デビル・イン・ザ・フランドール   作:かるご

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ある少女への贈り物

比翼の鳥。

 

その鳥は、雌雄一対となって、初めて空を飛べる。

不完全な二人が、一つの命となって、初めて大空へ羽ばたく。

それこそが正しく、美しい生き方なのだと教えられた。

 

だけど──

 

もしも、対になる存在を持たない鳥がいるとしたら。

片翼のまま、それでも死に物狂いで空を飛ばなければならないとしたら。

 

それはきっと、ひどく不格好で、孤独な飛翔かもしれない。

いつか力尽きて、冷たい大地へ堕ちていく、歪な命なのかもしれない。

 

けれど、それでも。

私たちはこの不完全な翼で大空にしがみついてみせる。

 

 

 

─────

 

 

 

ミストルティンのラウンジには、いつものようにコドモたちの声が響いていた。

大きな窓から差し込む柔らかな光が、室内に並べられたソファやテーブルを照らしている。

これから始まる入隊式。

そして、いよいよ自分たちがパラサイトとして歩み始めるという事実。

そのことに期待を膨らませる者もいれば、どこか落ち着かない様子で時間を過ごす者もいた。

そんな中、ひときわ大きな声がラウンジに響いた。

 

 

「パートナー殺し?」

 

 

フトシが、手に持っていたパンを口元で止め、不思議そうに首を傾げた。

その向かい側では、ゾロメが得意げに胸を張っている。

どうやら、どこかで聞きつけてきた噂話を披露しているらしい。

 

 

「それがさァ、その女にはツノと牙が生えてて、一緒に乗ったパラサイトは血を吸われて!3回目で必ず命を落とすんだってよ!!」

 

 

ゾロメは身振り手振りを交えながら、いかにも恐ろしい話であるかのように語った。

その声には妙な自信が満ちている。

しかし、周囲の反応は彼が期待していたものとは少し違っていた。

 

 

「うへ〜、乗りたくね〜」

 

 

フトシはそう呟くと、再びパンを頬張った。

ソファに腰掛けていたミクは、指先で髪をいじりながら呆れたように口を開いた。

 

 

「そんなのただの噂でしょ〜?」

 

 

その声には、まともに取り合う気などないと言わんばかりの響きがあった。

 

 

「ホントだって!警備の人が話してるの聞いたヤツがいるんだよ!」

 

 

ゾロメは不満そうに身を乗り出す。

せっかく仕入れてきた話を信じてもらえないことが、よほど気に入らないらしい。

そんな二人のやり取りを、周囲の仲間たちは半ば慣れた様子で聞いていた。

少し離れた場所では、イクノがいつものように本を開いている。

騒がしい会話が続いていても、彼女は特に気にした様子を見せない。

ただ、ページをめくる手を一瞬止めると、壁際へ視線を向けた。

そこには、壁に背を預けながら端末を操作するイチゴの姿があった。

イチゴは画面を見つめ、何度か指を動かしている。

しかし、その表情はあまり明るくなかった。

 

 

「ヒロ捕まったか?」

 

 

その様子に気づいたゴローが声をかけた。

イチゴは端末から顔を上げると、小さく首を横に振る。

 

 

「ダメ...何回も連絡してるんだけど」

 

 

画面には、ヒロへ送った連絡が残されていた。

何度呼びかけても、返事はない。

イチゴは唇をわずかに結び、もう一度画面へ目を落とした。

 

 

「なーなー、結局あいつってここに残んの?」

 

 

ゾロメが横から口を挟んだ。

 

 

「今日の説明会にも出席してなかったし。これって拒否するって事だよね」

 

 

フトシもパンを食べ終えると、気になっていたことを口にする。

その言葉に、ラウンジの空気が少しだけ静かになった。

ヒロ。

かつては誰よりも優秀で、コドモたちの中心にいた少年。

しかし、パートナーとの接続に失敗し、フランクスに乗ることができなかった。

そして今、彼はこの場にいない。

 

 

「あのヒロくんが......なんかさみしいね。小さい頃から私たちのリーダーだったのに」

 

 

ココロが寂しそうに呟いた。

その声には、幼い頃のヒロを知っているからこその戸惑いが滲んでいた。

誰よりも物知りで、みんなを引っ張ってくれたヒロ。

そんな彼が、今は自分たちから離れようとしている。

それが、ココロには信じられなかった。

 

 

「ナオミはフランドールのパイロットになれたんだし。残ってもいいと思うけどね」

 

 

本から顔を上げたイクノが、静かに言った。

彼女の言葉に、何人かが視線を向ける。

ナオミもまた、ヒロと共にフランクスへ乗ることができなかった一人だった。

しかし、彼女には別の道が用意されていた。

一人で操縦する機体──フランドール。

そのパイロットとして、ナオミは13部隊に残ることが決まっている。

ならば、ヒロにも何か道があるのではないか。

イクノの言葉には、そんな思いが含まれていた。

だが、ミツルは肩をすくめると、両腕をわざとらしく広げた。

 

 

「仕方ないでしょう。ヒロはパラサイトにもパイロットにもなれなかった事を気にして皆に顔を合わせづらいでしょうし、気持ちを汲んであげましょうよ」

 

 

丁寧な言葉遣いとは裏腹に、その口調にはどこか棘があった。

 

 

「わざとらし」

 

 

ミクが呆れたように呟く。

ミツルは特に気にした様子もなく、涼しい顔をしていた。

ゴローはそんなやり取りを聞きながら、再びイチゴへ視線を向けた。

 

 

「いいのか、イチゴ」

 

「…………」

 

 

イチゴはすぐには答えなかった。

端末を握る指先に、わずかに力がこもる。

ヒロが何を考えているのか。

どうして連絡を返してくれないのか。

直接会って、確かめたいことはいくつもあった。

けれど、今はそれすらできない。

 

 

「...あのバカ」

 

 

小さく漏れた言葉には、怒りよりも心配が滲んでいた。

その場に、短い沈黙が訪れる。

 

 

「そういえば、ナオミまだ戻ってきてないよな」

 

 

すると、ツグミが思い出したように声を上げた。

沈みかけていた空気を変えるような、いつもの明るい口調だった。

 

 

「探すのに時間かかってるんじゃない?あの子、いつもどっか行くからね」

 

 

ミクが答える。

彼女の言う「あの子」が誰を指しているのか、みんなにはすぐにわかった。

クロだ。

ミストルティンの森へ一人で出かけては、気づけばどこかで昼寝をしている少女。

その自由気ままな行動は、すでに仲間たちの間でもよく知られていた。

 

 

「クロが気になるの?」

 

 

イクノが本から目を離さずに尋ねた。

 

 

「そうなんだよぉ、クロは明日に接続試験だろ?だから緊張してんのかな〜って」

 

 

ツグミは後頭部を軽くかきながら答えた。

普段のクロを思い浮かべると、緊張している姿はあまり想像できない。

けれど、明日の試験は彼女にとって大切なものだ。

元パートナーだったツグミとしても、気にならないわけがなかった。

 

 

「いつも通りだったからそんな緊張していないだろ」

 

 

ゾロメがあっさりと言う。

 

 

「そうかあ?」

 

 

ツグミは首を傾げた。

いつも通り。

確かに、クロは今日も笑っていた。

けれど、笑っているからといって、何も感じていないとは限らない。

イクノはそんなやり取りを静かに聞きながら、再び本のページへ視線を落とした。

 

 

◇

 

 

同じ頃。

ミストルティンの森では、一人の少女が木陰に腰を下ろしていた。

ナオミだった。

 

 

「はぁ……」

 

 

小さなため息が、木々の間に溶けていく。

頭上では葉が風に揺れ、柔らかな木漏れ日が地面にまだら模様を作っていた。

森の中は静かだった。

時折、枝葉が擦れ合う音が聞こえる程度で、人の気配はほとんどない。

ナオミは膝に手を置き、少しだけ呼吸を整えた。

クロを探して歩き回っていたものの、なかなか見つからない。

いつものこととはいえ、こうも広い森を探し回るのは骨が折れる。

 

 

「……まったく、もう」

 

 

ナオミはポケットから端末を取り出した。

画面を起動し、クロへ送ったメッセージを確認する。

しかし、そこに返信はなかった。

既読になった形跡すらない。

 

 

「……やっぱり」

 

 

予想はしていた。

クロは何かに夢中になると、端末を確認することを忘れてしまう。

まして、森の中で昼寝をしているのなら、なおさらだ。

それでも、何の反応もない画面を見ていると、少しだけ寂しくなる。

 

 

(せめて一回くらい見てくれればいいのに......)

 

 

ナオミは端末を閉じた。

明日は、クロの接続試験が行われる。

フランドールのパイロットとしての第一歩を踏み出す、大切な日だ。

本人がどれほど緊張しているのか、確かめておきたかった。

できることなら、少しでも安心させてあげたい。

そんな思いから探しに来たのだが、肝心の本人が見つからない。

ナオミは木の幹に背を預け、しばらく目を閉じた。

 

 

(……もう少し休んだら、また探そう)

 

 

そう決めて、静かに息を吐いた。

 

 

◇

 

 

その頃、森の別の場所では──

 

 

「……んぅ」

 

 

木陰に小さく丸まっていたクロが、ゆっくりと目を開けた。

膝を抱えたまま、木の幹に背中を預けて眠っていたらしい。

近くの茂みから、ガサガサと葉の擦れる音が聞こえてくる。

 

 

「……?」

 

 

クロは眠たげに瞬きをした。

そして、両手で目をこすると、大きく腕を伸ばす。

 

 

「んん〜っ……!」

 

 

伸びを終えると、ゆっくり立ち上がった。

スカートについた土や草を手ではたき、軽く汚れを落とす。

それから、ふと思い出したようにポケットへ手を伸ばした。

 

 

「……どれくらい寝ちゃったかな?」

 

 

端末を取り出し、画面を起動する。

すると──

 

 

「……あれ?」

 

 

表示された通知を見て、クロは目を丸くした。

ナオミからのメッセージが届いていた。

しかも、一通ではない。

 

 

「あわわ……」

 

 

クロは慌てて内容を確認した。

どうやら、ナオミは自分を探しているらしい。

 

 

(ナオミに心配かけちゃったなぁ......早く戻った方がいいかな)

 

 

クロは少し申し訳なさそうに眉を下げた。

森で過ごす時間は好きだった。

木々の間を歩いていると落ち着くし、気持ちのいい場所を見つけると、つい眠ってしまう。

けれど、誰かを心配させたいわけではない。

 

 

「……よしっ」

 

 

クロは端末を閉じ、ポケットへしまった。

そして、ミストルティンへ戻ろうと足を踏み出しかけた。

その時だった。

 

 

「……?」

 

 

遠くから、何か声のようなものが聞こえた。

風に紛れてしまいそうな、かすかな音。

クロは足を止め、耳を澄ませる。

聞こえてきたのは、湖のある方角だった。

 

 

(……誰かいるのかな?)

 

 

少なくとも、聞き慣れた仲間たちの声ではなかった。

クロは少し首を傾げる。

そして、好奇心に誘われるように、そちらへ歩き出そうとした。

 

──ギュッ。

 

突然、右手を掴まれた。

 

 

「わあ!?」

 

 

クロは驚いて飛び上がりそうになった。

慌てて振り返ると、そこには少し息を切らしたナオミが立っていた。

 

 

「ここにいたのね」

 

「……ナオミ?」

 

 

クロはぱちぱちと瞬きをする。

 

 

「どうしたの?」

 

 

何事もなかったかのように尋ねるクロに、ナオミは思わず肩を落とした。

 

 

「どうしたの、じゃないでしょ。ずっと探してたんだから」

 

「あ......えへへ、ごめんね?」

 

 

クロが困ったように笑う。

ナオミはもう一度ため息をついたものの、その顔には安堵も浮かんでいた。

ようやく見つけられたのだ。

 

 

「明日、接続試験でしょ? 緊張してないかなって、気になったの」

 

「……ああ、そっか」

 

 

クロは少し考え込む。

明日の接続試験。

フランドールに乗るための、大切な試験。

そのことを考えると、胸の奥が少し落ち着かなくなるのは確かだった。

 

 

「……うん。ちょっと緊張してる、かな」

 

 

クロは照れくさそうに笑った。

その返事に、ナオミは少しだけ表情を和らげる。

 

 

「そうよね……」

 

 

彼女はクロの隣へ歩み寄った。

 

 

「本当は、私も試験に立ち会いたかったんだけど……入隊式と重なっちゃって」

 

 

残念そうに目を伏せる。

同じフランドールのパイロットとして、そして仲間として、クロの大切な瞬間を見届けたかった。

けれど、自分には自分の役目がある。

それが少し悔しかった。

そんなナオミを見て、クロはきょとんとした顔をした。

そして、すぐににっこり笑う。

 

 

「仕方ないよ。その分、入隊式でカッコよく見せて!」

 

「……え?」

 

 

ナオミは思わず目を丸くした。

励ましに来たつもりだったのに、いつの間にか自分の方が励まされている。

しかも、クロにはその自覚がないらしい。

ただ、いつもと変わらない笑顔を向けている。

 

 

「……ふふっ」

 

 

ナオミは小さく笑った。

 

 

「ありがとう、クロ」

 

「えへへ♪」

 

 

クロも嬉しそうに笑う。

ナオミは改めて彼女を見つめた。

 

 

「クロも頑張ってね!」

 

 

その言葉に、クロは力強く頷いた。

 

 

「うん!」

 

 

木々の間を、柔らかな風が吹き抜けていった。

明日。

二人はそれぞれ、違う場所で新しい一歩を踏み出すことになる。

その時の彼女たちは、まだ知らなかった。

その一日が、想像もしなかった形で始まることを。

 

 

 

─────

 

 

 

翌日。

厳かな空気に包まれた式典会場に、13部隊のコドモたちが整列していた。

床には長い赤いカーペットが敷かれ、その先には高く設けられた席が並んでいる。

そこに座しているのは、パパたち──七賢人。

そして、会場の左右には、仮面をつけた大勢のオトナたちが立ち並んでいた。

コドモたちは全員、式典用の正装に身を包んでいる。

パラサイトたちはパートナー同士で隣り合い、互いにつながった指輪を身につけていた。

一方、フランドールのパイロットたちは、それぞれ列の両端に立っている。

誰もが背筋を伸ばし、前を向いていた。

そんな中、ゾロメが周囲をちらちらと見回していた。

彼の視線の先には、ずらりと並んだオトナたちの姿がある。

 

 

「見ろよ、オトナたちだ!」

 

 

興奮を抑えきれない様子で、隣のフトシへ小声で呼びかける。

 

 

「うん!あんなにいっぱい!!俺達のために!」

 

 

フトシも目を輝かせた。

自分たちのために、これほど多くのオトナが集まっている。

それだけで、二人の胸は期待と誇らしさでいっぱいになっていた。

やがて、会場の空気が一段と張り詰める。

七賢人の首席が、ゆっくりと両腕を広げた。

そして、厳かな声が会場全体に響き渡る。

 

 

「幸運にも、パラサイト及びパイロットに選ばれし我がコドモ達よ!!偉大なる君達の先輩は都市を!民を護るために戦い、彼らは使命を全うした!!やがて我らオトナの一員として立派に羽ばたいて行った!!諸君も命を賭して鋼鉄の巨人と化し、襲い来る叫竜より護れ!!命を燃やせ!!四肢五体あますことなく、その血最後の一滴まで!全ては人類のために!!!」

 

 

その声は、会場の隅々まで響いた。

命を賭して戦うこと。

人類を守ること。

そして、いつかオトナになること。

それらは、コドモたちに与えられた使命だった。

ゾロメは目を輝かせ、真剣な表情で言葉を聞いている。

フトシも背筋を伸ばし、前を向いていた。

 

 

「…………」

 

 

その一方で、イチゴの意識はどこか別の場所へ向いていた。

 

 

(……ヒロ)

 

 

今日も、彼の姿はない。

連絡もつかないままだった。

式典が始まれば気持ちを切り替えられると思っていた。

けれど、どうしても気になってしまう。

少し離れた場所に立つナオミもまた、静かに考え込んでいた。

 

 

(……クロ、大丈夫かな)

 

 

今頃、クロも試験の準備をしているはずだ。

昨日は笑っていたけれど、本当は緊張していると言っていた。

無事に試験が終わってくれればいい。

そんなことを考えていると──

 

 

「式に集中しろ、パパたちが見てるぞ」

 

 

ゴローが小声で注意した。

 

 

「……」

 

 

イチゴははっとして顔を上げる。

ナオミも姿勢を正した。

ゴローはそれ以上何も言わず、再び正面へ向き直る。

式典は、なおも厳かに続いていった。

 

 

◇

 

 

それから数十分後。

入隊式を終えたコドモたちは、それぞれのスーツに着替え、モノレールへ乗り込んでいた。

車内には、式典の時とは違う賑やかさが戻っている。

パラサイトたちはこれから自分たちが乗るフランクスのもとへ。

パイロットたちは、それぞれのフランドールに関わる準備へ。

新しい一歩を目前にして、誰もが多少なりとも落ち着かない様子だった。

そんな中、フトシが窓の外を眺めながら呟いた。

 

 

「ヒロのヤツ、やっぱり来なかったなぁ」

 

「けっ、ほっとけよ。あんな泣き虫ヤロー」

 

 

ゾロメが吐き捨てるように言う。

けれど、ココロは心配そうに眉を下げた。

 

 

「ヒロくん、どこに行ったんだろう」

 

 

その言葉に、イチゴは静かに視線を落とした。

相変わらず、ヒロからの連絡はない。

今、どこで何をしているのかもわからなかった。

一方、車内の別の場所では、少し変わった光景が広がっていた。

 

 

「う〜ん...」

 

 

クロが、弱々しく唸っている。

彼女は座席に横になり、イクノの膝に頭を乗せていた。

普段の元気な姿からは想像できないほど、表情が冴えない。

実は、モノレールに乗り込んでから数分ほど経った頃、クロは急に口数が少なくなっていた。

心配したイクノが声をかけると、どうやら試験が近づくにつれて緊張が強くなり、気分まで悪くなってきたらしい。

そこで、少しでも落ち着けるようにと、こうして横になっていたのだった。

イクノは膝の上のクロを見下ろす。

そして、彼女の長い黒髪をそっと撫でた。

 

 

「大丈夫、うまくいくよ」

 

 

その声は、普段の淡々とした口調よりも少し柔らかかった。

 

 

「……うん」

 

 

クロは小さく頷く。

けれど、まだ少し不安そうだった。

近くに座っていたナオミも、身を乗り出すようにして声をかける。

 

 

「クロならできるよ!」

 

「……えへへ。ありがと」

 

 

クロは弱々しく笑った。

昨日、森でナオミに励まされた時は、もう少し平気だと思っていた。

けれど、いざ試験が目前に迫ると、どうしても落ち着かない。

本当に自分に操縦できるのだろうか。

うまく接続できなかったらどうしよう。

そんな考えが、頭の中を行ったり来たりしていた。

イクノは何も急かさず、ただ静かに髪を撫で続ける。

その手の温かさが、少しずつクロの緊張を和らげていった。

 

 

「そろそろ付くよ」

 

 

イチゴの声が響いた。

車窓の向こうに、目的地の施設が近づいている。

ナオミとイクノは顔を見合わせると、クロへ視線を戻した。

 

 

「頑張ってね」

 

 

二人の声が重なった。

 

 

「……うん!」

 

 

クロはゆっくりと体を起こす。

イクノの膝から頭を離し、座席に座り直した。

まだ胸は少しどきどきしている。

けれど、いつまでも横になっているわけにはいかない。

 

 

(よし、私も頑張ろう!!)

 

 

クロは心の中で気合を入れた。

そして、勢いよく立ち上がる。

その表情には、先ほどまでの不安に代わって、少しずつ決意が浮かび始めていた。

やがてモノレールが減速し、静かに停止する。

扉が開いた。

その先には、すでに二人のオトナが待っていた。

一人は、13部隊を管理するハチ。

もう一人は、白衣を身につけたオトナだった。

 

 

「準備はできてるな」

 

 

ハチが、整列したコドモたちを見渡す。

 

 

「ハチさん!」

 

 

ゾロメが反応した。

ハチは彼らの表情を一人ずつ確認するように視線を動かした。

 

 

「ここからが本番だ」

 

 

その言葉に、コドモたちの顔つきが引き締まる。

 

 

「「「「はい!!」」」」

 

 

全員の返事が、通路に響いた。

ハチは小さく頷く。

そして、クロへ視線を向けた。

 

 

「コード960、君は彼について行き駐機ドッグへ向かえ」

 

 

隣にいた白衣のオトナが、一歩前へ出た。

 

 

「……はい!」

 

 

クロは表情を引き締める。

一瞬だけ仲間たちの方を振り返ると、ナオミが小さく頷いていた。

ツグミは励ますように片手を上げている。

イクノも、静かにこちらを見つめていた。

クロはにこりと笑い返す。

そして、白衣のオトナの後を追って歩き始めた。

その背中を見送ると、ハチは残ったコドモたちへ向き直る。

 

 

「残った者は私について来るよう」

 

 

それぞれの道へ。

コドモたちは、別々の場所へと歩き出した。

 

 

 

─────

 

 

 

白衣のオトナに案内され、クロは長い通路を進んでいた。

壁も床も無機質な色で統一され、足音が小さく反響する。

やがて、重厚な扉の前でオトナが立ち止まった。

扉が開く。

その向こうに広がっていた光景に、クロは思わず息を呑んだ。

 

 

「……わぁ」

 

 

巨大な駐機ドッグ。

高い天井には幾本ものクレーンが設置され、床には整備用の機材が並んでいる。

そして、その中央に一機のフランドールが佇んでいた。

─グラジオラス─

クロがこれから乗ることになる機体だった。

その姿は、まだ完全なものではなかった。

一部の装甲は取り付けられておらず、内部のオレンジ色のフレームが剥き出しになっている。

大小様々な配線が機体の内側を走り、整備用のケーブルが何本も接続されていた。

周囲では、オトナたちが忙しなく動き回っている。

端末に表示された数値を見比べながら話し合う者。

大型の機械を操作する者。

機体の足元で、工具を手に整備を続ける者。

クロは、その光景に目を奪われていた。

 

 

(……これが、私の……)

 

 

自分が乗る機体。

自分の力で動かすことになる、鋼鉄の巨人。

そう考えると、胸の奥が不思議な感覚で満たされていく。

緊張。

不安。

そして、それ以上に大きな好奇心。

 

 

「どうした、コックピットはこっちだぞ」

 

 

先を歩いていたオトナに呼ばれ、クロははっと我に返った。

 

 

「あっ、はい!」

 

 

慌ててその後を追う。

やがて、機体の内部へ続く通路に案内され、クロはコックピットへと乗り込んだ。

内部は思っていたよりも狭かった。

操縦席の内壁全体にモニターがあり、左右には操縦桿が設けられている。

本来ならば、ここでヘッドギアを装着し、機体との接続を調整することになる。

しかし、今日はまだ接続試験の段階だった。

クロは指示に従って座席へ腰を下ろす。

そして、スーツの背面に設けられた接続機を、背もたれの接続端子へ差し込んだ。

小さな機械音が鳴る。

 

 

「……よし」

 

 

クロは一度、深く息を吸った。

白衣のオトナが接続状態を確認する。

 

 

「端子に繋げたな。ではこれより、コード960の接続試験を開始する──」

 

 

その瞬間だった。

けたたましい警報音が、駐機ドッグ全体に響き渡った。

 

 

「……!?」

 

 

クロが思わず顔を上げる。

天井に設置された警告灯が赤く点滅し、整備員たちが一斉に動きを止めた。

 

 

「なんだ!?」

 

 

オトナの一人が声を上げる。

直後、別のオトナが端末を確認し、顔色を変えた。

 

 

「叫竜が現れたんだ!機体とコドモの回収を急ぐぞ!!」

 

 

その声を合図に、周囲が一気に慌ただしくなる。

整備員たちは端末を操作し、作業を中断して走り出した。

何人かのオトナが、指示を出した者の後を追っていく。

コックピットの中にも、慌ただしい声が届いていた。

クロは、じっと耳を澄ませた。

 

 

(機体とコドモの回収を急ぐ?......それって、叫竜がナオミたちに向かってるってこと!?)

 

 

胸の奥が、ひやりと冷たくなった。

ナオミ。

ツグミ。

イクノ。

そして、他のみんな。

今頃、彼らはフランクスのもとへ向かっているはずだった。

もし、その近くに叫竜が現れたのだとしたら。

もし、まだ機体に乗れていなかったら。

 

 

「……ッ!!!」

 

 

クロは顔を上げた。

そして、近くで対応に追われている白衣のオトナへ声をかける。

 

 

「フランドールを起動させて!」

 

「何……!?」

 

 

オトナが驚いて振り返った。

 

 

「無理だ、コード960!試験を介さない接続は危険だ!それに機体も未完成であり、君はヘッドギアを付けていない!最悪の場合、脳が焼き切れて死に至る!」

 

 

その声は、強い警告を含んでいた。

当然だった。

まだ接続試験すら終えていない。

機体も未完成。

しかも、操縦に必要なヘッドギアさえ装着していない。

そんな状態でフランドールを起動させるなど、無謀としか言いようがなかった。

クロは、その説明を最後まで聞いていた。

危険であることはわかった。

自分が死ぬかもしれないことも。

 

 

(……でも)

 

 

仲間たちの顔が、頭に浮かんだ。

今朝、励ましてくれたナオミ。

膝枕をしてくれたイクノ。

笑顔で見送ってくれたツグミ。

みんなが危険な目に遭っているかもしれない。

そう思うと、じっとしていられなかった。

クロは、オトナの顔を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「お願い、起動して!」

 

 

その目に、迷いはなかった。

 

 

「……っ」

 

 

オトナは言葉を詰まらせる。

無謀だ。

危険すぎる。

そう判断するのは簡単だった。

しかし、目の前の少女は、警告を聞いたうえでなお引き下がろうとしない。

短い沈黙の後、オトナは苦々しげに顔をしかめた。

 

 

「...どうなっても知らんぞ!!」

 

 

そう叫ぶと、近くの大型制御装置へ駆け寄った。

端末に次々と指示を入力する。

機体の内部から、低い駆動音が響き始めた。

モニターが点灯する。

中央には、大きなメーターが表示された。

そのゲージが、凄まじい速さで上昇していく。

 

 

「……!」

 

 

クロは思わず目を見開いた。

 

 

(……すごい)

 

 

不安はあった。

けれど、それ以上に、何かが始まろうとしている感覚が胸を満たしていた。

グラジオラス。

目の前のモニター。

手元の操縦桿。

それらすべてが、今まさに自分とつながろうとしている。

ゲージが上昇する。

80、90。

そして──100%に到達した瞬間。

 

 

「───ッ!!」

 

 

頭の奥で、何かが弾けた。

 

 

「があああああああッッッ!!!」

 

 

絶叫が、コックピットに響き渡った。

激痛。

ただの頭痛などではなかった。

頭蓋骨の内側から、脳そのものを引き裂かれるような痛み。

熱い。

痛い。

何も考えられない。

視界が白く染まり、耳の奥で耳鳴りが響く。

 

 

「……あ、ぐっ……!」

 

 

クロは座席に体を押しつけられるようにして、必死に耐えた。

意識が遠のく。

指先の感覚が薄れていく。

このまま目を閉じてしまえば、もう二度と開けられないかもしれない。

そんな恐怖が、ほんの一瞬だけ脳裏をよぎった。

けれど──

 

 

(……まだ……!)

 

 

クロは歯を食いしばった。

 

 

(……みんなが……ッ!)

 

 

仲間たちの姿が浮かぶ。

 

 

(……いるんだ……ッ!)

 

 

その思いだけを支えに、意識をつなぎ止めた。

やがて、激痛の波が少しずつ遠ざかっていく。

 

 

「がはッ……はぁッ……!」

 

 

クロは肩を大きく上下させた。

呼吸が荒い。

全身から力が抜けそうになる。

その鼻先から、赤い血が一筋流れ落ちた。

けれど、クロは気づいていなかった。

気にしている余裕もなかった。

 

 

「お、おい! 大丈夫か!?」

 

 

叫び声を聞いたオトナが、慌ててコックピットのそばへ戻ってくる。

クロはしばらく荒い呼吸を繰り返した。

そして、ようやく顔を上げる。

 

 

「......大丈夫...」

 

 

かすれた声だった。

それでも、彼女は操縦桿へ手を伸ばした。

 

 

「ほ、本当か?」

 

 

オトナが問いかける。

しかし、クロは答えなかった。

代わりに、コックピットのハッチを閉じる。

重い装甲が動き、外の光が遮られていく。

 

──ガシャン。

 

閉鎖音が響いた。

オトナは、その場でしばらく立ち尽くした。

 

 

「……本当に、やるつもりか」

 

 

小さく呟く。

そして、覚悟を決めたように端末へ向き直った。

現在確認されている叫竜の位置。

そこへ至る経路。

それらの情報を、グラジオラスのモニターへ転送する。

目の前に、地上へ続くルートが表示された。

クロはそれをじっと見つめる。

 

 

(……ここを通れば、いいんだ)

 

 

不思議なほど、迷いはなかった。

まるで、以前からその道を知っていたかのように、進むべき方向が自然と頭に浮かんでくる。

クロは操縦桿を握り直した。

まだ、頭の奥がじんじんと痛む。

それでも、視線は真っ直ぐ前を向いていた。

 

 

「行くよ、グラジオラス」

 

 

小さく呟く。

そして、操縦桿を動かした。

機体の内部から、重い駆動音が響き始めた。

剥き出しのフレームが震え、装甲の隙間から低い機械音が漏れる。

未完成の鋼鉄の巨人が、ゆっくりと動き出した。

 

 

 

─────

 

 

 

その頃、地上では叫竜の襲撃によって、現場は混乱に包まれていた。

本来ならば、コドモたちはフランクスへ乗り込み、これからパラサイトとしての第一歩を踏み出すはずだった。

しかし、突然現れた叫竜は、その予定を容赦なく打ち砕いた。

イチゴたちはすでに機体から降り、地上へ避難していた。

目の前には、圧倒的な巨体を持つ叫竜。

その異様な姿を前に、誰もが息を呑んでいた。

 

 

「……」

 

 

イチゴは拳を握りしめた。

自分たちは、これから叫竜と戦うために生きていく。

その覚悟はしていたはずだった。

けれど、生身のまま目の前に立つ怪物は、想像をはるかに超えて恐ろしかった。

巨大な体。

不気味な動き。

そして、何もかもを押し潰してしまいそうな威圧感。

足がすくむ。

呼吸が浅くなる。

そんな中、叫竜がゆっくりと向きを変えた。

イチゴは、その動きを見つめた。

次の瞬間。

叫竜が、こちらへ突進してきた。

 

 

「ッ!?」

 

 

逃げなければ。

そう思った。

けれど、足が動かない。

巨大な影が、みるみる迫ってくる。

 

 

「イチゴッ!!!」

 

 

ゴローの叫び声が響いた。

その声に、イチゴははっとする。

しかし、もう遅い。

叫竜の巨体が、目前まで迫っていた。

 

 

(……間に合わない……!)

 

 

そう思った、その瞬間だった。

 

──ドゴォォォォォンッッ!!!!

 

凄まじい爆発音が、大地を揺るがした。

 

 

「……っ!?」

 

 

地面が激しく震え、土砂と瓦礫が空高く舞い上がる。

地下から何かが突き破ってきたのだ。

轟音。

衝撃。

視界を覆う濃い土煙。

そのすべてが、ほんの一瞬の出来事だった。

 

 

「な、何……!?」

 

 

イチゴは思わず腕で顔を庇った。

土煙の向こうに、巨大な影が見える。

それは、フランクスとは明らかに異なる姿をしていた。

女性の顔を思わせる意匠もなければ、優美な輪郭もない。

鋼鉄の骨格を思わせる、鋭く機械的なシルエット。

しかも、その機体は一部の装甲が欠け、内部のフレームが剥き出しになっていた。

 

 

「な、に……あの、機体……!?」

 

 

イチゴが呆然と呟く。

次の瞬間。

その機体が、動いた。

着地と同時に、足元の地面を激しく削りながら滑走する。

土煙を切り裂き、叫竜の懐へと一気に潜り込み、剥き出しの鉄の拳が叫竜の顔面へ叩き込まれた。

 

──ガガァァァンッ!!

 

凄まじい衝撃音が響き渡る。

叫竜の巨体が、大きく弾き飛ばされた。

 

 

「…………!」

 

 

イチゴたちは、ただ呆然とその光景を見つめていた。

一体、何が起きたのか。

どこから現れた機体なのか。

そして、誰が乗っているのか。

何一つわからなかった。

 

 

◇

 

 

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 

その機体のコックピットでは、クロが荒い息を繰り返していた。

鼻から流れた血が、口元へと伝っている。

けれど、その目は正面のモニターを見つめていた。

先ほどまでの激痛が、嘘のように遠ざかっている。

代わりに、全身を包み込むような奇妙な感覚があった。

操縦桿を動かしている。

確かに、自分は機械を操作しているはずだった。

それなのに──

 

 

(……あれ?)

 

 

クロは、そっと目を見開いた。

腕を動かす。

すると、グラジオラスの腕が動く。

足を踏み出す。

すると、巨大な機体が地面を踏みしめる。

ただ命令を伝えているのではない。

まるで、自分自身の体が大きくなったかのようだった。

鋼鉄の腕も。

巨大な脚も。

機体の隅々までが、自分の手足と同じように感じられる。

 

 

「……すごい、私の身体みたい……」

 

 

クロは、かすかに唇を震わせた。

怖さは、いつの間にか薄れていた。

それどころか、不思議な心地よささえあった。

自分の意思が、そのまま機体の動きになる。

重たい鋼鉄の塊が、まるで生きているかのように応えてくれる。

 

 

「これ、が......FRANDOLL(フランドール).....」

 

 

クロの口元に、小さな笑みが浮かんだ。

その瞬間だった。

 

 

「……あ……」

 

 

視界が、ぐらりと揺れた。

先ほどまで遠ざかっていた痛みが、再び頭の奥で脈打ち始める。

指先から、急速に力が抜けていく。

 

 

(……あれ……?)

 

 

何かがおかしい。

そう思った時には、もう遅かった。

視界が暗くなる。

モニターの光が遠ざかっていく。

クロの意識は、深い闇へと落ちていった。

 

 

◇

 

 

「……止まった?」

 

 

地上から機体を見上げていたゴローが、困惑した声を漏らした。

つい先ほどまで、目にも留まらぬ速さで動いていた機体。

その腕が、力なく垂れ下がっている。

まるで、糸の切れた人形のようだった。

 

 

「あれもフランクスか?」

 

 

ゾロメが呟く。

その問いに答えたのは、傍らに立っていた老いた博士だった。

 

 

「アレはFRANDOLL(フランドール)。本来男女一組で動かすFRANXX(フランクス)を一人でも動かせるようにしたもの」

 

 

博士は、停止した機体を静かに見つめていた。

その視線には、驚きとも、興味ともつかないものが浮かんでいる。

 

 

「だが1人分の力を引き出す以上、その力は不安定なものだがな」

 

 

そう言って、どこか冷めた調子で呟いた。

 

 

「……フランドール……?」

 

 

ナオミは聞き慣れた名前を、心の中で繰り返した。

クロが今日、接続試験を受けるはずだった機体。

その姿が、今、目の前にある。

 

 

(……まさか……)

 

 

胸の奥に、不安が広がった。

しかし、その時。

 

──ギギギギギッ!!

 

耳障りな金属音のような響きが、周囲に広がった。

 

 

「……っ!?」

 

 

全員が、一斉に音のした方へ振り向く。

そこには、プランテーションの巨大なドーム状の壁面にめり込んだ、白い機体の姿があった。

先ほどまで動きを止めていたその機体が、ゆっくりと身を起こし始める。

そして、勢いよく壁面から飛び出した。

 

 

「……!」

 

 

白い機体が、空中で姿を変えていく。

それまでの獣のような輪郭が、滑らかに組み替わっていく。

巨大な四肢。

優美な曲線。

そして、人間の女性を思わせる姿。

変形を終えた機体は、地上へ静かに着地した。

 

 

「人型になった!?」

 

 

ミクが驚きの声を上げる。

 

 

「あ、あいつはフランクスなのか!?」

 

 

ゾロメも目を見開いた。

その反応を待っていたかのように、博士が口を開く。

 

 

「いかにも。凹型因子(ネガティブ)と凸型因子(ポジティブ)、男女の因子が組み合わさり、心重ねた時...鋼鉄の乙女はその本当の姿を映し出す!」

 

 

博士の声には、先ほどまでとは違う熱がこもっていた。

その視線の先で、白い機体の顔に人間のような表情が浮かび上がる。

まるで、鋼鉄の巨人が一人の少女として目覚めたかのようだった。

その姿を食い入るように見つめる。

そして、歓喜に満ちた声を張り上げた。

 

 

「これぞFRANXX(フランクス)!!美しい...最高だ、ストレリチア!!」

 

 

─ストレリチア─

その名を持つ白いフランクスが、静かに顔を上げた。

しかし、戦いはまだ終わっていなかった。

先ほど吹き飛ばされた叫竜が、再び動き始めたのだ。

怪物は巨大な口を開き、その奥へ不気味な光を集めていく。

 

 

「……っ!」

 

 

イチゴは、すぐに異変に気づいた。

あの攻撃。

先ほど見せた、凄まじい破壊力を持つ光線。

 

 

「またさっきの攻撃を──」

 

 

言い終えるよりも早く、ストレリチアが動いた。

その手に握られていた巨大な槍──クイーンパイク。

白い機体は、それを一気に振りかぶり──

 

──ヒュンッ!!

 

槍が、一直線に放たれた。

鋭い風切り音とともに、クイーンパイクが叫竜の開いた口へ突き刺さる。

叫竜の頭部が、大きく跳ね上がった。

口内に集められていたエネルギーが乱れ、放たれるはずだった光線が阻止される。

怪物は衝撃に耐えきれず、後方へよろめいた。

ストレリチアは、その隙を逃さなかった。

 

──ゴォォォォッ!!

 

腰部のブースターが噴射される。

白い機体が、地面を滑るように加速した。

一瞬で叫竜の懐へ飛び込むと、深々と刺さった槍の柄を掴み取る。

そして、さらに奥へと押し込んだ。

 

──ギギギギッ!!

 

叫竜の体が、激しく軋む。

ストレリチアは槍を押さえ込んだまま、腰から伸びるエネルギーケーブルを通じて高出力のマグマ燃料を送り始めた。

クイーンパイクの先端が、眩いオレンジ色に輝く。

光は次第に強くなり、周囲の空気さえ震わせるようだった。

ストレリチアは、静かに叫竜を見据えた。

 

 

「とどめだ」

 

 

槍の引き金が引かれた。

 

──ドォォォォンッ!!

 

凄まじい破砕音が、地上に響き渡った。

叫竜の巨体が、内側から弾け飛ぶ。

青い体液が空中へ飛び散り、砕けた外殻が周囲へ降り注いだ。

一瞬、視界が青く染まる。

やがて爆発の余波が収まると、ストレリチアの槍先から、砕け散ったコアの残骸が静かに滑り落ちた。

戦いは、終わった。

 

 

「…………」

 

 

イチゴは、ただ呆然とその光景を見つめていた。

圧倒的だった。

自分たちが恐怖に立ちすくんでいた叫竜を、たった一機で倒してしまった。

その力。

その動き。

そして、鋼鉄の巨人とは思えないほど滑らかな姿。

 

 

「あれがFRANXX(フランクス)...アタシ達が乗るロボット...」

 

 

その声には、驚きと畏れが入り混じっていた。

 

 

 

─────

 

 

 

やがて、空は夕暮れの色へと変わっていった。

プランテーションの巨大な構造物が、黄金色の光に染まっている。

叫竜を討ち果たしたストレリチアは、静かに佇んでいた。

そして、そのコックピットから二人の人影が姿を現す。

一人は、桃色の長い髪を持つ、角の生えた少女。

もう一人は──

 

 

「ヒロ……!?」

 

 

イチゴが、思わず声を上げた。

見間違えるはずがなかった。

そこにいたのは、ずっと探していたヒロだった。

フランクスに乗れなかったはずの少年。

パラサイトとしての道を失ったはずの少年。

そのヒロが、今、ストレリチアから姿を現している。

 

 

「……どうして……」

 

 

イチゴは言葉を失った。

驚き。

安堵。

そして、状況が理解できないことへの戸惑い。

様々な感情が、胸の中で入り混じっていた。

 

 

「あの女の子はだれ?」

 

 

誰かが、角の生えた少女を見つめながら呟いた。

その姿は、先ほどゾロメが話していた噂を思い起こさせるものだった。

ツノの生えた少女。

パートナー殺し。

そんな言葉が、コドモたちの頭をよぎる。

しかし、目の前で起きたことは、それ以上に不可解だった。

ヒロがフランクスを動かした。

その事実だけで、彼らの常識は大きく揺さぶられていた。

 

 

◇

 

 

一方、その少し離れた場所では停止したグラジオラスのコックピットが開かれていた。

 

 

「……クロ」

 

 

優しい声が、暗い意識の底へ届いた。

 

 

「……ん……」

 

 

クロは、ゆっくりと目を開けた。

ぼやけた視界の向こうに、一人の女性の顔が見える。

ナナだった。

 

 

「……ナナ、姉……?」

 

 

かすれた声で呟く。

ナナはほっとしたように表情を和らげた。

 

 

「よかった。気がついたのね」

 

 

クロはゆっくりと瞬きをした。

自分がどこにいるのか、すぐにはわからなかった。

やがて、周囲の様子を見て、グラジオラスのコックピットにいることを思い出す。

 

 

(……あれ……?)

 

 

ふと、背中に違和感がないことに気づいた。

接続機は、すでに取り外されている。

どうやら、自分が意識を失っている間に処置が行われたらしい。

 

 

「あなた、その鼻血どうしたの?」

 

 

ナナが、クロの鼻元へそっと手を伸ばした。

乾きかけた血の跡に、軽く触れる。

 

 

「……え?」

 

 

クロはきょとんとした。

そして、自分の鼻へ手を当てる。

指先に、赤い跡がついた。

 

 

「……あれ?」

 

 

どうやら、鼻血が出ていたことにすら気づいていなかったらしい。

ナナはその反応を見て、少しだけ眉をひそめた。

 

 

「......詳しい話は降りてから聞きます。歩けそう?」

 

 

クロはゆっくりと足を動かしてみた。

膝を曲げる。

足首を動かす。

多少のだるさはあったものの、動かせないわけではなかった。

 

 

「.....足は動かせそう。ありがとう、ナナ姉......」

 

 

ナナは小さく頷いた。

そして、クロが立ち上がるのを支える。

クロは彼女の肩を借りながら、ゆっくりとコックピットを降りていった。

一歩。

また一歩。

足元は少し頼りなかったが、なんとか歩くことはできた。

やがて地上へ降り立つと──

 

 

「……クロ!?」

 

 

最初に気づいたのは、近くにいた仲間たちだった。

ココロが驚いたように目を見開く。

その視線は、クロの顔に残った血の跡へ向けられていた。

 

 

「えっ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

 

 

ミクも慌てて駆け寄る。

 

 

「クロ!」

 

「おい、大丈夫かよ!?」

 

 

ツグミとゾロメも、急いでこちらへやってきた。

あっという間に、クロの周囲に仲間たちが集まる。

 

 

「えっと......あはは...」

 

 

クロは困ったように笑った。

心配してくれているのは嬉しい。

けれど、あまりにも一度に声をかけられ、何から答えればいいのかわからなかった。

 

 

「どうしたのその鼻血!」

 

 

そんな中、ナオミが勢いよく顔を覗き込んだ。

 

 

「わっ……!」

 

 

クロは思わず肩を跳ねさせた。

その気迫に少し押されながら、慌てて答える。

 

 

「わ、わかんない。いつから流れたのか覚えていないよ」

 

「……覚えてない?」

 

 

ナオミの表情が、さらに険しくなる。

 

 

「……どういう事だ?」

 

 

ツグミも顎に手を当て、考え込んだ。

クロの顔には、かなりの量の血が流れた跡が残っている。

それなのに、本人には自覚がない。

ただ転んだり、どこかへぶつけたりしただけでは説明がつかなかった。

その時だった。

ナナのもとへ、一人のオトナが近づいてきた。

 

 

「……あの」

 

 

彼は端末を差し出す。

ナナはそこに表示された情報へ目を通した。

 

 

「…………」

 

 

その表情が、静かに変わる。

先ほどまでの優しげな雰囲気が消え、声の調子が低くなった。

 

 

「……どうして、仮接続も済ませずにコネクトしたの?」

 

 

オトナが、びくりと肩を震わせる。

 

 

「す、すみません! 彼女がどうしても乗せてくれと申していたので……!」

 

 

その説明を聞き、ナナはクロへ視線を向けた。

 

 

「……クロ、彼の説明は聞いたの?」

 

「はい、聞きました」

 

 

クロはあっさりと答えた。

その返事に、ナナの眉がわずかに動く。

 

 

「……聞いたうえでやったの?」

 

「はい、やりました」

 

 

迷いのない返事だった。

ナナは、一瞬言葉を失った。

その時──

 

 

「どうしてそんなことやったの!!」

 

 

ナオミが叫んだ。

 

 

「!?」

 

 

クロは驚いて目を見開いた。

ナオミは、クロの両肩をぎゅっと掴んでいた。

その表情には、怒りが浮かんでいる。

けれど、それだけではなかった。

強い不安。

そして、恐怖。

もしクロが、そのまま目を覚まさなかったら。

もし、あの機体の中で命を落としていたら。

そんな可能性を考えるだけで、ナオミは胸が苦しくなった。

 

 

「……ナ、ナオミ……?」

 

 

クロは戸惑ったように彼女を見つめる。

そして、少しだけ視線を落とした。

 

 

「……だって、みんなが叫竜に襲われてて……助けなきゃって、思ったから……」

 

 

小さな声だった。

けれど、そこに嘘はなかった。

危険だということは聞いていた。

それでも、仲間たちを放っておくことができなかった。

ただ、それだけだった。

 

 

「…………」

 

 

ナオミは言葉を詰まらせた。

クロがそういう少女であることは、知っている。

誰かが困っていれば、放っておけない。

自分のことより、仲間のことを優先してしまう。

だからこそ、心配だった。

 

 

「……もう……」

 

 

ナオミは小さく息を吐いた。

肩を掴んでいた手の力が、少しだけ緩む。

その様子を見て、ナナが静かに口を開いた。

 

 

「クロ、仲間が危険な状況なら、助けに行こうとするのは正しいことよ」

 

 

クロは顔を上げた。

ナナは、真剣な表情で彼女を見つめている。

 

 

「でも、自分の身を守れないまま飛び出したら、かえって危険な目に遭うわ。あなたが倒れてしまったら、助けられるはずの仲間も助けられなくなるでしょう?」

 

「……はい。次から、気をつけます」」

 

 

クロは素直に頷いた。

その返事を聞き、ナナは小さく息を吐いた。

しかし、クロの様子にはまだ不安が残っていた。

 

 

「……ん……」

 

 

ふらり、と体が傾く。

 

 

「クロ!?」

 

 

ナオミが慌てて支えた。

クロはそのまま、彼女の肩へ軽く寄りかかる。

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

 

ツグミが心配そうに顔を覗き込んだ。

 

 

「……うん……」

 

 

クロは眠たげに瞬きをする。

 

 

「……なんか、眠くなってきた……」

 

 

その声を聞いて、ナオミは少しだけ表情を緩めた。

少なくとも、今すぐ意識を失うような様子ではなさそうだった。

とはいえ、無理をさせるわけにはいかない。

 

 

「……なら、寝る前に顔を拭かないとね」

 

 

ナオミはそう言って、クロの顔に残った血の跡を見つめた。

 

 

「……えへへ、お願いしてもいい?」

 

「もう……しょうがないんだから」

 

 

呆れたように言いながらも、ナオミの声は優しかった。

ツグミも、ようやく少し安心したように笑う。

 

 

「まったく、心配させんなよなぁ」

 

「ごめんね、ツグミ」

 

「……まあ、無事ならいいけどさ」

 

 

そのやり取りに、周囲の仲間たちも少しずつ表情を和らげていった。

ココロは胸に手を当て、ほっと息を吐く。

ミクはまだ何か言いたげだったが、クロの顔を見て言葉を飲み込んだ。

ゾロメも、照れ隠しのようにそっぽを向く。

みんな、心配していたのだ。

クロが無事に戻ってきたことを、心から喜んでいた。

 

 

◇

 

 

その輪から、少し離れた場所で。

イクノは、静かにクロを見つめていた。

胸元で握りしめた拳に、力がこもっている。

クロの顔に残る血の跡。

ナオミに寄りかかる姿。

そして、先ほどまで動かなかったグラジオラス。

それらが、頭の中で何度も浮かんでは消えていく。

 

 

「…………」

 

 

イクノは唇を結んだ。

何かを言いたいようにも見えた。

けれど、結局、何も口にはしなかった。

ただ、仲間たちに囲まれるクロを、じっと見つめ続けていた。

 

 

「イクノ……?」

 

 

不意に声をかけられ、イクノははっとした。

振り向くと、イチゴが心配そうにこちらを見ていた。

 

 

「……どうしたの?」

 

 

イクノは一瞬だけ目を伏せる。

そして、すぐにいつもの落ち着いた表情へ戻った。

 

 

「……別に。なんでもないわ」

 

 

そう答え、視線を逸らす。

イチゴは少し気になったものの、それ以上は追及しなかった。

イクノは再び、クロの方へ視線を向ける。

その表情からは、もう先ほどの動揺を読み取ることはできなかった。

けれど、胸元で握られた拳だけは、まだ緩んでいなかった。

 

 

 

─────

 

 

 

夕日が、プランテーションを黄金色に染めていた。

長い影が地面へ伸び、巨大な構造物の輪郭が夕焼けの中に浮かび上がっている。

その光の下で、クロは自分の手のひらをじっと見つめていた。

 

 

「…………」

 

 

指を開く。

そして、ゆっくりと握る。

何度か繰り返してみる。

自分の手。

いつもと変わらない、小さな手だった。

けれど──

 

 

(……不思議)

 

 

あの時の感覚が、まだ残っていた。

グラジオラスを動かした瞬間。

自分の腕を動かすように、巨大な鋼鉄の腕が動いた。

地面を蹴る感覚。

拳を振るう感覚。

そのすべてが、まるで自分自身の体であるかのようだった。

同時に、頭の奥には、あの激痛の名残もある。

思い出すだけで、少し怖くなる。

それでも──

クロは、ゆっくりと顔を上げた。

少し離れた場所では、ヒロが仲間たちに囲まれている。

その隣には、角の生えた見知らぬ少女がいた。

そして、自分のすぐそばには、ツグミとナオミがいる。

二人とも、まだ少し心配そうな顔をしていた。

 

 

「……クロ?」

 

 

ナオミが声をかける。

 

 

「……ん?」

 

「まだ、どこか痛い?」

 

 

クロは少し考えた。

頭は、まだ重い。

体にも、だるさが残っている。

けれど、彼女は小さく首を横に振った。

 

 

「……ううん。大丈夫」

 

 

そして、にっこりと笑う。

 

 

「……そっか」

 

 

ナオミも、ようやく少し笑った。

ツグミはそんな二人を見ながら、ほっとしたように肩の力を抜く。

クロは、もう一度自分の手のひらへ視線を落とした。

 

 

(……これなら)

 

 

かつて、ツグミと共にフランクスへ乗ろうとした。

けれど、二人のコネクト値は必要な基準に届かなかった。

どれだけ望んでも、フランクスのパラサイトになることはできなかった。

それは、変えられない事実だった。

しかし、今は違う。

自分には、グラジオラスがある。

一人でも戦うことのできる、フランドールという新しい可能性がある。

 

 

(……これなら、みんなと一緒に……)

 

 

クロは、そっと拳を握った。

まだ、何もかもがわからない。

今日のような無茶をすれば、また同じ痛みに襲われるかもしれない。

それでも、あの時確かに感じたのだ。

自分にも、仲間を守るためにできることがあるのだと。

夕日が、クロの黒い髪を柔らかく照らした。

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