「えー、始める前にお小言を一つ二つ……」
宇宙服めいたコスチュームの小さな影が、ぴ、と指を立てた。
スペースヒーロー・13号。救助の講習が、始まる。
「三つ……四つ……」「増える……」
ぞろりと並んだ指に、前の方で誰かが吹き出した。
緊張なんざ、どこにもねェ。一度目も、こいつらはこうやって笑っていた。
(……あと、十分とねェ)
噴水の水が、間の抜けた音を立てて落ちている。
あの真上に黒い渦が口を開けるまで、もう幾らもない。知っているのは、ここで一人だけだ。
「皆さんご存知とは思いますが、僕の個性はブラックホール。どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」
13号の話は、まっすぐだった。
簡単に人を殺せる力だ、みんなの中にもそういう個性がいるだろう、と。脅すでもなく、淡々と。
「相澤さんの体力テストで、自身の力が秘めている可能性を知り」
ぴくりと、首の後ろが反応した。
「オールマイトの対人戦闘で、それを人に向ける危うさを体験したかと思います」
あの体力テスト。あの戦闘訓練。
ほんの数日前のことだ。一度目も二度目も、順番は変わっちゃいねェ。変わったのは、それを並べ直してる俺の頭の中身だけだ。
「君たちの力は、人を傷つける為にあるのではない。救ける為にあるのだと心得て帰って下さいな」
「「「13号ーっ!! カッコイイ!!」」」
歓声が上がる。
救けるためにある、か。──じきにそれが、試される。こいつらが思ってるより、ずっと早く。
「以上! ご静聴ありがとうございました」
ぺこ、と13号が頭を下げた。
そんじゃあまずは、と相澤が前に出かけて──足を止める。
――――――――――――――――――――――――
噴水の手前。
何もなかったはずの空間が、ズ、と滲んだ。墨を水に落としたみたいに、黒が広がっていく。
「……?」
相澤が、最初に気づいた。
当然だ。この人はいつだって、誰より早く異変を嗅ぎ当てる。ゴーグルを下ろしながら、生徒へ向かって短く吼えた。
「一かたまりになって動くな」
「え?」と、間の抜けた声がいくつか上がる。
渦はもう、人の背丈ほどに膨れていた。中から手が、足が、顔が、ぬるりと押し出されてくる。
「13号!! 生徒を守れ」
「……敵(ヴィラン)だ!!!!」
誰かが叫んだ。
そこでようやく、空気が引き攣れる。一拍遅れて、悲鳴。
渦の中心に、グレーのボサついた髪の男が立っていた。
全身に、いくつもの手を貼りつけている。顔にも、肩にも、腕にも。乾いた指が、男の首を、ガリ、と掻いた。
「どこだよ……せっかくこんなに大衆引きつれてきたのにさ……」
死柄木弔。
その名前を、俺は墓の下まで持っていく覚悟でいる。
「オールマイト……平和の象徴……いないなんて……」
濁った目が、子どもらを舐めるように動いた。
「子どもを殺せば、来るのかなァ?」
ぞ、と背筋を鳴らした奴もいただろう。
だが勝己の体は、もう動き出していた。
――――――――――――――――――――――――
渦の縁。墨の中に、ひときわ濃い影が膨らむ。
霧だ。あの、ワープゲートの本体。
一度目、こいつが生徒を一人残らず散らした。施設中に撒いて、バラバラに千切って、嬲り殺しにかかった。
「初めまして、我々はヴィラン連合。僭越ながら…」
(──散らす前だ)
霧には、隙がある。
全身が霧でできてるわけじゃねェ。一度目、この渦を取り押さえたのは俺だ。霧の奥に、硬ェ実体がある。首の、金属のガード。あそこだけは霧化できねェ。
どこを、いつ、どれだけの一発で潰せばいいか。
頭は、もう答えを持っていた。問題は、体がそれに追いつくかどうかだ。
相澤の視線が、霧を捉える。抹消。
だが──まばたき。ほんの一瞬、あの人の前髪が落ちる。視線が切れる、その隙間に、霧は実体を隠そうとする。一度目は、それで取り逃した。
その隙間へ、勝己は飛び込んだ。
「──そこだ」
掌を、霧の奥の金属へ突き出す。
出力は、入試のガキのままだ。威力も速さも、この体の天井は知れてる。だから、ありったけをぶち撒けるんじゃねェ。一点に、置く。
爆ぜた。
ドッ、と至近の炸裂が、霧の中の実体を引っ叩いた。
金属のガードが、ぐしゃりと歪む。霧がぶわりと乱れて、渦が──縮んだ。
「身体を……っ!! しまった……!!」
低い、戸惑った声。
散らすために開きかけたゲートが、勝己の一発で行き場をなくす。広がるはずだった黒が、その場で頼りなく渦を巻いた。
死柄木の指が、止まる。
「……は?」
濁った目が、初めて勝己を捉えた。
ガキが一人、霧の鼻先で掌を構えている。その絵が、よほど信じられなかったらしい。予定が、狂う。
「動くな」
勝己は、霧へ向けて低く言った。
「怪しい動きをしたと俺が判断したら、すぐ爆破する。お前のそのナリの、硬ェとこ。次は外さねェ」
背後で、上鳴が間抜けな声を漏らした。
「……は、爆豪、お前」「なんでワープのど真ん中に……つーか、そんな冷静な感じだっけ? おめェ……」
うるせェ、と返す気にもならなかった。
冷静も何も、これは二度目だ。何がどの順で来てたかなんて覚えている。
「俺はいつでも冷静だ、アホ面」
それだけ言って、霧から目を切らさずにいた。
――――――――――――――――――――――――
「……何か、変更があったのでしょうか」
霧が、低く呟いた。
こちらを散らせず、本来いるはずのオールマイトもいない。何かを測りかねている声だった。
(日程が、漏れてる…今の俺にはどうにも出来ねェ)
ひっかかりが、頭の隅で小さく刺さる。
こいつらは、今日ここに何が来るかを知っていた。13号と、オールマイト。誰かが、教師側の時間割を渡した。一度目には、考える余裕もなかったことだ。
だが、今は後回しだ。
渦は閉じた。生徒は散っていない。中央広場に、固まったままだ。なら──ここで凌ぎ切れる。
「散らし損ねたか」
死柄木が、苛立たしげに首を掻いた。
代わりに、雑魚どもがなだれ込んでくる。数だけは、相変わらず多い。
「13号、避難開始! 学校に連絡試せ!俺は爆豪の援護に行く!!」
相澤の声が飛んだ。
電波系の個性が妨害してる可能性もある、上鳴おまえも個性で連絡試せ、と矢継ぎ早に。
「先生は!? 一人で戦うんですか!?」
緑谷が叫ぶ。
相澤は答えず、もう雑魚の群れへ突っ込んでいた。捕縛布が舞い、視線が走る。一芸だけじゃヒーローは務まらん、と言わんばかりの動きだった。
(あの人を、一人にはさせねェ)
一度目、相澤先生は両腕を砕かれ、顔を地面に押し付けられた。
それでも最後まで、生徒を一人も死なせまいと踏ん張った人だ。今日は散らされちゃいねェ。なら、孤立もさせねェ。
「クソ髪」
隣で拳を鳴らしてた切島へ、勝己は短く投げた。
「右の雑魚、捌け。先生の背中、空けんな」
切島が、にっと牙を剥く。
「待て待て、ダチを信じる……! 男らしいぜ爆豪! ノったよ、おめェに!」
硬化した腕で、切島が右へ突っ込んでいく。
こいつのこういうところは、一度目も二度目も、何ひとつ変わらねェ。
――――――――――――――――――――――――
水も、土砂も、火事も、今日は誰も飛ばされちゃいない。
だから、緑谷もここにいた。蛙吹と峰田に挟まれて、青い顔で、それでも前を向いている。
「奴らに、オールマイトを倒す術があるんなら……」
緑谷の声が、震えながら太くなる。
「僕らが今すべき事は……戦って、阻止する事だ……!!」
ああ、と勝己は胸の内だけで頷いた。
それでいい。お前はいつだって、理屈より先に足が出る。今日もそれで、誰かを救うんだろう。──だが。
(……お前の本番は、まだだ)
死柄木の後ろ。
墨より濃い黒が、ぬっと立ち上がった。
筋肉の塊。黒い肌。割れた頭から、剥き出しの脳が覗いている。
くちばしじみた口が、だらりと開いた。
脳無。
対平和の象徴に作られた、改人だ。
一度目、こいつはオールマイトの百パーセントすら吸い込んで、なお立っていた。
相澤先生を潰し、出久を殺しかけ、この一年の最初の絶望になった化け物だ。
掌が、汗ばむ。
渦は閉じた。生徒は散っていない。それでも、あれが片付かなきゃ、何ひとつ終わらねェ。
死柄木の濁った目が、縮んだ渦と勝己を見比べた。
出口を塞がれた。散らし損ねた。苛立ちが、首を掻く乾いた音になる。
「……つくづく、嫌な真似をしてくれるな」
そして、後ろの黒へ、気だるく顎をしゃくった。
「脳無」
化け物の脚が、地を抉った。
オールマイトは、まだ来ない。
化け物が、跳んだ。
入試のロボとは、わけが違う。あの巨体が、地を蹴った瞬間にはもう間合いを潰している。
「させるか!!」
雑魚を捌いていた相澤が、ぼろぼろの体で割り込んだ。
捕縛布が脳無の腕に絡む。だが化け物は、それを布ごと無造作に薙いだ。相澤の体が、糸の切れた人形みたいに宙を舞う。
(──早ェ)
知っている速さだ。それでも、背筋が冷えた。
一度目、この一撃で相澤先生は両腕を持っていかれた。顔を地面に押し付けられ、それでも生徒から目を離さなかった。今日は──させねェ。
「先生!!」
緑谷が、飛び出していた。
理屈じゃねェ。あいつの足は、いつだって考えるより先に出る。それで何度、灰の中へ突っ込んでいったか。
脳無の腕が、落ちかけた相澤を掴もうと伸びる。
緑谷が、その腕へ向かって駆ける。間に合わねェ間合いだ。あの拳は、脳無には通らない。一度目で、嫌というほど見た。
緑谷の指が、はじけた。
「デラウェア……スマッシュ!!」
拳じゃねェ。指の、弾き。
全力の握りを、たった一本の指先に逃がす。空気が裂けて、風圧の弾丸が脳無の腕を、足元の瓦礫ごと撃ち抜いた。砕けた礫が巨体の重心を、ほんの半秒、たたらを踏ませる。
ごき、と緑谷の指が、あらぬ方向へ曲がった。
威力に耐えられねェ体だ。一発撃てば、自分が壊れる。
それでも撃った。落ちる相澤を、化け物の腕から逸らすために。たった半秒を、捻り出すために。
「っ……ぐ、ぅ……!!」
折れた指を抱えて、それでも緑谷は退かなかった。
その半秒で、相澤の体が脳無の手の届かねェ床へ転がる。八百万が作った棒を杖代わりに、満身創痍の担任が、なお膝で起き上がろうとしていた。
死柄木が、舌打ちした。
「……スマッシュ、か。いい動きをするなぁ。オールマイトのフォロワーかい?」
濁った目が、緑谷を見据える。
五指を広げた手が、ゆらりと持ち上がった。あれに触れられたら、崩れる。塵になる。一度目、この男の手は、それだけで人を壊した。
(間に合え──!!)
足元の霧を睨んだまま、勝己は奥歯を噛んだ。
こっちは渦を押さえてる。動けねェ。相澤先生はもう立てねェ。緑谷は指が潰れてる。
化け物が、緑谷へ向き直る。
死柄木の手が、その細い首へ伸びる。
その時。
――――――――――――――――――――――――
ドームの壁が、爆ぜた。
土煙の向こうから、影が来る。
笑っちゃいねェ。いつもの、貼りつけたみたいな笑顔がない。怒りの形相のまま、平和の象徴がそこに立っていた。
「もう大丈夫」
地鳴りみたいな声が、ドームを揺らす。
「私が来た!!」
死柄木の手が、止まった。
濁った目が、嬉しそうに、あるいは諦めたみたいに、すうと細まる。
「……あぁ。コンティニューだ」
次の瞬間、風が来た。
目で追えねェ速さだった。オールマイトが緑谷を、相澤を、まとめて抱え上げ、こっちまで運んでくる。瓦礫の山の陰、勝己たちの後ろへ、そっと。
「助けるついでに殴られた…ははは、国家公認の暴力だ。さすがに速いや。でも思ったほどじゃない…やはり本当だったのかな?」
「弱ってるって話……」
(……あの渦から、目ェ離すなよ、俺)
足元で、霧がまだ蠢いている。
首の実体を歪められて、こいつはまともにゲートを開けねェ。一度目、この渦のゲートが、脳無にオールマイトの古傷を掴ませた。横っ腹の、あの古傷を。動きを止められたオールマイトは、半端に体を残したまま、ゲートで引き千切られかけた。あれが、一度目の地獄の入口だった。
だが、今日は閉じてる。俺が閉じた。
なら、オールマイトは脳無だけを見ていればいい。横槍は、入らねェ。
「カロライナ……スマッシュ!!」
拳が、脳無の頬を打ち抜いた。
衝撃が、空気を割る。爆風みたいな圧が、瓦礫を巻き上げた。だが──化け物は、倒れない。
「マジで全っ然…効いてないな!!!」
「効かないのはショック吸収だからさ。脳無にダメージを与えたいなら、ゆうっくりと肉を抉りとるとか効果的だね……」
死柄木の声が、楽しげに転がる。
脳無の個性。あらゆる衝撃を、吸う。平和の象徴の一撃すら、飲み込んじまう。一度目、この種明かしを聞いた時、まだ何も知らなかった俺は、ただ立ち尽くしていた。
それでも、オールマイトは笑わなかった。
拳を、また固める。血の気の引いた頬に、汗がひと筋。
「君の個性が、ショック無効ではなく吸収ならば──」
ドッ、と二発目。脳無の頭が、跳ねる。
「限度があるんじゃないか!?」
三発目。四発目。
吸って、吸って、吸い続けて、やがて吸いきれなくなる。それが限度だ。理屈は、わかる。だが脳無は、その限度の先で、別の手札を切ってくる。
裂けた腕が、内側から盛り上がった。
潰れた箇所が、数秒で元通りになる。
「超再生……!!」
緑谷が、折れた指を抱えたまま、息を呑んだ。
吸収して、なお再生する。一度目、この絶望の前で、何人が膝を折ったか。
「……手伝う」
低い声がした。
半分が白く凍てついた男が、片手を地につけている。轟だ。
「平和の象徴は、てめェら如きに殺れねェよ」
氷が、地を這った。
脳無の脚を、膝を、瞬く間に呑み込んで、凍りつかせる。再生しかけた肉が、芯から固まって動きを止めた。
一度目、轟の氷はオールマイトごと凍らせかけた。
今日は違う。散らされてねェぶん、間合いも、呼吸も、噛み合っている。氷が脳無を縫い止め、その隙へ、平和の象徴の拳が吸い込まれていく。
死柄木が両手を掲げて、大袈裟に楽しそうに話し始める。愉快そうに、アピールをするように。
「俺はなオールマイト!怒ってるんだ!同じ暴力がヒーローとヴィランでカテゴライズされ、善し悪しが決まるこの世の中に!!」
「何が平和の象徴!!所詮、抑圧のための暴力装置だお前は!!暴力は暴力しか産まないのだと、お前を殺すことで世に知らしめるのさ!」
「無茶苦茶だな。そういう思想犯の目は静かに燃ゆるもの。自分が楽しみたいだけだろ…嘘吐きめ」
「バレるの早…」
不気味な笑みを浮かべ続ける死柄木
凍って、砕けて、再生する。
その再生の刹那を、また殴る。再生する前に、次が来る。脳無の超再生が、だんだん追いつかなくなっていく。
「私対策、か」
オールマイトの口の端から、赤い筋が垂れた。
血を吐きながら、それでも拳は止まらない。湯気みたいなものが、その輪郭から立ち上りはじめている。活動限界。あと、いくらも保たねェ。
(……それでも、やる気かよ)
霧を押さえたまま、勝己はそれを見ていた。
血を吐いて、笑顔を作り直して、子どもらの前で、絶対に膝を折らない男を。最後の最後まで立っていた。
立っているだけで、誰かを押し返していた。
俺が一番、それを知っている。
「私の100%を耐えるなら──」
オールマイトが、半歩、踏み込んだ。
床が、陥没する。全身が軋む音が、ここまで届いた。
「さらに上から、ねじ伏せよう!!」
一発が、百パーセントを超える。
それを、連射で。脳無の頭が、胴が、嫌というほど殴り抜かれる。再生が、追いつかない。吸収が、もう間に合わない。化け物の動きが、初めて、はっきりと鈍った。
死柄木の笑みが、強張っていく。
「……うそ、だろ」
オールマイトが、最後の拳を引き絞った。
全身から、もう湯気が噴き出している。限界の、その先。それでも声だけは、揺らがなかった。
「ヒーローとは──常にピンチを、ぶち壊していくものだ!!」
拳が、唸る。
「ヴィランよ、こんな言葉を知ってるか!?」
空気が、巻いた。
「更に向こうへ──」
「Plus Ultra(プルス・ウルトラ)!!」
連打の、最後の一発。
それが、脳無の体を芯から撃ち抜いた。吸いきれなかった衝撃が、化け物の内側で爆ぜる。巨体が、地から引き剥がされて、宙を舞った。ドームの天井を突き破り、ひしゃげた鉄骨を散らして、空の彼方へ──消えていく。
風が、抜けた。
さっきまでの轟音が、嘘みたいに、止む。
――――――――――――――――――――――――
死柄木が、呆然と空を見上げていた。
ガリ、と首を掻く乾いた音だけが、やけに大きく響く。
オールマイトが、ゆっくりとこちらを向いた。
湯気に包まれた輪郭が、いつもより、ひと回り小さく見える。限界だ。もう、いくらも保たねェ。
それでも、声だけは、いつもの豪快なやつだった。
「君たち──よく、頑張った!!」
緑谷が、折れた指を抱えたまま、ぼろぼろ泣いていた。
蛙吹が、峰田が、八百万が、上鳴が、肩で息をしている。氷を出しきった轟が、片膝をついている。切島が、硬化を解いて、へたり込む。
勝己は足元の霧へ、もう一度だけ掌を向け直す。歪んだ金属が、こちらの掌の熱を測るみたいに、わずかに揺れた。
「動くな、モヤ」
低く、釘を刺す。
「まだ、終わってねェぞ」
遠くで、サイレンが鳴り始めていた。
こんな感じでいかがでしょう。バトル中に会話を組み込むのが難しい…!