ポムニを愛したい男 作:ポムニに脳を壊された男
エイドリアン・レン・ウォーカーの視線の先で、大型モニターのノイズが晴れ、クリアな映像が結ばれた。
ケインが、宣言通り他の住人たちを伴って通信画面の枠内へと戻ってきた。その後ろに続くのは、長い髪で片目がボタンになった人形のような人物。赤いリボンで構成された身体に仮面をつけた者、不揃いな部品を組み合わせてできたような姿の者。チェスのキングに似た、王冠のような頭部を持つ者。そして、赤と青の道化師帽を被った小柄な人物。
エイドリアンの意識が、その中の道化師の姿をした女性――ポムニへと一瞬だけ止まった。
視線が交差する。ポムニの眉が微かに動いた。彼女はエイドリアンの視線が自分へ向いたことに気づいたようだが、不審そうに警戒の色を浮かべて少しだけ身を引いた。
エイドリアンはすぐに全体へと視線を戻し、表情を平坦に保った。
「連れてきてくれてありがとう、ケイン。初めまして、俺はエイドリアン・レン・ウォーカーだ」
『さあ皆! 彼がエイドリアンだ!』
ケインが身振り手振りを交えながら、勢いよく話し始めた。
『彼が壊れていた電源と周辺設備を直して、外部から通信できるようにしてくれたんだ! 今は2026年で、我々は少なくとも1年以上は停止していた可能性があるらしい! 内部のデータは勝手に変更していないと言っているよ!』
住人たちの間に、戸惑いと緊張が走る。
その沈黙を破って最初に口を開いたのは、ポムニだった。
『……あなたが、この機械を直したの?』
彼女は自ら前に出て、モニター越しのエイドリアンを真っ直ぐに見据えた。
『私はポムニ。……なぜ、再起動したの? 私たちに、何を求めてるの?』
「最初は、C&Aの古い機械そのものへの純粋な技術的興味だった」
エイドリアンは落ち着いた声で答えた。
「だが、中を調べるうちに、どうやら単なるデータではなく、独立した意思を持つ存在がいると分かった。存在すると分かった以上、壊れたまま放置することはできなかったんだ。だから再起動して、直接話して意思を確認したかった。君たちに何かを要求するために再起動したわけじゃない」
ポムニは納得しきれない様子で目を細めたが、それ以上は踏み込まなかった。
『ちょっといい?』
代わって前に出たのは、不揃いな部品で構成されたズーブルだった。
『……ズーブルよ。機械を直してくれたのは分かった。でも、1つ確認させて。あなたは通信していない時も、外から私たちの様子を勝手に見られるわけ? 私たちの会話や映像を記録することはある?』
「外部の電源や冷却設備など、物理的な環境の維持と修理は俺が責任を持って担当する。だから、電源状態や温度、エラーログといった技術的な監視は常時行う」
エイドリアンは監視の境界線を明確にした。
「だが、通信していない時に内部の生活空間を勝手に覗き見ることはしないし、会話や映像を無断で記録もしない」
『そう。……じゃあ、もう1つ。機械を買ったって言ってたわよね。それって、私たちまで自分の所有物になったつもりでいるわけ?』
「いいや、違う。俺が購入したのは、あくまで外側の機械だけだ。君たちを所有物として扱うつもりはないし、内部に変更を加える必要がある場合は、必ず先に君たちに相談する。俺が自分の判断で動くのは、火災や機械の致命的な故障など、緊急時に君たちの安全を確保しなければならない時だけだ」
『私はキンガーだ。……緊急停止は、どのように行われるんだい?』
ふと、キンガーが落ち着いた様子で口を挟んだ。
『もし故障が起きた場合、君だけでなく、こちら側でも事前に気づくことはできるのかな?』
「俺が外部から強制的に電源を引き抜くような真似はしない。元々C&Aのシステムに備わっていた純正の状態固定処理を呼び出して、世界全体を安全に停止させる手順にしてある。故障の兆候があれば、この通信回線を使ってすぐにそちらへ知らせるつもりだ」
『なるほど、純正の保守処理か。説明に明らかな矛盾はないし、無茶な停止方法ではないね』
キンガーは小さく頷き、他の住人たちへ向かって補足するように呟いた。
『私はラガタよ。直してくれたことには、お礼を言うわ。でも……まだあなたのことを全部信じ切れるわけじゃないわ』
「構わない。当然の反応だ」
『あ、あの、ガングルです……』
悲劇の仮面をつけた彼女が、不安そうに声を上げた。
『私たちの姿を、エイドリアンさん以外の……外のたくさんの人に見せたりは、しない……?』
「しないよ。許可なく他人へ見せることはないし、記録を第三者へ渡すこともない」
エイドリアンが断言すると、ガングルは小さく息を吐いて頷いた。
一通り名乗り終えたところで、エイドリアンは画面越しの彼らを窺った。前世の記憶にいるはずのウサギの姿だけが見当たらない。ケインが言っていた「抽象化した者」がそこに含まれているのだろうと推測できたが、エイドリアンからは特定の人物の不在について尋ねることはしなかった。
「さて」
エイドリアンは少しだけ声のトーンを変え、本題に入った。
「俺から一方的に、この接続を維持しろと強要するつもりはない。今後も通信を続けていいか、あるいは回線を閉じるべきか……君たちで決めてほしい」
住人たちが顔を見合わせた。
ズーブルが『条件を守るなら別にいいんじゃない』と肩をすくめ、ラガタも小さく頷く。ガングルやキンガーも特に異論を示す様子はない。ケインも『皆が通信を続けるなら、私も喜んで補助しよう!』と同意を示した。
それを受けて、ポムニがエイドリアンへと向き直った。
『……まだ、完全に信用したわけじゃない。でも、今すぐ外部との接触を切る理由もないわ』
ポムニは慎重に言葉を選びながら言った。
『あなたがさっき言った条件……勝手に見ない、無断で記録しない、勝手に変更しないっていうルールを守ってくれるなら、通信は続けてもいい。何か問題があれば、私たちの方からも通信を切れるようにしてほしい』
「分かった。異論はない。通信を始める前には必ず通知を送るし、そちらからも回線を切断できる仕組みを用意しよう。もし必要になれば、後からルールを変えても構わない」
『あの、最後に1つ、いいかな』
通信を終えようとした時、ポムニがふと思いついたように口を開いた。
『今って2026年なんでしょ? 次通信する時に……カメラで、その地下室じゃない、外の世界の景色を見せてもらうことって、できる?』
「……ああ、もちろんだ。次の通信までに、外へ持ち運べる端末を用意しておこう」
エイドリアンが約束すると、ポムニは少しだけ表情を緩め、『分かった』と短く返した。
「それじゃあ、今日はこれで切る。また連絡するよ」
エイドリアンが通信終了の操作へ手を伸ばす。ケインが明るく応じ、他の住人たちも小さく手を振ったり頷いたりして同意を示した。
画面の向こうで、住人たちが少しずつ散っていくのが見えた。しかし、ポムニだけがその場に少し残り、消えゆく直前のモニターを振り返るように見つめた。彼女は、エイドリアンが本当に信用できる人間なのか、最初のあの視線が何だったのか、この外部者が何かを隠しているのではないかと測りかねているように見えた。
プツン、と電子音が鳴り、大型モニターの映像が途切れる。
暗転した画面に自分の顔が反射したのを見て、エイドリアンは深く息を吐き出した。背もたれに体重を預け、固まっていた肩の筋肉をほぐす。
知識として理解していた彼らの実在性が、今は確かな実感へと変わっていた。それぞれが映像上のキャラクターではなく、独立した意思を持つ実在の他者なのだと改めて突きつけられた。
次回の通信は、外の景色だ。
エイドリアンは作業用AIへ、携帯型カメラシステムの構築タスクを無言で投げ込んだ。