赤い館に住む元赤い国の人形   作:案山子杏子

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紅魔館爆発回
globusとはソ連時代の宇宙船に標準搭載されてた慣性航法装置


5.幻想郷核実験施設

 

 魔理沙の家には、物が多い。

 

 本。

 

 茸。

 

 魔法薬。

 

 用途不明の金属部品。

 

 使えるのか壊れているのか、本人にも分からない道具。

 

 そして、本人が「借りた」と主張するもの。

 

 それらが床、机、棚、椅子の上に、自由と混沌の名のもとに積まれている。

 

 その日の午後、アリス・マーガトロイドは、魔理沙の家へ来ていた。

 

 用件は簡単だった。

 

 以前貸した本を返してもらうためである。

 

 ただし、魔理沙の家で「本を返してもらう」という行為は、普通の家でのそれとは違う。

 

 まず、本がどこにあるか分からない。

 

 次に、魔理沙本人も分かっていない。

 

 最後に、探している途中で別の問題が見つかる。

 

 そのため、アリスは一人では来なかった。

 

 左右に上海人形と蓬莱人形を従えている。

 

 上海人形は小さな紙片を抱えていた。

 

 そこには、アリスが魔理沙へ貸した本の題名が整然と書かれている。

 

 蓬莱人形は小さな布袋を持っていた。

 

 中身は手袋、布、細い棒、埃取り用の刷毛。

 

 魔理沙の家で物を探すには、発掘に近い準備が必要だった。

 

「魔理沙」

 

「なんだ?」

 

「私の本は?」

 

「探してる」

 

 魔理沙はそう言った。

 

 しかし、彼女は机の前に座り、両手で灰色の四角い装置を抱えていた。

 

 探している姿勢ではない。

 

 完全に、見つけてはいけないものを見つけた人間の姿勢だった。

 

 上海人形が、無言で紙片を持ち上げる。

 

> 貸出一覧

> 未返却

 

「シャンハーイ」

 

 上海人形は、少し得意げに鳴いた。

 

 鳴いた、という表現が正しいかは分からない。

 

 だが、少なくとも抗議ではあった。

 

 アリスは軽く頷いた。

 

「上海もこう言っているわ」

 

「上海は今、シャンハーイとしか言ってないぜ」

 

「だから分かるの」

 

「便利な翻訳だな」

 

 蓬莱人形は床の上に落ちていた茸を棒で横へ寄せた。

 

 茸は乾いていた。

 

 乾いているから安全とは限らない。

 

 魔理沙の家では、乾燥しているものほど後から変な煙を出すことがある。

 

「ホーライ」

 

 蓬莱人形は短く鳴いた。

 

 声は上海より少し低い。

 

 意味は、おそらく「危険物をどかした」だった。

 

 アリスは当然のように頷く。

 

「蓬莱、ありがとう」

 

「今ので通じるのか?」

 

「通じるわ」

 

「お前の人形、私より会話が成立してないか?」

 

「そこは反省して」

 

 魔理沙は少し不満そうに口を尖らせた。

 

「それで」

 

 アリスは魔理沙の手元を見た。

 

「あなたが抱えているそれは何?」

 

 灰色の四角い装置だった。

 

 前面には丸い表示窓があり、その奥に小さな地球儀の一部が見えている。

 

 細かな目盛り。

 

 古い数字の表示窓。

 

 複数のダイヤル。

 

 金属のつまみ。

 

 ところどころにキリル文字らしき表示。

 

 どう見ても、森の魔法使いの家に自然発生する物体ではなかった。

 

 机の上には、分厚い露和辞典と、黄ばんだ説明書が開かれている。

 

 説明書の余白には、魔理沙の字で乱暴な書き込みがあった。

 

> орбита 軌道?

> широта 緯度

> долгота 経度

> посадка 着陸

> Земля 地球

> не трогать 触るな?

 

 最後の訳だけ、疑問符が妙に多かった。

 

 蓬莱人形が「не трогать」の横を棒でつつく。

 

「ホーライ」

 

 意味は、たぶん「そこだけ読めているなら触るな」だった。

 

 魔理沙の目は輝いていた。

 

「すごいだろ」

 

「質問に答えなさい」

 

「Globusだ」

 

「グローブ?」

 

「グローブス。旧ソ連の宇宙船で使ってた、機械式の航法コンピューターみたいなやつだぜ」

 

「みたいなやつ、で済ませていい機械なの?」

 

「外から何か受け取らなくても、宇宙船が地球のどこを飛んでるか表示できるらしい」

 

「その情報はどこから?」

 

「説明書と辞典」

 

 アリスは露和辞典を見た。

 

 魔理沙のしおり代わりの紙片が、いくつも挟まっている。

 

 ただし、挟まっている位置は雑だった。

 

 「宇宙」と「牛乳」と「爆発」が同じ付近に固まっている。

 

「読んでいるというより、単語を拾っているわね」

 

「単語が拾えればだいたい分かる」

 

「それで分かった気になるのが一番危ないのよ」

 

「大丈夫だ。軌道と着陸は分かった」

 

「その二つだけ分かると、逆に危険が増えるわ」

 

 上海人形が小さな白紙を出し、何かを書いた。

 

> 単語拾い

 

「シャンハーイ」

 

 蓬莱人形も横に書く。

 

> 危険

 

「ホーライ」

 

「おい、人形たちまで辞典を読んでないか?」

 

「あなたより正確に状況を読んでいるわ」

 

 アリスは装置を見下ろした。

 

 魔法の道具ではない。

 

 だが、魔法の道具よりよほど厄介そうだった。

 

 魔力ではなく、歯車と目盛りと計算で、小さな地球を動かす機械。

 

 月の都の技術とは違う。

 

 もっと重く、もっと金属臭く、地球を外側から押さえ込むような宇宙だった。

 

「変な感じね」

 

「何がだ?」

 

「月の異変の時とは、宇宙の匂いが違う」

 

「あの永い夜か」

 

「ええ。これは月へ行くものじゃなくて、地球の周りを飛ぶものなのでしょう?」

 

「たぶんな」

 

「たぶんで紅魔館から持ち出したの?」

 

「だから返すって」

 

「いつ」

 

「今日」

 

 アリスはじっと魔理沙を見た。

 

「本当に?」

 

「本当だぜ」

 

 上海人形が紙片を掲げる。

 

> 今日

 

「シャンハーイ」

 

 蓬莱人形も紙片を掲げる。

 

> 即時

 

「ホーライ」

 

「圧が強いな」

 

「信用の問題よ」

 

「分かったよ。今から行く」

 

 魔理沙はGlobusを抱え直した。

 

 見た目より重い。

 

 魔力の塊ではなく、金属と軸と目盛りの重さだった。

 

 窓の外では、雪が降っている。

 

 冬の魔法の森は静かだった。

 

 木々に積もった雪が音を吸い、遠くの鳥の声もすぐに消える。

 

「紅魔館、寒そうね」

 

 アリスが言った。

 

「フランが言ってたぜ。最近、上で暖房の話ばっかりしてるって」

 

「フランが?」

 

「ああ。『クレイスの部屋は機械があるから少し暖かい』って言ってた」

 

「それで地下に行っているの?」

 

「元から行ってる」

 

「あなたの話? フランの話?」

 

「うーん、両方だな」

 

 アリスは少し呆れた。

 

 魔理沙は何でもない顔をしている。

 

 紅魔館の地下。

 

 フランドールの部屋。

 

 クレイスの地下中央制御室。

 

 魔理沙にとっては、どれも完全な未知ではなくなっていた。

 

 ただし、馴染んでいい場所かどうかは別問題だった。

 

「フランの部屋なら分かるんだよ」

 

 魔理沙はGlobusを机の上へ一度置き、帽子を被り直した。

 

「階段を降りて、湿った石の廊下を曲がって、途中の燭台が一本だけ妙に傾いてるところを過ぎる。重い扉があって、その奥だ」

 

「詳しすぎるわ」

 

「何度も行ってるからな」

 

「何をしに?」

 

「本を借りた帰りに、少し遊びに」

 

 答えが早かった。

 

 アリスは少し黙った。

 

「普通、吸血鬼の妹の地下室へ遊びに行かないわ」

 

「普通じゃないから面白いんだぜ」

 

 上海人形が紙片を掲げる。

 

> 危険人物

 

「シャンハーイ」

 

「上海、それは私か?」

 

「たぶんね」

 

 アリスが言う。

 

 魔理沙は肩をすくめた。

 

「フランの部屋は、危ないけど分かりやすい。あそこはフランの場所だって分かる。散らかった玩具、壊れた椅子、読みかけの本、菓子の缶。フランが壊して直したのか、直した後でまた壊したのか分からない物もある」

 

「最後だけ怖いわ」

 

「フランの部屋だからな」

 

「説明になっていないわよ」

 

「なるんだよ。あそこでは」

 

 魔理沙は少しだけ笑った。

 

「でもクレイスの中央制御室は違う。フランの部屋の近くなのに、急に別の国の施設みたいになる。制御盤、磁気テープ、電話交換盤、白黒モニター、ロシア語の札、配管、工具、武器庫。あそこは部屋っていうより、館の腹の中だ」

 

「だからって、腹の中から部品を持ち出さないで」

 

「部品じゃない。航法装置だ」

 

「なお悪いわ」

 

 蓬莱人形がGlobusの横に紙片を置いた。

 

> 返却

 

「ホーライ」

 

 魔理沙はため息をついた。

 

「分かった。行く。今行くよ」

 

「ようやくね」

 

 アリスはそう言って、上海人形と蓬莱人形を肩の近くへ戻した。

 

 魔理沙がGlobusを抱え上げた時だった。

 

 窓の外が、少しだけ明るくなった。

 

 雪雲のせいではない。

 

 日差しでもない。

 

 森の向こう、紅魔館の方角で、紫色の光が一瞬だけ揺れた。

 

 魔理沙は窓へ顔を向けた。

 

「今の見たか?」

 

「見たわ」

 

 アリスの声は低かった。

 

「紅魔館の方ね」

 

「フランの弾幕じゃないな」

 

「距離があるのに、ここまで光が見えるのは変よ」

 

 上海人形が、そっと紙片を掲げた。

 

> 危険

 

「シャンハーイ……」

 

 蓬莱人形も、小さく鳴いた。

 

「ホーライ……」

 

 魔理沙はGlobusを抱えたまま固まった。

 

「パチュリーの暖房実験って、今日だったよな」

 

「それを先に言いなさい」

 

「いや、フランが言ってたんだよ。『上で暖房をどうにかするらしい』って」

 

「かなり重要な情報よ」

 

「暖房だぜ? 館が暖かくなるだけだろ」

 

 その直後だった。

 

 遠くで、低い音がした。

 

 雷ではない。

 

 山が鳴ったような音。

 

 少し遅れて、魔理沙の家の窓が細かく震えた。

 

 机の上の瓶がかたかた鳴る。

 

 棚から茸の瓶が一つ落ちかけ、蓬莱人形が慌てて押さえた。

 

「ホーライ!」

 

「おっと」

 

 魔理沙はGlobusを落とさないように抱え直す。

 

 灰色の装置の前面で、小さな地球儀がわずかに揺れた。

 

「おい」

 

 魔理沙が言った。

 

「これ、返しに行く前に返却先が変なことになってないか?」

 

「変なこと、で済むといいわね」

 

 アリスは窓の外を見た。

 

 紅魔館の方角に、白い光が遅れて広がった。

 

 次に、黒い煙。

 

 さらに、雪雲の下へ赤いものが一瞬だけ跳ねた。

 

 屋根だったのか、壁だったのか、紅魔館の何かだったのかは分からない。

 

 魔理沙は目を細める。

 

「……今、屋根っぽいものが飛んだか?」

 

「見間違いであってほしいわ」

 

「紅魔館の屋根って、飛ぶものだったか?」

 

「普通は飛ばないわ」

 

「紅魔館だぜ?」

 

「それでも普通は飛ばないわ」

 

 上海人形が震えながら紙片を出した。

 

> 返却先:不明

 

「シャンハーイ……」

 

 魔理沙はGlobusを見下ろした。

 

 旧ソ連の宇宙船用らしい機械。

 

 地球の上の位置を示すはずの装置。

 

 今この瞬間に限っては、紅魔館がどこへ行ったのかを教えてほしかった。

 

「アリス」

 

「何?」

 

「紅魔館って、地上部分だけ消えても地下は残ると思うか?」

 

「どうしてそういう想定が自然に出るのよ」

 

「フランの部屋とクレイスの中央制御室は地下だろ」

 

「……残る可能性はあるわね」

 

「じゃあ返却先はまだある」

 

「そこを安心材料にしないで」

 

 魔理沙は箒へ手を伸ばした。

 

 Globusを抱えたまま飛ぶには、少し重い。

 

 落としたら確実に怒られる。

 

 壊したらもっと怒られる。

 

 返す前に紅魔館が半分消えているなら、怒る相手が増えている可能性すらある。

 

「置いていくわよ」

 

 アリスが言った。

 

「何を?」

 

「それ」

 

 アリスはGlobusを指さした。

 

「紅魔館の方を見に行くなら、持って飛ばない方がいいわ」

 

「でも返すために」

 

「爆発している場所へ精密機械を抱えて飛ぶのは、返却ではなく追加事故よ」

 

 蓬莱人形が紙片を掲げる。

 

> 置く

 

「ホーライ」

 

 上海人形も続ける。

 

> 後で返却

 

「シャンハーイ」

 

 魔理沙はしばらくGlobusを見た。

 

 それから、慎重に机の上へ戻した。

 

「……後で返す」

 

「その台詞、さっきも聞いたわ」

 

「今度は事情が違うだろ。返す前に館が飛んだんだぞ」

 

「たしかに、言い訳としてはかなり珍しいわね」

 

 魔理沙は箒を掴んだ。

 

 アリスも外套を整える。

 

 上海人形と蓬莱人形は、机の上のGlobusの横に紙片を置いた。

 

> 返却予定

 

> 紅魔館確認後

 

 魔理沙はそれを見て、少しだけ顔をしかめた。

 

「お前たち、議事録みたいに残すな」

 

「必要よ」

 

 アリスは窓を開けた。

 

 冷たい空気が家の中へ流れ込む。

 

 遠くの空に、黒い煙が伸びていた。

 

 魔理沙は箒に跨がる。

 

「行くぞ。紅魔館が残ってるうちに」

 

「今の言い方、あまり縁起が良くないわ」

 

「もう遅い気がするぜ」

 

 二人は雪の降る魔法の森を飛び出した。

 

 机の上には、灰色のGlobusが残された。

 

 前面の小さな地球儀だけが、何も知らない顔で静かに止まっていた。

 

     ◇

 

 そのころ。

 

 地下中央制御室は、普段と同じ音を立てていた。

 

 磁気テープが回る。

 

 リレーが鳴る。

 

 換気装置が低く唸る。

 

 暖房配管の圧力計は、許容範囲の中央を指していた。

 

 クレイスは操作卓の前に座り、上層階の熱循環試験を監視していた。

 

 試験担当はパチュリー。

 

 目的は、冬季暖房効率の改善。

 

 咲夜の帳簿上では、暖房費削減。

 

 レミリアの言葉では、紅魔館の優雅な冬季運用。

 

 クレイスの分類では、熱配分方式の実験だった。

 

 その隣で、フランが椅子をくるくる回していた。

 

 彼女は制御盤の光を眺めながら、退屈そうに足を揺らしている。

 

「クレイス」

 

「はい、フラン様」

 

「上で何してるの?」

 

「パチュリー様による熱循環魔法実験です」

 

「暖かくなるの?」

 

「成功した場合、暖房効率が向上します」

 

「失敗したら?」

 

「異常が発生します」

 

「どのくらい?」

 

「現時点では不明です」

 

 フランは少し笑った。

 

「不明って、面白そうね」

 

「安全確認中です」

 

「面白くない言い方」

 

「安全確認です」

 

 大図書館方面の魔力値が上昇する。

 

 地下中央制御室の画面に、ロシア語と日本語の表示が並ぶ。

 

> ТЕПЛОВОЙ ПОТОК:ПОВЫШЕНИЕ

> 熱流:上昇

>

> МАГИЧЕСКОЕ ДАВЛЕНИЕ:НЕСТАБИЛЬНО

> 魔力圧:不安定

>

> ВЕНТИЛЯЦИЯ:НОРМА

> 換気:正常

 

 フランは画面を覗き込んだ。

 

「読めない」

 

「魔力圧が不安定です」

 

「危ない?」

 

「危険性があります」

 

「じゃあ、上は大変?」

 

「可能性があります」

 

「お姉様、怒るかな」

 

「実験結果によります」

 

 その次だった。

 

 白。

 

 地下にいるにもかかわらず、白い光が制御室の隙間へ走った。

 

 直後、衝撃が来た。

 

 壁の奥で重い音が鳴る。

 

 天井の配管が震える。

 

 非常灯が一斉に赤く点く。

 

 操作卓の表示が、縦に乱れた。

 

 フランの椅子が半回転し、ぴたりと止まる。

 

「今の、何?」

 

 クレイスの黒い虹彩に刻まれた赤い×印が、強く光った。

 

> УДАРНАЯ ВОЛНА:ОБНАРУЖЕНА

> 衝撃波:検出

>

> ТЕПЛОВОЙ ИМПУЛЬС:ОБНАРУЖЕН

> 熱線相当反応:検出

>

> ЭЛЕКТРОМАГНИТНОЕ ВОЗМУЩЕНИЕ:ОБНАРУЖЕНО

> 電磁擾乱:検出

>

> ВЕРХНИЕ ЭТАЖИ:НЕТ ОТВЕТА

> 上層階:応答なし

 

「核実験級事象を検出」

 

 クレイスが言った。

 

 フランは目を丸くする。

 

「核?」

 

「はい」

 

「パチュリーが?」

 

「初期分類です」

 

「パチュリー、そんなことできたの?」

 

「観測値のみで判定しています」

 

「できたら怒られるわね」

 

「既に怒られる可能性は高いです」

 

 警報が鳴った。

 

> АВАРИЯ

> 異常

>

> АВАРИЯ

> 異常

>

> АВАРИЯ

> 異常

 

 クレイスは操作卓のスイッチを順番に切り替える。

 

 主電源。

 

 非常電源。

 

 換気。

 

 火災警報。

 

 地下隔壁。

 

 フランの部屋。

 

 中央制御室。

 

 すべて確認する。

 

> ПОДЗЕМНЫЙ ЦЕНТР УПРАВЛЕНИЯ:НОРМА

> 地下中央制御室:正常

>

> КОМНАТА ФЛАН:НОРМА

> フラン様の部屋:正常

>

> ВЕРХНЯЯ СТРУКТУРА:ОТСУТСТВУЕТ

> 上部構造:不存在

 

 クレイスは一度だけ表示を見直した。

 

 不存在。

 

 誤表示の可能性を考慮し、再取得。

 

> ВЕРХНЯЯ СТРУКТУРА:ОТСУТСТВУЕТ

> 上部構造:不存在

 

 同じだった。

 

 フランは画面を指さす。

 

「上部構造って、何?」

 

「紅魔館の地上部分です」

 

「不存在って?」

 

「ありません」

 

「お姉様の部屋も?」

 

「上層階に含まれます」

 

「食堂も?」

 

「含まれます」

 

「玄関も?」

 

「含まれます」

 

 フランは少し考えた。

 

「じゃあ、地下だけ?」

 

「現在、その可能性が高いです」

 

「すごい」

 

「異常です」

 

「でも、地下から空が見えるかも」

 

「確認します」

 

 クレイスは白黒モニターへ視線を移した。

 

 普段なら、中央制御室入口前の廊下が映っている。

 

 石造りの廊下。

 

 重い鉄扉。

 

 壁の呼出ベル。

 

 そのはずだった。

 

 だが、画面には雪が映っていた。

 

 廊下の先に、空が見えている。

 

 天井がない。

 

 壁もない。

 

 冬の光が、地下へ直接落ちている。

 

「上部構造の喪失を確認しました」

 

 フランは椅子から降りた。

 

「見に行く」

 

「状況確認を実施します」

 

「私も行く」

 

「了解しました」

 

 クレイスは工具箱を手に取った。

 

 フランは楽しそうに帽子を直す。

 

「止めないの?」

 

「フラン様は地下区画の住人です。現場確認への同行は可能です」

 

「じゃあ行けるのね」

 

「はい。ただし、瓦礫、配管、電線、魔法陣残滓には触れないでください」

 

「どうして?」

 

「原因調査と復旧作業に支障が出ます」

 

「壊れるから?」

 

「既に壊れています。追加破壊を避けます」

 

「それはちょっと面白いわね」

 

「面白くありません」

 

 クレイスは受話器を取った。

 

 館内電話は死んでいた。

 

「通信不能」

 

 次に、非常用回線へ切り替える。

 

 雑音。

 

 風の音。

 

 何かが崩れる音。

 

 遠くで妖精メイドの叫び声。

 

『館がない!』

 

『屋根がない!』

 

『壁もない!』

 

『どうやって掃除するの!?』

 

『どこがホワイト企業なの!? ブラックじゃんこれ!』

 

『皆あたまがアフロになってる!』

 

 別の妖精メイドの声も混じった。

 

『落ち着いて。パチュリー様の実験でしょ』

 

『またかー』

 

『またですねー』

 

『新人はこっちへ集まって! 瓦礫に触らない!』

 

『えっ、これ、またで済むんですか!?』

 

『紅魔館では、済む時があります』

 

『済ませないでください!』

 

 フランが受話器へ顔を近づける。

 

「上、楽しそう」

 

「混乱状態です」

 

「楽しそうと似てるわ」

 

「分類が異なります」

 

 短い沈黙の後、咲夜の声が入った。

 

『クレイス』

 

「はい、メイド長」

 

『状況を報告しなさい』

 

「地下区画は健在です。中央制御室、フラン様の部屋、主要配管一部、生存しています」

 

『フラン様は?』

 

「中央制御室にいます。現場確認に同行予定です」

 

『瓦礫に触れないよう伝えて』

 

「伝達済みです」

 

 フランが受話器へ口を寄せた。

 

「咲夜、上なくなったの?」

 

『なくなりました』

 

「本当に?」

 

『本当に』

 

「新人の妖精メイド、泣いてる?」

 

『泣いている者、固まっている者、掃除道具を持ったまま空を見ている者がいます』

 

「古い子たちは?」

 

『あーまたか、という顔をしています』

 

「やっぱり」

 

『やっぱりではありません』

 

 回線の向こうで、美鈴の声が聞こえた。

 

『咲夜さん! 門は残ってます!』

 

『門だけ!?』

 

『はい! 門と私だけ、妙に無事です!』

 

『それはそれで腹立つわね!』

 

 レミリアの声だった。

 

 そのすぐ後ろで、妖精メイドの新人らしい声が震えている。

 

『お、お嬢様、これは異変ですか?』

 

『違うわ! よくある館内事故よ!』

 

『館内がありません!』

 

『言わないで!』

 

 フランは少し笑った。

 

「お姉様、元気ね」

 

「音声上、怒気を確認しています」

 

「いつも通りね」

 

「はい」

 

 咲夜の声が戻る。

 

『クレイス。地上へ出て、被害確認。配管、電気、換気、隔壁を優先しなさい』

 

「了解しました」

 

『フラン様は同行しても構いません。ただし、瓦礫を増やさないこと』

 

「伝達します」

 

 フランが少しむっとする。

 

「増やさないわよ」

 

『フラン様』

 

「何?」

 

『壊していい瓦礫と、壊してはいけない瓦礫があります』

 

「壊していい方はあるのね」

 

『後でクレイスに分類させます』

 

「分かった」

 

 クレイスは受話器へ向き直る。

 

「初期分類では、核実験級事象です」

 

『違います』

 

 咲夜の返事は早かった。

 

「観測値は一致しています」

 

『一致させないで』

 

 その奥からレミリアの声が割り込む。

 

『クレイス! パチェの暖房実験よ!』

 

「威力が一致しません」

 

『そこを一致させなくていいのよ!』

 

 さらに別の声が聞こえた。

 

 咳き込みながら、少し低い声。

 

『むきゅ……理論上は、館内の熱を循環させるだけだったの』

 

『理論上で館を飛ばさないでください、パチュリー様!』

 

 小悪魔の声も混じる。

 

『実験記録は無事です!』

 

『館より先に記録を確認しないで!』

 

 レミリアの叫びが、冬空に散った。

 

 クレイスは数秒、受話器を見た。

 

「状況を把握しました」

 

『把握しないで助けに来なさい!』

 

「了解しました」

 

 クレイスは受話器を戻した。

 

 技術保守日誌を開く。

 

> ЖУРНАЛ ТЕХНИЧЕСКОГО ОБСЛУЖИВАНИЯ

> 技術保守日誌

>

> ИНЦИДЕНТ:НЕЗАЯВЛЕННОЕ ЯДЕРНОЕ ИСПЫТАНИЕ

> 事案:未申告核実験

>

> 修正候補:パチュリー様による暖房魔法実験失敗

 

 フランが横から覗き込んだ。

 

「未申告って、申告したらいいの?」

 

「いいえ」

 

「じゃあ、申告済み核実験もだめ?」

 

「だめです」

 

「パチュリー、だめね」

 

「初期分類です」

 

 クレイスは筆を止めた。

 

 少し考え、最初の行へ二重線を引く。

 

> ИНЦИДЕНТ:МАГИЧЕСКИЙ ТЕПЛОВОЙ ЭКСПЕРИМЕНТ

> 事案:魔法熱循環実験

>

> 備考:観測値は核実験級

 

「核って残した」

 

 フランが言う。

 

「観測値です」

 

「咲夜に怒られるわよ」

 

「記録上必要です」

 

「お姉様にも怒られるわよ」

 

「可能性があります」

 

 クレイスは日誌を閉じた。

 

 フランはもう扉の方へ歩いている。

 

「フラン様」

 

「何?」

 

「先行しないでください」

 

「危ないから?」

 

「状況記録より先に瓦礫が移動すると、崩壊方向の判定精度が下がります」

 

「つまり?」

 

「現場を荒らさないでください」

 

「最初からそう言えばいいのに」

 

「了解しました。現場を荒らさないでください」

 

「それも少し失礼ね」

 

 クレイスは工具箱を持ち、中央制御室の扉へ向かった。

 

 重い鉄扉が開く。

 

 その先には、本来あるはずの地下廊下が途中で途切れていた。

 

 代わりに、冬空があった。

 

 雪が降っている。

 

 紅魔館は、地下室を残して上だけ消えていた。

 

 フランは扉の外へ一歩出て、消えた紅魔館を見上げる。

 

「本当に空だ」

 

「はい」

 

「地下なのに」

 

「はい」

 

「お姉様、すごく怒るわね」

 

「はい」

 

 瓦礫の向こうで、レミリアがマントを押さえて立っていた。

 

 服には煤。

 

 髪には雪。

 

 足元には、半分だけ残った椅子。

 

 その隣で咲夜が無表情のまま、妖精メイドたちを整列させている。

 

 古参の妖精メイドたちは慣れた顔で箒を握っていた。

 

 新人らしい妖精メイドたちは、箒を抱えたまま震えている。

 

「壁って、どこから掃けばいいんですか?」

 

「壁は掃かなくていいわ。今は存在しないから」

 

「存在しない壁の担当は誰ですか?」

 

「担当を作らないで」

 

 美鈴は門の方から走ってきた。

 

「お嬢様! 門は無事です!」

 

「館がないのに門だけ残ってどうするのよ!」

 

「守る場所が減りました!」

 

「前向きに言わない!」

 

 少し離れた雪の上に、パチュリーが座っていた。

 

 煤まみれの帽子。

 

 片手には焦げた魔導書。

 

 もう片方には、無事だったらしい実験記録。

 

 小悪魔がその横で、慌てて毛布をかけている。

 

「パチュリー様、動かないでください」

 

「動いていないわ」

 

「反省は?」

 

「しているわ」

 

「本当ですか?」

 

「理論式は反省している」

 

「本人もしてください」

 

 クレイスは瓦礫を踏まないように進み、パチュリーの前で止まった。

 

 赤い×印が、淡く光る。

 

「パチュリー様」

 

「何かしら」

 

「今のは核実験でしょうか?」

 

 その場が止まった。

 

 レミリアが叫ぶ。

 

「本人に聞くな!」

 

 パチュリーは煤を払った。

 

「違うわ。暖房実験よ」

 

「観測値は核実験級です」

 

「魔法よ」

 

「衝撃波、熱線相当反応、電磁擾乱、上部構造喪失を確認しています」

 

「魔法よ」

 

「地下直上での高出力実験です」

 

「暖房よ」

 

「暖房の出力ではありません」

 

 レミリアが両手を広げる。

 

「そうよ! 暖房で館を消すなって話をしてるのよ!」

 

 パチュリーは少しだけ目をそらした。

 

「理論上は、暖房費が三割下がる予定だったの」

 

 咲夜が静かに言う。

 

「復旧費は何割上がりますか」

 

 誰も答えなかった。

 

 そこへ、上空から魔理沙とアリスが降りてきた。

 

 魔理沙は箒から降りるなり、瓦礫の山と地下へ続く穴を見比べた。

 

「……返却先、半分残ってるな」

 

 咲夜が魔理沙を見る。

 

「何を返却する予定だったの?」

 

 魔理沙は一瞬だけ黙った。

 

「今それ聞くか?」

 

「今だから聞いているのよ」

 

 クレイスも魔理沙を見る。

 

「魔理沙さん」

 

「なんだ?」

 

「Globusの所在を確認します」

 

「私の家の机の上だ」

 

「未返却です」

 

「爆発してる場所に抱えて来るのは追加事故だってアリスが言った」

 

 アリスが頷く。

 

「それは事実よ」

 

 上海人形が小さな紙片を掲げる。

 

> 後で返却

 

「シャンハーイ」

 

 蓬莱人形も掲げる。

 

> 紅魔館確認後

 

「ホーライ」

 

 クレイスは数秒考えた。

 

「状況により、返却延期を一時承認します」

 

「こんな時でも承認が必要なのかよ」

 

「記録上必要です」

 

 レミリアが瓦礫の上で叫んだ。

 

「今は灰色の地球儀より館を見なさい!」

 

「了解しました」

 

 新人の妖精メイドが、小さく手を挙げる。

 

「あの……今日の掃除は、どこから……?」

 

 古参の妖精メイドが肩を叩いた。

 

「まず、空を見ないことからよ」

 

「空があります」

 

「慣れるわ」

 

「慣れたくないです」

 

 フランは瓦礫の横にしゃがみ、半分だけ残った椅子を見ていた。

 

「これ、壊していい?」

 

「だめです」

 

 クレイスが即答する。

 

「もう壊れてるわ」

 

「証拠物件です」

 

「つまらない」

 

「復旧後に、不要瓦礫の破砕作業を依頼する可能性があります」

 

 フランの目が少し明るくなる。

 

「本当?」

 

「分類後です」

 

「じゃあ、早く分類して」

 

「了解しました」

 

 クレイスは工具箱を雪の上に置いた。

 

 紅魔館の地上部分は、冬空の下でほぼ消えていた。

 

 古参の妖精メイドは「あーまたか」という顔で箒を持ち、新人の妖精メイドは世界の終わりみたいな顔で箒を持っている。

 

 レミリアは怒っている。

 

 咲夜は復旧手順を組み始めている。

 

 パチュリーは暖房実験だったと主張している。

 

 魔理沙は返却先の生存を確認している。

 

 アリスと人形たちは、返却予定を記録している。

 

 フランは、壊していい瓦礫の分類を待っている。

 

 クレイスは、記録上の分類を二つ追加した。

 

> 備考:パチュリー様は核実験を否定。暖房実験と主張。

> 追記:Globus返却は紅魔館上部構造喪失により延期。

 

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