雨が上がり、夜がしらじらと明けていく。
湿った葉を揺らし、隙間から差し込むかすかな朝陽が、大きな樹木の幹に寄り添って眠る三人の姿を優しく照らし出していた。
「……あ、あそこだ! イチゴ! ナオミ!」
静寂を破ったのは、焦りと安堵の混ざったゴローの声だった。
木々の間から駆けつけてきたのは、ゴローとイクノだった。二人は寄り添い合って眠りこけている三人を見つけると、肩の力を抜いて大きなため息をついた。
「もう……どこに行ってたのよ。みんな心配して探したんだよ」
眼鏡の位置を直しながらイクノが呆れたように呟く。
声に気づいたイチゴが、ゆっくりと重い瞼を開いた。まだ涙の痕が残る目をこすりながら、寝ぼけた様子で二人を見上げる。
「……ゴロー……? イクノ……?」
「大丈夫か、イチゴ? イクノが部屋にイチゴ達がいないって聞かされて、びっくりしたんだぞ」
ゴローが屈み込み、続いて起きたナオミの様子を覗き込む。ナオミは気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「ごめん、二人とも……夜中に雨が降ってきちゃって、寄宿舎に戻れなくなっちゃって……」
「そう。なら仕方ないけど……ところで、クロは?」
イクノの視線の先では、ナオミの膝に顔を預けたまま、すやすやと心地よさそうな寝息を立てているクロの姿があった。ぐっすり寝ているのか、周囲の騒がしさにも全く起きる気配がない。
「クロは朝が苦手で、なかなか起きれないの……」
「まったく……ほら、そろそろ朝食の時間だから寄宿舎に戻るわよ。ヒロとゼロツーはもう戻ってるみたいだし」
「わかった……ナオミ、クロのこと、任せていい?」
「いいよ。私がおんぶしてく」
ナオミは慣れた手つきで眠るクロを背中に担ぎ上げると、落ちないようにしっかりと支えた。すやすやと幼子のように息を吐くクロの重みを感じながら、一行は朝もやの残る寄宿舎へと向かって歩き出す──
同時刻、静まり返った司令室内には無機質なアラート音が低く響いていた。
オペレーションシートの前で、ハチとナナが神妙な面持ちで巨大なメインモニターを注視している。そこに映し出されていたのは、急速にプランテーションへ向かって進行してくる叫竜の群れだった。
「……通常個体とは、あきらかに形状が異なるな」
ハチが腕を組み、接近する叫竜を分析する。
モニターに表示された叫竜群。それらは一定の陣形を保ちながら、何かに導かれるように整然と移動を続けていた。
群れの中心部に鎮座する巨大な影。それは、これまでに13部隊が対峙してきたどの叫竜とも、26部隊が殲滅してきた叫竜とも異なっていた。
まるで巨大な建築物のような真四角の巨躯。そしてその頂部からは、二対の角が伸びている。
「……こんな個体は見たことがない」
ハチの呟きに、ナナは息を呑んだ。
朝の静けさを破り、忍び寄る新たな脅威。
モニターの中で怪しく蠢く叫竜の影が、13部隊に訪れる波乱の予兆を静かに告げていた。
─────
夜──作戦開始の一時間前。
女子更衣室では、出撃を控えたピスティルたちがパラサイトスーツへと着替えていた。
制服の服を下ろしながらココロがふうっと不安げな息を吐き出す。
「……叫竜の数、予想よりも増えているみたい。私たち……無事に帰ってこられるのかな……」
「少なくとも、簡単にはいかないでしょうね」
髪を整えながら、イクノが静かに、だが厳しく言葉を返す。すると、ミクがどこか不満げに口を尖らせながら話す。
「ふん、26部隊の人たちに全部任せちゃえばいいのよ。どうせあたしたちなんて、足手まといなんだから!」
「ずいぶん弱気じゃない」
ぷいと横を向くミクの横で、イチゴは着替えを終えたまま、自身の唇にそっと指を触れさせた状態でフリーズしていた。頭の中に渦巻くのは、昨夜の涙と、ヒロの決意に満ちた瞳。
そんなイチゴの様子に気づき、着替えを終えたナオミがそっと隣へ歩み寄る。
「……緊張してる? イチゴ」
「え……あ、うん……少しね」
ハッとして指を離したイチゴに、ナオミは包み込むような優しい笑みを向けた。イチゴが緊張している理由。そして、誰のことを一番心配しているのかを察しながら、声を低めて寄り添う。
「大丈夫だよ……ヒロなら大丈夫。あのストレリチアに2回も乗れたんだもの。3回目だって、絶対に乗りこなしてみせるよ」
「……うん。ナオミ、ありがとう」
ナオミの温かい言葉に、イチゴは胸の支えが少しだけ軽くなるのを感じていた。
一方、男子更衣室前──
一足早く着替えを終えた男子パイロットたちが、緊張感を漂わせながら静かな廊下を歩いていた。
「……敵の戦力差を考えれば、とても楽観視はできませんね」
ミツルが冷ややかに呟くと、となりのゾロメがすかさず腕を組んで威勢よく声を張り上げた。
「おいおい、ビビってんじゃねえぞミツル! こっちにはこのオレ様がいるんだからよ!」
「ゾロメはともかくとして……」
「んだと!? フトシ!」
ガミガミと食ってかかるゾロメを苦笑いで受け流しながら、フトシが続ける。
「今回はストレリチアだって出撃するしね」
「ふん! とにかく26部隊には絶対負けねえからな!」
「張り合う相手が違いますよ……」
ため息をつくミツル。そんなやり取りをしていると、前方のドアが開き、着替えを終えた女子たちが廊下へと出てきた。
いつものメンバーが集まり格納庫へ歩いていく。だが、イチゴとゴローだけはその場に残り、まだ更衣室から出てこないヒロを気にかけるように立ち止まっていた。
「……イチゴ」
ゴローは静かにイチゴを見つめると、出てきたばかりのヒロの姿を視界に捉えた。
「話しておいた方がいいんじゃないか?」
「……」
ポン、と優しくイチゴの背中を押すゴロー。押し出されたイチゴが思わず振り向くと、ゴローはすでにヒロとは反対方向へと歩き出していた。振り向くこともせず、ただひらひらと片手を後ろになびかせて去っていく彼の背中に、イチゴは胸を締め付けられる。
「……どうしたの? イチゴ」
ちょうど歩いてきたヒロが、不思議そうに声をかけてきた。
イチゴは表情を作ってヒロと並んで歩き始めた。
「今日の作戦、深夜からでしょ? 仮眠は取れた?途中で眠くなっちゃうかもよ」
「いや……なんか目が冴えちゃってさ」
「そっか……実はアタシもあんまり寝られなくて。でも、お風呂に入ったらスッキリしたよ」
「うん……」
短く頷くヒロ。会話が途切れ、気まずい沈黙が流れる。イチゴは何と言えばいいのか迷い、言葉を呑み込んでは口ごもった。
「あのね、ヒロ、アタシ──」
「──イチゴ」
ヒロが足を止め、まっすぐな強い眼差しでイチゴの名を呼んだ。思わずイチゴの身体が跳ねる。
「この作戦、絶対成功させような」
「あ……うん。そう、だね……」
「リーダーの役割、すごく大変だと思う。でもイチゴなら絶対にやり遂げられるって信じてる……頼りにしてるよ」
まっすぐな信頼。それは嬉しいはずなのに、どこか遠くへ行ってしまうような切なさを孕んでいた。イチゴは必死に声を振り絞る。
「アタシだって……アタシだってヒロのこと、頼りにしてる! だって、アタシ……アタシはさ、昔からヒロのこと──」
溢れ出そうになる想い。だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。
「やあ。仲が良くて結構だね」
廊下の奥から響いた不気味なほど爽やかな声。
振り返ったふたりの視線の先には、赤いパラサイトスーツに身を包んだナインアルファとナインラムダが並んで立っていた。
「ナインズ……!? なんでここに……」
警戒露わに身構えるイチゴ。アルファはうっすらと微笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「ちょうどよかった。3人に言っておきたいことがあってね」
3人と言われて、ヒロとイチゴは1人足りないことに一瞬疑問を抱くが、アルファはそれを見透かしたように、二人の背後──更衣室から出てきて、無関心に通り過ぎようとしていたゼロツーへ指を指す。
「……君の今後についてだよ、
ピタリ、と足を止めるゼロツー。視線だけを冷たくアルファへと向ける。
アルファは肩をすくめ、優雅な仕草で語り始めた。
「本来ならね、今日の共同作戦に合わせて君はナインズに戻る手はずだったんだ……でも、偶然と重なってね。パパたちからの指令が少し変更された」
「ナインズに戻る……?」
息を呑むヒロとイチゴ。アルファはゼロツーの瞳をじっと見つめ返し、言葉を続ける。
「僕たちは、この作戦で見極める。そこのステイメンが、3回目の搭乗で生き残るか……あるいは、噂通り死に絶えるか」
隣に立つナインラムダが、冷酷に補足を付け加える。
「もし016の生命が絶えそうになり、君が暴走する兆候を見せたら……我々が即座に割って入る。たとえ作戦行動中でもだ……死んだステイメンを振り回すほど、君は飢えていないだろう?」
「……黙れよ」
ゼロツーの低く鋭い声が廊下に響く。
だがアルファは気にした様子もなく、クスリと笑って背を向けた。
「フランクスに乗って死ぬか、生き延びて証明するか……見させてもらうよ、016」
嘲笑を残して去っていくナインズの背中を、ヒロは固く拳を握りしめながら、じっと見つめ続けていた。
ゼロツーもまた、彼らに一瞥をくれただけで、何も言わずに格納庫の方角へと黙って歩き出してしまう。
離れていくナインアルファたちの後ろ姿をじっと見つめながら、ヒロは自分に言い聞かせるように、ぽつりと小さく呟いた。
「……頑張らなきゃな」
「 何か言った、ヒロ?」
かすかな呟きを聞き咎めたイチゴが振り返る。ヒロははっとして首を振り、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「ううん、何でもない……さっきの話。俺のこと、何て?」
「あ……」
イチゴは一瞬言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。昨夜溢れ出しかけた激しい感情、胸の奥で渦巻く名前のつけられない想い。だが、ヒロのまっすぐな瞳を見つめ返し、イチゴは胸の痛みを押し殺して無理に笑顔を作った。
「……アタシはさ、ヒロのこと……兄弟みたいに思ってるからさ」
ニコッと可愛らしく微笑むイチゴ。
「うん、オレもそう思ってるよ……きっとゴローも、ナオミもそうだと思う」
ヒロの言葉に、イチゴは小さく微笑み返した。だがその表情には、どこか寂しげな陰が落とされていた。
「イチゴ。リーダー、よろしくな」
ヒロはイチゴの肩にポンッと手を置いた。そこに込められた確かな信頼と責任の重み。
手を離すと、ヒロは先を行くゼロツーの背中を追いかけるように走り出した。そして、遠ざかりながらイチゴに向かって手を上げる。
「ゴローと仲良く!」
「……」
走っていくヒロの後ろ姿を、イチゴはただ黙って見つめ続けていた。
格納庫の中に佇むデルフィニウムのコックピット。
シートに乗り込み、準備を進めていたイチゴの前に、すでに乗り込んで腕を組んで待っていたゴローが声をかける。
「……どうだった?」
イチゴは前を見つめたまま静かに口を開いた。
「……ゴローによろしく、って」
「……あいつ」
最後まで自身の胸の激痛や苦しみを隠し、笑って前線へ向かったヒロ。その不器用な優しさと覚悟を察し、ゴローは噛み締めるように低く呟いた。
「ゴロー。この作戦……ストレリチアは、できるだけ温存させるから」
イチゴの瞳に、強い決意の光が宿る。ヒロに3回目の危険を冒させないために、自分たちが前線で踏ん張るという強い意志。
「……わかった」
ゴローもまた、イチゴの覚悟に応えるように強い決意を込めて返事をした。
すでに全機が搭乗し、コネクトを完了させて静かに出撃の時を待っている。
モニター越しに、ツグミが緊張をほぐすようにふぅと息を吐き出す。
「立ち位置に着いたら、後は作戦通り……なあ、ナオミは緊張してないのか?」
「緊張してるよ。でも……今は、眼の前のことに集中してる」
ナオミは自機のシートで前を見つめ、優しく微笑んだ。そしてさっきまで目を閉じていたクロが静かに瞳を開く。
「……生きて帰ろう、みんなで!」
短い言葉に込められたブレない強い意志。その声を聞き、ナオミもツグミも力強く頷いた。