こより監督とホロメンたちの栄冠ナイン 2022年、ホロライブ高校始動   作:きのこ大三元

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第3.5話 こよローという名前〈こよロー視点〉

 こよロー。

 

 最初にそう呼ばれた時、博衣こよりは、少しだけ目を瞬かせた。

 こよロー。強そうで、速そうで、なんとなく外野を走り回っていそうな名前。それでいて、少しだけくすぐったい。口の中で転がしてみると、思っていたより悪くなかった。

 

 自分の名前は、博衣こより。

 けれど今日から、この野球部にはもうひとりの博衣こよりがいる。あちらは監督で、こちらは選手。同じ名前を持つ、まったく別の博衣こより。

 

 それだけなら、きっとややこしいだけだった。監督が呼ばれたのか、選手が呼ばれたのか、どちらが返事をすればいいのか。初日から混乱する未来が、こよりにも少しだけ見えた。

 

 けれど、こより監督は笑って言った。

 

 選手のこよりちゃんは、こよローで。

 

 その瞬間、ただ同じ名前だったものが、少しだけ特別なものに変わった気がした。

 

「こよロー……」

 

 もう一度、声に出してみる。

 悪くない。むしろ、かなりいい。

 

 こよりは体育館の隅で、自分の名札を見下ろした。そこにはまだ普通に「博衣こより」と書かれている。けれど頭の中では、その横にもうひとつの名前が並んでいた。

 

 博衣こより。

 こよロー。

 ホロライブ高校野球部、1年生外野手。

 

 そう思っただけで、胸の奥が少し弾んだ。

 新しい学校。新しいチーム。新しい監督。そして、新しい呼び名。今日、自分はこのチームの一員になったのだと、ようやく実感できた気がした。

 

「こよローちゃん」

 

 隣から声がした。

 振り向くと、同じ1年生の夜空メルが、少し照れたように笑っていた。

 

「もう、そう呼んでもいい?」

「もちろん!」

 

 こよりはすぐに頷いた。

 

「こよロー、強そうでいいでしょ?」

「うん。なんか、すごく走りそう」

「走るよ! 外野だし!」

「打つのも?」

「打つ!」

「守るのも?」

「もちろん守る!」

 

 勢いよく答えると、メルはぱちぱちと瞬きをした。少し驚いた顔をして、それから明るく笑う。

 

「すごい。全部なんだ」

「うん。全部できるようになりたい」

 

 それは、こよりにとって当たり前の答えだった。

 打ちたい。走りたい。守りたい。バットを振れば、できるだけ遠くへ飛ばしたい。塁に出たら、次の塁を狙いたい。外野に打球が飛んだら、誰よりも早く追いつきたい。

 

 野球の中にある全部が、こよりには面白く見えていた。ひとつだけでいいとは思えない。打つだけでは足りない。走るだけでも足りない。守るだけでも足りない。

 

 全部できた方が、きっと勝てる。

 全部できた方が、きっと楽しい。

 

「メルメルも、一緒に外野やろうね!」

「う、うん! 私、まだ全然だけど……」

「じゃあ、一緒に上手くなればいいよ!」

 

 こよりがそう言うと、メルは少しだけ目を丸くした。

 

「一緒に?」

「うん。一人で外野守るわけじゃないし。メルメルもいて、先輩たちもいて、みんなで守るんでしょ?」

 

 言ってから、こよりは少しだけ考えた。

 まだ、先輩たちの名前も全員は覚えきれていない。グラウンドの使い方も、部室の場所も、道具の片付け方も、これから覚えることばかりだ。

 

 それでも、ひとつだけ分かる。

 

 野球は、一人でやるものではない。

 

 どれだけ走れても、どれだけ打てても、どれだけ守れても、ひとりでは試合に勝てない。なら、きっと大事なのは、こよローだけが強くなることではない。

 

 みんなで強くなることだ。

 

「……こよローちゃんって、前向きだね」

 

 メルがぽつりと言った。

 

「そうかな?」

「うん。なんか、見てると私も頑張れそう」

「ほんと?」

「ほんと」

 

 その言葉は、こよりの胸にすとんと落ちた。

 誰かにそう言ってもらえるのは、少し不思議だった。自分はただ、やりたいことを言っただけだ。走りたい。打ちたい。守りたい。勝ちたい。それだけなのに、誰かが頑張れそうだと言ってくれる。

 

 それは、思っていたよりずっと嬉しかった。

 

「じゃあ、こよロー、もっと頑張る!」

「ふふ、そこに繋がるんだ」

「だって、頑張った方がいいでしょ?」

「うん。いいと思う」

 

 体育館の外から、春の風が入ってきた。入学式の空気が、少しずつ部活動の空気へ変わっていく。

 

 同じ1年生たちの声がする。

 大神ミオは、杉谷マネージャーから投手練習の場所を聞いていた。猫又おかゆは、練習着の袖を軽く引っ張りながら、どこか眠そうに周りを見ている。赤井はあとは、さっそく大きな声で挨拶の練習をしていた。獅白ぼたんは、落ち着いた様子で三塁側のグラウンドを眺めている。

 

 みんな、違う。

 声も、立ち方も、目線も、野球との向き合い方も。

 

 けれど、同じ1年生だった。

 今日から、同じチームだった。

 

 こよりは、少しだけこより監督の方を見る。

 監督は、杉谷と予定表を見ながら、何かを真剣に考えていた。まだ、監督も慣れていないのだと思う。さっきの顔合わせでも、同じ名前だと分かった瞬間、ほんの少し固まっていた。

 

 けれど、その後すぐに笑ってくれた。

 こよローという呼び名をくれた。

 

 それが、こよりには嬉しかった。

 

 同じ名前で困らせてしまったかもしれない。紛らわしいと思われるかもしれない。けれど、監督はそれを面白がるように、新しい名前へ変えてくれた。

 

 なら、自分はその名前で頑張ればいい。

 こより監督に呼ばれた時、ちゃんと胸を張れる選手になればいい。

 

 こよロー、と呼ばれた時。

 外野へ走っていける選手に。

 打席へ向かえる選手に。

 チームのために、次の塁を狙える選手に。

 

 そうなればいい。

 

「こよローさん」

 

 今度は、杉谷の声だった。

 

「はい!」

 

 こよりは思わず大きな声で返事をした。杉谷が少し驚いて、それから笑う。

 

「いい返事ですね」

「ありがとうございます!」

「このあと、グラウンドで最初の練習方針を決めます。準備しておいてください」

「はい!」

 

 グラウンド。

 その言葉を聞いただけで、胸の奥が少し熱くなる。

 

 外に出れば、土がある。白線がある。外野がある。空が広い。

 

 外野から見る空が、こよりは好きだった。内野よりも少し遠くて、打席よりも少し静かで、けれど試合の流れを全部見渡せる場所。打球が上がった瞬間、誰よりも早く動かなければならない場所。

 

 追いつけるかどうか、ほんの一歩で決まる場所。

 

 こよりは、その一歩が好きだった。間に合うかもしれない。届くかもしれない。刺せるかもしれない。そう思って走る瞬間が好きだった。

 

 バットを握るのも好きだ。

 打席に立つ前の、胸が少し高くなる感じ。ボールが来るまでの短い時間。振り抜いた後、打球の行方を追う瞬間。

 

 うまくいかないこともある。空振りすることもある。打ち損じることもある。けれど、それでもまた打ちたいと思う。もっと上手くなりたいと思う。

 

 だから、こよりは野球が好きだった。

 

「こよローちゃん、行こ」

 

 メルが声をかける。

 

「うん!」

 

 こよりは頷いて、練習用の帽子を被り直した。

 まだ、新しい帽子は少し硬い。練習着も、スパイクも、まだ完全には馴染んでいない。けれど、それでいい。今日から馴染ませていけばいい。

 

 一歩ずつ。

 走って。

 振って。

 守って。

 

 何度も土を踏んで、何度もバットを振って、何度も外野を駆ければいい。

 

 体育館を出る直前、こよりはもう一度だけ振り返った。そこには、こより監督がいた。

 同じ名前の監督。けれど、今はもう混乱しない。

 

 監督は、こより監督。

 自分は、こよロー。

 

 ホロライブ高校野球部の、1年生外野手。

 

「こよロー、頑張ります」

 

 誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。

 その名前は、さっきより少しだけ自分のものになっていた。

 

 外では、春のグラウンドが待っている。

 まだ、何も成し遂げていない。まだ、何も証明していない。

 

 けれど、こよりは知っている。

 物語は、いつだって最初の一歩から始まる。

 

 そして自分は、その一歩を早く踏み出したくて仕方がなかった。

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