こほんと咳払いをして、士郎はギルガメッシュから視線を逸らしながら言う。
「セイバーなんて子、俺は知りません」
あくまでも知らんふりを続けるつもりの士郎。彼女の考えを分かり、ギルガメッシュは士郎に詰め寄った。
「シロウ、そこのステッキに向かってべらべらと、今、たった今話していただろう!」
「知らないものは知らない。ギル、俺は見回りで忙しいんだ。ご飯なら、明日の朝また来てくれ。正直、お前の相手を深夜にすると疲れるからヤダ」
しっし、と追い払うような仕種をする。犬や猫にするようなそれを自分にされて、ギルガメッシュのライフががんがんと削られていく。満タンの緑色から、すでに半分を切って黄色に入りかけていた。
「し、シロウ……見損なったぞ。我はいつも貴様に聞かせていたであろう。この地で出会った美しく、そして決して手にすることの無い正義と理想に憧れた騎士王。ふっ、王と呼ぶのもおこがましいが、あの女は……って聞けえ! せめて、我が話し終わってから立ち去れ!!」
彼が自分の話に酔っている隙を狙ってそろりと足を進めていたが、ばれてしまった。
かれこれ10分ほど、門の前で立ち往生だ。夜中にこれだけ騒いでしまうと、近所迷惑になる。それに、自分にはやることがあるのだ。ここであまり時間を食ってしまうのは、得策ではない。士郎はぐっと顔を近付け、ギルガメッシュの赤の瞳を覗き込んだ。
「ギルガメッシュ」
至近距離で交差する二つの瞳。互いの息が掛かるほど近い距離に立つ、一般人よりもかなり容姿が整った男女一組。甘えるように名を呼ぶ少女を、何も知らない人が見れば、恋人同士の逢瀬と勘違いするだろう。
だが、現実はそんなに甘くない。
「あんまりしつこいと、ホントに怒るからな?」
ばっさりと言葉の刃がギルガメッシュに一太刀浴びせた。少しばかり良い返事を期待しただけに、ダメージも大きい。何か言い返そうと口を開いたギルガメッシュを遮るように士郎は続ける。
「そもそも、ギルの言うセイバーさんとはどう考えても別人だし、会ってもがっかりするだけだと思う」
「がっかりなどするか! この十年間待ち続けたというのに」
「だから、十年間待ってたからこそ、違った時のがっかり感が……ってもういいや。俺はもう行くな」
彼の拘束が甘くなったことで、士郎は背を向けて足を進める。背中から、あーとかうーとか唸る声が聞こえていたが、諦めたように静かになった。そのことにほっとして、士郎が駆け出そうとした時。
「待て」
先ほどまでとは打って変わって、静かで冷ややかな声を投げかけられた。
「ギル、まだ何か俺に……」
いい加減にしろと言いたげに振り返った。そこには先ほどと同じように、ギルガメッシュが立っているはずだった。だが、黒い彼のライダースーツは、闇に溶けるように暗い。月に照らされた金の髪と、自分を見定めるようにして向けられた赤の目が恐ろしいくらい不気味に感じる。無意識にルビーを握る腕に力が入っていた。
「どこへ行く、こんな夜に。夜のこの街は危険だと言われなかったのか?」
確かに言われた。家から出れば、もう戦場だと。マスターとなった自分が、サーヴァントも連れずに歩いていれば、すぐさま殺されるだろう。
死にたくはない。
でも、この戦争が原因で傷つく人がいたとしたら?
そういう可能性がある限り、自分に、衛宮士郎に渡される選択肢は自ずと決まっている。
「知ってる。でも、俺に行かないっていう選択肢は無い」
その後に続く言葉。それを口にしようとすると、ギルガメッシュは忌々しそうに舌打ちをした。士郎を真っ直ぐに見据え、一言告げる。
「柳洞寺」
「?」
「貴様は新都に行こうとしていただろう? だが、新都に行くよりも、面白いものが見れるだろうな」
それは助言なのか、それとも忠告なのか。その判断は彼の声音からだけでは判断を下すことは出来なかった。闇に溶けるようにギルガメッシュの姿は消えていた。ほんの少し前の彼との会話が嘘だったかのように、住宅街は静寂を取り戻していた。
「柳洞寺……」
教会の近くでバーサーカーのマスターであるイリヤと対峙したため、今日も新都に向かおうと考えていた。ギルガメッシュの言った柳洞寺は、自分の級友の実家でもある。もしあの場所にサーヴァントがいるとすれば、彼に危害が加わることもあるかもしれない。
そう考えると、今日の行く先は決まった。
士郎の右手に収まっていたルビーは久方ぶりに彼女に問いかける。
「歩いていけば、結構な距離ですよね、柳洞寺って」
「うん」
「でも、飛んじゃえばすぐ着きますよね」
「……うん」
ここまで来ると、ルビーの言わんとすることがなんとなく分かってくる。だが同時に、何とかして避けたいとも思ってしまう。
ルビーにそんなことが通じる訳もなく、彼女はテンション高めに輝きだした。
「じゃあ、とりあえず一発、変身いっちゃいましょうか!!」
「やっぱりか……」
予想していた最悪な展開に重くため息をつく。これも、冬木の平和のため、柳洞寺にいる柳洞一成のためだと割り切る。そうでもしないと、やってられない。
ルビーを強く握りしめ、契約の一節を紡ぐ。
「
火花が弾けるように、士郎の周りが煌めきを放つ。光は帯となり、彼女の体を包んでいた。指先から、つま先へ。余すところなく光に包まれると、プレゼントのリボンを解くように、ゆっくりと光は士郎の体から解かれる。
フリルとリボンにまみれたドレスは相変わらず。ぴょこんと、彼女の頭に付くイヌ耳が存在を主張してみせた。
士郎はステッキを右手で持ち、空にかざす。某カードを集める魔法少女ものの漫画のように、ステッキの羽根の部分が大きくなることはなく、セルフでダッシュを始める。
「エミィ・フラーイ!!」
少しばかりダサい掛け声と共に、力強く地を蹴る。瞬間、士郎が地球の重力の法則の届かない場所に行ったかのように空へ翔ける。不可視の階段があるのかと錯覚するほど、滑らかに駆け上がっていた。
これも、自称天才ステッキのルビーの魔術だったりする。本人いわく、空を飛んでいるイメージを怠らなければ地面に叩きつけられることはないとのこと。一度、魔術の原理を聞こうとしたが、企業秘密だと言われた。原理を聞くと、飛べるイメージが出来なくなると言っていたが、本当かどうかは分からない。
そこそこの高度を保ちながら、士郎は道を走るように前へ進む。お山と称される、柳洞寺。歩けば1時間ほどかかりそうだが、空を駆ける士郎にはもうすぐ目の前に見えていた。長く続く石の階段。その前にすたりと地面に足をつけた。
「さすがです、士郎さん。あなたのその魔法少女の才能、惚れ惚れしちゃいますよ」
ルビーに褒められるが、あまり嬉しそうな顔はせずにスルーする。山門まで続く石段を見上げ、一歩踏み出した。一段、二段と上がっていく。半分ほど登ったところで、一度足を止める。
否、止めざるをえなかった。
「通りがかりにいきなり剣を向けるだなんて、物騒なのだわ」
右手のステッキは、それを受け止めていた。
「ほう、腰から下を切り捨てたつもりであったが。見かけによらず、かなりの手練れと見た」
士郎が防いだもの。月の光が照らす、一振りの日本刀。その柄を握る、和服の雅な青年。士郎は自分の後ろに立つ男を振り返りながら睨みつけた。
「女の子だって甘く見てると、痛い目見る……というか、痛い目見せてやるのだわ!」
片手で長刀を抑えるのはかなりの力を要するようで、彼女の手は僅かに痙攣していた。そんなことを気にさせないようなほど、彼女の男に向ける殺気は本物だった。それを翻すように和服の男は、ドレスをじっと見ながら言う。
「いや、おなごだからというよりも、その服が……」
服と言われ、士郎のこめかみに青筋が浮かぶ。
「シャーラップ! 自覚してることを、何度も言われるのは結構よ」
両手でルビーを掴み、男の剣を力一杯弾きかえす。数歩後ろに下がり、間合いを取った。距離にして10mほど。ステッキの先を男に突き付け、士郎は言い放つ。
「私は柳洞寺に用がある。そこをどいて、お侍さん」
「私はここの門番を言い遣わされていてな。おいそれと、仕事を放棄するわけにはいかなくてな。悪いがここを通りたくば、その力でもって行くといい」
通す気はない。
男から発せられる殺気は、より鮮明なものとなる。
「士郎さん、引きますか?」
「引かない。ギルの言ってたことも気になるし、それに」
風になびく長髪と羽織。それを目で追いながら、士郎は続けた。
「私の前に立ち塞がるものは、全て敵。冬木の平和を脅かす悪なのだわ。見過ごすわけには、いかない」
彼女の返答に、ルビーはやはりと心の中で声を漏らす。エミィとなった彼女は、普段の彼女よりずっと直情的で。目の前のことにしがみつく人間だ。
「あの方、引き分けることは簡単でしょうが、勝ちにいきますよね」
ルビーの確認に、無言で頷く。昼間、答えに揺れていた琥珀の瞳はそこには無い。自信に満ち溢れた、黄金の瞳。士郎は瞼を伏せながら、男へ声をかけた。
「この街の平和を守る、愛と正義の執行者。魔法少女マジカル☆エミィ。それが私。あなたを倒すのだわ!」
士郎が名乗りを上げたことで、男も静かに口を開く。
「アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎。いざ、参るーー」
次の瞬間、士郎のステッキとアサシンの刀。ふたつはぶつかり合い、火花を散らしていた。
じわりと汗が頬を伝う。
相手がアサシンのサーヴァントと名乗った時点。いや、こんな場所で和服のコスプレをして日本刀を構えていた時点でただならぬ気配というものを感じていた。彼の剣は、ルビーの力で動体視力を上げている士郎でも、目で追うのがやっとのもの。こちらから打撃でダメージを与えようとするが、流れるような剣さばきで上手くかわされてしまう。魔術を使おうにも、石の階段の上という不安定な場所で相手の隙をついて術を展開することは難しい。
あまり良くない戦況に、苦しそうに士郎は息を吐く。
「撤退しますか?」
明らかに不利な状況で戦い続けようとする彼女に、ルビーは変わり映えしない声で尋ねた。
「するわけ、ないっ……」
肩で息をしながら、士郎はアサシンを睨みつける。考えていたものと全く同じな主の反応に、やれやれとルビーは羽の部分を揺らした。アサシンは薄笑いを浮かべながら、次の行動を待っている。
アサシンと充分な距離を取っていることを確認し、ステッキを握り直す。
「
小規模な魔方陣がステッキの前に現れる。士郎がステッキを振り下ろすと、魔方陣から十発ほどの魔力の弾丸が打ち出される。拳銃から打たれたもののように、音速近くの速度でアサシンに襲いかかる。
アサシンとの距離は10m前後。打ち出された弾丸が届くまで、0.05秒とかからない。瞬きの後、そこには無残に霧散した魔力があった。
「さて、これで終わりか?」
声を掛けてきたアサシンの和服に乱れは無い。全てが当たるとは思っていなかったが、全て防がれるとも思っていなかった。圧倒的な人との差を見せつけられた気分だった。否、人かどうかでは無い、単純な士郎とアサシンの技量の差がそこにはあった。
これ以上の魔術を使うとなると、現在のアサシンとの間合いでは自分も被害を負うことになるものになってしまう。自分から仕掛けておいてカッコ悪いが、やはり離脱しかない、そう考えた時。
「よっ、嬢ちゃん。苦戦してんなら、手伝ってやろうか?」
聞き覚えのある声。しかし、それが自分に微かな好意を滲ませていることに違和感を持つ。士郎が見上げると、一つの木の枝に腰掛ける青の姿。
「お前……!」
「ピンチに駆けつけるのは、王子様の役目だろう?」
ケラケラと笑いながら枝から降りてくる。新たな客の登場に、アサシンは緊張の面持ちで探るような視線を送っていた。
見知った、しかし昨日と全く違う立場で現れたランサーに、士郎は警戒を解かない。このアサシンともしも同盟のようなものをくんでいれば、確実に自分は殺される。
「だ、誰が王子だ。この変態青タイツ!!」
ついでに、心臓を狙うだか、殺すだの物騒なことばかり言って去っていった男、ランサー。ぶっちゃけ、士郎の彼への印象はあまり良くない。それを感じ取ったランサーは、柔らかい物腰で彼女に言う。
「嬢ちゃんとはまた戦いたいからよ、ここで死なれちゃ困るんだわ。嬢ちゃんみたいなヤツは好きだしな」
士郎の想いなど露知らず。素直に想いをぶつけられ、彼女は頬を赤くする。士郎の右手を取って、手の甲にキスを落とすという徹底ぶり。初めてされたことに、リンゴのように顔を赤くした士郎。それを了承と受け取ったのか、ランサーは彼女を庇うように前に立った。
二対一。消耗しているとはいえ、形勢は逆転している。自分の戦況が思わしくなくなったためか、アサシンは顔を僅かに曇らせる。しかし、山門を守るという役目を放棄するつもりは無く、再び剣を持つ。
戦いの第二幕が始まるかと思われると。
「アサシン、そこまでよ」
初めて聞く落ち着いた女性の声が山門に響いた。それを聞くと、今まで一度も気を抜かなかったアサシンの表情が動いた。嫌なものを見てしまった、と言いたげに眉を寄せている。
「ようこそ、お嬢さん。歓迎するわ」
石段の上からゆっくりと降りてくる女性。暗い色で統一されたフードとワンピース。深くフードは被ってあり、表情を伺うことはできない。しかし、彼女から発せられるオーラから士郎はある判断を下した。
「あなたも、サーヴァントなの?」
「えぇ、いかにも。私は、キャスターのサーヴァント」
キャスター、魔術師のサーヴァントだと理解する。
そして、ギルガメッシュが先ほど言っていた、面白いものとはアサシン、キャスター二騎のサーヴァントがここにいるという事なのだと分かった。
「見た所、あなたはマスターのようね。私の拠点にきたとなると、殴り込みを仕掛けてきた、と考えていいのかしら?」
僅かににじまされた殺気に気がつく。そもそも、ギルガメッシュの言う面白いものが冬木の平和に関係するかどうかを調査しに来ただけだ。少し、多少アサシンとの戦いに熱くなった気もするが。
「いや……表立って俺は戦闘に参加するつもりは無いっていうか。聖杯戦争で、関係ない人が巻き込まれないために戦うって決めたんだ。出来ることなら、他のマスターたちと好んで戦闘はしたく無い」
キッパリと告げられ、少々驚いた顔をするキャスター。
「あら、そうなの……。残念ね」
ランサーと士郎の二人をじっと見つめた後、彼女は口を開く。
「柳洞寺は私、キャスターと私の使い魔アサシンの拠点よ。お嬢ちゃん、くれぐれもこのことを忘れないでね」
フードの下の形のいい唇が弧を描く。キャスターは踵を返し、寺の境内の中へ去っていく。それを見たアサシンも、自身の体を夜の闇に溶け込ませた。
張り詰めていた緊張の糸がほつれたことで、石畳みの上にへたりと座り込んでしまう士郎。自分の膝に目をやると、みえたのがフリルではなく黒のスパッツだったことに気がついた。
「……あれ、いつの間にか変身解けてる」
「アサシンさんとの戦闘が思いの外大変だったので、ランサーさんが来た時に切らせてもらいました」
士郎さんの魔力量はカス〜と歌っている彼女に、一応礼を言っておく。
「そっか、ありがとうルビー」
士郎の後ろに立っていたランサーは、大きく息を吐き出した。
「あー、やだねぇ。せっかく戦えるって思って来たのによ。結局、今日も戦果なしとはねぇ」
彼の口ぶりから見ると、ここでの戦闘が初だったようだ。そして、ちらちらとこちらを見てくることに気がつき、士郎は釘を刺しておく。
「俺はランサーと戦わないからな」
「わーったよ」
本当に了承してくれるのかは怪しいが、手に持っていた槍はしまってくれた。士郎はここで、ランサーが現れた時からの疑問をたずねる。
「それにしても、何で俺を助けてくれたんだ?」
「んー、まぁ嬢ちゃんを殺すのは俺と言ったし、他の奴に取られるのもなぁ」
ランサーは座り込んでいた士郎の前に膝をつく。整った端整な顔が目の前に現れ、僅かに視線をそらしてしまう。そんな士郎の前髪をかき上げ、額に軽く口付けを落とす。
「じゃあな、嬢ちゃん。あー、シロウだったか? 次はサーヴァント連れてこいよ。サーヴァントはこの槍で殺して、そのあと嬢ちゃんでじっくり楽しませてもらうからよ」
「え、な……!」
手の甲にキスされた時にもパニックになったが、今回はもっとひどい。至近距離で見つめられ、体温を感じて。そして、案外嫌では無かった自分。
「に、二度と来るな! このエロサーヴァント!!」
震える声で叫んだ時には、ランサーの姿はもう無かった。
「おやおや? 士郎さん、顔が真っ赤ですよ〜。惚れちゃいました、ランサーさんに」
「んな訳あるか! やだ、本当ありえない……」
そっと自分の額に手を添える。羞恥心から全身、特に顔が熱いがその中でも最も彼に口付けられたこの場所が熱い。
「何なんだよ……」
消え入るように呟いた声は、火照りとともに冬の空気の中に溶けていった。