ポムニを愛したい男   作:ポムニに脳を壊された男

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ご案内

 

 

 

 地下工作室に、かすかな機械の作動音が響き続けている。

 

 エイドリアンの背後では、作業用AIがアームを駆動させ、新しい筐体のフレームや冷却装置、独立電源の組み付けを静かに進めていた。

 

 数日前にケインと話した「新サーバー」の部品製造だ。エイドリアンが常につきっきりで作業しているわけではなく、基本的にはAIが製造と検査を自動で進め、必要な時だけ仮想ディスプレイへ進捗の通知を出す仕組みになっている。

 

 まだC&A本体との物理的な接続は一切行っていない。ケインによる命令入力も、世界生成のテストも、無人アバターの投入もずっと先の話だ。今はただ、新しい器の骨組みを一つずつ丁寧に組み上げている段階に過ぎない。

 

 エイドリアンが設計図の最終調整をしていると、不意に通信回線への接続要求を知らせるアラートが鳴った。

 

 こちらから呼びかけたわけではない。サーカス側からの発信だ。緊急の異常を知らせる警告音ではなく、通常の通話要求だった。

 

 エイドリアンが回線を開くと、大型モニターにケインの顔がどアップで映し出された。

 

『やあエイドリアン! 今日も素晴らしい一日だね! 仕事の調子はどうだい?』

 

「ああ、順調だよ。そっちから通信をくれるなんて珍しいな。何か問題でも起きたか?」

 

『ノンノン! 問題なんて何一つ起きていないとも! 今日はね、我がデジタル・サーカスの誇るスターたちから、君へ提案があるのさ!』

 

 ケインが画面の端へスイッと退くと、その後ろからポムニが姿を現した。彼女の手には、ケインが用意したと思われる、宙に浮く小さなカメラ付きの通信パネルが握られている。

 

『エイドリアン、今ちょっといい?』

 

「こんにちは、ポムニ。みんな、どうしたんだ?」

 

 ポムニの少し後ろには、ラガタやガングルの姿も見えた。

 

『この前は、そっちの家とか外の景色を見せてくれたでしょ? もらいっぱなしっていうのも変だから、今日はこっちを見せようって話になったの』

 

 ポムニは画面を真っ直ぐに見た。

 

『今、時間ある?』

 

 エイドリアンは小さく息を飲んだ。

 

 これまではずっと、自分から彼らに何かを提供するか、技術的な確認をするかのどちらかだった。外部の保守担当とサーカスの住人という関係から、ほんの少し踏み込んで、彼らの日常を自ら見せようとしてくれている。

 

「……とても嬉しい提案だ。ちょうど一息つこうと思っていたところだよ。ぜひ、案内をお願いしたい」

 

『わかった。じゃあ、行くね』

 

 ポムニが通信パネルを手に持ち、歩き始めた。画面の揺れが、彼女の足取りを伝えてくる。

 

『パッパラー! さあ始まりました、エイドリアンのための特別VIPツアー! まずは私、ケインが特別に用意した、重力無視のウェルカム・ウォーター・ファウンテンから――』

『ケイン、ちょっと静かにしてて。今回は普通に歩くんだから』

 

 ケインが鳴らした派手なファンファーレと、謎の噴水を出現させようとした演出は、ポムニの冷静な一言で即座に遮られた。

 

『あ、ああ、そうだったね! 私は裏方に徹するとしよう!』

 

 シュンとした様子でケインが消えると、ポムニの後ろからラガタが歩み寄ってきた。

 

『ふふ、相変わらずね。エイドリアン、改めて』

 

 ラガタが手を広げた先には、彼らが普段集まる中央区域が広がっていた。エイドリアンも、これまで通信画面越しに何度か見ていた場所だが、こうして彼らの歩行に合わせて眺めるのは初めてだった。

 

『ここがメインの広場よ。最近は皆で少しずつ手を加えているの。あそこのテーブルセットは、皆でお茶を飲んだり、食事をしたりするために置いたの。食べなくても困りはしないけど、味はちゃんとするし、皆で集まる理由にはなるから』

 

「なるほど、集まって話す場所としては機能しているんだな」

 

『ええ。冒険がない日は、だいたい誰かがここにいるわ』

 

 ポムニがパネルの向きを変えながら歩を進める。

 

『あっちの廊下が、私たちの部屋が並んでるところ。部屋では普通に寝てるわ。夢を見ることもあるし、一人になりたい時にも使うの』

 

「夢も見るんだな。部屋は休むための場所でもあるのか」

 

 歩きながら案内を続けるポムニの横に、いつの間にかガングルがぴたりと寄り添っていた。彼女は少し恥ずかしそうに、壁に飾られたカラフルな装飾や、いくつかの絵を指差した。

 

『あ、あのね……ここ、私が描いたの。ちょっと殺風景だったから、色を足したくて……』

 

「ガングルが描いたのか。この色の組み合わせ、俺は好きだな。何もなかった壁より、ずっとここで誰かが暮らしている感じがする」

 

 エイドリアンがそう感想を述べると、ガングルはリボンの身体を少し縮こまらせ、悲劇の仮面をわずかに伏せるようにして身を捩った。

 

『ほ、本当……? エイドリアンさんにそう言ってもらえると、嬉しい……』

 

『でしょう? ガングルは絵が上手なのよ』

 

 ラガタも自分のことのように喜んでいる。

 

 その時、画面の奥に、脈絡もなく奇妙なオブジェが浮かんでいるのが見えた。ティーカップが逆さまになって水が上に向かって流れ落ちており、周囲の空間がぐにゃりと歪んでいる。先ほどケインが出し損ねたアトラクションの一部らしかった。

 

「……あれは、重力場の演算エラーか? いや、流体の粘性係数とベクトルを意図的に反転させているのか……? ケイン、あの部分のオブジェクトの物理法則はどうやって定義しているんだ?」

 

 エイドリアンが思わず画面に顔を近づけて真面目に分析し始めると、画面の端を通りかかったズーブルが呆れたような声を出した。

 

『ちょっとエイドリアン。そこ、真面目に分析するとこじゃないわよ。ケインが適当に出しただけのガラクタなんだから』

 

「いや、しかし、あの流体の振る舞いを演算だけでシミュレートしているのだとすれば、かなりの処理能力を食うはずで――」

 

『はいはい、ストップ。そういう理屈っぽいのはいいから。ポムニ、次行きなさい』

 

 ズーブルに急かされ、ポムニは苦笑いしながら『うん、そうだね』と歩き出した。

 

 やがて、画面はクッションや枕がうず高く積まれた異様な一角を映し出した。

 

『おお! よく来たね、外部の観察者よ!』

 

 枕の山の中から、キンガーが顔を出した。

 

「キンガー。それは……随分と立派な要塞だな。防音や通気性はどうなっているんだ?」

 

『ふっふっふ、聞いて驚け。これは完全なる対バグ仕様の要塞だ。あらゆる予期せぬエラーから身を守るための、完璧なシェルターさ! 通気性? そんなものはこのデジタル空間では不要だ!』

 

 キンガーが胸を張って答える。彼なりの冗談なのか、本気なのかは判断がつかないが、言葉は淀みなく返ってきた。

 

「なるほど、完璧な防壁というわけか。いつかその構造の秘密を教えてほしいな」

 

『いいだろう! ただし、最高機密だからね!』

 

 そんな他愛のないやり取りを交えながら、案内は続いた。

 

『……ねえ、エイドリアン』

 

 ポムニがふと、立ち止まって画面を覗き込んだ。

 

『私たちの方ばっかり案内しちゃったけど……エイドリアンは、いつもそっちで何をしてるの?』

 

「俺か?」

 

『うん。いつもその地下室にいるみたいだけど、ちゃんとご飯とか食べてるの? 寝てる?』

 

 ポムニの問いに、他の住人たちも興味深そうに耳を傾けている。

 

「食事も睡眠も、人並みには取っているよ。仕事は大部分を自動化しているから、一日中ここに張り付いているわけじゃないんだ」

 

『そうなんだ。……じゃあ、あそこに見えるのは何?』

 

 ポムニが画面越しに指を差した先には、作業用AIが組み立てている新サーバーのフレームの一部が映り込んでいた。

 

「あぁ、あれか。あれは、先日ケインと話した、新しい機械の部品だよ。今、ゆっくりと製造を進めているところだ」

 

『あれが……新しい場所?』

 

「そうだ。だが、まだ組み立ての途中で、接続できる段階じゃない。当分は試験も行わないし、完成して実際に動かす前には、必ず君たち全員に再度説明する。それに、参加する者からはきちんと同意を取るし、関係ない者を巻き込むことはない。安心してくれ」

 

『分かった。でも、実際に繋ぐ前には、ちゃんともう一度説明してね』

 

 ポムニへ返事をする時、エイドリアンは無意識に一拍置いていた。言葉を選びすぎたのか、彼女がしばらく不思議そうに画面を見返してくる。

 

 一通りの案内が終わった後、ポムニたちは再び中央区域へと戻ってきた。

 

 そこには、現実の景色を映し出し続ける「観測画面」が置かれている。

 

『あ、雨が降ってる……』

 

 ポムニが観測画面を見上げて呟いた。

 

 エイドリアンの家の庭には、夕立のような強い雨が降り注いでいた。木々の葉が雨粒を弾き、地面に水たまりができ始めている。誰かが演出として用意したわけでもない雨が、現実の時間と天候の中で降り続けていた。

 

「あぁ、こっちは少し前から雨だ。夕方になって、少し冷え込んできたよ」

 

 エイドリアンも自分の手元のモニターで同じ景色を確認しながら言った。

 

 ガングルも、キンガーも、静かにその風景を眺めている。本来なら遠く隔てられていた二つの世界が、同じ雨音を聞くことで、以前より少しだけ近づいたように思えた。

 

『……あのさ、エイドリアン』

 

 ふと、ポムニが思いついたように言った。

 

『皆で話してたんだけど、今度一緒に映画見ない? 画面越しでもできるでしょ?』

 

 それは、明確な「次の交流」への誘いだった。

 

 機械の保守や安全確認ではなく、ただ同じ時間を共有するための娯楽。

 

「もちろんだ。映像をそっちの画面に繋ぐ仕組みを作っておこう。どんなジャンルが見たいか、次回までにみんなで考えておいてくれ」

 

『本当!? やったわ!』

 

 ラガタが弾んだ声を上げ、ガングルも小さく拍手をしている。

 

『それじゃあ、今日はこれで。案内、付き合ってくれてありがとう』

 

「こちらこそ。そっちの生活が少し分かって、嬉しかったよ。また連絡する」

 

 ポムニが小さく手を振り、通信が切断された。

 

 プツンという音と共に、仮想ディスプレイが元の作業画面に戻る。

 

 地下工作室には、再び機械の作動音と雨音だけが残された。

 

 エイドリアンは背もたれに寄りかかり、ゆっくりと息を吐いた。

 

 背後では、作業用AIが新サーバーのフレームの溶接を終え、隔離機構の部品検査ステータスを画面に表示させている。

 

 これまで知っていたのは、画面越しに話す彼らと、維持すべき機械の状態だった。だが今は、皆が集まるテーブルも、ガングルの絵も、キンガーの枕の砦も知っている。

 

 エイドリアンは初めて、彼らが築いた日常の中へ、ほんの少しだけ招き入れられたように感じていた。

 

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