決めたことを覆すことなんてできない。自分にできることは、ただ前に進むことだけ。
「ごめん、待たせたよな、セイバー」
教会の出てきた士郎は、門の前でずっと立たせていたセイバーに声を掛けた。俯いてただ待っていたセイバーは、被っていた雨合羽のフードを一度取り、士郎を真っ直ぐ見据える。教会で本当の意味で聖杯戦争を知った、自身のマスターの返答を聞くためだ。
「いいえ、お気になさらず。それで……?」
セイバーの声は僅かに上ずっている。それもそのはずだ。彼女には願いがあり、その願いのために召喚された。士郎がここでマスター権を放棄すると言えば、願いを叶えるための手順が更に増えることとなる。
士郎は左手にある自分の令呪を右手で握りしめながら答えた。
「俺はマスターとなって、この聖杯戦争で戦う。だから、セイバー。その、俺のサーヴァントとして一緒に……」
士郎の言葉は最後まで言われることは無かった。彼女の表情を見て、セイバーは悟った。彼女は、自分と共に戦う存在だと。セイバーは自分の胸に手を当て語る。
「貴女の手にその令呪がある限り、私は貴女の剣となり共に戦います。そう、誓ったでしょう」
「うん、よろしくセイバー」
士郎はそう言って右手を差し出す。ごく自然に差し出された手を、戸惑ったような表情で彼女が見ているのに気が付き、士郎は表情を曇らせた。
「あれ、握手ってダメかな?」
「いえ。よろしくお願いします、シロウ」
セイバーにとって、士郎から握手を求められたことは、嬉しいものだった。サーヴァントを使い魔、道具として見る人間では無い。対等に接してくれるマスター、それが士郎なのだと、そう分かったからだ。
互いに手を握り、正式に契約が完了した。
士郎をここまで連れてきた凛は、その様子をどこかほっとしたように見つめていた。彼女が戦いを選ばなければ、それでもいいと思っていた。叶えたい願いなんてなさそうな、無欲な人間だ。だが、彼女が戦いを選ばないということはどこか違和感があるようにも思えていた。だからこそ、彼女が戦う意思を見せたことで、凛は安心していた。自分がまだ知らない事実が、そこには隠されているのだろうと感じながら。
行きと同じように新都に続く坂を下りながら、三人と一本は歩いていく。坂も中盤に差し掛かったところで、凛が立ち止まる。
「ここまででいいでしょう」
彼女よりも先にいた士郎は、凛を振り返る。自分に現在向けられている視線が、今までのものとは違う、冷え切ったものだと気が付く。
「遠坂?」
感情を押し殺すようにして、凛は淡々と語っていく。
「あなたは、これでようやくマスターとなって、聖杯戦争に晴れて参加する身になった。私は、さっきみたいに何も分かってないあなたと戦う気は無かったから、ここに連れてきただけ。あなたがマスターとしてのスタートラインに立ったのなら、私はあなたの敵よ」
「俺は、遠坂と戦いたくは……」
敵という言葉を否定する士郎を見て、凛は頭を抱える。
「あのねぇ、さっき綺礼に何を聞いてきたのよ。ここまで連れてきたってのに、何も進展してないじゃない……」
呆れを通り越して、だんだん悲しくなってくると呟いた彼女の横に、衛宮邸から霊体化をしていたアーチャーが姿を現した。
「凛」
「何よ、アーチャー」
面倒くさそうな顔を隠しもせずに凛はアーチャーを見る。彼は士郎を一瞥し言葉を続ける。
「倒しやすい相手が目の前にいるというのに、君は見逃すのか? この場で仕留めたほうが良いだろうに」
アーチャーの言葉は最もだ。聖杯戦争は殺し合い。今目の前にいる少女によって、自分が殺されるかもしれない。ならば、何も出来ないうちにその芽を摘めばいいとアーチャーは言った。だが、凛は首を振って否定する。
「私はね、この子に借りがあるの。その借りを返し終わるまでは殺さないわ。自分が甘いなんて、百も承知。でも、これだけは譲れない」
「はぁ……その借りとやらが返し終わったら呼んでくれ」
大きくため息をついた後、全く実に甘い、などと小言を漏らしながら彼は再び霊体に戻る。
「それじゃあ、明日からは敵同士ってことでいいわね」
「俺は、戦いたくないんだって……」
凛の清々しい宣戦布告に、いまだ渋った反応を見せる士郎。いい加減自覚しろと声を荒げようとした時だった。
「お話は終わりかしら?」
高く、澄んだ声。暗闇の中に映える白。それが士郎が先に目にしたもの。雪を思わせる銀髪と血のように赤い瞳。雪の精霊というのが相応しい、美しい少女の姿があった。
「バーサーカー……!」
対する凛が先に目にしたのは、少女のすぐ後ろに立つ巨大な英霊の存在だった。2mはある背丈に、ただそこにあるだけで全てを圧倒するような威圧感。この敵は、普通のサーヴァントとは格が違うと理解する。
「ごきげんよう、リン。私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。アインツベルンのマスターって言えば分かるかしら」
うやうやしくお辞儀をして挨拶をしてみせるイリヤ。アインツベルンと聞き、彼女の表情は凍り付いていた。
「それじゃあ、殺すね。バイバイ……あれ?」
少が下そうとした命令は途切れる。彼女の赤の瞳は、真っ直ぐ士郎を射抜いていた。
「…………様……」
風に靡く赤茶色の長い髪。そのまま宝石を埋め込んだような琥珀色の瞳。あの人とは、なにもかも違うはずなのに、一瞬彼女があの人のように見えてしまった。途中で言葉を止めたイリヤを窺うようにバーサーカーが唸り声を上げる。イリヤは心配ないと言いたげに首を横に振る。
「ううん、何でもない。……何でもないの」
ここでの戦闘は避けられないと判断した凛は、そばに控えるアーチャーに言う。
「アーチャー、あなたは本来の戦いの姿に戻った方がよさそうよ」
「防ぎきれるのか、バーサーカーの攻撃を」
バーサーカーは英霊の理性を奪うことで、更なるステータスの強化を行っている。そもそも英霊と人間が戦うこと自体、話にならない。それだけでなく、相手はバーサーカー。無謀とも思える行動だが、凛はきっぱりと言い切る。
「こっちは三人、何とかなるわ」
凛の言葉が終わるや否や、アーチャーはこの場所を狙うための高台を目指し飛び去っていく。
「勝手に頭数にいれちゃったけど、衛宮さん。あなたは逃げなさい。出来るだけ遠くへ」
凛の言葉が終わると、イリヤは歌うように口を開く。
「やっちゃえ、バーサーカー」
その声は無邪気に、そして残酷な殺戮を始めさせる合図となった。
そして始まった戦闘は、一歩的なものとなった。宝石での凛の攻撃は通じず、セイバーの剣技でさえバーサーカーと打ち合うのだけで精いっぱい。いつ倒れてもおかしくない二人は、自分を逃がすためにそこに立っている。しかし、二人の少女が戦っているのを、士郎は見ていることしかできない。
「どうしますか、士郎さん。凛さんの言う通り、逃げます?」
彼女の答えが、どんなものになるか分かっていながらルビーは聞く。それは一種の形式のようなものだ。あくまで、これは士郎の意志。ルビーの意志での変身では無いという確認。
バーサーカーの斧を受け、吹き飛ばされるセイバーの姿を見た。士郎の返答はすでに決まっていた。
「いこう、ルビー」
ルビーの持ち手を両手で掴み、呪文を口にした。
「
先ほどセイバーを止めた時にあった体を裂くような痛みは無い。そういえば日付が変わっていたのだと、すぐに気が付く。これは好都合だとも。痛みは判断を鈍らせる感覚だ。それがなくなれば、いくらでも戦える。
士郎は空中を駈けるようにしてバーサーカーの前に躍り出た。
「狂気につかりし、筋肉ダルマ。正義と愛の伝道者、マジカル☆エミィがここであなたを倒してあげるのだわ!」
逃げて、とそう告げたはずの彼女が現れたことで凛が悲鳴にも似た声を上げた。
「ちょ、無茶よ! やめて、士郎!!」
「シロウ、逃げてください!!」
困惑したのは凛だけでは無い。士郎を守るために前に出たセイバーも同じだ。サーヴァントと戦うのは同じサーヴァント。マスターはあくまでも、後方支援に向かうのが通常の戦いといえよう。
二人の声を聞きながら、エミィは笑う。
「大丈夫なのだわ。私は、あの斧で体を貫かれたくらいじゃ、簡単には死なないのだわ――!」
地を蹴って体重を乗せながらステッキをバーサーカーに振り下ろす。バーサーカーは煩わしそうに斧を振る。彼女の体が吹き飛ばされるのを予想し、顔を覆いそうになる凛。しかし、エミィはその斧を両手でもったステッキで受け止めていた。
彼女のステッキとその対角線上の後ろに当たる部分に、集中して防御魔法を使っていることが分かる。
「うおおお、重いです。重いですよ、この一撃。私が強化プラスチックで作られていたなら、木端微塵ですよ!」
ルビーの声を聞き、士郎は一度距離を取る。まぁ、分かってはいたが接近戦であれを仕留めるのは無理。そして、普通に魔力弾を打ち出すだけでも倒すことは不可能に決まっている。
「ルビー」
エミィの呼びかけに、やれやれといった声で応じる。ルビーの五芒星は、これまでにないほど輝き放つ。そして飾りの羽は、大きく形を変えて白鳥を思わせる大きさに変化していた。
「はいはい、士郎さん。大丈夫ですよ。あなたが私をその手で掴んでいる限り、あなたは無敵なんですから」
士郎の体からルビーへと魔力が流れてゆく。それと同時に、ルビーの元にある魔力が次々に肥大していくのが分かる。
「
士郎はそこで祈るようにつぶやいた。
「乙女の儚き幻想、
光は空を裂き放たれる。
ほんの15㎝ほどのステッキから放たれた光は、バーサーカーをゆうに覆う巨大な光球となり、轟音と共に地を走る。熱を持っているそれは、前に進むたびに地面に焼跡を残していく。
バーサーカーはそれを避けることは敵わず、エミィの放った光に飲み込まれていく。
イリヤはバーサーカーが倒れていくのをただ見ていた。
「なに、あれ……」
凛はその光景を呆然と見ていた。アンバーモードとルビーが伝えた時の士郎は、人間がやったとは思えないほどの魔力をそのステッキに溜めこんでいた。英霊が宝具を使うときと似ているが、それと完全に異なる部分がある。魔力が不純なのだ。一人の人間の魔術では無い、何十人もの人間の魔力を寄せ集めたような、そんな印象を受ける。
光が収まると、バーサーカーの立っていた場所には、下半身といくつかの肉塊が落ちていた。あの、でたらめな魔術で、彼女はバーサーカーを倒したのだ。
信じられないような目で惨状を見つめていた時だ。空中に浮いていた士郎の魔法少女の変身は解け、コート姿でどさりと地面に落ちる。
「士郎!」
慌てて駆け寄ろうとすると、それよりも先にセイバーが駆けつけた。士郎は意識を失っているようだった。あれだけの魔術を使ったのだ、それでいてぴんぴんされるとこちらのメンツが立たない。
とりあえず、バーサーカーという脅威が去ったことで、ほっと息をつこうとした時だ。
「え、何。離れろってどういうこと?」
遠距離からの攻撃を指示したアーチャーから、ライン越しに声が届く。それとほぼ同時に感じる、膨大な魔力の奔流。それは、士郎が放った光球に焼かれ、死んだはずのバーサーカーの立つ場所から。飛び散った肉塊は再びあるべき場所へ。自己再生などという言葉では軽すぎる。時間の巻き戻しに近い、それ自身が宝具であると凛の目には映っていた。
「衛宮さん……!」
教会の墓地から遠く。
凛から遠距離攻撃、弓兵としての戦いを行うように指示を受け、彼は新都の高層ビルの上に立っていた。構えるは、自らの洋弓。手にするは、アルスターの名剣。マスターである凛にはラインを通じて離れるように伝えた。士郎がバーサーカーとぶつかった時すでに距離を取っていたため、よほどのことがない限り巻き込まれることは無い。
「つくづく、違うものだな」
目に魔力を通すことで、数キロ離れていた墓地での戦闘の全てを見ていたアーチャー。バーサーカーにぶつかっていく凛とセイバー、そして衛宮士郎の存在。自分の魔力の全て、ひいては生命力すらをあの一撃に乗せて放った少女。
さて、この位置から今すぐにこの矢を放てば、あのバーサーカーだけではなく、凛が殺すことを躊躇していたセイバーとそのマスターも消すことが出来るだろう。
剣を弓に番え、弦と共に引く。螺旋剣は刀身の形を矢へと変えていた。呼吸を沈め、アーチャーは一本の矢へと自身の魔力を注ぐ。赤い揺らめきと共に、放たれた。彗星の如く、尾を引いて空を駆る。音速を超えた速度の矢は、再生したバーサーカーへ爆風と共に牙を剥いた。
「うわお、すっごい威力ですねぇ。これが、アーチャーさんの実力、なんてとこなんでしょうか。いやー、英霊ってマジすごいわー」
バーサーカーから10mほど離れた場所に、士郎を抱きとめたセイバー、そしてルビーの姿があった。爆心地からさほど離れていなかった彼女たちだが、その体に傷は無い。その代わりに、パリンと音を立てて彼女たちの周りにあったあるものが砕け散る。
「防御に徹した結界……あなたが?」
「そうですよ、別にこれくらいは朝飯前です。って、何で不思議そうな顔してるんですか?」
羽を一生懸命羽ばたかせながら宙に浮いているルビー。エミィが攻撃を防ぐときに使うよりも、大掛かりな防御魔術。一流の魔術師が作り上げるように、繊細かつ頑丈な結界に、少なからずセイバーは驚いていた。このおもちゃのステッキに、ここまでの能力があるのは何故かと。だが、とうの本人は当たり前のようにしており、どこか気が抜けてしまった。
「いえ。それより、アーチャーは確実に今、シロウが巻き添えになると分かっていてあの矢を……」
矢が放たれてきた方向を睨みつけるセイバー。ルビーもその方向を一応見てみるが、もちろんのことながら何も見えない。うーんと唸って見せ、衛宮邸でお茶を出した時のことを思い出す。
「そうですね、士郎さんがさっき言ってた通り、嫌われるんじゃないですかぁ?」
その時。
セイバーの腕の中の士郎のコートが不自然に濡れていることに彼女は気が付く。よく見ると茶色の記事は、腹の部分は赤く染まっている。鉄錆の香りが一気に充満し、彼女の血液なのだと分かる。
「! 士郎?!」
マスターの突然の変化に、驚きを隠せない。その横で、ルビーは「あぁ」と納得した様子を見せている。
「あ、忘れてた。今の結界張るのに、間違えて士郎さんから魔力もらっちゃいましたよ。あぶねー、生命力奪って殺しちゃうとこでした」
「なっ……!」
「まぁ、全知全能、天才魔術礼装である私の能力があれば、ちょちょいの……あれ?」
フラグを立て、回収までの時間およそ2.7秒。士郎の血は一向に止まらない。
アーチャーの一撃は、Aランクの宝具と遜色ないものだと凛は判断していた。しかし、あの爆発の中、傷一つ付けずに巨体は存在している。まだ向こうが戦うというのなら、こちらに勝ち目はないかもしれない。強く手を握りしめて、凛は白の少女を睨みつけていた。
「バーサーカー、戻りなさい」
イリヤの言葉で、あれほどの威圧感を放っていた存在は実体化を解き、粒子へと変わっていく。
「あら、逃げるの?」
「えぇ、見逃してあげるわ、リン。セイバーとリンには興味は無いけれど、あなたのアーチャーと……そこのお姉ちゃんに興味が沸いたわ」
止血、止血と叫びながら飛び回るルビーと、あたふたとしているセイバー。眠り姫のように美しく眠る少女に、イリヤは慈愛のこもった目を向けていた。
「また、夜に会いましょう」
殺し合いはまた今度、そう意味のこもった一言告げると、イリヤは夜の闇に溶けるように去って行った。
サーヴァントと魔術師の気配が完全に消え、凛はようやく息をつく。ひとまずの脅威は本当に去った。だが、これは退けたのではない、相手に生かされているだけ。その事実を受け止めて、自分はこれから戦わねばならないと心に強く誓う。と、自分の前にルビーがいることに気が付いた。
「凛さん。すみません、士郎さんがガチで死にそうなので手を貸してくださいな」
「はっ? 何言ってるのよ」
言われている意味が分からず、速攻で聞き返す。ルビーは物わかりがごにょごにょ、などと呟きながらセイバーと士郎を指さす。
「士郎さんの状況が、実にマズくてですね。ほらドラマとかで、よくあるじゃないですか、救急車で運ばれてきた患者の血圧とか心拍数とか見て、医者が『これは……いや、私が助けるんだ、必ず!』みたいな感じなんですよ~」
「状況がつかめないんだけど!」
そう言いつつ、凛は士郎のもとに駆けて行く。手持ちの宝石はまだ残っている。彼女を助けることなど、造作もないと思いながら。
かくして士郎にとっての聖杯戦争第一日目、時刻は回って二日目の午前三時過ぎ。貧血などその他もろもろの症状のため、気を失った状態で彼女は長い一日を終えた。
"Exempla docent, non jubent."
偽タイガー道場
師匠:改稿!
弟子1号:投稿!
ルビー:編集をいじるはずが、間違えて7話を消してしまいすみません。もう一度投稿しました。ホントすみません。ブリッジしながら謝る作者の代わりに私が謝罪します。
師匠:ともかく、士郎にとっての聖杯戦争第一日目終了ね。
弟子1号:次の日の朝の前に、幕間が挟まるとか何とか。
師匠:intervalってやつね~
ルビー:私と士郎さんのお話ですよ。楽しみにしててくださいね!
師匠:今回も読んでくださってありがとうございます! 次回もよろしければ、お付き合いください。