玄関から寄宿舎の中に入り、ラウンジへと繋がる階段を重い足取りで登っていくゴロー、イチゴ、ナオミの三人。
ふと、ゴローの脳裏に先ほど出会った少年の姿がよぎる。去り際に言い残していった軽薄な言葉。
『じゃあ僕たちは一旦、都市へ降りるよ♪すぐここへ来ちゃったからね、ナナとハチにあいさつしないと』
ゴローは疑問に思い、ぽつりと呟いた。
「ナインアルファ...あいつ結局何しに来たんだろうな」
「...わかんない......」
イチゴも抱き始めた不安を覆い隠すように視線を落とし、言葉を返す。
すると、二人の後ろを歩いていたナオミが、耐えかねたように声を漏らした。
「生命を吸い取る呪い......本当なのかな......」
ナオミは抱きかかえるように自分の腕を抱え、不安を押し殺しきれない様子で声を落とす。
「私たちをからかっただけだよ。それに、いくらなんでも呪いなんてバカげてるよ」
イチゴは二人を安心させるように、意識して毅然とした声を張った。ナオミはイチゴのまっすぐな眼差しを見つめ返すと、自分を無理やり納得させるように小さく頷いた。
「そう...だよね」
─────
翌日、第26都市とのキッシング開始に際し、両都市の合同による友好セレモニーが盛大に執り行われた。
式典会場の中央に敷き詰められた鮮烈な赤カーペットの上には、第13都市と第26都市のコドモ達が並んで立っている。カーペットの両側面には、規律正しく並んだオトナ達がそれぞれの都市の旗を高く掲げ、隊列を取り囲んでいた。
スピーカーから響く音声を背に、まずは第26都市の市長が声を張り上げた。
「諸君!!おぞましい叫竜たちは我々のマグマ燃料を狙い!大挙して襲ってくるであろう!!この両都市の運命は、パラサイト諸君にかかっている!!君たちは強い!!必ずや勝利をもたらしてくれると信じている!!!」
力強い演説に場内が静かな熱気に包まれる中、続けて第13都市の市長が前に出た。
「そして!! 勝利の栄光を掴み取ったその暁には、一人の欠けもなく、我が都市へ、諸君らの帰るべきこの家へと無事に帰還してほしい!!! 私は、我々は、諸君らの健闘と誇り高き凱旋を、心から祈っている!!!」
二人の市長による熱烈な激励を聞いた第13部隊のパラサイトとパイロット達は、みな熱気に当てられたように顔を高揚させていた。しかしその対照的に、第26部隊のパラサイト達は誰一人として表情を崩さず、規律正しく落ち着いた様子で静かに演説を聞き届けている。
普段受けることのないオトナからの手厚い歓迎や言葉に、ヒロやクロたちは素直に心を躍らせ、胸を張っていた。だが、その華やかな熱狂の只中にありながら、イチゴとナオミだけは心から喜ぶことができず、重い影を落とした顔で静かに俯いていた。
ゴローは周囲の歓声から少し浮いている二人の異変に気づき、心配そうな視線を送ってその様子を見守っていた。
◇
セレモニーが行われた翌日。寄宿舎のラウンジには、昨日の余韻を冷ましきれないコドモ達の賑やかな声が響いていた。
「昨日のセレモニーすごかったな〜!私興奮してしばらく寝付けなかったもの!」
ココロが珍しく興奮気味に声を弾ませると、ミクも同調するように頷く。
「向こうの部隊のリーダーの人、いい人そうだったよね〜」
「ミクはああいう人と乗ってみたい?」
「うちの男子に比べればマシよ」
ミクはそう言って鼻を鳴らすと、隣に腰掛けいていたイクノへ話しかけた。
「そう思わない?」
だが、イクノは腕を組んだままそっぽを向き、冷ややかに呟くのみだった。
「別に、興味ないから」
そんな二人のやり取りを、ココロはニコニコと微笑ましく眺めている。ミクは肩をすくめ、「お固いこと」とつまらなさそうに吐き捨てた。
一方、ソファで頭の後ろに腕を組んでいたゾロメが、身を乗り出すように声を張り上げた。
「オトナに期待されると気持ちが高ぶるよな〜!」
「うん!俺たち、必要とされてるんだ!」
フトシが嬉しそうに頷くと、ゾロメはガバッと立ち上がり、右手をまっすぐ天井へと掲げて見せた。
「諸君!君たちは強い!必ずや勝利をもたらしてくれると信じている!」
セレモニーでの市長の演説を見事に模倣してみせると、フトシ、ココロ、ツグミ、ゴローの4人は楽しそうに声を上げて笑った。調子に乗ったゾロメは、今度は腕を組んで堂々と胸を張る。
「そして勝利をもたらすのは、この俺様だッ!!」
ヒロもその賑やかさを微笑ましく見つめて笑っていた。イチゴとナオミもまた笑みを浮かべてはいたが、その胸中はアルファの残した不穏な言葉や押し寄せる不安で複雑に陰っていた。二人はその影を周りに悟らせまいと、必死に表情を取り繕っている。
ゴローもまた皆の輪の中で笑顔を見せていたが、ふとポケットの中で通信端末の電子音が鳴った。画面に目を通すと、少し真面目な顔つきになって全員に呼びかける。
「みんな、ちょっといいか?」
ゾロメたちの視線が一斉に集まるのを確認し、ゴローは内容を共有した。
「ナナからの連絡で、ブリーフィングが始まるまでに26部隊のパラサイトと交流できるそうだ。誰か来る人はいるか?」
「マジで!?行く行く!!」
「私も行きたーい!」
真っ先に反応したのはゾロメだった。クロも勢いよく挙手する。
続けてフトシ、ツグミ、イクノが静かに手を挙げた。他に名乗り出る者がいないことを確認すると、ゴローは頷いた。
「もういないか?じゃあ、16時に駐機ドッグで集合だ」
その言葉と同時に、エントランスホールに置かれた古い柱時計が重厚な音で午前7時の鐘を打った。ハッと顔を上げたフトシが声を上げる。
「ごはんだ!」
吸い寄せられるようにソファから立ち上がると、「ごはんごはん〜♪」と機嫌よく口ずさみながら食堂へと歩き出し、ゾロメたちもその後に続いた。
皆がぞろぞろと移動する中、階段を降りかけたヒロの後ろからイチゴが声をかけた。
「ヒロ、ちょっと待って!」
「......ん?」
ヒロがどこかぼんやりとした様子で足を止めると、イチゴはヒロの制服の襟へと手を伸ばした。整えようとしたその瞬間、ヒロはビクッと体を強張らせて後退り、自分の首元をかばうように押さえながらイチゴを見つめた。
不自然な過剰反応に、イチゴは一瞬目を見張ったが、気まずそうに手を引いた。
「...襟、折れてたから...」
「......あ...」
ハッとしたヒロは、自分の反応の異常さに気づいたように小さく声を漏らす。イチゴは小さく息を吐き出すと、努めていつもの調子で言った。
「全く、相変わらずだらしないんだから」
そう言い残して階段を降りようとしたイチゴだったが、ふと足を止めた。急に動きを止めたイチゴに、ヒロも足を止めて視線を向ける。
静寂の中、イチゴは消え入りそうな声で呟くように口を開いた。
「ヒロ...アタシ聞いたんだ、ゼロツーの『パートナー殺し』の噂......それがもし本当だったら...次あのコと乗った
ら死ぬかもしれないんだよ」
重く圧しかかる問いかけに、ヒロは一瞬だけ思考を巡らせた。だがすぐに、その瞳に静かな覚悟の火を灯し、まっすぐイチゴを見つめ返した。
「......それでも、ゼロツーとなら...まだ可能性が残されているなら、俺は乗るよ......」
ヒロの迷いのない言葉を聞いたイチゴは、ギュッと拳を握りしめ、眉をひそめた。一瞬だけヒロの顔を直視したものの、すぐに堪えきれなくなったように視線を外す。
「...覚悟、できてるんだ......」
絞り出すようにそう呟くと、イチゴは自分に言い聞かせるように言葉を続けた。
「わかった、だったもう止めない」
「イチゴ......?」
戸惑うヒロを置き去りにするように、イチゴは背を向ける。
「アタシもリーダーとして、覚悟決めなきゃ」
イチゴはそう言い切ると、今度こそ迷いを断ち切るように食堂へ向けて再び歩みを進めた。ヒロも押し寄せる感情を殺し、その背中を追うように階段を降りていく。
そのまま食堂へと足を踏み入れると、待ち構えていたゼロツーが弾んだ声で駆け寄ってきた。
「あ!ダーリン、おはよう!」
「あ、おはよう」
ゼロツーは眩しい笑みを浮かべると、「こっち!」と言ってヒロの手を力強く引っ張っていく。
イチゴは引っ張られていくヒロを黙って見つめた。
「うああああ!?なんで女子がこっち来んだよ!」
突然の乱入にゾロメが悲鳴を上げ、自分の定位置を奪われたフトシは悲しそうに肩を落とした。
「そこ俺の席だし...」
「そうだよ、あっちいけよ!」
ゾロメが抗議の声を上げるが、すかさずイチゴの鋭い声が響き渡った。
「静かに!」
男子たちの視線が一斉にイチゴへ向かう。イチゴは凛とした声で促した。
「早く席について、お祈りの時間よ」
「ええ...でも、俺の席...」
行き場を失って困惑するフトシに、ココロが優しく微笑みながら空いている隣の席を示した。
「じゃあフトシくん、こっちに来る?」
その一言に、周囲の反応は様々だった。ミクは呆れたように眉をひそめ、イクノは少し困り顔を浮かべ、ナオミは戸惑いを隠せず、クロはフトシの反応を楽しみに見つめている。
当のフトシは「え?いいの?」と歓喜を滲ませ、ゾロメは「ええ?」と少しだけ頬を赤らめて上擦った声を漏らした。
全員が席に着いたのを確認すると、一同は静かに手を組み、祈りを捧げ始めた。しかし、その静寂の中でゼロツーだけは気にも留めず、自分の料理へ蜂蜜を容器からドバドバと大量に注ぎ込んでいる。
「パパの喉が乾くことがないように。パパの心に未来永劫の平穏が訪れますように」
イチゴが朗誦し、「いただきます」と告げると、全員が唱和した。
「いただきます」
一斉に食事が始まると、ゼロツーは黄金色の蜂蜜でドロドロになったパンをヒロの目の前に突き出した。
「はい、ダーリン。あーん」
「う、うん」
戸惑いつつも、ヒロはそのパンを口にくわえて噛みしめる。満足そうに微笑むゼロツーが尋ねた。
「どう?」
「...うん、おいしいよ」
「ボクの分、全部食べていいよ」
仲睦まじい二人のやり取りを、ゴローは固まった手元で黙って見つめていた。その視線に気づいたツグミが、悪戯っぽく囁く。
「どうしたゴロー、同じことされたいのか?」
「いや、遠慮しとくよ」
苦笑いで返すゴローに対し、フォークに刺したウィンナーを口に運んでいたゾロメが、羨ましそうに溜息をついた。
「いいな〜、俺もああいうのやられてぇな〜」
「パートナーに頼んでみたらどうだ?」
ゴローがコップを置きながら助言すると、ゾロメは鼻の下を伸ばした。
「え〜?それならココロちゃんみたいなかわいい子が──」
言いかけたゾロメの目に入ったのは、先ほどのゼロツーたちのやり取りを真似て、ココロがフトシにパンを食べさせている衝撃的な光景だった。
「ああああああ!!」
ゾロメの絶叫が食堂に響き渡る。ココロはクスクスと笑いながら言った。
「まねっこ!」
フトシはドヤ顔でピースサインを向ける。すると、ミクが身を乗り出すようにしてゾロメへ急接近した。
「なーによ、すぐに影響されちゃって...!」
口元こそ笑っているものの、その瞳と声には明らかな怒りが宿っている。ゾロメは顔を引きつらせた。
「ヒィ......ッ!」
呆れたように息を吐くゴローは、ふと視線をイチゴへと巡らせた。イチゴは喧噪から離れたように黙々とナイフとフォークを動かし、手にしたコップの中のココアをじっと見つめている。
その横で、ゼロツーは楽しそうに再びパンを差し出していた。
「もっかい、あ〜ん♪」
一方、その光景を眺めていたクロも触発されたらしく、隣で静かに食事を摂っていたナオミの前に自分のパンを差し出した。
「...なに?」
困惑するナオミに対し、クロは弾けるような笑顔を向ける。
「まねっこのまねっこ!あ〜ん!」
そのまま強引にナオミの口元へパンを押し付けた。
「ま、待って!食べるから...!」
ナオミは慌ててパンを手で押し戻し、体制を整えてから一口かじりついた。慣れない強引な食べさせられ方に戸惑いつつも、口いっぱいに頬張る。
「どう?」
覗き込むクロに、ナオミは口元を手で覆いながら小さく頷いた。
「う、うん...!美味しいよ」
「やった♪」
クロは嬉しそうに声を上げた。
だが、クロの反対側に座っていたイクノの視線は違っていた。最初は無関心を装って食事を続けようとしていたイクノだったが、クロがナオミに無邪気にパンを食べさせる光景を目にした瞬間、胸の奥底からドロリとした黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。
今まで見に覚えのない感情。気づいた時には、イクノはナオミの横顔をナイフのように鋭く睨みつけていた。
満足したクロがふと視線を動かすと、眉をひそめてナオミを睨むイクノに気づいた。
「どうしたの、イクノ?」
「ッ!......なんでも...ないわ」
ハッと我に返ったイクノは、動揺を隠すように口ごもりながら素早く視線を落とし、何事もなかったかのように食事を再開した。クロは一瞬不思議そうに首をかしげたが、その疑問はすぐに消え去り、再び自分の食事へと意識を戻していった。
─────
朝食を終えたコドモ達は、それぞれ本を読んだり遊んだりと、自由な時間を過ごし始めていた。
その中で、ヒロはゼロツーに「ここを案内してよ」と頼まれ、寄宿舎の中を一緒に連れて回りながら、日々の過ごし方を教えていた。
「ここではね、朝起きる時間も風呂に入る時間も夜寝る時間も決まってる。その日着る服も食事も、全部用意してくれてるんだ」
「ふ〜ん」
ゼロツーは興味があるのかないのか分からないような生返事を返す。廊下の大きな窓の前に立ち、ガラス越しに広がる人工の森を見つめながら、ヒロは言葉を続けた。
「この森全て、俺達パラサイトとパイロットの数値を調整するために作られてるんだって」
ゼロツーは顔を上げ、頭上に広がる鳥籠のような壁を見上げる。
「空に蓋がしてあるのも?」
「......多分」
ヒロは頷き、窓の外へと視線を戻す。
「でも、屋根はあるけど雨は降るよ」
「あめ?」
初めて聞く言葉のように、ゼロツーは首を傾げて呟いた。
「うん、屋根から水が降ってくるんだ」
「なにそれ見たい!やってみて!」
思いがけないねだられ方に、ヒロは慌てて声を裏返らせた。
「ぇえっ?俺はできないよ、タイミングはパパ達が決めるんだ」
「やだ、今見たい、やってよ」
無邪気に詰め寄るゼロツーの圧倒的な勢いに押され、ヒロは戸惑い、言葉に詰まってしまう。
その様子を見て、本当に不可能なのだと悟ったゼロツーは、つまらなさそうな表情を浮かべて再び窓の外へと視線を向けた。ヒロは顎に手を当てて少し考え込んだあと、同じように窓の外の景色を見つめた。
それから二人は男子棟のヒロの部屋へと移動した。ヒロはふと気になっていたことを口にする。
「ところでさ、なんで急にここを案内してほしいって言い出したの?」
するとゼロツーは迷わず靴を脱ぎ捨てると、ベッドの上へ跳び乗り、ピョンピョンと子供のように跳ね回りながら答えた。
「ん?なんでって...ボクもここに住むからさ、教えてもらおうと思ったんだ!」
その時、ちょうど部屋に戻ってきたゴローが、ベッドの上で無邪気に跳ねるゼロツーを目にして絶句した。外の騒がしさに気づいたゾロメが廊下から覗き込み、男子の部屋に女子がいることに驚愕してゼロツーを指さした。
「な、なんで女子がここにいんだよ!男子棟に入ってくんなよ!」
「ご、ごめん!すぐ出てくからさ!」
ヒロは焦ってゾロメに頭を下げると、急いでゼロツーの手を取った。
「ゼロツー、行こ...!」
「え〜」
不満そうに落胆の声を上げるゼロツーを引きずるようにして、ヒロは急いで部屋を抜け出した。
そのまま手をつないで廊下を駆け去っていく二人の後ろ姿を見送りながら、ゾロメは呆れたようにボヤいた。
「なんだよ、手なんか繋いじゃってさ」
その横で、ゴローは走り去っていくヒロの背中を見つめていた。
◇
一方、中庭では、ゴローとイチゴが冷たい壁に背をもたせかけながら静かに話し合っていた。
「どう思う、今日のヒロ?」
ゴローが投げかけた問いに、イチゴはどこか遠くを見つめるような眼差しで応じる。
「...そうね、あんなに笑ってるヒロを見るのは久しぶり」
「ああ...でもさ、もし無理に明るく振る舞ってるだけだったら」
ヒロの心身の状態に抱く懸念を拭えないゴローに、イチゴは短く尋ねた。
「本人がそう言ってるの?」
「いや、素直に話す性格じゃないだろ、アイツ」
ゴローは首を振ると、切実な思いを込めてイチゴを見つめた。
「なあ、お前からも──」
言葉の途中で、イチゴが静かに遮った。
「ゴロー、ヒロの心配もいいけどアタシたちのことを、まずはちゃんと考えなきゃ」
「...どういう意味だ?」
突然の指摘に首をひねるゴローへ、イチゴは視線をしっかりと合わせ、きっぱりとした口調で告げた。
「次の戦いはこれまで以上に厳しくなる。パートナーのゴローがそんなにフワフワしてたんじゃ、アタシも全力出せないよ」
◇
同時刻、寄宿舎から少し離れた敷地内に佇む温室。ガラス越しに柔らかな光が差し込むその静寂の中で、ミツルはポツンと椅子に腰掛け、深く考え込んでいた。
今朝のラウンジで、ヒロが周囲から称賛を一身に浴びていた光景。そして、フランクスに搭乗したヒロがストレリチアを駆り、戦場で縦横無尽に圧倒的な戦闘力を見せつけたあの記憶が、頭から離れない。
自分とヒロとの間にある、あまりにも残酷で圧倒的な差。なぜ自分にはあれほどの力がないのか。焦燥と屈辱が交錯し、胸の奥で黒く渦巻いていた。
(何故僕だけ...ヒロとボクは、何が違うんだ......ッ!)
心の中で苛立ちを噛み締め、一人葛藤に苛まれていたその時、温室の扉が静かに開く音が響いた。
ミツルが視線を向けると、そこには水の入ったジョウロを手にしたココロが立っていた。彼女は痛々しいものを見るかのような、心配そうな眼差しでミツルを見つめている。
相手がココロだと確認すると、ミツルは椅子から立ち上がり、距離を置くように言った。
「なんですか?」
ココロはジョウロを抱え直すようにしながら、静かに歩み寄る。
「...ここに入ってくのが見えて...大丈夫?」
「別に平気ですよ」
取り付く島もない素っ気ない態度で、突き放すように返すミツル。だが、ココロは引こうとせず、気遣うように言葉を重ねた。
「もしかして何か悩んでる...かな?私で良かったら相談に──」
「放っておいてください」
差し出されかけた手を強情に振り払うかのように、ミツルはその言葉を途中で冷たく遮った。
「あなたに相談することなどありませんから」
吐き捨てるように言い放つと、ミツルはココロの横を通り抜け、足早に温室を去っていった。
取り残されたココロは、去っていくミツルの頑なな背中を、悲しげで心配そうな表情のまま見送った。
◇
正午過ぎ。寄宿舎の書庫には、イクノ、ナオミ、クロの三人の姿があった。
イクノはいつものように小説のページを繰り、ナオミは植物について詳しく書かれた図鑑を開いている。クロは並んだ本棚を眺めながら、次に読む一冊を品定めしていた。
静かな時間が流れる中、ナオミが図鑑から目を離さずに声をかけた。
「ねえ、イクノ」
「なに?」
イクノは視線を本に向けたまま、淡々とページをめくる。
「今日のヒロ、少し変じゃなかった?」
「そうかしら...でも、あんな元気なヒロは久しぶりに見た気がするわ」
「そう、だけど......私には無理してるように見えて、気の所為だといいんだけど......」
ナオミの懸念に対し、イクノはそっけなく応じた。
「気になるなら本人に聞けばいいじゃない」
「.......でも、ヒロが素直に話すとは思えないわ......」
ナオミは呟くように言い落とすと、不意に視線を巡らせた。
「ねえ、クロは──」
言いかけたところで、ナオミはハッと口をつぐんだ。クロは普段、ミストルティンの森をあてもなく散歩していることが多く、ヒロと会うことはおろか、会話をしている姿などほとんど見たことがない。クロに意見を求めたところで、有益な答えが返ってくるとは思えなかった。
だが、名を呼ばれたクロは素直に振り返った。
「ん、なに?」
「いや...なんでも無いよ」
取り繕うナオミだったが、クロの興味はナオミの手元にある本へと移っていた。ナオミの隣の席へちょこんと腰を下ろすと、無邪気に覗き込む。
「ねえねえ、それってどんな本?」
「これは植物の図鑑。ミストルティンにある植物や過去に存在した花とかが載っているの」
「へえ〜」
クロは感心したように図鑑のページを見つめた。
その時、クロとイクノのポケットから同時に電子音が響いた。端末を取り出したクロが顔を上げる。
「ゴローからの連絡だ!」
「ちょうど15分前ね、行くよクロ」
「うん!」
イクノはパタリと本を閉じ、二人は立ち上がった。
書庫を後にしようとする二人の背中に、ナオミが言葉をかける。
「いってらっしゃい」
「行ってきまーす!」
明るく手を振るクロと、「行ってくるわ」と短く返したイクノが扉の向こうへ消え、パタンと音が響いて静寂が戻った。
一人残されたナオミは、再び手元の図鑑に目を落とした。
しかし、文字を追うナオミの胸中には、ヒロに対する疑念と胸騒ぎが渦巻いたまま消えなかった。
(もしあの子の噂が本当だったら......今日のヒロは明るかったけど、もしヒロが何かを隠すためにあんな元気な振る舞いをしていたら......)
恐ろしい推測が頭をよぎり、ナオミはハッとして強く頭を振った。必死に黒い思考を払いのけようと、改めて図鑑のページに視線を落とす。
だが、一度芽生えてしまった暗い疑念は、どうしても胸の奥から消え去ってはくれなかった。
オリジナル設定の説明欲しいですか?
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いる
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いらない