こより監督とホロメンたちの栄冠ナイン 2022年、ホロライブ高校始動 作:きのこ大三元
4月10日、月曜日。
新入部員の顔合わせが終わると、ホロライブ高校のグラウンドには春の風が吹いていた。
白線が引かれたばかりの土。まだ踏み慣れていないスパイクの跡。少し大きめの練習着に袖を通した1年生たち。
そこに立つこより監督もまた、まだ監督という立場に慣れているわけではなかった。
けれど、夏は待ってくれない。
「では監督。最初の練習方針を決めましょう」
杉谷マネージャーが、予定表を開く。
投手を鍛える。守備を固める。走塁を磨く。打撃を強化する。紙の上には、これから選べる道がいくつも並んでいた。
どれも大事だった。どれも必要だった。けれど、全部を一度にはできない。
誰を育てるのか。どこを伸ばすのか。どんなチームにするのか。
今日の選択が、今日の練習を決める。
その積み重ねが、夏のホロライブ高校を作っていく。
『最初、どうしよう……』
配信の向こうで、こより監督の声が少し揺れる。
まずは打撃?
守備も大事
投手も育てたい
でも最初は基礎かな
ミート上げたい
コメント欄も、それぞれの考えを流している。
派手な練習をしたくなる。投手を一気に鍛えたくなる。守備を固めたくなる。けれど、まだチームの全体像すら掴めていない。
こより監督は、グラウンドに並ぶ新入生たちを見た。
名前は覚えた。顔も見た。けれど、まだ誰がどんな選手なのかは分からない。
なら、まずは全員でできること。
野球の入り口。
バットに当てるところから。
「……最初は、打撃の基礎からいきたいです」
こより監督は、ゆっくりと言った。
「素振り、ですか?」
「はい。まずは、ちゃんとバットを振るところから。ボールに当てられないと、何も始まらないので」
杉谷が予定表に書き込む。
4月10日。
4月11日。
4月12日。
三日間、素振り重点。
「素振りを重点的にやれば、ミート力――つまり、ボールをバットに当てる技術が鍛えられるかもしれません」
「ミート力……」
こより監督は、その言葉を小さく繰り返した。
派手な練習ではない。いきなり強打者を作るわけでもない。ホームランを量産するための練習でもない。
ただ、バットを振る。何度も振る。自分の身体に、スイングを覚えさせる。
弱いチームが勝つためには、まずそこからだ。
『最初は素振り! 基本、大事!』
配信の向こうで、こより監督が宣言する。
素振りきた
基礎大事
ミート上げよう
まず当てないとね
三日間振り込みだ
ゲーム画面でいえば、それは練習アイコンの選択だった。
けれど、ホロライブ高校のグラウンドでは違う。
それは、博衣こより監督が初めて選んだ練習方針だった。
1年生たちは、それぞれバットを手にした。
春の風が、真新しい練習着の袖を揺らす。まだ土に慣れていない足元で、6人が横一列に構える。
「まずは、1本ずつ丁寧にいきましょう!」
杉谷の声が飛ぶ。
「はい!」
最初に目を引いたのは、やはりこよローだった。
構えた瞬間から、どこか違った。
力任せではない。けれど、バットの先まで意識が通っている。肩に余計な力は入っていないのに、足元はぶれない。
振る。
風を切る音が、少しだけ鋭かった。
「おお……」
こより監督が、思わず声を漏らす。
まだボールを打ったわけではない。ただの素振りだ。それでも、分かるものはある。
こよローやばそう
スイングいい
1年生?
これは見込みある
外野の中心か?
こよローは、振り終わった後、すぐに次の構えに戻った。
周囲の反応に気づいているのかいないのか、少し楽しそうにバットを握り直している。
その少し離れたところで、夜空メルが必死にバットを振っていた。
こよローと並ぶと、差ははっきり見える。足の位置も、バットの軌道も、まだ安定していない。振った後に身体が流れて、慌てて踏み直す。
けれど、メルは止まらなかった。
「もう1本!」
振る。
少し崩れる。
それでも、また構える。
「もう1本、お願いします!」
誰よりも上手いわけではない。誰よりも鋭いわけでもない。
けれど、誰よりも一生懸命だった。
メルメルがんばれ
応援したくなる
成長枠だ
声出てる
こういう子大事
投手陣も、手を抜いてはいなかった。
大神ミオは1本ごとに足の位置を確かめ、振り終わるたびに小さく頷く。猫又おかゆは、ゆったりした返事のまま、言われたことを少しずつ試している。
「投手でも、打てた方がいいですよね」
「もちろん! 打てる投手、強いよ!」
「はーい。じゃあ、ちゃんと振りまーす」
赤井はあとは、声から大きかった。
「いきます!」
振る。
少し大きすぎるくらい、豪快なスイングだった。
「はあちゃま、力入りすぎかも!」
「はい! でも全力でいきます!」
「全力はいいけど、当てる練習だからね!?」
こより監督のツッコミに、コメント欄が笑う。
豪快
捕手なのに振る
力入りすぎw
でも声出てる
チーム明るくなる
獅白ぼたんは、対照的に静かだった。
大きく振り回さない。力みすぎない。バットの重さを確かめるように、淡々と同じ軌道を繰り返している。
「ぼたんちゃん、落ち着いてるね」
「力入れすぎると、疲れるので」
「それはそう」
こより監督が妙に納得する。
最初から目立つ選手がいる。まだ目立たない選手がいる。今は届かない選手がいる。
けれど、同じグラウンドで同じようにバットを振っている。
それが、野球部だった。
夕方が近づくにつれ、グラウンドの影が少しずつ長くなった。
素振りの音は、最後まで途切れなかった。鋭い音。少し空回りした音。力みすぎた音。まだ形になりきっていない音。
その全部が、始まったばかりのチームの音だった。
練習終わり、こより監督は杉谷のメモを覗き込む。
「どうでしたか、今日の練習」
「まだ1日目ですけど、みんな少しずつ形を覚えようとしています。特に、振り終わった後の姿勢を意識できるようになった子が何人かいますね」
「おお……!」
杉谷は、メモの端に小さく書き足した。
素振り。
ミート練習。
フォーム確認。
「メルさんも、最後の方は少しバットの軌道が安定してきました」
「ほんとですか!」
メルの顔がぱっと明るくなる。
「はい。最初より、ちゃんと前に振れていました」
「やった……! 明日も頑張ります!」
たった1日で、大きく変わったわけではない。
けれど、今日の練習はちゃんと意味があった。
ゲームの数字で見れば、小さな経験値かもしれない。
けれど、グラウンドの上では、それは選手の表情に出る。
こより監督は、ノートに目を落としながら頷いた。
『うん。最初の1日、ちゃんと練習になってる!』
いいね
メルメル伸びろ
こういう確認好き
1日目お疲れ
基礎は裏切らない
4月11日、火曜日。
放課後のグラウンドには、また風を切る音が響いた。
こより監督は、前日のメモを見ながら声を出す。
「今日は、昨日よりも足の踏み込みを意識してみよう!」
「はい!」
1本。
もう1本。
さらに、もう1本。
大神ミオは、昨日より少しだけ下半身を意識していた。猫又おかゆは、ゆっくりした動きの中で、自分なりのタイミングを探している。赤井はあとは、勢いを抑えようとして、結局また元気よく振っていた。
獅白ぼたんは、淡々と同じ軌道を繰り返す。夜空メルは、昨日より1歩だけ足元が安定していた。
そして、こよローは相変わらず目を引いた。
振るたびに、何かを試している。グリップの握り。足の幅。振り出しの角度。
ただ上手いだけではない。自分で変えようとしている。
その前のめりな姿勢が、こより監督には少し眩しく見えた。
練習後、杉谷がメモを確認する。
「昨日より、全体的に振り終わりが安定してきましたね」
「ほんと?」
「はい。特に、こよローさんは飲み込みが早いです。メルさんも、昨日よりずっと良くなっています」
こより監督は、嬉しそうに頷いた。
『いいね。みんな、ちゃんと前に進んでる!』
2日目もいい感じ
こよロー飲み込み早い
メルメル成長してる
ミート上がってそう
地道だけど楽しい
4月12日、水曜日。
三日目の素振りは、少しだけ空気が変わっていた。
最初の日のぎこちなさは、少し薄れている。バットを握る手。足を置く位置。振る前の呼吸。
ほんの少しずつだが、選手たちの動きにリズムが生まれていた。
「今日は、最後に1人ずつ確認します!」
こより監督が声をかける。
こよローは、鋭く振った。
ミオは、真面目に振り切った。
おかゆは、ゆったりとしたまま芯のあるスイングを見せた。
はあちゃまは、少し力みながらも最後まで声を出した。
ぼたんは、無駄の少ない動きで淡々と振った。
メルメルは、少しだけ照れた顔で、それでも最初の日よりずっと前へバットを出せていた。
「いいね!」
こより監督の声が、グラウンドに響く。
「みんな、最初の日より良くなってる!」
その一言で、1年生たちの表情が少し明るくなる。
練習後、杉谷はメモをまとめながら言った。
「三日間の素振り、ちゃんと意味がありましたね」
「ミート、良くなったかな?」
「大きく変わったとは言えません。でも、ボールに当てるための形は、少しずつできてきたと思います」
大きな成長ではない。
劇的な覚醒でもない。
特殊な能力がついたわけでもない。
けれど、三日前とは違う。
少しだけ、バットが出る。
少しだけ、足が残る。
少しだけ、振り終わった後の姿勢が崩れない。
ゲームの数字は、選手たちの身体の中で、少しずつ形になっていた。
『最初の三日間、いい感じ! みんな、ちょっとミート良くなってる気がする!』
配信の向こうで、こより監督の声が嬉しそうに弾む。
ちょっと伸びた?
フォーム良くなってる
メルメルがんばってる
こよローやっぱ目立つな
最初の三日間って感じ
ホロライブ高校野球部は、まだ強豪ではない。まだ名門でもない。甲子園に行ったこともない。
けれど、確かに始まった。
紙の上にしかなかった名前が、声になった。
その名前たちが、バットを振った。
三日間、そのバットは春の風を切り続けた。
小さな練習。
小さな手応え。
小さな前進。
それが、ホロライブ高校の最初の三日間だった。
「それで、監督」
素振り練習の一区切りがついたところで、杉谷が予定表を広げた。
「次の練習方針ですが、どうしましょうか?」
「次……」
こより監督は、予定表を見る。
打撃を続けるか。守備を固めるか。走力を上げるか。投手陣を鍛えるか。
やれることは多い。
だが、どれかを選ばなければ、チームは進まない。
夏の県大会までは、まだ時間があるようで、実はあまりない。
「打てるチームにするのも大事……だけど」
こより監督は、グラウンドの端を見る。
そこでは、投手陣がキャッチボールをしていた。1年生の大神ミオ。猫又おかゆ。そして、上級生の投手たち。
野球は、点を取らなければ勝てない。
けれど、取った点を守れなければ、やはり勝てない。
どれだけ打っても、投手が崩れれば試合は壊れる。どれだけ守備が踏ん張っても、マウンドが揺れれば、チーム全体が苦しくなる。
「次は、投手陣を見たいです」
「投手陣ですね」
杉谷が、予定表の中から一枚のメモを指で押さえる。
「変化球の投げ込みを中心にする練習があります。球の曲がり方や、変化球の精度を上げる目的ですね」
「変化球……」
こより監督は、少し真剣な顔になった。
速い球だけでは、強い相手は抑えられない。真っすぐを待たれれば、打たれる。だから、曲げる。落とす。外す。タイミングをずらす。
投手が打者と戦うための、もうひとつの武器。
「次は、変化球の投げ込みを中心にしましょう」
「分かりました。4月13日からですね」
「はい!」
『次は変化球! ミオしゃ、おかゆん、育てていくよ!』
投手育成きた
ミオしゃ頼む
おかゆんも伸ばしたい
変化球大事
夏までに投手力ほしい
ゲーム画面でいえば、それは次の練習カードの選択だった。
けれど、ホロライブ高校のグラウンドでは違う。
こより監督が、次の練習方針を決めた。
素振りの次は、変化球。
バットに当てる練習から、打者を外す練習へ。
ホロライブ高校の最初の1週間は、少しずつ野球部らしくなっていく。