赤い館に住む元赤い国の人形   作:案山子杏子

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エアコンの設定温度を極端に下げると次第に結露が発生して詳しくは知らんが火災報知器が誤作動するらしい。今日同じ階の奥の部屋でなって心臓とまるかとおもった。


2.魔法使い、地下へ潜る

 紅魔館の大図書館には、入口がいくつもある。

 

 正面の扉。

 

 使用人用の通路。

 

 換気口。

 

 壊れた窓。

 

 そして、霧雨魔理沙だけが入口と呼んでいる場所が、さらに三つほどあった。

 

「お邪魔するぜ」

 

 誰にも聞こえない声で挨拶し、魔理沙は書架の陰へ着地した。

 

 箒を壁へ立てかけ、帽子についた埃を払う。

 

 目の前には、天井が見えないほど高い本棚が並んでいた。

 

 本の匂い。

 

 古い紙。

 

 薬品。

 

 魔力。

 

 そして、どこか遠くから聞こえる小悪魔の声。

 

「パチュリー様、こちらの本は昨日もお読みになっていましたよ」

 

「昨日とは内容が違うわ」

 

「同じ本です」

 

「読む者が変われば、内容も変わるのよ」

 

 魔理沙は声のする方角とは反対へ進んだ。

 

「今日も元気そうだな」

 

 目的の棚は決まっている。

 

 魔法生物。

 

 人工生命。

 

 自動人形。

 

 魂の定着。

 

 最近の魔理沙は、紅魔館に住みついた白髪の人形へ少なからず興味を持っていた。

 

 クレイス・マヤコフスキー。

 

 何を考えているのか分からない無表情な少年。

 

 氷を操り、銃を持ち、館の地下へ見たこともない機械を並べている。

 

 パチュリーなら、何か調べているに違いない。

 

「これか」

 

 魔理沙は棚の奥から、厚い革表紙の本を引き抜いた。

 

 表紙には銀色の文字で、

 

《人造生命における魂と命令系統の分離》

 

 と記されている。

 

「少し借りるぜ」

 

 返却期限は決めていない。

 

 パチュリーも決めていない。

 

 お互い様である。

 

 魔理沙が本を鞄へ入れようとした時、書架の向こうから妖精メイドたちの話し声が聞こえた。

 

「今日はクレイスいないよ」

 

「どこ行ったの?」

 

「命蓮寺」

 

「お寺に入るの?」

 

「火を消す機械をつけるんだって」

 

「お寺って燃えてるの?」

 

「布都が燃やすんだって」

 

「じゃあ、また燃えるね」

 

「また消せるね」

 

 妖精メイドたちは納得したように頷き合い、そのまま通路の向こうへ消えた。

 

 魔理沙は本を持ったまま、少し考えた。

 

「クレイスがいない」

 

 最近、紅魔館の地下には新しい区画ができたらしい。

 

 妖精メイドの話では、壁一面に光る板が並び、数字を表示する管があり、巨大な巻物のようなものが回転しているという。

 

 咲夜は「勝手に近づかないで」と言っていた。

 

 美鈴は「私も詳しくは知りません」と言っていた。

 

 にとりは一度入ったらしく、帰ってきた時には三日ほど機械の話しかしなかった。

 

 そして今日は、その持ち主がいない。

 

「少し見るだけなら問題ないな」

 

 魔理沙は鞄へ本を押し込んだ。

 

 目的が一つ増えただけだった。

 

     ◇

 

 紅魔館の地下は、以前より明らかに広くなっていた。

 

 咲夜が空間を拡張したのか、クレイスが壁を掘ったのか、それとも両方なのかは分からない。

 

 古い石造りの廊下を進むにつれ、景色が変わっていく。

 

 壁には太い電線が固定されていた。

 

 天井には金属製の配管。

 

 一定の間隔で赤い非常灯。

 

 見慣れない文字の札もある。

 

> ВЫСОКОЕ НАПРЯЖЕНИЕ

> 高電圧

 

「読めない方は、何て書いてあるんだろうな」

 

 その下に日本語があるため、困ることはなかった。

 

 さらに進むと、低い唸りが壁の向こうから聞こえてきた。

 

 発電機か、換気扇か、それとももっと別の何か。

 

 紅魔館の地下というより、巨大な船か工場の内部へ迷い込んだようだった。

 

「本当に洋館の下か、ここ」

 

 やがて廊下の突き当たりに、重い鉄扉が現れた。

 

 扉の横には数字の並んだ入力盤。

 

 上には小さな監視カメラが一台。

 

 レンズが魔理沙を無言で見下ろしている。

 

> ГЛАВНЫЙ ЦЕНТР УПРАВЛЕНИЯ

> 地下中央制御室

 

> ПОСТОРОННИМ ВХОД ВОСПРЕЩЁН

> 関係者以外立入禁止

 

「随分と歓迎されてるな」

 

 魔理沙は入力盤を眺めた。

 

 数字は十個。

 

 その横に赤と緑のランプ。

 

 適当に押してみる。

 

 一、二、三、四。

 

 赤いランプが点灯した。

 

> ОШИБКА

> エラー

 

「もう少し愛想よく断れないのか」

 

 次に、クレイスの製造年らしい数字を入れる。

 

 一、九、五、八。

 

 再び赤。

 

「安直すぎたか」

 

 レミリアの誕生日。

 

 紅魔館の部屋数。

 

 美鈴が昼寝を始める時刻。

 

 思いつく数字を入れたが、扉は開かない。

 

 三度目の失敗以降は、入力するたびに警告音まで鳴るようになった。

 

「仕方ない」

 

 魔理沙は鞄から、小さな金属製の箱を取り出した。

 

 箱の表面には液晶画面と、色の違う四つの釦。

 

 側面から何本もの線が伸びている。

 

 香霖堂の棚の奥に置かれていた、外の世界の機械だった。

 

 霖之助は、

 

「用途が分からない以上、勝手に触るな」

 

 と言っていた。

 

 つまり、使い方を試してほしいという意味だろう。

 

「借りてきて正解だったぜ」

 

 正確には、霖之助には何も言っていない。

 

 魔理沙は金属箱から伸びた線を入力盤の隙間へ差し込み、釦を押した。

 

 画面に数字が次々と流れる。

 

 一。

 

 七。

 

 三。

 

 九。

 

 〇。

 

 八。

 

 意味は分からない。

 

 だが機械が働いている雰囲気だけは十分にあった。

 

「頑張れ。お前の名誉がかかってるぞ」

 

 金属箱が短く震える。

 

 入力盤の緑色のランプが点灯した。

 

> ДОСТУП РАЗРЕШЁН

> 入室許可

 

「やるじゃないか」

 

 鉄扉の内部で、いくつもの錠が外れる音がした。

 

 重い扉が、低い音を立ててゆっくり開く。

 

 魔理沙は金属箱を鞄へ戻した。

 

「香霖には、ちゃんと動いたと教えてやろう」

 

 返すかどうかは、まだ決めていない。

 

     ◇

 

 扉の先に広がっていたのは、魔理沙の知るどの部屋とも違っていた。

 

 壁一面を埋め尽くす大型制御盤。

 

 赤、黄、緑の表示灯。

 

 並んだ計器。

 

 数字を橙色に灯すニキシー管。

 

 内部で規則正しく動くリレー。

 

 何本もの磁気テープが、透明な窓の向こうでゆっくりと回転している。

 

 機械の低い唸り。

 

 時折鳴る電子音。

 

 紙テープを吐き出し続ける装置。

 

 足元を通る太い電線。

 

 天井を走る配管。

 

 設備ごとにロシア語と日本語の札が取り付けられていた。

 

> ГЛАВНОЕ ПИТАНИЕ

> 主電源

>

> ВОДОСНАБЖЕНИЕ

> 給水設備

>

> ВЕНТИЛЯЦИЯ

> 換気設備

>

> ПОЖАРНАЯ СИГНАЛИЗАЦИЯ

> 火災警報

>

> АВАРИЙНЫЙ ГЕНЕРАТОР

> 非常用発電機

 

「すごいな……」

 

 魔理沙は思わず声を漏らした。

 

 大きな装置は古びている。

 

 塗装が剥げ、角には修理の跡が残り、配線の一部は明らかに後から追加されている。

 

 だが、全てが生きていた。

 

 止まることなく動き続けている。

 

 部屋の一角には、他の設備より新しいコンピューターもあった。

 

 緑色の文字を映すブラウン管。

 

 分厚いキーボード。

 

 大型のディスク装置。

 

 形だけなら、香霖堂で見た外の世界の古い計算機に似ている。

 

 しかし銘板には見慣れないソ連の文字が並んでいた。

 

「外の機械を真似て作ったやつか」

 

 画面には館内の状態が表示されている。

 

> ГЛАВНОЕ ПИТАНИЕ:НОРМА

> 主電源:正常

>

> ВОДОСНАБЖЕНИЕ:НОРМА

> 給水設備:正常

>

> ПОЖАРНАЯ СИГНАЛИЗАЦИЯ:ГОТОВА

> 火災警報:待機中

 

 魔理沙はキーボードへ手を伸ばしかけ、止めた。

 

「さすがに、これを触って館が爆発したら私のせいにされるな」

 

 紅魔館は触らなくても爆発する。

 

 だからこそ、触った直後に爆発した場合は非常に不利だった。

 

 コンピューターの隣には、小さな白黒モニターがある。

 

 映っているのは、今通ってきた鉄扉の前だった。

 

 誰もいない石造りの廊下。

 

 入力盤。

 

 監視カメラに近づきすぎた自分の帽子が、画面の端に一瞬だけ残像のように焼きついている。

 

「最初から見られてたのか」

 

 だが、中央制御室には誰もいない。

 

 録画されている様子もない。

 

 少なくとも魔理沙には分からなかった。

 

「後で消せばいいか」

 

 何をどう消すかも分からないため、ひとまず忘れることにした。

 

 設備の反対側には、機械室とは空気の違う一角があった。

 

 壁掛けの絨毯。

 

 簡素な寝台。

 

 木製の机。

 

 琺瑯のカップ。

 

 古いラジオ。

 

 カセットデッキ。

 

 保存瓶を並べた棚。

 

 モスクワオリンピックのポスター。

 

 大きな管制室の中へ、普通の家庭の一部だけを切り取って置いたような空間だった。

 

「ここがクレイスの部屋か」

 

 机には、何冊もの記録帳が積まれている。

 

 ロシア語と日本語が併記された整備記録。

 

 館内の配管図。

 

 妖精メイドが壊した物の一覧。

 

 咲夜が無断で増やした区画の記録。

 

> ОБНАРУЖЕН НОВЫЙ СЕКТОР

> 新規区画を検出

>

> ПРЕДВАРИТЕЛЬНОЕ УВЕДОМЛЕНИЕ:НЕ ПОЛУЧЕНО

> 事前通知:なし

 

「咲夜も結構好き勝手やってるんだな」

 

 魔理沙は帳簿を一冊めくった。

 

 そこには日付、場所、故障原因、交換部品が細かく記録されている。

 

 妖精メイドの名前まで書かれていた。

 

「見つかったら記録される、って噂は本当らしい」

 

 魔理沙は帳簿を元へ戻した。

 

 そして、生活空間のさらに奥にある扉へ気づいた。

 

 中央制御室の入口よりは小さい。

 

 だが厚い鋼鉄製で、扉には赤い文字が書かれていた。

 

> ОРУЖЕЙНАЯ

> 武器庫

>

> ПОСТОРОННИМ ВХОД ВОСПРЕЩЁН

> 関係者以外立入禁止

 

 魔理沙の目が輝いた。

 

「こっちが本命じゃないか」

 

 扉には鍵が掛かっていた。

 

 ただし、先ほどのような数字入力盤ではない。

 

 物理的な鍵と、回転式の番号錠。

 

「古いやつなら、むしろ簡単だぜ」

 

 魔理沙は再び香霖堂の金属箱を取り出した。

 

 数秒眺める。

 

 当然ながら、差し込める場所はなかった。

 

「電子じゃないと駄目なのか」

 

 箱を鞄へ戻し、今度は細い針金と小さな魔法道具を取り出す。

 

 何度か試す。

 

 動かない。

 

「クレイス、変なところだけ堅いな」

 

 最後に、小さな魔力弾を鍵穴へ撃ち込んだ。

 

 乾いた音が鳴る。

 

 錠が外れた。

 

「開いたから問題ない」

 

 扉を引く。

 

 内部の照明が自動的に点灯した。

 

 壁に沿って、見慣れない武器が整然と並べられている。

 

 AK系自動小銃。

 

 PKM機関銃。

 

 SVD狙撃銃。

 

 短い銃身の武器。

 

 木製の銃床を持つ旧式銃。

 

 金属製の箱。

 

 弾倉。

 

 清掃具。

 

 部品。

 

 何に使うのか分からない照準装置。

 

 さらに奥には、大きな筒のような武器まで固定されていた。

 

「宝の山だぜ……」

 

 魔理沙は両手を広げた。

 

 魔法の道具ではない。

 

 だが、一目で分かる。

 

 どれも外の世界の技術で作られた、本物の武器だった。

 

 香霖堂に持ち込めば、霖之助が一週間は店を閉めて調べ続けるだろう。

 

 にとりへ見せれば、分解するまで帰さない。

 

 弾がなくても、研究材料として十分な価値がある。

 

「一つくらいなら、気づかないよな」

 

 魔理沙は壁に掛けられたAKへ手を伸ばした。

 

 触れる。

 

 予想以上に重い。

 

「重っ」

 

 両手で持ち上げる。

 

 木と金属の冷たさが手に伝わる。

 

 箒へ括りつければ運べそうだった。

 

「少し借りるだけだぜ」

 

「それ、持って帰るの?」

 

 背後から声がした。

 

 魔理沙の動きが止まった。

 

 中央制御室には、誰もいなかったはずだった。

 

 白黒モニターにも、人影は映っていなかった。

 

 ゆっくりと振り返る。

 

 武器庫の入口に、フランドールが立っていた。

 

 淡い金髪。

 

 赤い服。

 

 背中から伸びる、七色の結晶翼。

 

 両手を後ろへ回し、楽しそうに魔理沙を見ている。

 

「……いつからいたんだ?」

 

「魔理沙が扉を壊したところから」

 

「壊してないぜ」

 

 魔理沙はAKを持ったまま答えた。

 

「開けただけだ」

 

「鍵穴から煙が出てるわ」

 

「少し調子が悪かったんだろ」

 

「クレイス、全部番号をつけて数えてるよ」

 

 魔理沙は壁を見る。

 

 武器の下には、一つずつ金属札が取り付けられていた。

 

> АК-74 №03

 

 手に持っている銃にも、同じ番号が刻まれている。

 

「一本なくなったら分かる?」

 

「すぐ分かると思う」

 

「今日は命蓮寺だろ?」

 

「帰ってこなくても、記録は残るわ」

 

 フランドールは中央制御室の方を指さした。

 

 制御盤の一つで、赤い表示灯が点滅している。

 

> ОРУЖЕЙНАЯ ОТКРЫТА

> 武器庫開放

>

> ДОСТУП:НЕИЗВЕСТНО

> 入室者:不明

 

「随分と親切な機械だな」

 

「魔理沙が入ったこと、もう記録されてるかもね」

 

「記録は消せばいい」

 

「どれが記録する機械か分かるの?」

 

 魔理沙は中央制御室を見渡した。

 

 大型制御盤。

 

 磁気テープ。

 

 紙テープ。

 

 パンチカード。

 

 コンピューター。

 

 ニキシー管。

 

 どれも怪しく見える。

 

「全部消すと、紅魔館が止まりそうだな」

 

「多分ね」

 

 フランドールが一歩近づく。

 

「それで、持って帰るの?」

 

「……今日は見るだけにしておくぜ」

 

 魔理沙はAKを元の場所へ戻した。

 

 番号札の向きまで、なるべく元どおりに直す。

 

「本は持って帰るのに?」

 

 魔理沙の手が止まった。

 

「何の話だ?」

 

「鞄の中」

 

「これはパチュリーから借りたんだぜ」

 

「パチュリー、知ってるの?」

 

「後で知る」

 

「それ、借りたって言うの?」

 

「魔法使い同士では言う」

 

 フランドールはしばらく魔理沙を見つめた。

 

 そして笑った。

 

「黙っててあげてもいいよ」

 

「本当か?」

 

「その代わり、遊んで」

 

「何して?」

 

「ここで」

 

 フランドールは武器庫の中を見回す。

 

「それ以外なら考えるぜ」

 

「じゃあ地下室」

 

「帰る」

 

 魔理沙は武器庫から出ようとした。

 

 フランドールが入口を塞ぐ。

 

「侵入したこと、咲夜に言おうかな」

 

「交渉しよう」

 

「もうしてるわ」

 

 魔理沙は鞄の中の本と、壁に並ぶ武器と、笑うフランドールを順番に見た。

 

 パチュリーの本を返せば、今日の収穫はなくなる。

 

 断れば、咲夜が来る。

 

 武器を持って逃げれば、さらに悪化する。

 

「一時間だけだぜ」

 

「三時間」

 

「一時間半」

 

「二時間」

 

「……分かったよ」

 

 魔理沙は渋々頷いた。

 

 フランドールは満足そうに笑い、武器庫の入口から退いた。

 

「じゃあ、行きましょう」

 

「その前に、この扉を閉めるぞ」

 

「どうして?」

 

「開けたままだと、私が入ったみたいに見えるだろ」

 

「実際に入ったじゃない」

 

「見え方の問題だぜ」

 

 魔理沙は武器庫の扉を押し戻した。

 

 扉は重い音を立てて閉まったが、壊れた錠前から小さな金属片が一つ、床へ落ちた。

 

 からん、と乾いた音が中央制御室に響く。

 

 魔理沙とフランドールは、揃って足元を見た。

 

「壊れてるわね」

 

「最初から少し調子が悪かったんだろ」

 

「クレイスなら、誰が壊したか分かると思うよ」

 

「今日は命蓮寺にいるんだろ?」

 

「今日はね」

 

 フランドールは楽しそうに魔理沙の袖を掴んだ。

 

「さあ、二時間遊びましょう」

 

「何をするつもりなんだ?」

 

「来てから決めるわ」

 

「それが一番怖い答えだぜ」

 

 魔理沙はパチュリーの本が入った鞄を抱え直した。

 

 本は手に入れた。

 

 中央制御室も見られた。

 

 武器庫にも入れた。

 

 収穫だけを数えれば、上出来だった。

 

 ただし、その代金がフランドールとの二時間である。

 

「本当に二時間だけだからな」

 

「分かってるわ」

 

「絶対だぞ」

 

「魔理沙って、同じことを何度も確認するのね」

 

「確認した方がいい相手もいるんだぜ」

 

 フランドールに引かれ、魔理沙は中央制御室を後にした。

 

 重い鉄扉が、二人の後ろでゆっくりと閉じていく。

 

 最後まで見えていたのは、楽しそうなフランドールと、既に侵入したことを少し後悔し始めている魔理沙の姿だった。

 




【数日後】

 神霊廟の入口から、ぴちゃり、ぴちゃりと水音が聞こえてきた。

「ただいま戻ったぞ……」

 物部布都が、重い足取りで中へ入ってくる。

 髪も衣服も完全に濡れ、袖や帽子には白い泡が大量にまとわりついていた。

 歩くたびに床へ水滴と泡が落ち、背後に一本の道ができている。

 豊聡耳神子は、その姿を見て手を止めた。

 隣にいた蘇我屠自古も、しばらく言葉を失う。

「……布都」

 神子が静かに呼びかけた。

「はい、太子様」

「命蓮寺へ出かけたはずだな」

「左様でございます」

「川へ落ちたのか?」

「落ちておりませぬ」

 屠自古が布都の肩についた泡を指で掬う。

「では何だ、この泡は。寺で洗濯でもしてきたのか?」

「違うわ!」

 布都は袖から水を絞りながら、悔しそうに語り始めた。

「我が火の徳をもって、命蓮寺の穢れたる一室を清めんとしたところ、梁の上に据えられし異国の小さき眼が、我が炎を見咎めたのだ」

「異国の小さき眼?」

「左様。目も口もなき白き器よ。それが炎の気配を察するや、寺中に鉄の鐘を鳴り響かせた」

 布都は両腕を広げた。

「次いで天井を這う鉄の蛇どもが一斉に口を開き、滝のごとき水を吐きおった!」

 神子は小さく頷いた。

「煙か熱を感知して、警報と放水設備が作動したのだな」

「そのような俗なる言葉で片づけてはなりませぬ!」

「十分に片づいているように見えるが」

 屠自古が言った。

 布都は白い泡を指さす。

「それだけではない! 我が怯まず火を守ろうとすると、一輪と村紗めが赤き鉄筒を持ち出し、白き雲を噴きかけてきたのだ!」

「消火器だな」

 神子が即答した。

「太子様まで、なぜその絡繰りの名をご存じなのです!」

「お前が以前から何度も寺を燃やすので、命蓮寺側が対策を講じたと聞いていた」

「我は燃やしておりませぬ! 清めているのです!」

「建物側から見れば同じことだ」

 神子は布都の姿を改めて観察した。

「つまり、お前が室内で火をつけた」

「小さき火でございます」

「それが燃え広がり始めた」

「清めの範囲が広がっただけです」

「天井の感知器が作動した」

「異国の眼が我を裏切りました」

「警報が鳴り、配管から水が出た」

「鉄の蛇が荒ぶりました」

「さらに命蓮寺の者たちが消火器を噴射した」

「白き雲に襲われました」

 神子は一度目を閉じ、結論を出した。

「完全に消火設備が正常作動しただけではないか」

「我だけを狙っておりました!」

「火元のすぐ横にいたのだから当然だろう」

 屠自古が鼻で笑う。

「それで、火は消えたのか?」

「……消えた」

「寺は?」

「……燃えなかった」

「なら設備の勝ちだな」

「勝敗の話ではない!」

 布都が叫ぶと、帽子から溜まっていた水が一気に流れ落ちた。

 神子は濡れた床と泡まみれの布都を見比べる。

「ところで、その設備を設置したのは、紅魔館の人形だと聞いたが」

「クレイスと申す白き髪の絡繰りでございます!」

 布都は拳を震わせた。

「我が炎の理を一切解さず、熱、煙、延焼などという無粋な尺度のみで火を裁くのです!」

「防火設備としては正しい」

「しかも設置を終えた後、本人は紅魔館へ帰っておる!」

「常駐していないのか」

「おらぬ! 姿も見せぬまま、残した鉄の蛇だけが我へ水を吐く!」

 屠自古はとうとう耐えきれずに笑い出した。

「お前、いない奴に負けて帰ってきたのか!」

「負けておらぬ!」

「ずぶ濡れで泡までつけて、何に勝ったんだ?」

「火の尊さは守った!」

「火は消えたのだろう?」

「消えたが、志は消えておらぬ!」

 神子は立ち上がり、布都の肩を軽く叩いた。

「その志もしばらく乾かしておけ。床まで水浸しだ」

「太子様!」

「屠自古、布を持ってきてくれ」

「布都を拭くのか?」

「先に床だ」

「太子様!?」

 神霊廟に、布都の悲痛な声と屠自古の笑い声が響いた。
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