ポムニを愛したい男 作:ポムニに脳を壊された男
エイドリアンの視線の先で、ケインが画面の中を忙しなく飛び回っていた。
サーカス内に設置された観測画面の映像は安定しており、数日前に開かれた「現実への窓」は、今や彼らの生活に少しずつ馴染み始めているようだった。
今回は、エイドリアンからケインへ個別に相談を申し込んでいた。
「時間を取ってもらって悪いな、ケイン。今日は少し専門的な話をしたくてね」
『もちろん! 頼れる保守担当からの呼び出しとあらば、このケイン、いつでも飛んでいくとも! それで、今日はどんなスリリングな話題だい?』
ケインは空中で一回転し、エイドリアンの目の前でピタリと止まった。時折、通りかかった住人が画面へ視線を向けることはあるが、今回はケインを相手にした技術的な相談だと伝えてあるため、無理に近づいてくる者はいない。
「今すぐ危険があるわけじゃないんだが……この機械の長期的な運用についてだ」
エイドリアンは仮想ディスプレイに、現在のC&A筐体の簡易な構造図を表示させた。
「これまで、壊れていた電源や冷却設備、通信回線といった周辺環境は外部の設備で補ってきた。だが、世界を動かしている中核演算装置や記憶媒体そのものは、依然として数十年前のC&A製のままだ。壊れた部品を交換し続けるだけでは、いずれ機械的な寿命が来て修理不能になる可能性がある」
『ふむ……。つまり、このデジタル・サーカスの器が古くなってきているということかい?』
「ああ。だから、動いているうちに、次の準備を始めたい」
エイドリアンは構造図の隣に、新しいサーバーの設計図を展開した。
「現在の本体とは別に、新しいサーバーを増設する。外部から現実の地形や天候、文化情報なんかを引き出せるようにするつもりだが、安全のために外部接続系とサーカス接続系は物理的に分離する。外部情報を一度隔離領域で検査し、許可したものだけを新しいサーバーへ渡す。外部とC&A本体の接続口が同時に開くことはない仕組みだ」
『新しいサーバー! それはつまり、私たちがそっちへ引っ越しをするということかな?』
「いきなり全員で引っ越すのは危険だ」
エイドリアンは首を振った。
「システムを完全に解析できていない以上、人格そのものへ手を加えるには危険が大きすぎる。だから最初は、この新しいサーバーを『新しい冒険用世界』として使うところから始めたい」
『新しい冒険! おお、それは素晴らしい響きだ! 現実世界のデータを素材にして、新しいアトラクションを作れるのかい!? それは私の創造力を猛烈に刺激してくれるね!』
ケインの目が星の形になって点滅した。
「ただし、住人たちを入れる前に、まずは君だけで確認してほしい」
エイドリアンは軽く釘を刺した。
「君がこの新サーバー側へ管理機能を伸ばし、空間を認識できるか。世界を生成し、地形やルールを設定できるか。サーカスとの出入口を作り、自分の意思で接続を切れるか。君自身が正常に扱えるかどうかが第一段階だ」
『新しい舞台の下見なら任せたまえ! このデジタル・サーカスの団長として、ピカピカの新天地を誰よりも先にチェックしてくるよ!』
「それが確認できたら、次は人格を持たない無人の試験用アバターや、ダメージを想定した模擬試験を行う。アバターが正常に動くか、ダメージが本体側へ残らないか、回線切断時に自動で帰還できるか。必要な試験を終えて、十分に安全性を確認してから、希望者だけ短時間接続する」
そこまで説明したところで、画面の端を通りかかったポムニが足を止めた。彼女は、エイドリアンとケインの会話に気づき、こちらを窺っている。
『……二人で、何の話をしてるの?』
ポムニが問いかけてきた。
「今の機械が古くなってきたから、安全のために新しい冒険用の場所を作ろうという話だ」
エイドリアンはポムニへ向けて、できるだけ分かりやすく説明した。
「いきなり君たちを危険な場所へ放り込むつもりはない。まずはケインが調べ、次に無人のアバターで試験をする。君たちが参加するのは、安全が確認されてからだ」
『……参加するかどうかは、私たちが決められるの? 入口を開く前に、私たちに確認してくれる?』
エイドリアンの代わりに、ケインが自信満々に答えた。
『もちろんだとも! 今後はどんな新しいアトラクションでも、参加する者には必ず事前に確認するよ!不参加の者を巻き込んだりはしないさ!』
「ああ、参加はあくまで任意だ」
エイドリアンも頷いた。
「君たちの意思を無視して参加させることはない。危険があればすぐに中止する」
ポムニはしばらくエイドリアンの顔を見つめていたが、やがて小さく頷き、また画面の端へと歩いていった。
ポムニを見送り、エイドリアンは次の話題へと移った。
「さて、ケイン。もう一つ、君に相談したいことがあるんだが……新サーバーの応用についてだ。君が言っていた、抽象化した住人たちのことだよ」
その言葉を聞いた瞬間、ケインのテンションが明らかに一段階下がった。彼の周囲を飛んでいた星のエフェクトが消え、ステッキを握る手がわずかに下がる。
『……彼らのことかい?』
「現状、彼らはそちらの内部でどう見えているんだ? 君には、どこまで彼らの状態が観測できている?」
『完全に消えたわけではないんだ。存在や人格の反応自体は残っているんだが……通常のアバター制御が一切通らなくなってしまうんだよ。会話用の経路にも接続できなくてね。ただ、あの暗い隔離領域では比較的安定するようだから、私にはそこへ隔離することしかできなかったんだ』
「そうか。治せると約束するわけじゃない。俺にもまだ分からないことだらけだからな」
エイドリアンは慎重に言葉を選んで続けた。
「だが、この新サーバーを応用すれば、隔離ゲート越しに彼らの信号だけを受け取って、意思疎通の試験場として使えるかもしれない。通常の住人に影響を与えずに、外部から彼らの状態を調べる環境を作れる可能性がある。……協力してくれるか?」
しばらくの沈黙の後、ケインは顔を上げ、小さく頷いた。
『ああ。……彼らともう一度言葉を交わせる可能性があるのなら、私もできる限りのことをしよう』
「ありがとう。それじゃあ、今後の手順を整理しよう」
エイドリアンは仮想ディスプレイの表示を切り替え、今後のタスクを並べた。
「俺は新サーバーの設計と、C&A本体との接続機構、外部からの隔離設備を作る。君には、自分の世界生成機能の整理と、無人の試験世界の設計を頼みたい。それと、抽象化した者たちについて、現在観測できている状態や、人格領域に触れずに外部へ渡せる情報をまとめておいてくれ」
『了解したよ。新しい舞台の創造と、安全性の確認だね……団長として、しっかりやらせてもらうとも!』
ケインは少し真面目な声色で答えた後、いつもの調子を取り戻して軽く敬礼してみせた。
エイドリアンが画面の前に展開した基本構想図には、古いC&A本体の隣に、別の新しい機械が厳重な隔離ゲートを挟んで接続されている様子が描かれている。
エイドリアンはケインとの通信を切り、作業用AIへ新たなサーバーの設計タスクを無言で投げ込んだ。
仮想ディスプレイ上に、新しい筐体の部品リストと製造工程が次々と一覧になって流れ始めていた。