配が来ることも、座る前から分かっていた。
「……かっ、かっちゃん」
ぼさぼさの緑の頭が、一つ隣の席で、ぎこちなく会釈してくる。
そばかすの浮いた頬。緊張で強張った、見慣れた顔。
出久。
胸の奥が、ちりっと焦げた。
あの灰の上で、こちらへ手を伸ばして届かなかった顔が、嫌でも重なる。
「お、お早う。が、頑張ろうね、お互い……」
噛みながら、それでも声をかけてくる。
昔からこいつはそうだ。何度突き放されても性懲りもなく。
どけ、と口が動きかけた。
何年もこいつにぶつけてきた言葉。
喉の途中まで出かかって――勝己はそれを飲み込んだ。
今さら、こいつを突き放してどうする。あの未来を知った口で何を言う。
だが、優しい言葉も出てこない。出せばそれはそれで違う。
こいつはまだ何も知らない十五のガキだ。急に変わった俺を見せれば不審がるだけだ。
結局、勝己は短く鼻を鳴らして視線を前へ戻した。
「……勝手にしろ」
それだけ言った。怒鳴りもしない、無関心を装う。
出久がきょとんとした顔でこちらを見たのが横目に映った。
気づかれない程度に勝己は奥歯を噛む。
これでいい。順番を間違えるな。
今はまだ、ただの幼馴染の距離でいい。
壇上で声が爆ぜた。
「受験生のリスナーども、今日は俺のライヴにようこそォ――ッ!! エヴリバディ、セイ・ヘェイ!!」
ボイスヒーロー、プレゼントマイク。記憶のまま、何ひとつ変わらないテンションで実技のルールをまくし立てていく。
十分間の模擬市街地演習。受験番号で指定された会場へ向かうこと。配点の振られた仮想ヴィランを三種、個性で行動不能にしてヴィランポイントを稼げ。他人への攻撃はご法度。
知っている。全部知っていた。声がほとんど耳を素通りしていく。
代わりに頭の中で回っているのは別の景色だった。
灰の色をした空。”笑顔はどうした”と囁いた、穏やかに嗤う声。
止めろ、と自分に言い聞かせる。
感傷に浸るために戻ってきたわけじゃねェ。整理しろ。
数列前で、生真面目そうな眼鏡の男が手を挙げた。飯田だ。
配点ヴィランが書類に四種ある、と質問しついでに隣でぶつぶつ呟いていた出久を「物見遊山のつもりなら、即刻立ち去りたまえ!」と叱責する。出久が小さくなって謝る。
全部、そう、全部覚えている景色だ。
プレゼントマイクが、四種目。点にならない巨大ロボ、ゼロポインターを説明する。
「言わばお邪魔虫。倒せねえことはねえが、倒しても意味はねえ。リスナーにはうまく避けることをお薦めするぜ!」
避けろ、と公式に説明されるただの災害。
あいつがと勝己は思う。
あの避けろと言われた鉄塊に、無個性のまま正面から挑む。麗日を庇って。腕も脚もへし折って。点はゼロ。
それでも……救けた者を弾くヒーロー校があってたまるか、という、まだ誰も知らない隠し点であいつは拾われる。
そこは変えない。変えるつもりもない。
あれは出久が無個性の自分に決着をつける、最初の一歩だ。オールマイトがあいつの背中を見て確信するその瞬間だ。
奪っちゃいけねェ。
俺は俺で、別の会場で、別のことを示すだけだ。
「以上だ! 健闘を祈る、プルスウルトラァ――ッ!!」
締めの咆哮で講堂がざわりと動いた。受験生たちが立ち上がる。
隣で、出久が自分の頬を両手で叩いて気合いを入れていた。深呼吸を一つ。
その横顔を勝己は一瞬だけ見て――何も言わず、逆方向の通路へ歩き出した。
会場は別だ。連番でも知り合い同士は引き離される。協力させないためだ。
ちょうどいい。今日のところは。
――――――――――――――――――――――――
模擬都市は無人だった。
ビルが立ち並ぶだけの、人の住まない街。
その入り口で、勝己は他の受験生に混じり開始の合図を待っていた。
周りの連中は思い思いにストレッチをしたり、互いを牽制し合ったりしている。
勝己はただ立って、掌をゆっくりと開いて閉じた。じわりと、ニトログリセリン汗が滲む。
久しぶりだ。この軽い身体は。傷だらけになる前の、まだ何も背負っていなかった頃の掌。
爆破は変わらず脈を打っている。変わったのは、これを振るう頭の中身だけ。
一年分、されど地獄のように濃い記憶のぶんだけ精神だけが先を行っている。感覚はそのまま、威力だけが届いていないが。
「ハイ、スタートォ――!!実戦にカウントダウンなんざねえぞ!走れ走れぇ!」
合図は、いつも通り何の前触れもなかった。
出遅れて棒立ちになる受験生たちを尻目に、勝己はもう地を蹴っていた。
掌から爆発。空気が裂け身体が弾丸になる。
最短距離、最大効率。
一秒で建物の角を曲がり、最初の三点ロボが視界に入った瞬間にはもう懐に潜り込んでいた。
「邪魔だァ!」
右の連続爆破を、関節の一点に叩き込む。狙うのは装甲じゃない可動部だ。
轟音。ロボの上半身が根元からねじ切れて吹き飛んだ。
三点。
着地と同時に振り返り、次。
路地から出てきた二点ロボの脚部に低い爆発で潜り込む。すくい上げるように下から爆破し、バランスを崩したそいつの胴へ、止めの一撃。二点。
速い。だが、ただ速いだけじゃない。
勝己の頭は、戦いながら冷えていた。
どの角に何が湧くか。さっきの爆音でどこのロボがこちらへ向かってくるか。音や振動、瓦礫の崩れ方。
拾える情報を全部拾って、三手先を組み立てる。荒々しく、しかし一つの無駄もなく。
試験開始からまだ二分も経っていない。
「は、はやッ……あいつ何だ!?」
遠くで誰かが叫んだが、次の爆音でそれすらかき消える。
角を曲がると、一点ロボが三体固まっていた。
並のガキなら一体ずつ片付けるところだ。勝己は迷わず三体のど真ん中に飛び込んだ。
空中で両の掌を地面へ向ける。
「死ねっ!」
炸裂。爆風が球状に広がり、三体まとめて衝撃で持ち上がる。
落ちてくるところを、回転しながら一体二体三体。叩き割った。三点。
数字が、頭の中で淡々と積み上がっていく。
一度目の世界では、一位の俺でも七十七点だった。その記憶を、もう置き去りにする勢いだ。
だが、勝己はある角でふと足を止めた。
ビルの陰。崩れた看板の下で、女の受験生がうずくまっていた。
脚を瓦礫に挟まれ、青い顔で動けずにいる。
周りの連中は点稼ぎに夢中で誰も見ていない。
……ちっ。
あの頃の俺なら、と一瞬過去がよぎった。
一度目の入試で俺はこういう奴を見もしなかった。点だ、勝ちだ、一位だ。それしか頭になかった。
レスキューポイントゼロ。ヴィランポイントだけで、てっぺんを獲ったつもりでいた。
その結果があの灰の世界だ。
守るってのは掲げる看板の話じゃねェ、と勝己は思う。
目の前で潰れかけてる奴に手が届くかどうかだ。出久が、ずっとそうしてきたように。
「おい、そこの」
地を蹴り、女のもとへ一息で詰める。瓦礫の最も脆い一点を読む。
そこへ徹甲弾(AP・ショット)を一発。挟んでいた塊を的確に砕いた。
乱暴だが女には傷一つつけない、計算され尽くした出力。
「ぼーっとすんな。立てんなら、走れ」
言い捨てて、もう次へ向かっていた。礼を言う暇も与えない。振り返りもしない。
助けたんじゃねェ、と心の中で吐き捨てる。邪魔な瓦礫を退けたついでだ。
そういうことにしておけ。
頬がほんの少し緩みかけて、勝己は奥歯を噛んでそれを噛み殺した。
まだだ。まだ、笑っていい段階じゃねェ。もう二度と、あんな世界を見なくていいように…
――――――――――――――――――――――――
地響きが来たのは、試験終了の数分前だった。
ゼロポインター。ビルを丸ごと超える巨大なロボ。
受験生たちが一斉に逃げ惑う。
点にならない、避けろと言われた障害物。災害そのものだ。
勝己は、走る人波の逆を見ていた。
ここからは見えない、別の区画。あそこに出久がいる。
今まさに、あいつが麗日を庇って無茶をする頃だ。腕を犠牲にして、あの巨体を一発で沈める。そして――立てなくなる。
助けに行くか? 一瞬足が動きかけた。だが、止めた。
駄目だ。あれはあいつの戦いだ。……行けよ、出久。
勝己は、目の前のゼロポインターを見上げた。なら、こっちはこっちで示すだけだ。
逃げ惑う受験生の頭上で、巨大ロボの腕が、ビルの瓦礫ごと地上の連中へ崩れ落ちようとしていた。
逃げ遅れた数人が、腰を抜かして見上げている。
間に合うか――いや、間に合わせる。
「どきやがれッ!!」
勝己は跳んだ。連続爆破で一気に高度を上げ、落ちてくる瓦礫の塊へ。
空中で身体を捻り、両腕を振りかぶる。狙いは瓦礫の、最も脆い接合部。
一度目の世界で何百回と繰り返した構造を読む目だ。
最大出力。
「榴弾砲着弾(ハウザー・インパクト)――!!」
咆哮とともに、掌が爆ぜた。
巨大な瓦礫が、空中で粉砕される。
砕けた破片は爆風に乗り、受験生のいない方向へ綺麗に逸れて飛んだ。出力も角度も、寸分の狂いもなく。
荒々しい一撃が、計算され尽くした盾になった。
降ってきたはずの死が、ただの土埃に変わって、地面に積もっていく。
逃げ遅れた受験生たちが、呆然と空を見上げていた。傷一つ、ない。
着地した勝己は、土煙の中でゆっくりと立ち上がった。
誰にも礼は言わせない。視線も合わせない。
ただもう一度、掌を握って、開く。
……これだ。
勝つだけじゃ足りなかった。守るだけでも届かなかった。
両方だ。両方を、たった一人で、てっぺんの精度でやってのける。
それが、二度目の俺が立つ場所だ。
試験終了のブザーが、街に鳴り響いた。
勝己は、灰のない空を、一度だけ見上げた。
――――――――――――――――――――――――
合格通知は、円盤型の通信機で届いた。
自室の机の上。小さな円盤から、筋骨隆々の影が立体映像で飛び出して、けたたましく合格を告げる。
オールマイトだ。録画された映像。まだ誰も、こいつの正体も、抱えた爆弾も知らない頃の。そして、その死さえも。
『来たな少年! 早速だが結果発表といこうか!まず実技だが…ヴィランポイント 112点!――最高得点だ! そしてもう一つ、君たちには伝えていない採点基準があった。"レスキューポイント"だ!』
ホログラムのオールマイトが、興奮気味にまくし立てている。
人助けをした人間を弾くヒーロー校などあってたまるか、と。
『ヴィランポイント、レスキューポイントともに最高評価だった! 総合首席だ、おめでとう少年!!ここが君のヒーローアカデミアだ!』
首席。一度目と、同じ。
いや、と勝己は思い直した。
一度目の俺は、レスキューポイントはゼロだった。それでもヴィランポイントだけで首席だった。
今度は、そのレスキューポイントまで上乗せした上での、文句のつけようのない一位だ。
最初の駒を、手に入れた。
『君のような生徒を迎えられること、私は心から――』
ホログラムの声を、勝己は最後まで聞かなかった。
机に肘をつき、窓の外へ目をやる。
夕暮れの街は、何事もなく回っていた。
明かりの灯り始めた家々。帰宅する人の影。どこかで、子供が笑っている。
階下からは、母親が父親と何か言い合う、いつも通りの賑やかな声が漏れてくる。
生きている。二人とも、当たり前みたいに、生きている。
あの最後の戦いで、両親はシェルターにいた。だから助かった。
だが、あの灰の世界では、そのシェルターさえ、最後には破られた。守り切れなかったものの、一つだ。
今度は全部、守り切る。
みんなが合格することは、知っている。
出久も、轟も、あのクソ髪も、耳郎も、誰がどの席に座るかも、誰がどんな顔で笑うかも、全部。
問題は、その先で何が起きるかを知っているのが、この世界で俺だけだということだ。
雄英に入る。一位で。
そこからA組の連中を、教師を、街を、世界を――手の届く範囲を、一つずつ広げていく。
あいつら全員を生かしたまま、あの男のところまで辿り着く。
今度こそ、出久を一人で戦わせない。今度こそ、隣に立つ。
「……見てろよ」
誰にともなく、勝己は呟いた。
窓ガラスに映る自分は、まだあどけない、十五のガキの顔をしている。
けれどその目だけが、たった一年で地獄をくぐった、別の何かの色をしていた。
二度目の春が、もうすぐ始まる。
今度は、誰一人、灰にはさせねェ。もう二度と、出久だけに…
こんな感じでどうでしょうか。
セオリーやテンプレが分からないので、こうして欲しいや読み仮名が欲しいなど要望があれば感想もしくは誤字脱字報告からお願いします。