こより監督とホロメンたちの栄冠ナイン 2022年、ホロライブ高校始動   作:きのこ大三元

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第11話 赤いマスの予感

5月5日(金)雨。

 

 朝から降っていた雨は、昼を過ぎても弱まらなかった。グラウンドの土は湿り、白線は少しぼやけている。ベース周りには小さな水たまりができ、外で思い切り打ったり走ったりするには少し難しい天気だった。

 

 けれど、野球部の時間は止まらない。雨の日でも、できる練習はある。屋内での筋トレ。体幹づくり。腕、肩、胸、指先に負荷をかける基礎練習。

 

 ホロライブ高校野球部は、この日から5日間、指立て伏せを中心にした練習へ入っていた。

 

『雨でも練習はできます! 今日は指立て伏せ、いきます!』

 

雨の日練習だ

また指立て伏せ

基礎大事

パワー上げたい

地味だけど効くやつ

 

 コメント欄は、もうこの練習のきつさを知っている。指先で体を支え、腕で押し上げ、肩と胸で耐える。体幹が崩れないように腹に力を入れる。

 

 派手さはない。打球音もない。歓声が上がる練習でもない。けれど、野球に必要な力は、こういう地味な時間の中で少しずつ作られていく。

 

「いきます……!」

 

 大神ミオは、苦しそうにしながらも最後までやり切ろうとしていた。腕が震えても、途中で投げ出さない。投手として必要な体力も、こうしたところから作られるのだと、本人も分かっているようだった。

 

「ミオしゃ、無理しすぎないでね!」

「はい! でも、最後までやります!」

 

 その返事には、相変わらず熱がある。

 

 猫又おかゆは、隣で自分のペースを守っていた。派手に声を出すわけではない。けれど、止まらない。淡々と、できる範囲で続けていく。

 

「おかゆん、大丈夫?」

「うん。ゆっくりなら、なんとか」

 

 赤井はあと――はあちゃまは、きつい練習でも声が大きかった。

 

「いーち! にー! さん!」

「はあちゃま、数えるの早くない!?」

「声出しも兼ねてます!」

「兼ねすぎ!」

 

 周りの選手たちが少し笑う。

 

 獅白ぼたんは、余裕があるように見せていた。表情は落ち着いている。だが、よく見ると指先にしっかり力が入っていて、回数を重ねるごとに呼吸も少しずつ重くなっていた。

 

「ぼたんちゃん、余裕そうに見えるね」

「見えるだけですよ。普通にきついです」

「あ、やっぱりきついんだ」

 

 夜空メルは、必死だった。広角打法を覚えてから、メルの練習への向き合い方は少し変わったように見える。自分にもできることがあるかもしれない。そう思えた分、もう一回、もう一回と食らいつく力が少し増えていた。

 

「メルメル、腕大丈夫?」

「だ、大丈夫です……! 強い打球、打てるようになりたいので!」

 

 その横で、こよローはまだ足りないと言わんばかりに前のめりだった。

 

「もう一回いけます!」

「こよロー、ほんとに元気だね!?」

「強くなるなら、まだいけます!」

 

こよロー前向き

メルメルも頑張ってる

ミオしゃ根性ある

はあちゃま声で引っ張る

1年生たち慣れてきたな

 

 1年生たちは、ようやく野球部の練習に慣れてきたようだった。入学式の日は、まだ練習着も体に馴染んでいなかった。道具の場所も、先輩たちの名前も、練習の流れも、ひとつずつ覚えている途中だった。

 

 けれど、今は違う。誰が声を出すのか。誰が黙々と続けるのか。誰が前に出るのか。誰が周りを見るのか。少しずつ、それぞれの色が出始めている。

 

 こより監督は、その姿を見ながら思った。

 

 この中から、いったい誰が飛び抜けていくのだろうか。

 

 最初から目立つ選手。時間をかけて伸びる選手。きっかけひとつで化ける選手。まだ、誰にも分からない。だからこそ、練習を見る時間は面白かった。

 

 指立て伏せ。

 たったそれだけの練習にも、選手たちの未来が少しずつ滲んでいた。

 

5月10日(水)曇り。

 

 5日間の指立て伏せ練習が終わった。選手たちの腕や肩には、確かに疲労が残っている。すぐに打球が外野の頭を越えるようになるわけではない。明日から急に全員が強打者になるわけでもない。

 

 それでも、基礎の力は少しずつ積み上がっている。

 

『よし、指立て伏せはここまで! 次の練習を考えます!』

 

次は何だ

5月10日

GWも終わりか

育成進んできた

次のメニュー大事

 

 こより監督は、杉谷が広げた練習予定表を見つめていた。素振り、変化球投げ込み、指立て伏せ、守備連携、遠投、メンタルトレーニング、フォームチェック。4月からここまで、少しずつ練習を重ねてきた。

 

 そして次に選んだのは、スローイング練習だった。

 

「スローイングを中心にすれば、肩力が鍛えられるかもしれません」

 

 杉谷が、予定表を見ながら説明する。

 

「肩力……送球の力ですね」

「はい。外野からの返球、内野から一塁への送球、捕手の二塁送球、投手の腕の振り。どのポジションにも、投げる力は必要になります」

 

 こより監督は頷いた。強い打球を打つ力も大事だ。投手が投げる球も大事だ。けれど、守備でアウトを取るためには、捕った後に投げなければならない。

 

 外野手が返球する。内野手が素早く一塁へ送る。捕手が盗塁を刺す。投手がカバーに入って、次のプレーへ繋ぐ。投げる力が弱ければ、アウトにできるはずの走者がセーフになる。送球が乱れれば、ひとつのミスが次の塁へ繋がる。

 

「夏の大会までに、送球も鍛えておきたいですね」

「はい。守備の安定にも繋がると思います」

「よし。次の5日間は、スローイング練習でいきます!」

 

『肩力、鍛えていこう!』

 

スローイングきた

肩力大事

外野返球ほしい

捕手にも必要

守備でミス減らしたい

 

 こうして、ホロライブ高校野球部はスローイング練習へ移った。

 

 グラウンドでは、選手たちが距離を取って並んだ。まずは軽いキャッチボールから。そこから、少しずつ距離を伸ばしていく。足を使う。肩だけで投げない。相手の胸へ投げる。捕りやすい球を返す。

 

 ただ遠くへ投げるだけではない。野球の送球は、次のプレーへ繋がらなければ意味がない。

 

「こよロー、いきます!」

 

 外野の位置から、こよローがボールを握る。軽く助走をつけ、足を踏み込む。体がしなり、腕が振られる。白球が、低く伸びた。山なりではない。相手の胸元へ、一本の線を描くように届く。

 

「やっぱり、こよローの送球は目立つね……!」

 

 こより監督が思わず声を漏らす。

 

こよロー肩いいな

外野手って感じ

レーザービーム期待

送球きれい

これは試合で見たい

 

 同じ外野手の夜空メルは、その送球を横目に見ながら、自分のボールを握り直していた。

 

「メルメル、焦らなくていいよ!」

「はい! 相手の胸へ、ですね!」

 

 メルの送球は、まだ少し不安定だった。距離が伸びると、球が浮いたり、横へ逸れたりする。それでも、前より丁寧に投げようとしていた。捕球を重点的に練習しているからか、ボールを捕ってから投げるまでの動きにも、少しずつ意識が出てきている。

 

「今の、さっきより良かったです!」

「本当ですか?」

「うん! ちゃんと相手見て投げられてました!」

「よかった……!」

 

 赤井はあとは、捕手として投げ返す動作にも力が入っていた。

 

「捕るだけじゃなくて、投げるのも大事ですよね!」

「盗塁を刺すには、送球も必要だからね」

「任せてください! 二塁までビシッと投げます!」

 

 はあちゃまの声は、屋外でもよく通る。獅白ぼたんは、三塁手らしく、素早く握り替えて投げる練習をしていた。捕る。握り替える。踏み込む。投げる。無駄の少ない動き。落ち着いた表情。それでいて、送球にはしっかり力がある。

 

「ぼたんちゃん、三塁からの送球、安定してるね」

「強い打球が飛んでくる場所ですから。捕ってから慌てないようにしたいですね」

 

 1年生たちだけではない。2年生たちも、負けていなかった。稲葉さんは、外野でいつもより集中して送球練習へ取り組んでいる。こよローに刺激を受けたのか、返球までの動きに少し熱があった。

 

「稲葉さん、今日も集中してますね」

「後輩に見られてますから」

 

 短い返事だった。だが、その視線は鋭かった。

 

 投手の2年生、西川も、上級生としての意地を見せるように何度も腕を振っていた。

 

「もう一球、お願いします」

 

 そう言って、ボールを受け取り、また投げる。繰り返し。繰り返し。繰り返し。グラウンドには、ボールがミットに収まる音が続いていた。

 

 順調に見えた。

 

 少なくとも、その時までは。

 

5月14日(日)曇り。

 

 スローイング練習も、終わりに近づいていた。この日も、ホロライブ高校野球部は遠投と送球練習を繰り返していた。空は曇っている。風は強くない。練習には悪くない天気だった。

 

 いつもの声。いつもの足音。いつものミットの音。こより監督も、グラウンド脇で予定表を確認しながら、選手たちの動きを見ていた。

 

『スローイングも、だいぶ続けてきたね。みんな、少し肩が強くなった気がする!』

 

送球よくなってる?

こよロー相変わらずいい

メルメルも丁寧

はあちゃま捕手送球がんばれ

上級生も集中してる

 

 コメント欄も、いつも通りだった。

 

 その中に、ひとつだけ違う音が混じった。

 

 グキッ。

 

 嫌な音だった。乾いた音でも、ボールがミットに入る音でもない。足音でも、掛け声でもない。一瞬、グラウンドの空気が止まった。

 

「西川さん!」

 

 誰かが声を上げた。2年生投手の西川が、肩を押さえていた。表情が歪んでいる。痛みを誤魔化せる様子ではなかった。

 

「中断! 無理しないでください!」

 

 こより監督の声が、すぐに飛んだ。練習が止まる。ボールの音が消える。選手たちが一斉に西川の方を見る。杉谷と内匠が駆け寄った。

 

「西川さん、肩ですか?」

「……すみません。投げた時に、少し」

「無理に動かさないでください。ベンチへ行きましょう」

 

 西川は、ゆっくりとベンチへ移動した。肩を冷やす。アイシング。安静。無理をさせないこと。さっきまで続いていた練習の熱が、急に冷えていく。

 

大丈夫?

肩は怖い

無理しないで

西川さん……

赤マスか?

 

 コメント欄の流れも、少し変わった。こより監督は、ベンチで肩を冷やす西川を見ていた。大きな怪我ではないかもしれない。少し休めば戻れるかもしれない。けれど、さっきまで普通に投げていた選手が、急に肩を押さえた。

 

 それだけで、胸の奥に嫌な重さが残る。

 

 その日の練習後。

 

 こより監督は、スケジュール帳を見つめていた。日付が並ぶ。練習予定が並ぶ。進む先が並ぶ。その中に、今日の日付に重なるように赤い印が見えていた。

 

 赤いマス。

 

「杉谷さん……これは?」

 

 こより監督の声は、少し小さかった。杉谷は、慎重に言葉を選ぶように説明する。

 

「監督。この赤いマスに止まると、悪いイベントが起きやすいみたいです」

「悪いイベント……」

「はい。体調不良、練習効率の低下、怪我、思わぬトラブル。もちろん、必ず悪いことが起きるわけではありません。でも……」

 

 杉谷の視線が、ベンチの西川へ向く。こより監督も、同じ方向を見た。西川は、まだ肩を冷やしている。表情は少し落ち着いているが、すぐに練習へ戻れる様子ではない。

 

 赤いマス。ゲームの画面で見れば、ただの色のついたマスかもしれない。進行先のひとつにすぎないのかもしれない。けれど、グラウンドの中では違う。

 

 それは、選手の痛みになった。

 練習が止まる時間になった。

 チームの空気が冷える瞬間になった。

 

 これまで、こより監督は練習を選べば進むものだと思っていた。鍛えれば強くなるものだと思っていた。指示を出して、日数を進めて、少しずつ能力を伸ばしていくものだと思っていた。

 

 けれど、違う。

 

 選手は数字ではない。能力だけではない。腕がある。肩がある。疲労がある。痛みがある。無理をすれば、壊れてしまうこともある。

 

 こより監督は、スケジュール帳の赤いマスを見つめた。

 

「以後、気をつけます……」

 

 小さな声だった。だが、それは監督としての反省だった。

 

 スローイング練習の5日間は、肩力を鍛えるための時間になるはずだった。実際に、何人かの送球は少し良くなった気がする。遠投の距離も、送球の軌道も、少しずつ変わってきていた。

 

 こよローの返球は、相変わらず低く伸びる。メルメルは、前より丁寧に相手を見て投げるようになった。はあちゃまは、捕手としての送球に力を込めている。ぼたんは、三塁からの送球を落ち着いてこなす。稲葉さんも、上級生として外野の動きを磨いている。

 

 チームは、確かに少しずつ前へ進んでいた。けれど、その最後に西川が肩を痛めた。

 

 チームを強くすること。

 選手を鍛えること。

 勝つために練習すること。

 

 その全部に、責任がある。強くしたい。勝たせたい。甲子園へ連れていきたい。その気持ちが本物でも、選手の体を壊してしまったら意味がない。

 

 こより監督は、グラウンドの隅で肩を冷やしている西川を見た。

 

「西川さん、今日はもう休んでください。無理はしないで」

「……はい。すみません、監督」

「謝らなくていいです。ちゃんと治すことも、練習です」

 

 自分に言い聞かせるような言葉でもあった。西川は、小さく頷いた。夏の大会は近づいている。時間は多くない。けれど、焦ってはいけない。

 

『今日は……ちょっと反省です。赤いマス、怖いね』

 

こよ監督……

怪我は怖い

西川さん休んで

赤マス注意だな

無理は禁物

 

 コメント欄も、いつものような軽さだけではなかった。

 

 ホロライブ高校野球部は、初めて“順調ではない日”を経験した。次に進むのは、5月15日。グラウンドの空は、まだ曇っている。その曇り空の下で、こより監督はもう一度、練習予定表を見つめた。

 

 強くなるために進む。けれど、ただ進むだけではいけない。選手を見て、予定を見て、疲労を見て、赤いマスも見る。

 

 監督として覚えることは、まだまだ多かった。

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