こより監督とホロメンたちの栄冠ナイン 2022年、ホロライブ高校始動 作:きのこ大三元
5月1日、月曜日。
月初めの個別指示を終えたばかりのグラウンドには、いつもと少し違う空気が残っていた。
同じ土。
同じ白線。
同じように響く選手たちの声。
けれど、選手たちの動きには、昨日までとは違う意識が混じっている。
投手は、より長く、より強く投げるために。
捕手は、守備の中心として投手を支えるために。
内野手は、強い打球に対応し、打席でも存在感を出すために。
外野手は、確実に捕り、広く守り、次の塁を狙わせないために。
それぞれが、自分に与えられた方向へ向かって動き始めていた。
『5月です! ここからもっと育てていくよ!』
配信の向こうで、こより監督の声が弾む。
5月突入
ここから育成本番
夏まで時間ないぞ
みんな伸びてくれ
個別指示の成果楽しみ
こより監督は、手元のメモを見ていた。
選手の名前。伸ばしたい能力。任せたい役割。
監督として考えることは増えた。
けれど、その分だけ、選手たちの未来が少しずつ形になっていく気がした。
その時だった。
こより監督は、グラウンドの端に見慣れない人物が立っていることに気づいた。
50代後半くらいの男性だった。
白髪が多く、鋭い目つきをしている。銀縁の眼鏡をかけ、片手には小さな手帳を持っていた。
ただの見学者ではない。
その場にいるだけで、そう分かる雰囲気があった。
「杉谷さん、あの方は……?」
こより監督が小声で尋ねると、杉谷は少し表情を引き締めた。
「あの方、プロ野球チームのスカウトさんみたいです」
「スカウト……!」
その言葉に、選手たちの間にも緊張が走った。
プロ。
まだ遠い世界のように思える言葉だった。
甲子園すら、まだ見たことがない。県大会の初戦も、まだ戦っていない。
それでも、その世界から来た人間が、今、自分たちの練習を見ている。
スカウトきた!?
早いな
見られてるぞ
プロの人だ
評価上げたい
スカウトは、何も言わずにグラウンドを見ていた。
手帳を開き、時々何かを書き込む。
その仕草だけで、選手たちの背筋が少し伸びた。
練習は、普段通りに始まった。
キャッチボール。
素振り。
遠投。
守備練習。
走り込み。
やっていることは、いつもの練習と大きく変わらない。
けれど、見られていると思うだけで、グラウンドの空気は変わる。
大神ミオは、いつも以上に力強く腕を振っていた。
投手として、少しでもいい球を見せたいという気持ちが伝わってくる。
猫又おかゆは、少しだけ緊張しているようにも見えた。
それでも、自分のペースは崩さない。深く息をしてから、いつものようにボールを投げる。
赤井はあと――はあちゃまは、声を出して場を引っ張っていた。
「いきましょう! 今日も元気よく!」
その声で、少し硬くなっていた空気がほぐれる。
獅白ぼたんは、余計な力を入れすぎず、落ち着いた動きで三塁の守備練習をこなしていた。
強い打球が飛んでも、慌てない。捕って、投げる。その動きに無駄が少ない。
夜空メルは、少しぎこちなかった。
スカウトの視線を意識しているのか、捕球の前にわずかに動きが硬くなる。
それでも、ボールを追う足は止まらなかった。
「もう一本、お願いします!」
そして、こよロー。
遠投でも、打撃でも、やはり目を引いた。
外野での一歩目が速い。
返球が低く伸びる。
素振りの音が鋭い。
何より、練習している時の表情が明るい。
スカウトの視線が、何度かこよローの方へ向いた。
手帳に、短く何かが書き込まれる。
『今、見てた? こよロー見られてた?』
こよロー目立つ
スカウト見てる
これは評価上がる?
真面目に練習してる
みんな頑張れ
真面目に練習しているところを、ばっちり見てもらえたようだった。
選手たちへの評価が、少し上がった気がした。
練習の合間。
スカウトが、こより監督へ近づいてきた。
「博衣監督」
「は、はい!」
こより監督は、思わず背筋を伸ばす。
スカウトは、グラウンドへ視線を向けたまま、静かな声で尋ねた。
「今年のおすすめの選手はいますか?」
「おすすめの選手……」
突然の質問だった。
こより監督は、少しだけ迷う。
真面目に練習へ取り組む投手。
捕手として声を出せる選手。
落ち着いて守備をこなす内野手。
経験のある上級生。
前向きに食らいつく新入生。
どの選手にも、見てほしいところはあった。
けれど。
外野に、ひとり。
どうしても目を引く1年生がいる。
「……こよローです」
スカウトの眉が、少しだけ動いた。
「こよロー?」
「はい。正式には、外野手の博衣こよりです。監督の私と同じ名前なので、チーム内ではこよローと呼んでいます」
「ほう」
「まだ1年生ですが、将来性はかなり高いと思います」
こより監督は、グラウンドにいるこよローを見る。
走れる。
守れる。
投げられる。
そして、打撃にも可能性がある。
完成された選手ではない。
まだ高校野球に慣れていないところもある。これから覚えることも、伸ばすべき力も多い。
けれど、これから大きく伸びる予感がある。
「外野手としての動きが良くて、送球も強いです。打撃も、もっと伸びると思います」
スカウトは、手帳に何かを書き足した。
「……1年生ですか」
「はい」
「覚えておきましょう」
その言葉に、こより監督は少しだけ息を吐いた。
『こよロー、推薦しました!』
こよロー推薦
1年生でスカウトに名前覚えられるの強い
将来性枠
監督のおすすめ
これは熱い
選手の未来を、誰かに見てもらえる。
それは、監督として少し嬉しいことだった。
スカウトが帰った後、グラウンドの緊張は少しずつほどけていった。
選手たちの声も、少しずついつもの調子に戻っていく。
けれど、こより監督の中には、さっきの会話がまだ残っていた。
誰を勧めるのか。
その質問に答えるということは、選手の未来を考えることでもある。
今どれだけ強いか。
今どれだけ目立つか。
それだけではない。
これからどう伸びるか。
どんな場面でチームを支えるか。
どんな選手になれるか。
監督は、それを見ていかなければならない。
「次は……メンタルトレーニングにしてみます」
こより監督が、予定表を見ながら言った。
「メンタルトレーニング、ですね」
杉谷は、少し首を傾げながらもメモを確認した。
「精神面を鍛える練習ですね。試合で緊張しにくくなったり、粘り強くなったりするかもしれません」
「精神面……」
こより監督は、グラウンドを見渡す。
試合で必要なのは、技術だけではない。
満塁のピンチで投げる投手。
2アウトで打席に立つ打者。
ミスを引きずらず、次のプレーへ向かう守備。
負けていても声を出し続けるベンチ。
心が折れたら、体は動かなくなる。
逆に、心が踏ん張れば、あと一球、あと一歩、あと一振りが変わるかもしれない。
「よし。次は、メンタルを鍛えていきましょう!」
『メンタルトレーニング! これも大事そう!』
メンタルきた
謎練習だ
でも試合で大事
チャンスに強くなれ
ピンチで踏ん張ってほしい
こうして、ホロライブ高校野球部は、少し不思議な練習に入ることになった。
5月3日、水曜日。
数日間のメンタルトレーニングは、少し不思議な時間だった。
謎の本をみんなで読む。
集中して呼吸を整える。
目を閉じて、自分が打つ場面を想像する。
ピンチの場面を想定して、どう声をかけるかを考える。
ミスをした後、どう切り替えるかを話し合う。
最初は、選手たちも半信半疑だった。
「これで強くなるんですか?」
はあちゃまが、不思議そうに本を見つめる。
「たぶん、心が強くなる……はず!」
「たぶん!?」
こより監督の答えに、周囲が少し笑う。
けれど、練習が進むにつれて、選手たちは次第に真剣になっていった。
大神ミオは、ピンチでも腕を振り抜く自分を想像する。
「ランナーが出ても、逃げない。ちゃんと投げる……」
猫又おかゆは、静かに深呼吸を繰り返していた。
「吸って、吐いて……うん、ちょっと落ち着くかも」
はあちゃまは、声でチームを鼓舞する練習をする。
「大丈夫! 次、取れます! 切り替えていきましょう!」
その声は、やはりよく通った。
獅白ぼたんは、状況を読む訓練に向いていた。
「点差、アウトカウント、ランナーの位置。慌てる前に、まず確認ですね」
こよローは、チャンスで打つ自分を何度も想像している。
「ここで打ったら、すごく気持ちよさそうですね!」
「想像が前向き!」
そして、夜空メルは。
失敗した後に、次へ向かう練習をしていた。
「フライを落としても……次、ちゃんと捕る。三振しても、次の打席で振る……」
言葉にすると簡単だ。
でも、実際に失敗した後、すぐ前を向くのは難しい。
メルは少し緊張した顔で、それでも何度も頷いていた。
派手ではない。
ボールの音もしない。
バットの音もしない。
けれど、みんな精神的に少し成長した気がした。
『メンタル、大事だね……試合で絶対必要になるやつだ』
地味だけど大事
ミオしゃ真面目
おかゆん落ち着いてる
はあちゃまの声いい
メルメル頑張れ
心を鍛える。
それもまた、野球の練習だった。
その日の練習後。
杉谷が、こより監督のところへ小走りでやってきた。
「監督。今日は、特訓のチャンスがあるみたいです」
「特訓?」
こより監督が顔を上げる。
杉谷は、少し緊張したように説明した。
「はい。選手が新しい能力を身につけられるかもしれない、特別な練習です」
「新しい能力……!」
その言葉だけで、コメント欄が一気に反応した。
特訓きた!
青特チャンス
誰にいく?
ここ大事
成功してくれ
誰を選ぶか。
何を覚えさせるか。
そして、成功するかどうか。
すべてが確実ではない。
こより監督の頭に、いくつかの名前が浮かんだ。
こよロー。
すでに将来性を見せている外野手。
強い選手をさらに伸ばせば、チームの柱になるかもしれない。
獅白ぼたん。
パワーを伸ばしている三塁手。
打撃の武器を持てば、打線の迫力が増す。
そして、夜空メル。
まだ目立つ選手ではない。
外野手としても、打者としても、これからの選手。
けれど、前向きに練習へ食らいついている。
失敗しても、もう一回と声を出せる。
こより監督は、少しだけ迷った。
能力の高い選手をさらに伸ばすか。
主力候補に強い武器を持たせるか。
それとも、まだまだ成長の余地がある選手に賭けるか。
やがて、こより監督は顔を上げた。
「メルメル、やってみましょう」
「えっ、私ですか?」
夜空メルが、驚いたように目を丸くする。
「うん。メルメルには、まだ伸びる余地があると思うんです」
「私に……」
メルは、自分の胸に手を当てるようにして、少しだけ言葉を止めた。
こよローではなく。
ぼたんでもなく。
自分が選ばれた。
そのことに、メルは驚いているようだった。
『メルメルでいきます!』
メルメル!?
成長枠きた
いいぞ
これは応援したい
成功してくれ
特訓で選べる項目はいくつかあった。
逆境○。
サヨナラ安打男。
決勝打。
広角打法。
かく乱。
どれも、覚えれば試合で武器になる能力だった。
ただし、難易度はそれぞれ違う。成功しやすそうなものもあれば、かなり難しそうなものもある。
こより監督の目が、ひとつの項目で止まった。
「広角打法……」
左右どちらにも強い打球を飛ばせる打撃技術。
引っ張るだけではなく、逆方向にも力のある打球を打てる。打者としての幅が広がる能力。
杉谷が、少し驚いたように言う。
「監督、それはかなり難しいかもしれません」
「うん……でも」
こより監督は、メルを見る。
まだ自信なさそうに立っている外野手。
けれど、失敗しても止まらない選手。
「でも、メルメルならできるかもしれません」
根拠は薄い。
ただ安全な選択だけをしていては、見えない未来もある。
「メルメル。広角打法、挑戦してみましょう」
「はい……!」
メルは緊張しながらも、バットを握った。
特訓が始まった。
右へ打つ。
左へ打つ。
センターへ返す。
引っ張るだけではなく、逆方向へも強い打球を飛ばす。
最初は、うまくいかなかった。
力が入りすぎる。
タイミングがずれる。
打球が弱くなる。
狙いすぎて空振りする。
カン、と軽い音がして、打球が力なく転がる。
「ご、ごめんなさい!」
「大丈夫! もう一回いこう!」
こより監督が声をかける。
メルは、唇をきゅっと結んで頷いた。
「もう一回、お願いします!」
何度もバットを振る。
何度も失敗する。
それでも、何度も挑戦する。
こよローのように、最初から目を引くわけではない。
ぼたんのように、強さが分かりやすいわけでもない。
メルは、まだ不器用だった。
けれど、今のメルには確かに熱があった。
「メルメル、逆方向を意識しすぎて体が開いてるかも!」
「はい!」
「ボールを最後まで見て!」
「はい!」
「焦らなくていい。ちゃんと振れてるよ!」
「……はい!」
返事が、少しずつ強くなる。
失敗しても、次を見る。
空振りしても、次に構える。
弱い打球でも、もう一回と声を出す。
メンタルトレーニングで練習したことが、こんなところで少しだけ生きているようにも見えた。
そして、最後の一本。
投げられた球を、メルは引っ張りにいかなかった。
少しだけ待つ。
バットを出す。
体を残す。
カン、という音がした。
今度の打球は、違った。
流しただけの弱い打球ではない。
逆方向へ、しっかりと力の乗った白球が伸びていく。
外野の芝へ、綺麗に落ちた。
「……今の」
杉谷が、驚いたように声を上げる。
「監督……今の、かなり良かったです!」
メルは、息を切らしながらバットを握っていた。
それから、少し遅れて笑う。
「できた……?」
こより監督は、大きく頷いた。
「できました! メルメル、今のすごく良かったです!」
夜空メルは、広角打法を覚えた。
『メルメル、広角打法きちゃあああああ!』
コメント欄が爆発した。
うおおおおお
成功した!?
メルメルすごい!
広角打法!?
これはでかい
予想外すぎる
成長枠きたあああ
誰も予想していなかった、小さな才能の開花だった。
最初は能力が低めの、ただ前向きな外野手。
そう思っていた選手が、予想外の未来を見せた瞬間だった。
メルは、自分の打球が落ちた外野の方を見ている。
自分でも、まだ信じ切れていない顔だった。
こより監督は、その横顔を見つめた。
強い選手だけが、未来を作るわけではない。
最初の能力が低くても、伸びる選手はいる。
きっかけひとつで、別の顔を見せる選手もいる。
栄冠ナインは、そういう場所なのかもしれない。
夕方のグラウンドには、まだ熱が残っていた。
スカウトが来て、こよローの名前が外の世界へ少しだけ届いた。
メンタルトレーニングで、選手たちは心を整えることを覚え始めた。
そして、メルメルは特訓で広角打法を身につけた。
ほんの数日で、ホロライブ高校野球部はまた少し変わった。
こより監督は、メルに声をかける。
「メルメル」
「はい!」
「今日の一本、忘れないでください」
「……はい!」
メルは、ぎゅっとバットを握る。
「私、もっと打てるようになりたいです」
その言葉に、こより監督は嬉しそうに笑った。
「なれます。一緒に頑張りましょう」
「はい!」
夏は、まだ遠い。
試合も、まだこれからだ。
ホロライブ高校は、強豪でも名門でもない。
けれど、このチームには、思っていたよりもたくさんの可能性が眠っている。
『ホロライブ高校、まだまだ伸びます!』
こより監督の声が、画面の向こうで弾んだ。
メルメル応援したい
広角打法は熱い
こよローも楽しみ
スカウトも来たし流れきてる
ホロライブ高校、可能性あるぞ
次の練習指示へ。
チームは、さらに前へ進んでいく。
夏へ向けた準備は、まだ始まったばかりだった。