アリスの名言コーナーにしようかな。
01
夢だ。
記録の中に入り込んでくるような。
意味を為さない夢。
夢の中で自分はある荒野に立っていた。
荒野には無造作に突き立てられた無数の剣。
遠くに見える人影に手を伸ばそうとした時。
目が覚めた。
重い瞼を開けると、見慣れた日本家屋の天井。
体を起き上がらせようとすると、ずきんと頭が痛む。二日酔いになった時の頭痛、というものと似ているこれは、魔力を全力で使い使い切った時の症状。この頃は夜中に出歩いても、魔法少女となることが極端に減っていたため、この感覚は久しぶりだ。
こめかみを押さえながらやっとのことで起き上がると、自分の布団の横にちょこんと座っている金髪の少女の姿があった。
「おはようございます、シロウ」
「お、おはよう。セイバー」
セイバーを見た瞬間に、昨日の記憶が甦る。学校で戦い、家に帰ってセイバーを召喚し、遠坂がなんやかんや説明してくれて、教会に行って。そして、そこで別れてから俺は……。
「そうだ、もう一回変身して……それで」
巨大な肉ダルマに向けて魔術を放ったまでは覚えている。恐らくその後魔力切れで気を失ったのだろう。それにしても、妙に体が重い。いくら無茶をしたといってもここまで体力が回復していないのは珍しい。両手を大きく真上に上げて伸びをする。
「シロウの傷を治し、ここまで運んだのはリンです」
「遠坂が……そっか。お礼言わなきゃだな。それにしても、俺そんなにひどい傷負ったっけ?」
ランサーとの戦闘で負った傷はそこまで大騒ぎをするほどのものでは無かった。そうなると、筋肉ダルマと戦った時かと考えるが、自分が覚えている限りそこまでひどいことをされてはいないはず。ふむ、と考えている士郎にセイバーが言う。
「それは……その。シロウが気を失った後、ルビーが少し……」
歯切れの悪い返答を聞き、士郎は五芒星をつけステッキの存在を思い出す。首をかしげるように、ステッキの上部を動かして謝る彼女の姿が目に浮かぶ。そうか、あいつのせいか……。
「あの腹黒ステッキ……」
自由気ままに衛宮邸をうろうろとしているであろうルビーを思って嘆息する。見つけたらすぐに、事のあらましを語らせなければと思い、布団を体から除けた。布団の中で温められていた空気が逃げ、冬のしんとした冷たさを体全体で感じる。士郎が立ちあがろうとした時、セイバーが声を掛けた。
「シロウ、一つあなたに言っておきたいことがあります」
引き締まった声を聞き、自然と姿勢が伸びる。続きを促すようにセイバーを見ると、彼女は落ち着き払った声で続ける。
「……バーサーカーと対峙した時のあなたの行動です。私やリンだけで倒すことが出来なかったのは明白です。そして、あなたにはバーサーカーを倒す力があった。それでも、マスターとしてあなたがサーヴァントである私に守られる立場である、ということを分かって貰いたいのです」
「私を、守ってくれる……?」
思いもよらぬ言葉だった。
聖杯戦争の説明を受けた時に、凛かサーヴァントは人間を遥かに超えた存在であると聞いていた。それを考えると、人間である自分が昨日のように一人で立ち向かう、という行為はもっと責められるものだと思っていた。ぎゅっと胸の前で手を握りしめ、少し気恥ずかしそうに士郎はセイバーを見た。
「ありがとう、セイバー。すごく、嬉しい。でも、俺は守られるよりも守る方が似合ってる気がする。でもこれからは、昨日みたいな無茶は、あんまりしないようにするよ」
彼女の返答に少し不満は残るが、まぁ妥協点だというようにセイバーは頷く。もう一つ、とセイバーはさらに言葉を続ける。
「私とシロウの間には、僅かながらパスがつながっています。ですが、変則的な召喚でしたので、十分な魔力供給は望めません。ですので、食事による魔力供給をお願いしたいのです」
サーヴァントは魔力を動力源とする。その魔力はマスターから供給されるものであり、それが十分でないセイバーにとってみれば死活問題だ。魔力が足りなくなれば、現界することもままならなくなってしまうだろう。
「食事を作るのは、問題ない。呼び出しといて、魔力も十分にあげられないはずれのマスターでごめんな」
申し訳なさそうに眉を寄せて言う士郎。セイバーはゆっくりと首を横に振る。
「いえ、そのようなことは些細なことです。……シロウ、私は、バーサーカーと対峙し、臆することなく立ち向かったあなたを見て、無謀だとも思いましたがそれ以上にとても美しいと思いました」
張りつめた表情を見せていたセイバーは、そこでようやく微笑みを見せる。
「そんなあなたと共に戦えることを嬉しく思いはしますが、迷惑だとは思いません」
彼女の言葉が純粋に嬉しく、どきりと心臓が音を立てたのが分かった。
と、今まで違和感が無く気が付かなかったが、セイバーが昨日着ていた甲冑では無く、白いブラウスと青のスカートを着ていることに気が付く。そんなお嬢様風の服は、自分は持っていなかったはず、と士郎は考える。
「そういえばその服、どうしたんだ? 俺のじゃないよな」
「これは、リンから頂きました。その、シロウの服は……」
「?」
口ごもってしまったセイバーは、ごにょごにょと小さな声で言う。
「きょ、胸部が私には少し、合わないといいますか。大きすぎるといいますか。着ると、胸元が大変だらしなくなってしまいまして」
「……あぁ、そっか。うん分かった」
言いたいことを理解した。
じっとセイバーの胸元を見た後、自分のものに視線を落とす。うん、結構違うんだな。自分ではあまり気にしたことは無かったが、一回りくらい違う気がします。
「えっと、着替えるからセイバーは先に行っててくれ」
「はい」
若干顔の赤いセイバーは士郎に一礼すると、障子を開けて廊下に出ていった。
人の気配が減った自室は、沈黙に包まれる。自分が寝間着を着ていることを考えると、凛が着替えさせてくれたのだろう。寝間着を脱いで綺麗に畳む。箪笥から下着を出し、さっさと身に着ける。もう五年もこんなことをやっているのだ。手際よく済ませていく。
今日は休日のため、制服は着なくていい。さて、何を着たものかと少し考える。セイバーの格好を思い浮かべながら、服を手に取る。レモンイエローのニットワンピとインナーとしてシャツも引っ張り出した。セイバーのおしとやかな服と対照的な印象を受ける。髪は右側にゆるくまとめ、士郎は部屋の外に足を進めた。
「あら、おはよう。衛宮さん」
昨日聖杯戦争について話を聞いた時と同じように、凛は居間に座ってお茶を飲んでいた。
「おはよう、遠坂。えっと、昨日は……」
「しーろーうーさーーんっ!!」
凛の後ろからびょーんと飛んできたルビー。
「ぐほっ……」
彼女が士郎のみぞおちにすっぽりと入り、士郎は膝をつく。
「いや~一時はどうなるかと思いましたよ。うんうん、やっぱり士郎さん本体の魔力の量はカスですから、ちょっと多めにもらうとあのザマになっちゃうとは、難儀なことです」
「お前……本当になにやったんだよ」
ダメージから回復した士郎は自分からルビーを引きはがす。ぽいっと放り、前に座る凛に向き直った。
「遠坂、あらためてありがとう。色々助けてくれて、本当に感謝して……」
「礼なんて言わないで」
凛はぴしゃりと言い放つ。
「聖杯戦争は殺し合い。そう言ったわよね、何度も。私はあなたの敵よ」
「遠坂……」
士郎の声には答えず、凛はすっくと立ち上がる。
「寝込みを襲わなかったのは、フェアじゃないと思っただけ。あなたとは、魔術師として正々堂々と戦いたいから。じゃあね、衛宮さん」
士郎を学校で見ていた時とは違う、紛れもない魔術師の目で彼女を見据える。くるりと踵を返し、士郎に見向きもせずに凛はその場から立ち去って行った。
明らかなる拒絶を受け、士郎はしょんぼりと肩を落とす。
「うぅっ……遠坂にも嫌われたかな」
「まぁ、女性というものは自分の胸より大きい人間を見ると自然と敵対心を持つものですから。あまり気にやまずともいいですよ」
士郎さんの方が一回り大きいですし、といったルビーに全く信用していない視線を向けた。
「そうなのか?」
「知りませんけど」
いけしゃあしゃあと言い放ったルビーをむんずと掴み、畳に叩きつけた。士郎は一度大きく深呼吸をする。凛の反応は寂しいものがあったが、聖杯戦争というものが魔術同志の殺し合いだということを考えれば、自分に忠告をしてくれるだけ彼女は優しいのだと分かる。もし聖杯戦争が終わった後に彼女と友人のような関係になれたら。そんな先の未来を一瞬考え、すぐに振り払う。遠い未来よりも、まずは目先のことだ。
すぐさっき、セイバーに三食食事を頼むと言われたことを思い立ち上がる。冷蔵庫の中身を考えると焼き魚と味噌汁にサラダと簡単なものしか作れないが、急なことだしその分夕食を少し豪華にすることにする。
エプロンを付けて厨房に立ったことで、毎日の習慣を思い出す。
「ルビー、いつもの頼む」
衛宮邸には朝早くから後輩の桜や隣に住む大河が来るため、常に視覚誤認の魔術をルビーにかけてもらっている。土曜である今日は、朝早くから部活があるため二人とも来ないが、習慣のようなもので欠くことは違和感を感じるものだ。
畳にめりこんでいたルビーは士郎の元に浮遊していく。
「はいはい、しょうがないですね……あれ?」
了承してから5秒。首をかしげるように、ステッキの持ち手がくにゃりと曲がる。
「どうかしたか?」
「あれー、おかしいなぁ。なんだか、上手く術が使えません」
「……何ですと?」
ものすごく不穏な言葉が聞こえた。
「困りましたね、このままだと士郎さんはふっつーに女の子ですよ」
衝撃の事実に驚いていたのは士郎だけでは無い。居間のテーブルの前でじっと二人のやり取りを聞いていたセイバーだ。
「シロウは女性ではないのですか?!」
そういえば彼女に自分のことをまったく伝えていなかったと思い出す。
「あ、いや。見た目はそうなんだけど、えっと」
昨日凛に話した時のようにまた最初から話せばならないのか、と気が重くなっていると、ステッキがセイバーの前に現れた。
「何度も説明するのもアレなんで、かくかくしかじかつのしか、という訳なんですよ」
小説だからこそできる裏技を使って、ものの十字で事のあらましを伝える。
「な、そう、だったのですか……」
普通に驚いているセイバー。彼女は士郎の顔と胸を見比べてふむ、と考え込んでいる。
対照的にテンパっているのは士郎だ。
「ルビー、実にマズくないか。藤ねぇとか、桜とか。というか、学校とか。どうすればいいんだ?!」
血の気が引いて真っ青になっている。言い訳を考えようにも全く思い浮かばない。というか、性別の変化などどうやって言い訳することが出来ない気がする。あわあわとしていた士郎の頭をルビーは羽の部分でぺしりと叩いた。
「落ち着いてくださいまし、士郎さん。恐らく、セイバーさんと契約をしたことで、士郎さんは二重の契約をしていることになってるんです。セイバーさんとの魔力供給のラインが微妙にしか繋がってないのとか、私が第三者に向けての術を使えないのとかの訳はそこにあるんでしょう。どちらの契約も中途半端になってしまっているという訳です」
士郎にしっかりと触れたことで現状把握をする。
「どちらかに契約を集中させれば、恐らく問題はないでしょうね。例えば、昼間は私と契約を強めて女の子の体を隠し、夜はセイバーさんとの契約を強めて魔力の供給が少しでも出来るようにするとかですね」
「昼間は人目が付くから聖杯戦争も行われないし、それで行くか……」
げっそりとした様子で士郎は言う。自分とルビーだけで話していたことに気が付き、セイバーに視線を向ける。完全に納得していたようでは無かったが、セイバーは頷く。
「そうですね、昼間は危険が少ないですが、万が一ということを考え、常に行動を共にする必要があると思います」
彼女の常に、という言葉がどこまでなのだろうかと思った時。廊下にある電話が鳴り出した。
こんな時間に誰から、と思いながら士郎は廊下に出る。電話のディスプレイに表示された穂群原学園の文字。それを見て大体のことを察する。大方、朝から弓道場にこもっている奴からの電話だ。
今は女性の体で、当たり前だが声も変わっている。うかつに電話に出て「ねぇ、士郎。今日電話した時に出た女の子って誰?」なんて言われた日にはすごく困る。幸い、留守電の機能のスイッチは入っている。何コールか経った後「ただいま留守にしています」という電子音声が流れ始めた。
『あれー、留守電? でもいいや、しろーしろー、お姉ちゃんはね、今日も休日返上して弓道場にいるのよぅ。士郎のお弁当が食べたいなーということで、至急おいしいおいしいお弁当を持って、弓道場まで届けられたし!』
電話の相手は予想通りの女性、穂群原学園英語教師で士郎の家のお隣さんである藤村大河の物だった。