ポムニを愛したい男 作:ポムニに脳を壊された男
数日後。地下工作室の観測モニターには、サーカス内部で住人たちが普段集まる中央区域が映し出されていた。
エイドリアン・レン・ウォーカーの作業机の上には、いつもとは違う機材が並んでいる。現実側の映画データをサーカスの観測画面へ送るための娯楽用中継設備だ。
映像と音声の同期、一時停止、音量調整、字幕の付与。さらにサーカス側からも再生操作ができるようにインターフェースを調整してある。通話音声との混線も防ぐ設計だ。
今日の予定は、皆で映画を見ることだった。
だが、机の端にはそれだけではなく、据え置き型のゲーム機、複数人入力用の変換装置、そしてパッケージから出された何本かのゲームソフトが無造作に積まれている。エイドリアン本人は「ついでに使うかもしれないから」と考えて用意したつもりだったが、すでに本体の電源は入り、いつでもゲームを起動できる状態になっていた。
画面の向こう、中央区域には、住人たちが思い思いの椅子やクッションを持ち寄って集まり始めていた。
ポムニは観測画面のすぐ近くに立ち、こちらから送るテスト用のカラーバーがきちんと届いているか確認している。
ラガタは皆の座席を並べながらも、スクリーンが一番見やすい中央の席をしっかりと自分のためにキープしていた。
ガングルは、リボンの手で映画候補の条件が書かれたボードを抱えている。
少し遅れてズーブルがやってきた。準備には積極的に加わらないが、エイドリアンが繋いだ画面や機材の様子をじっと観察している。
キンガーはいつものように、大きな金属製のバケツを斜めに被っていた。顔の大部分はその影に隠れ、傾いた縁の下から丸い片目だけが覗いている。
『パッパラー! さあスターたちよ! 映画の準備はいいかい!?』
ケインが空中から飛び出してきた。彼は映画館らしさを演出するためか、画面の周囲に重厚な赤いカーテンを取り付け、少しばかり明るすぎる照明を設置した。
『上映環境はこれでどうかな!?』
『ケイン、もう少し暗くして』
『カーテンが画面の端にかかってる。邪魔』
『あの、画面を少しだけ高くしてもらえると……』
ポムニ、ズーブル、ガングルから次々に具体的な要望が飛ぶ。
『おっと、失礼! では微調整といこう!』
ケインは素直にカーテンの位置をずらし、照明の照度を落とし、画面の高さを住人たちに合わせて持ち上げた。
「映像の同期は問題なさそうだな。それじゃあ、最終確認をする」
エイドリアンが手元のキーボードを叩く。すると、サーカス側の観測画面の隅に、いくつかの入力欄が表示された。
【プレイヤー1】【プレイヤー2】【プレイヤー3】【プレイヤー4】
映画を見るだけのはずの画面に現れたその文字列に、ズーブルがいち早く反応した。
『ちょっと待って。なんで映画を見るだけなのに、四人分のコントローラー設定があるの?』
「ああ。映像だけじゃなく、そっちからの入力信号も直接送れるように組んでみたんだ。使うかもしれないと思って」
『もしかして、最初からゲームする気だった?』
ズーブルが鋭く突っ込んだ。ポムニも画面越しにエイドリアンの机の上を覗き込み、稼働状態のゲーム機を見つける。
『“使うかもしれない”にしては、もう起動してるけど』
「……準備だけなら無駄にはならないだろ?」
『ふうん……あんた、意外とそういうとこ用意周到なのね』
エイドリアンが真面目な顔で返すと、ズーブルは面白そうに鼻を鳴らした。
『じゃあ、動くか確認すればいいでしょ。実際に対戦した方が早いわ』
『えっ、映画は?』
『後で見ればいいじゃない』
ズーブルに押し切られる形で、ゲームの起動準備が始まった。
『なるほど! では私から皆へ、操作端末を提供しよう!』
ケインが指を鳴らすと、住人たちの手元に仮想のコントローラーが出現した。
ポムニは自分の手の中に収まった標準的なコントローラーをまじまじと見つめた。
『ボタン、多くない? これ全部使うの?』
「ゲームにもよるが、基本的に使うのは二つのスティックと四つのボタン、それに背面のトリガーだ。やってみればすぐに慣れるさ」
ポムニは持ち方には迷わず、親指をスティックへと置いた。何度かボタンを押し込んで感触を確かめている。
『ねえ、これ持ちにくいんだけど』
ズーブルがコントローラーを片手で振って見せた。
「どんな形がいい? ケイン、ズーブルの要望に合わせて外形を調整してやってくれ」
『お安い御用だ!』
『もう少し横幅を狭くして、スティックの位置を右に寄せて。右側のボタンを、もう少し親指が届きやすい位置にして』
ズーブルの細かな要求に合わせ、ケインがコントローラーの形状そのものを変形させていく。何度か形を変えた末、コントローラーはズーブルの手に合う形へ落ち着いた。
ラガタは標準型を選び、ボタンの役割を丁寧に確認している。
ガングルには、エイドリアンが画面に表示した見本データを基に、ケインがリボンの手でも扱いやすい小型サイズのコントローラーを生成した。
『落としちゃいそう……あ、でも、ちゃんと押せる』
ガングルは画面の中でカーソルが自分の操作通りに動くのを見て、楽しそうに仮面を揺らした。
キンガーはバケツを斜めに被ったまま、縁の下から片目だけを出してコントローラーを持っていた。手元が全く見えていないように思えるが、入力確認のテスト画面では正確にボタンを押し分けている。
『問題ない。手元を見なくても押せそうだ』
操作の理解は早いようだった。
『ところで、最初の対戦に私の席はあるのかい!?』
「最初は四人までだ。交代で遊ぼう」
『仕方ない! それなら私は、この世紀の対決を盛り上げる実況役に回るとしよう! 実況は必要かい!?』
『いや、普通に見といて』
ポムニが即座に却下したため、ケインは少ししょんぼりしながらも大人しく観戦モードに入った。
簡単な左右移動やジャンプの確認を終えると、ズーブルが画面上のカーソルを操作しながら言った。
『これで確認はできてるでしょ。じゃあ始めれば?』
「……一戦だけな」
エイドリアンはそう言いながら、手元のコントローラーで簡単なレースゲームを起動した。
第一レース。参加者はエイドリアン、ポムニ、ズーブル、ラガタの四人。ガングルとキンガーは画面の横から観戦する。
スタート前、エイドリアンは初心者向けでギミックの少ないオーソドックスなコースを選んだ。
ポムニは画面に表示された操作説明を真剣に読み込みながら、キャラクターの車体性能の差を気にしている。
ズーブルはすでに最高速度が高い尖った性能の車を選び終え、指を鳴らして準備万端だ。
ラガタは見た目の可愛さで選びつつも、加速性能のパラメーターをしっかりチェックしていた。
カウントダウンがゼロになり、四台のカートが一斉に走り出す。
ポムニは最初、カーブの曲がり方が分からず何度か壁にぶつかったが、操作に慣れてくると、前を走るラガタへ向かって正確に妨害アイテムを投げつけ始めた。
『あっ! ポムニ、今当てたわね!』
『あ、ごめん! ……でもゲームだから!』
ズーブルは最初からトップ集団に食い込み、ミスなくコーナーを曲がっていく。
ラガタは誰かにアイテムを使うことに一瞬ためらいを見せていたが、ズーブルから容赦ない妨害を受けてスピンした直後、『……もう遠慮しないわよ』と反撃モードに入った。
エイドリアンは全体の操作遅延や入力ラグがないかを確認するため、あえて順位を争わず、少し後ろから三人の走りを見守っていた。
三周目、上位が団子状態になったところで、キンガーがバケツの奥から言った。
『ポムニ、その速度だと次のカーブを曲がりきれないぞ』
直後、コーナーを曲がりきれなかったポムニのカートが、見事にコースアウトして崖下へ転落した。
『ちょっと、もっと早く言ってよ!』
『気づいた時には、もうカーブの手前だったんだ』
第一レースは、終盤の競り合いを制したズーブルが一位。ラガタが二位、ポムニが三位で、エイドリアンは最下位だった。
『あんた、手抜いてたでしょ』
結果画面を見るなり、ズーブルがエイドリアンへ鋭く指摘した。
「最初だったからな。操作の遅延がないか、様子を見ていたんだ」
『別に手加減してって頼んでないけど』
ポムニもコントローラーを握り直しながら、少し不満そうに口を尖らせた。
『次は普通にやりなさいよ』
『私も次は負けないわ』
ズーブルが再戦を要求し、ラガタも同意する。
第二レース。
今度はエイドリアンも最初から手加減なしで走った。住人たちも一戦目より操作に慣れており、レースの展開は一気に激しさを増す。
序盤はエイドリアンが完璧なライン取りで先行し、ズーブルが最短ルートでその後を猛追する。ポムニは後方からアイテムを乱れ撃ちして順位を上げ、ラガタはピンポイントで上位陣を狙って妨害アイテムを放つ。
終盤、エイドリアンに妨害アイテムが集中し、足止めを食らっている間にズーブルが一位でゴールを駆け抜けた。エイドリアンが二位に入り、ポムニとラガタがその後に続いた。
『ふん、初心者相手に手を抜いた罰ね』
ズーブルはコントローラーを回して肩をすくめた。
『でも、最後のアイテム運が良かっただけじゃない?』
『はあ? あれは実力よ。あんたのカーブの曲がり方が甘いのよ』
『次は私があの車使うから!』
ポムニとズーブルが、軽い口論を始めた。
数戦した後、参加者を交代することになった。
ガングルは最初、誰かに妨害アイテムを当てることをためらっていたが、適当に後ろへ投げたアイテムが運悪くズーブルに直撃した。
『ひっ! ご、ごめんなさいズーブル!』
『今のはゲームなんだから謝らなくていいよ』
ポムニに励まされ、ガングルも次第に攻撃へ慣れていった。次に誰かへ当てた時には、謝るより先に小さな笑い声が漏れた。
キンガーはバケツを斜めに被ったまま参加した。
縁の下から覗く片目だけで画面を見ているはずなのに、飛んでくる障害物を妙に正確なタイミングで避けていく。さらに、他の誰も気づかない隠し通路を平然と通過し、一気に順位を上げる。
『ラガタ、そこの岩の後ろが近道だぞ』
『本当? ……あ、本当に道があるわ!』
だが、そのまま一位でゴールするかと思いきや、ゴールラインの目の前でなぜか急ブレーキをかけ、後続に抜かれるまでじっと待っていた。
『ふむ、全員揃ってゴールした方が美しい隊列になるのではないかな……』
レースゲームが一段落し、エイドリアンがそろそろ映画にと言いかけた時、ズーブルがゲーム一覧の中から格闘ゲームのパッケージアイコンを見つけた。
『これ、二人で殴り合うやつ?』
「ああ。一対一の対戦型格闘ゲームだ」
『面白そうじゃない。ちょっとやらせてよ』
初戦。エイドリアンは操作を説明しながら始めたが、ズーブルは説明もそこそこに、エイドリアンのキャラクターに強烈なキックを叩き込んだ。
「おい、まだ説明の途中だぞ」
『もう始まってるんだから、ぼーっと喋ってる方が悪いでしょ』
エイドリアンもため息をつき、普通に応戦を始めた。
最初は、経験者であるエイドリアンが間合いを制圧し、明確な差をつけて勝利した。だが、ズーブルは試合の中で、攻撃の届く範囲、ガードのタイミング、投げ技への対処を急速に学習していった。
『もう一回』
ズーブルが即座に再戦を要求した。
二戦目。今度はズーブルが、エイドリアンの牽制を警戒し、間合いの外で待つようになった。エイドリアンがガードを崩そうと投げを狙うと、ズーブルは的確なジャンプで避けて反撃を入れた。
画面上の二体のキャラクターが激しく交錯し、双方の体力がドット単位まで削られた。
『そこっ!』
ズーブルの放った大技を、エイドリアンがギリギリのタイミングでガードし、確定の反撃を叩き込んでKOの文字が画面に表示された。
「……危なかったな」
『チッ。もう少しだったのに』
ズーブルが舌打ちをして鼻を鳴らす。
「なら、もう一戦だ」
エイドリアンが三戦目を要求しようとしたが、ポムニが間に割って入った。
『ちょっと、映画見る時間なくなるんだけど。いつまでやってるの』
『……仕方ないわね。でも映画の後でもう一回。一度も勝てないまま終われないから』
ズーブルはコントローラーを置いて引き下がった。
映画へ戻る前に、他の住人たちも少しずつ別のゲームをつまみ食いした。
ガングルは音楽に合わせてボタンを押すリズムゲームに挑戦した。彼女は映像と音楽へ集中し、高いコンボを繋げていく。やがて見事な高得点を叩き出した。
「すごいな。完璧なタイミングだった」
エイドリアンが素直に褒めると、ガングルは画面の前で嬉しそうにクルクルと回った。
ラガタはポムニと組んで、二人用の協力アクションゲームを遊んだ。
『あ、ラガタ! 今スイッチ離すの早い!』
『でもポムニ、今のはそっちがジャンプするの遅かったわよ?』
ラガタはポムニと笑い合いながらゲームを楽しんでいた。
キンガーは画面上のブロックを消していくパズルゲームを遊んだ。
バケツの影に顔を沈めたキンガーは、複雑な法則を誰よりも早く見抜き、誰も気づかなかった連鎖の解法をあっさりと導き出した。だが、見事な大連鎖を決めた直後、次の簡単な操作で決定ボタンとキャンセルボタンを間違え、盤面を無駄にしてしまった。
『ああっ、今ので全部崩れた! 決定と取り消しが逆だったのか……』
最後に、エイドリアンとポムニで、二人用の短い協力パズルゲームを遊ぶことになった。
エイドリアン側の画面には「全体地図」が、ポムニ側の画面には「迷路の視点」が表示されており、互いに見えている情報が違う。言葉で誘導し合わなければクリアできない仕組みだ。
「いいかポムニ、まず現在地から北へ三歩進んで、そこにある赤いレバーの横を通り過ぎたら、東へ向かって——」
『長い。今は右か左かだけ言って』
エイドリアンの細かすぎる指示を、ポムニがバッサリと切る。
「……分かった。とりあえず右だ」
エイドリアンは指示を極力短くした。
しかし、途中でポムニがエイドリアンの言葉を最後まで聞かずに角を曲がり、罠に引っかかってゲームオーバーになってしまった。
「すまん、俺の指示のタイミングが遅かったか」
『いや、今のは私が先に動いたから』
今度は役割を交代し、ポムニが地図を見てエイドリアンを誘導することになった。
『えっと、そこをまっすぐ行って、曲がる』
「曲がると言われても、ここは分かれ道が三本あるんだが。どれだ?」
『あ、ごめん! 一番右の道!』
ポムニは逆に説明が短すぎて、必要な情報まで省いてしまう。
二度、三度と失敗を繰り返しながら、互いがどこまで説明を必要とするのか、少しずつ分かってきた。
最後の扉を開け、クリア画面が表示される。
『ふぅ……やっと終わった』
ポムニがコントローラーを置き、笑って大きく息を吐いた。エイドリアンも安堵の息を漏らす。
『まあ、最初よりはマシになったんじゃない?』
横で見ていたズーブルが言った。
ゲームを交代する合間には、取り留めのない雑談が続いた。
エイドリアンが子供の頃に遊んだ古いゲームの話。「ゲームは失敗しても、すぐにやり直せるところがいい」というラガタの感想。ズーブルの、キャラクター性能の偏りへの文句。
キンガーが『昔、これと似たような四角いブロックを延々と積み上げる夢を見た気がする……』と呟いたりもした。
かなり時間が経ち、ようやく本来の目的である「映画を見る」という話に戻った。
エイドリアンが「飲み物と食べ物を取ってくる」と言って、携帯端末で通信を繋いだままキッチンへ向かう。
彼は鍋でコーンを弾けさせ、キャラメルを絡めてポップコーンを作った。
その様子を画面越しに見ていたケインが、住人たちへ確認を取った。
『おお! それは映画館に欠かせない魅惑の食べ物だね! 現実側と同じものをこちらにも用意できると思うが、味付けはどうする?』
『私は普通の塩味で』
『じゃあ、私はキャラメルにしようかしら』
『私は甘すぎないやつにして』
『あ、あの……私も、エイドリアンさんと同じものを……』
ポムニ、ラガタ、ズーブル、ガングルがそれぞれリクエストを出す。ケインはキンガーにも希望を聞き、それぞれの手元へとポップコーンを出現させた。
キンガーはバケツを被ったまま、縁の隙間から器用にポップコーンを放り込んでいる。だが、何個かは狙いが外れてバケツの底へ落ちたようで、彼が動くたびに中でカラカラと音が鳴っていた。
『そういえばあんたの家の棚、やたら保存食とかシリアルばっかりだったけど。本当に普段ちゃんと食べてるの?』
ズーブルが、キッチンの様子を見て指摘した。
『それ、私も前から気になってた』
ポムニも加わる。
「研究や作業で忙しい時に、手早く済ませるためのものだよ。普段はちゃんとしたものを自炊してる」
エイドリアンがそう言うと、二人は疑わしそうな目を向けたが、それ以上は追及しなかった。
地下工作室に戻り、映画選びが始まった。
エイドリアンがガングルの用意した条件ボードを確認しながら、候補のパッケージ画像を画面に並べるが、全員の意見は割れた。
『大爆発と宇宙戦争と感動の歌が詰まった作品がいい!』
ケインが要求する。
『三時間以上あるやつと、感動を押し付けてくるのは無理』
ズーブルが条件を絞る。
『映像が綺麗で、音楽が素敵なのがいいな……』
ガングルが控えめに主張する。
『できれば明るい話がいいわね』
ラガタもそう言いつつ、自分の見たい作品を推した。
キンガーは古いSF映画のパッケージに妙な関心を示し、バケツの縁から片目を覗かせたままツッコミを入れる。
『ふむ……この宇宙船は外殻が薄すぎる。デブリとの衝突を考慮していない設計だ』
『せっかくだから、こっちの誰も内容を知らないやつがいいな』
ポムニの提案もあり、最終的に、全員の妥協点として「コメディ要素のあるSFアドベンチャー」に決まった。
ケインが中央区域の照明をゆっくりと落としていく。
暗闇の中で、キンガーの片目だけがスクリーンの光を反射している。周囲が暗くなるにつれてバケツの内側の影も深まり、キンガーの姿勢や声はさらに落ち着いていった。
エイドリアン側も地下室の照明を落とし、椅子を大型モニターの正面へと移動させた。
サーカス側のスクリーンと、現実側のモニター。全員が座り直し、上映開始までの、少し静かで期待に満ちた時間が流れる。
やがて、映画が始まった。
『さあ、待ちに待った上映開始だ! 果たして――』
『ケイン、ちょっと黙って見て』
冒頭、喋り始めたケインをポムニが軽く注意して止める。ケインは最初は静かに見ていたが、しばらくすると面白い映像表現に目を輝かせた。
『なるほど、これは世界生成の参考になるな……』
思わず小声で呟いていた。
笑える場面では、ラガタが声を上げて笑い、ガングルも楽しそうに声を漏らしている。ズーブルは口元がわずかに動いただけで、すぐにポップコーンへ手を伸ばして笑いを誤魔化していた。ポムニは登場人物の間の抜けた行動に的確なツッコミを入れ、キンガーも落ち着いた声で会話に混ざっている。
驚かせる場面。
ズーブルは全く別の方向から飛び出してきた怪物にビクッと身体を震わせた。
『……音が大きかっただけよ』
強がるズーブルに、ポムニも胸元を押さえながら映画の演出に文句を言っている。ガングルは小さく悲鳴を上げてリボンで仮面を覆った。
そして、物語の核心に迫る静かな場面。
全員が言葉を発することなく、黙ってスクリーンを見つめる時間が訪れた。
スクリーンの淡い光が、住人たちの顔を青白く照らし出している。キンガーはバケツの影の中で、片目だけを真っ直ぐに画面へ向けている。ポムニも瞬きを忘れ、映画の展開に没入していた。
エイドリアンは映画の画面から視線を外し、一度だけ、手元の観測モニターに映る住人たちの様子を見た。観測モニターの向こうでは、住人たちが揃って同じ場面に見入っていた。
映画が終わり、エンドロールが流れ始めても、誰もすぐには喋り出さなかった。真っ黒な画面にクレジットが流れる中、余韻を噛み締めるような間があった。
『あの主人公、最後の判断はおかしいでしょ。燃料の残量も怪物の位置も確認しないで、あそこで助けに戻ったら全滅してたかもしれないのよ』
ズーブルが早速、脚本に文句を付け始めた。
『でも、あの星空の映像と音楽、すごく綺麗だった……』
『私は、主人公が仲間を見捨てなかったところが好きよ』
『私は納得いかないな。あそこで隠れてた方が絶対安全だったのに』
ガングルやラガタが語り、ポムニは納得できなかった展開を直接指摘する。エイドリアンも「映画の文法としては王道だが、現実的に考えればポムニの言う通りだな」と客観的に答えた。
『主人公が戻ったのは合理的ではなかった。でも、あそこで見捨てていたら、最後まで自分を許せなかったんだろう』
キンガーが落ち着いた声で感想を述べた。短い沈黙の後、ズーブルが小さく息を吐いて返す。
『……まあ、そうね。気持ちは分からなくもないわ』
『素晴らしい映画だった! ねえ、この作品を参考にした冒険も作れそうだが、興味はあるかい!?』
ケインが目を輝かせて提案する。
『……怪物に追われるだけのやつは嫌』
『強制参加はなしにしてよね』
『宇宙の景色は、ちょっと見てみたいかも……』
ポムニ、ズーブル、ガングルが次々と条件を出す。
『なるほど、追跡要素は控えめ、希望者制、景色重視だね! しっかりメモしておこう!』
ケインは嬉しそうに書き留めた。
感想戦が落ち着き、そろそろ解散かという空気が流れた時、ズーブルが立ち上がって言った。
『で、さっきの続きは?』
『えっ、まだやるの?』
『当然でしょ。一度も勝てないまま終われないから』
ズーブルの挑戦的な視線に、エイドリアンもコントローラーを握り直した。
三戦目の格闘ゲームが始まる。
他の住人たちも帰らずに、横で見守っていた。キンガーは部屋の照明が明るく戻っても、バケツを被ったまま定位置に座っている。
互いの体力が残りわずかになった終盤、エイドリアンの攻撃を紙一重でかわしたズーブルが、カウンターからコンボを繋いだ。画面にKOの文字が表示される。
『よし。今度は取った』
「最後は完全に読まれたな。今回は俺の負けだ」
ズーブルが満足そうにコントローラーを置いたことで、今度こそ本当に通信を終了する時間になった。
皆が少しずつ画面から離れていく。
ガングルとラガタは映画の感想を言い合いながら部屋へ戻り、ズーブルは『次は別のキャラも試すから』と言い残して去っていく。キンガーはバケツを被ったまま枕の砦へと帰っていった。ケインが上映設備をこのまま残してよいか、住人たちへ確認している。
最後に、ポムニが少しだけ画面の前に残った。
『映画を見るだけの予定だったのにね。結局、ゲームしてた時間の方が長かった気がする』
「俺も、ここまで長くなるとは思っていなかったよ」
『でも、またやろう。次は別のゲームも見たい』
「ああ。また連絡する」
通信が切断され、プツンという音と共に、モニターが元の作業画面に戻る。
住人たちの声が消え、地下工作室には機械の作動音だけが残った。
エイドリアンの机の上には、食べかけのポップコーンの器と、空になったマグカップ、起動したままのゲーム機、そして何度も参加者が入れ替わった入力ログが残されている。画面の端には、映画の再生完了記録が表示されていた。
背後では、作業用AIから「新サーバーの隔離機構・部品検査完了」の通知が控えめな音で出されていた。
だが、エイドリアンはすぐには作業に戻らなかった。
同じ場所にはいなかった。手で触れることもできなかった。
それでも、確かに同じ時間を共有し、笑い、遊び倒した痕跡が、そこには残されていた。