冬の紅魔館は、一晩で真っ白になっていた。
庭園も、薔薇の枝も、赤煉瓦の小道も雪の下。妖精メイドたちは雪かきを命じられていたが、開始から三分で雪合戦へ移行している。
その中央に、ひときわ巨大な氷塊が置かれていた。
「クレイス。これで私の像を作りなさい」
レミリアは氷塊を杖で指した。
「承知しました」
傍らに立つ少年が、静かに一礼した。
耳元で切り揃えられた白髪。後頭部から一房だけ伸びた細い三つ編みは、赤い紐で結ばれている。
黒を基調とした執事服に、白いシャツと膝上丈の半ズボン。裾には乱れのない折り目がつき、革靴を履いた白い靴下との間から白に近い肌色の人工皮膚がわずかに覗いていた。小柄な姿だけを見れば、古い洋館に仕える少年従者である。だが、その立ち方には子供らしい揺らぎが一切なかった。
白目の中にある虹彩は深い黒。その黒い瞳には、赤い×印が刻まれていた。
紅魔館の裏方従者、クレイス・マヤコフスキー。
発電、配管、警報、修理、そして今朝から氷像制作まで担当する、元ソ連陸軍汎用軍事人形である。
「ただ似ているだけでは駄目よ」
レミリアは胸を張った。
「私らしさを残しつつ、威厳があって、力強くて、誰が見ても偉大な指導者だと分かる姿にしなさい」
「確認します」
クレイスの赤い×印が一度光る。
「お嬢様の外見的特徴と、偉大な指導者の特徴を統合します」
「そう、それよ!」
少し離れていた咲夜が顔を上げた。
「クレイス」
「はい、メイド長」
「今、“統合”と言った?」
「はい」
「何と何を?」
「お嬢様と、偉大な指導者です」
「具体的には?」
「完成後に確認できます」
「確認したくない予感がするわね」
レミリアは腕を組んだ。
「何を心配しているのよ。クレイスは細かい仕事が得意なのよ」
「細かい仕事が得意な者ほど、間違った設計図を正確に完成させます」
「失礼ね!」
「お嬢様ではなく、命令内容について申し上げています」
「もっと失礼じゃない!」
クレイスは二人の会話が終わったと判断し、氷塊へ手を向けた。
黒い虹彩の赤い×印が発光する。
氷塊から薄い破片が次々と剥がれ、雪煙となって舞った。
最初に現れたのは、小さな靴。
続いて膝丈のドレス。
腰の大きなリボン。
背中の蝙蝠の翼。
「いいじゃない!」
レミリアは満足そうに頷いた。
「さすが私の従者ね」
門から様子を見に来た美鈴も、氷像を眺める。
「後ろ姿は完璧ですね」
「後ろ姿“は”とは何よ」
「まだ顔がないので」
「顔も完璧に決まっているでしょう」
氷像の顔が削り出されていく。
広い額。
太い眉。
厳しい目元。
大きな鼻。
そして、鼻の下へ立派な口髭が生えた。
美鈴が真顔になった。
「……お嬢様、髭を生やされました?」
「生やしてないわよ」
「では、あれは?」
「製作途中でしょう」
クレイスは口髭の左右を丁寧に整えている。
咲夜が銀盆を美鈴へ預け、氷像の前へ歩いた。
「クレイス。作業を止めなさい」
「停止します」
氷片が空中でぴたりと止まった。
「この顔は誰?」
「ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンです」
レミリアが振り向いた。
「誰?」
「ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリンです」
「二回言えば分かると思ったの!?」
「聞き取れなかった可能性を考慮しました」
「聞き取れているわよ! 理解したくなかっただけよ!」
咲夜は氷像を見上げる。
「どうしてスターリンなの?」
「偉大な指導者として指定条件へ適合しました」
「私の像でしょう!」
レミリアが氷像の足を杖で叩く。
「衣装、翼、帽子、体格はお嬢様です」
「顔も私にしなさい!」
「顔貌には指導者としての威厳を要求されました」
「私の顔に威厳がないと言いたいの?」
「数値化が困難です」
「今すぐ数値化して高得点を出しなさい!」
「評価基準がありません」
「作りなさい!」
咲夜がこめかみを押さえた。
「お嬢様。今その命令を出すと、また何か別の物が出来上がります」
レミリアは黙った。
「……最後まで作りなさい」
「承知しました」
「ただし、これ以上変なものを付けないで」
「現在の設計を維持します」
「現在が既に変なのよ!」
作業が再開された。
氷像はレミリアのドレスをまとい、蝙蝠の翼を広げ、帽子をかぶった。
しかし首から上は完全にスターリンだった。
しかも複数の資料を無理やり繋いだため、細部も怪しい。
帽子のリボンが途中から口髭へ繋がっている。
右手だけ妙に大きい。
左手の指は、数えるたびに本数が違って見える。
ドレスの裾も、途中から軍用外套のように厚くなっていた。
「完成しました」
クレイスが手を下ろす。
庭園に、レミリアの服を着たスターリンが立っていた。
沈黙。
風だけが雪を転がしていく。
「……これは何」
「お嬢様です」
「嘘をつきなさい!」
「嘘は推奨されていません」
「ではスターリンでしょう!」
「顔貌はスターリンです」
「自白したわね!」
「最初から報告しています」
美鈴は銀盆で顔を隠していた。
「美鈴。笑っているでしょう」
「いえ、お嬢様。銀盆の状態を確認しています」
「顔を隠して確認する必要はないでしょう!」
「反射で像が見えるんです」
「もっと悪いわ!」
咲夜は氷像の周囲を一周した。
「クレイス」
「はい、メイド長」
「次から人物像を作る場合、顔は本人のものを使いなさい」
「規則へ追加します」
「そんな規則が必要になるとは思わなかったわ」
「前例がありませんでした」
「今日できたわね。最悪の前例が」
騒ぎを聞きつけ、フランドールが館から出てきた。
「何してるの?」
氷像を見る。
止まる。
もう一度見る。
「……お姉様?」
「違うわ!」
「でも服はお姉様よ」
「顔を見なさい!」
「髭が生えたの?」
「生えてない!」
「冬だから?」
「妖怪は季節で髭が増えたりしないわ!」
妖精メイドたちも集まり始めた。
「髭お嬢様だ!」
「偉そう!」
「いつもより強そう!」
「“いつもより”とは何よ!」
一人の妖精メイドが木札を持ってくる。
> お嬢様 冬季仕様
「誰が書いたの!」
妖精メイドたちは一斉に逃げた。
レミリアはクレイスを指さす。
「壊しなさい!」
「了解しました」
「粉々によ!」
「解体後の氷は生活用水へ転用します」
「この顔を溶かした水で紅茶を淹れたら許さないわよ!」
「飲用禁止として処理します」
「処理しなくていいから捨てなさい!」
クレイスが氷像へ手を向ける。
赤い×印が光った。
「待って」
フランが像の前へ出る。
「夕方まで置いておきましょうよ」
「どうして!」
「面白いから」
「それ以外の理由はないの!?」
「ないわ」
美鈴も銀盆を返しながら言う。
「門からよく見えますし、不審者除けにはなりますね」
「紅魔館そのものが不審な館だと思われるわ!」
咲夜がレミリアへ紅茶を差し出す。
「お嬢様。日没まで残して、妖精メイドへの教材にしてはいかがでしょう」
「何の教材よ」
「曖昧な命令が招く結果です」
レミリアは紅茶を受け取る手を止めた。
「咲夜、あなた今日は妙に刺してくるわね」
「冬ですので」
「理由になってないわよ」
レミリアは氷像を睨み、やがて大きく息を吐いた。
「日没までよ」
「展示期限を本日の日没までとして記録します」
「記録しなくていい!」
その日の夕方。
庭園には、夕日に照らされた髭お嬢様が立っていた。
妖精メイドたちは周囲で踊り、フランは翼へ腰掛け、美鈴は門を訪れた者へ「見なかったことにしてください」と頼んでいた。
そして日没。
「クレイス! もう壊していいわ!」
「了解しました」
「待って、お姉様」
フランがスターリンの口髭へしがみつく。
「髭だけ欲しい」
「何に使うのよ!」
「お姉様につける」
「今すぐ全部壊しなさあああい!」
レミリアの絶叫と同時に、氷像は白い粉雪となって崩れ落ちた。
翌朝。
庭園には妖精メイドが作った小さな雪だるまが並んでいた。
すべてに口髭が付いていた。
紅魔郷リメイク記念に初投稿