名前だけは、やけに立派だった。
二階建ての灰色い仮設棟で、外から見ればどう見ても急ごしらえの住まいである。
しかし妖精メイドたちは、その名前を妙に気に入っていた。
「二号棟って、なんかかっこよくない?」
「分かる。秘密基地っぽい」
「一号棟は地下なんでしょ?」
「じゃあ、こっちは地上基地?」
「違います」
通りかかったクレイスが言った。
「仮設居住棟です」
「でも二号棟って響きがいいんだよ」
「名称と構造強度は関係ありません」
「クレイス、そういうとこだよ」
「そういうところ、とは」
「夢がないってこと」
「建築物に必要なのは、夢ではなく強度、断熱、給水、排水、換気です」
「正しいけど、つまんない」
窓の外から、チルノが顔を出した。
「あたいも二号棟って名前、好きだよ!」
「チルノちゃん、窓から入らないで」
大妖精が下から止める。
「だって二号棟だよ? 一号より強そうじゃん!」
「数字上は後続です」
「後から出る方が強いの!」
「根拠不明です」
「でも強そう!」
仮設紅魔館二号棟は、名前だけなら強かった。
ただし、実際の建物はかなり薄かった。
壁が薄い。
床も薄い。
天井も薄い。
そのせいで、秘密まで薄くなった。
二階の仮設当主室でレミリアが小さくため息をつくと、一階の妖精メイド仮眠室から声がした。
「お嬢様、ため息ついた」
「聞こえているわよ!」
レミリアが言い返す。
「怒った」
「聞こえていると言っているでしょう!」
怒れば、さらに全棟に響く。
つまり、黙っていても聞こえるし、怒っても聞こえる。
この建物は住めた。
ただし、住んでいることを全員が知りすぎた。
◇
二階の仮設書庫では、パチュリーが本を開いていた。
開いてはいた。
読めているとは言っていない。
一階から妖精メイドの雑談が聞こえる。
「二号棟って、やっぱ名前だけなら強いよね」
「名前だけならね」
「でも外から見ると団地」
「それ言ったらお嬢様に怒られるやつ」
「聞こえてるかもよ」
「やば」
隣では、小悪魔が薬瓶を棚に置いた。
ことり。
いつもなら気にもならない音だった。
だが、仮設棟の壁は律儀だった。
小さな音まで、きっちり届けてくる。
廊下からは咲夜の足音。
咲夜本人は静かに歩いているつもりでも、床の方にその気がない。
こつん。
こつん。
外からは美鈴の声も届く。
「異常なしです!」
パチュリーは本を閉じた。
「むきゅ……壁が薄いわ」
「パチュリー様、大丈夫ですか?」
小悪魔が近づく。
「大丈夫ではないわ。妖精メイドの雑談、あなたの薬瓶、咲夜の足音、美鈴の声。全部この部屋にいるみたいに聞こえる」
「すみません。薬瓶は静かに置いたつもりでした」
「気遣いの音まで聞こえるのよ」
「気遣いの音……」
小悪魔は薬瓶を持ち上げ、今度はさらに静かに置いた。
ほとんど音はしなかった。
それでも、パチュリーは眉を寄せた。
「今のも聞こえたわ」
「もう浮かせるしかありませんね」
「私が地上を吹き飛ばしたせいで、薬瓶まで浮かせることになるのね」
「自分で言うと重いですね」
「原因が重いのよ」
その時、一階から元気な声が響いた。
「しりとりしよう!」
パチュリーは目を閉じた。
「始まったわ」
◇
一階廊下では、妖精メイドたちがしりとりを始めていた。
仮設暮らしは狭い。
狭いと、なぜか遊びが廊下に出てくる。
そして廊下に出た遊びは、だいたい誰かの邪魔になる。
「りんご」
「ごりら」
「らっぱ」
「パチュリー様」
「それ、りじゃないよ」
「様を取ればパチュリーで、り!」
「いや強引」
「じゃあ、りんご!」
「戻るな!」
そこへ、クレイスが工具箱を持って通りかかった。
現在、彼は二号棟の配線を確認している最中だった。
「クレイスもやろうよ」
「現在、業務中です」
「作業しながらでいいよ」
「しりとりへの参加理由を確認できません」
「二号棟にいるから」
「僕は地下中央制御室の住人です」
「でも今は二号棟で仕事してるじゃん」
「それは事実です」
「じゃあ参加」
「論理に飛躍があります」
「いいから参加!」
妖精メイドたちは、こういう時だけやたら押しが強い。
クレイスは数秒黙った。
「作業継続に支障が出ない範囲で参加します」
「やった!」
「じゃあ、りから!」
クレイスは配線箱を開けながら答えた。
「リレーシーケンス回路」
廊下が静かになった。
「……ろ?」
「ろ、だよね?」
「回路だから、ろ」
「最初からそれ出す?」
「工事中の人を混ぜたらこうなるんだよ」
クレイスは端子を確認した。
「回答条件は満たしています」
「満たしてるけど、かわいくない」
「しりとりに可愛さの条件は設定されていません」
「あるよ、気持ちの中に」
「確認不能です」
「だめだ、強い」
妖精メイドの一人が続けた。
「ろ……ロールケーキ!」
「き!」
チルノが窓枠に腰かけたまま叫ぶ。
「き……きつね!」
「ね、だよ」
「じゃあ、ね!」
別の妖精メイドが続ける。
「ね……ねこ!」
「こ!」
チルノが得意げに胸を張った。
「こおり!」
「また氷だ」
「チルノちゃん、それ好きだね」
「最強だからね!」
「り、だよ」
クレイスは端子を締めた。
「リチウム金属電池」
「ち?」
「最後、ち?」
「電池だから、ち!」
「正式名称で来た!」
「略称は使用していません」
「しりとりでそこ気にする人、初めて見た」
妖精メイドの一人が慌てて続ける。
「ち……チーズケーキ!」
「き!」
「金魚!」
「よ」
クレイスは配線の束を整えながら答えた。
「ヨウ化カリウム水溶液」
「き?」
「液だから、き?」
「長いのに、き!」
「薬品名じゃん!」
「薬品名ではなく、物質名と状態を含む表現です」
「そこまで言わなくていい!」
チルノが腕を組んだ。
「き……きらきら氷!」
「それ、あり?」
「あり! 綺麗だから!」
「まあチルノちゃんだし」
「り、でいいよね」
「いい!」
クレイスは工具の先を確認した。
「リレー接点保護用スナバ回路」
「また回路!」
「ろ!」
「ろ……ロープ!」
「ぷ!」
クレイスは一拍置いた。
「プルトニウム二三九」
「う?」
「きゅうだから、う?」
「数字まで入れてきた」
「同位体の区別は必要です」
「しりとりではいらない!」
その声は薄い壁を抜けて、二階の仮設書庫まで届いた。
パチュリーは机に額をつける。
「むきゅ……しりとりの語彙が研究所なのだけれど」
小悪魔が水を差し出した。
「少し休みましょう」
「休みたいけれど、プルトニウム二三九が壁を抜けてくるわ」
「壁の意味がありませんね」
「ないわ。あれは壁ではなく、板のふりをした伝声管よ」
一階では、しりとりが続いていた。
「う……うさぎ!」
「ぎ!」
「銀時計!」
「い」
クレイスが答える。
「イオン交換樹脂膜」
「く?」
「膜だから、く!」
「樹脂だけじゃなくて膜まで付いた!」
「正式名称に近い表現を選択しました」
「近いだけでも長い!」
「く……くつした!」
「た!」
クレイスは配線箱の奥を覗き込む。
「炭化ケイ素セラミック」
「く!」
「また、く!」
「素材っぽい!」
「素材です」
「説明しなくていい!」
「く……くま!」
「ま」
「マヤーク化学コンビナート」
「と!」
「施設名が強くなった!」
「正式名称に近づけました」
「近づけなくていい!」
妖精メイドの一人が続ける。
「と……時計!」
「い!」
クレイスは作業灯の角度を調整しながら答えた。
「一九五三年式軍用電話交換機」
「き!」
「古い!」
「何それ!」
「電話交換機です」
「名前で分かるけど、分からない!」
廊下の向こうから、咲夜の足音が近づいた。
妖精メイドたちは一瞬で気づく。
「咲夜さん来た」
「今の足音、怒ってる?」
「普通じゃない?」
「普通であれなんだよ」
咲夜が現れた。
「聞こえているわ」
全員が黙った。
チルノだけが首をかしげる。
「咲夜もやる?」
「やらない」
「見てるだけでもいいよ」
「見ない。通行の邪魔よ」
その時、別の妖精メイドが手を挙げた。
「きゅうよ!」
全員が止まった。
「給与?」
「うん、給与」
「なんで急に?」
「欲しいから」
「切実」
咲夜がその妖精メイドを見た。
「今のは、しりとりの回答です」
「はい」
「帳簿とは別件よ」
「はい……」
妖精メイドたちは、すぐにクレイスを見た。
「よ、だよ」
「クレイス、よ」
「次で負けたら作業に戻れるよ」
「敗北を目的とした参加は非合理です」
「でも、よ!」
クレイスは数秒沈黙した。
黒い虹彩に刻まれた赤い×印が、淡く光る。
「ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン」
廊下が止まった。
チルノが一拍遅れて叫ぶ。
「ン!」
妖精メイドたちも続く。
「ンついた!」
「負け!」
「スターリンの正式名称で負けた!」
「やっぱりスターリンだった!」
「正式名称で自滅した!」
クレイスは静かに頷いた。
「敗北を確認しました」
「自分で確認した!」
「回答末尾がンであるため、しりとり規則上の敗北です」
「そこまで律儀にしなくていいのに!」
「略称は使用していません」
「そこが敗因だよ!」
咲夜はこめかみを押さえた。
「クレイス」
「はい、メイド長」
「作業に戻りなさい」
「了解しました」
「それと、廊下でスターリンの正式名称を出さない」
「しりとり上の選択です」
「なおさら出さない」
「了解しました」
しかし、妖精メイドたちはもう別の方向へ走り出していた。
「スターリンってことは」
一人が言った。
「髭のお嬢様」
別の妖精メイドが、はっとする。
「あったね」
「氷像のやつ」
「後ろ姿はお嬢様だったやつ」
「正面から見るとスターリンだったやつ」
「やめなさい」
咲夜が低い声で言った。
しかし、もう遅かった。
妖精メイドたちの記憶の引き出しは開いてしまった。
しかも仮設紅魔館二号棟の廊下で。
最悪の場所だった。
「レミリア・ヴィッサリオノヴィチ・スカーレット書記長」
一人が言った。
全員が一瞬黙る。
そして、笑った。
「やめなさい」
咲夜がもう一度言った。
「レミリア・ヴィッサリオノヴィチ・スカーレット書記長!」
「長い!」
「でも強そう!」
「二号棟っぽい!」
「書記長っぽい!」
「ぽくありません」
クレイスは配線箱の蓋を閉じながら言った。
「お嬢様は書記長ではありません」
「じゃあ何?」
「紅魔館当主です」
「レミリア・ヴィッサリオノヴィチ・スカーレット当主?」
「ヴィッサリオノヴィチは不要です」
「でも一回つけるとかっこいい」
「名称の正確性が低下します」
「名前だけ強いから二号棟と同じだね」
「関連性を確認できません」
二階からレミリアの声が響いた。
「誰が書記長よ!」
全員が上を見た。
薄い床は、今日も仕事をしなかった。
「聞こえているわよ!」
妖精メイドの一人が小声で言う。
「書記長にも聞こえてた」
「聞こえていると言っているでしょう!」
咲夜は額に手を当てた。
「あなたたち」
「はい」
「その呼称は今後禁止」
「どれですか?」
「レミリア・ヴィッサリオノヴィチ・スカーレット書記長よ」
言った瞬間、廊下の空気が変わった。
妖精メイドたちの目が、ぱっと明るくなる。
「咲夜さんも言った!」
「言った!」
「公式?」
「公式ではない」
「でも咲夜さんが全文言った!」
「禁止対象を確認しただけよ」
「確認のために言った!」
「一番きれいに言った!」
咲夜は一秒だけ黙った。
その一秒は、彼女にしては珍しい失敗の時間だった。
「……今の発言も含めて禁止」
「含めるんだ」
「含める。看板に入れない。日誌にも残さない。口頭でも禁止。分かったら散りなさい」
「はい……」
妖精メイドたちは名残惜しそうに散ろうとした。
その直前、一人が小声で言う。
「でも、咲夜さんが言った版、発音よかったね」
「聞こえているわ」
咲夜が即座に言った。
妖精メイドたちは背筋を伸ばした。
仮設書庫では、パチュリーが咳き込みながら本を閉じる。
「むきゅ……廊下でスターリン氷像が再放送されているわ」
小悪魔が水を差し出す。
「パチュリー様、休みましょう」
「休みたいけれど、書記長が壁を抜けてくる」
「その言い方は怖いです」
廊下では、クレイスが小さな作業記録紙へ書いていた。
> ЖУРНАЛ РАБОТЫ
> 作業記録
>
> МЕСТО:ВРЕМЕННЫЙ КОРПУС №2
> 場所:仮設紅魔館二号棟
>
> РАБОТА:ПРОВЕРКА ПРОВОДКИ
> 作業:配線確認
>
> ПОМЕХА:НЕОФИЦИАЛЬНАЯ ИГРА В СИРИТОРИ
> 障害:非公式しりとり
>
> РЕЗУЛЬТАТ ИГРЫ:ПОРАЖЕНИЕ
> 遊戯結果:敗北
>
> ПРИЧИНА:ИОСИФ ВИССАРИОНОВИЧ СТАЛИН
> 原因:ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン
>
> ДОПОЛНИТЕЛЬНОЕ НАРУШЕНИЕ:НЕСАНКЦИОНИРОВАННОЕ ПРИСВОЕНИЕ ГОСПОЖЕ ТИТУЛА ГЕНЕРАЛЬНОГО СЕКРЕТАРЯ
> 追加事案:お嬢様への書記長称号の無許可付与
>
> МЕРЫ:УСТНОЕ ЗАПРЕЩЕНИЕ СО СТОРОНЫ МЕЙД-НАЧАЛЬНИКА
> 対応:メイド長による口頭禁止
>
> ПРИМЕЧАНИЕ:ЗВУКОИЗОЛЯЦИЯ ПО-ПРЕЖНЕМУ НЕДОСТАТОЧНА
> 備考:防音性能は依然として不足
咲夜が紙を覗き込む。
「……日誌にも残さないと言ったのだけれど」
「これは技術保守日誌ではなく、作業記録です」
「そういう逃げ方をしない」
「了解しました」
「消しなさい」
「了解しました」
クレイスは紙に二重線を引いた。
ただし、完全には消えなかった。
ボールペンというものは、時にしつこい。
二階からレミリアの声がした。
「咲夜! そこに何と書いてあるの!?」
咲夜は一瞬だけ目を閉じた。
「何も問題ありません、お嬢様」
「今の間は何よ!」
妖精メイドたちは口を押さえて笑っていた。
チルノは首をかしげる。
「結局、書記長って強いの?」
「もうその話は終わり」
咲夜が言った。
クレイスは工具箱を持ち上げる。
「配線確認は完了しました」
「防音は?」
咲夜が聞く。
「不足しています」
「見れば分かるわ」
「聞けば分かります」
咲夜は何も言わなかった。
その答えは、少しだけ正確すぎた。
騒ぎが一段落した頃。
仮設紅魔館二号棟の一階廊下では、クレイスと咲夜が並んで作業していた。
咲夜は薄い壁に貼られた注意書きを張り替えている。
> 夜間大声禁止
> 廊下での遊戯禁止
> お嬢様への妙な称号付与禁止
> 作業中の者をしりとりに巻き込まないこと
クレイスはその横で、配線箱の蓋を閉じ、工具の位置を戻していた。
白い髪。
黒い執事服。
無表情な横顔。
赤い×印の入った黒い瞳。
クレイスは、どこか古い計算機のようだった。
一九七〇年代製の白い筐体の、ニキシー管で数字を灯す計算機。
冷たく、正確で、少し時代からずれている。
その隣に立つ咲夜は、銀髪を揺らしながら紙を貼り直していた。
白と青のメイド服。
隙のない所作。
指先の動きは、銀色の懐中時計の針のようだった。
静かで、鋭く、時間を刻む。
その二人が並んでいると、妙に似合っていた。
似ているわけではない。
だが、どちらも紅魔館の時間と設備を動かしている。
片方は時計。
片方は計算機。
銀色の懐中時計と、白いニキシー管計算機。
そんな二つが同じ廊下で、当たり前のように業務をしていた。
妖精メイドたちは、少し離れたところからそれを見ていた。
「……なんか姉弟みたい」
一人が小声で言った。
「分かる」
「咲夜さんがお姉さんで、クレイスが弟?」
「でもクレイスの方が古い機械っぽいよ」
「じゃあ古い弟?」
「何それ」
咲夜の手が止まった。
「聞こえているわ」
妖精メイドたちは背筋を伸ばした。
「はい」
「業務中の者を勝手に姉弟扱いしない」
「はい……」
クレイスは工具箱を閉じた。
「血縁関係はありません」
「そういう意味じゃないよ」
「では、比喩表現と判断します」
「判断された」
その時、階段の上から足音がした。
軽い足音だった。
しかし、仮設棟の階段は遠慮というものを知らない。
こつん、こつん、と全員に聞こえる。
レミリアが二階から降りてきた。
「さっきから何の話をしているのよ」
レミリアは階段の途中で止まった。
そして、一階廊下に並ぶ咲夜とクレイスを見た。
咲夜は注意書きを持ったまま。
クレイスは工具箱を持ったまま。
銀髪のメイド長と、白髪の少年従者。
片方は銀色の懐中時計。
片方は白いニキシー管計算機。
レミリアは数秒、二人を見比べた。
「……姉弟」
妖精メイドたちが一斉に反応した。
「お嬢様も言った!」
「言った!」
「公認?」
「公認じゃないわよ!」
レミリアは慌てて言い返した。
「今のは、そう見えなくもないという観察であって、認定ではないわ!」
「観察された」
「認定じゃない!」
咲夜は少しだけ困った顔をした。
「お嬢様まで乗らないでください」
「乗ってないわ」
クレイスは淡々と答えた。
「お嬢様による比喩表現を確認しました」
「確認しないで!」
「記録しますか」
「するな!」
「了解しました」
妖精メイドの一人が小声で言う。
「でも、咲夜さんとクレイスって、並ぶと色が似てるよね」
「銀と白」
「時計と計算機」
「姉と弟」
「だから違う!」
「違うわ!」
「血縁関係はありません」
レミリア、咲夜、クレイスの三人の声が、ほぼ同時に重なった。
その響きは、薄い壁を抜けて仮設棟の反対側まで届いた。
仮設書庫のパチュリーが、本を閉じる。
「むきゅ……今度は家族構成の話?」
小悪魔がそっと窓を閉めた。
「閉めても聞こえますね」
「壁が負けているわ」
一階廊下では、咲夜が最後の注意書きを壁に貼った。
> 私語は小声で行うこと
その注意書き自体が、全員に大声で読まれているような状況だった。
レミリアは階段を降りきり、二人の前に立つ。
「いい? 咲夜は咲夜。クレイスはクレイス。姉弟ではないわ」
「はい」
妖精メイドたちは返事をした。
「でも、並ぶと」
「でもを付けるな!」
クレイスは作業記録用の紙を取り出した。
咲夜が横目で見る。
「クレイス」
「はい、メイド長」
「書かないで」
「了解しました」
「本当に?」
「追加観察としては記録可能ですが、お嬢様の命令により保留します」
「保留もやめなさい」
「了解しました。破棄します」
クレイスは紙を畳まず、そのまま工具箱へ戻した。
レミリアはため息をついた。
「この仮設棟、壁だけじゃなくて秘密まで薄いのね」
「お嬢様」
咲夜が静かに言う。
「それは事実です」
「事実が一番腹立つわ」
妖精メイドたちは笑いをこらえていた。
クレイスは配線箱の最終確認を終え、工具箱を持ち上げる。
「配線確認完了。仮設紅魔館二号棟、照明系統は正常です」
「防音は?」
レミリアが聞いた。
「不足しています」
「知ってるわよ!」
その声は、二号棟全体に響いた。
また誰かが小さく笑った。
レミリアは階段の方へ戻りかけ、もう一度だけ咲夜とクレイスを見た。
「……まあ、仕事ぶりだけなら少し似ているかもしれないわね」
「お嬢様」
咲夜が言う。
「そこを認めると、また広がります」
「分かっているわ」
レミリアは少しだけ悔しそうに目をそらした。
「だから今のは聞かなかったことにしなさい」
妖精メイドたちは一斉に頷いた。
もちろん、全員聞いていた。
仮設紅魔館二号棟の夜は、まだ薄かった。
壁も、秘密も、だいたい薄かった。