デビル・イン・ザ・フランドール   作:かるご

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青い海、輝く砂浜

26プランテーションとのキッシングは、無事に成功を収めた。その功績が称えられ、第13部隊と第26部隊には四日間の休暇が与えられることとなった。

休暇初日。激戦によって蓄積した心身の疲労を癒やすため、コドモたちは寄宿舎で思い思いの時間を過ごしていた。

昼食を終えたクロはいつものように森へ散歩に出かけていた。

木々の枝葉が日差しを遮り、地面には柔らかな木漏れ日が揺れている。吹き抜ける風は心地よく、戦場の緊張など遠い昔の出来事だったかのように思わせた。

そんな森の中でクロは珍しい光景を見つけた。

木陰に腰を下ろし、一冊の本を読んでいるイクノの姿だった。

クロは足音を忍ばせて近づくと、その隣にちょこんと膝を揃えて座った。

 

 

「イクノが外にいるなんて珍しいね〜」

 

「気分転換に良いかと思ったの」

 

 

イクノは膝の上に広げた本から視線を上げずに答えた。

しかし、木々の間を通り抜ける風が頬を撫でると、ふと心地よさを感じたのか、ページをめくる手を止める。

 

 

「外で読むのも良いね」

 

「でしょ〜?外は涼しいし、静かで落ち着くんだ〜♪」

 

 

クロは満足そうに胸を張った。その様子にイクノは小さく目を細める。

 

 

「...そうね」

 

 

短い返事だったが、そこには確かな肯定があった。

しばらく二人の間に穏やかな沈黙が流れる。やがてイクノは、以前から気になっていたことを尋ねた。

 

 

「クロはよく外に行くけど、いつも一人なの?」

 

「うん、そうだよ」

 

 

あまりにも自然な即答だった。

イクノは少しだけ言葉を選ぶように視線を泳がせる。

 

 

「その...寂しくないの?」

 

「ぜーんぜん!」

 

 

クロはどこまでもあっけらかんと笑い飛ばした。むしろ、どうしてそんなことを聞くのだろうと不思議そうに、今度はイクノの顔を覗き込む。

 

 

「イクノは一人だと寂しいの?」

 

 

不意を突かれたイクノの指先が、本のページの上で止まった。

ほんの一瞬、呼吸が詰まる。

 

 

「...そうね、少し寂しいかしら」

 

 

静かに本音を漏らしたイクノに、クロは「そうなんだ」と小さく呟いた。

そして、まっすぐにイクノを見つめる。その瞳には、何かを思案するような色も、相手の反応をうかがうような気配もない。ただ純粋に、目の前の相手を思いやる温かさがあった。

 

 

「ねえイクノ」

 

「なに?」

 

 

顔を向けたイクノに、クロは花が咲くような満面の笑顔を見せた。

 

 

「寂しくなったらいつでも私の側に来ていいよ!」

 

 

──その瞬間。

イクノの胸の奥で心臓が大きく跳ねた。

ドクン、と確かな鼓動が響く。熱が一気に頬へと駆け上がり、頭の中が真っ白になった。

何か言葉を返そうと口を開く。けれど、唇はわずかに動くだけで、声にならない。

目の前のクロは、そんなイクノの変化に気づいていないようだった。

 

 

(……急にどうしたんだろう)

 

 

不思議そうに首を傾げ、じっとこちらを見つめている。

その無邪気な視線が、今のイクノには余計に眩しかった。

イクノは一度深く息を吐き、何度か呼吸を整える。それから、ようやく消え入りそうな声を絞り出した。

 

 

「....ありがとう...」

 

「えへへっ、いつ来てもいいからね〜!」

 

 

クロは嬉しそうに笑うと、軽やかに立ち上がった。ひらひらと手を振り、再び森の奥へと歩き出していく。

その背中が木々の向こうへ消えていくまで、イクノはしばらく目で追っていた。

一人残された森の中。イクノは胸元へそっと手を添える。

まだ、鼓動は落ち着いていなかった。

その時、ポケットの中から短い電子音が鳴る。

端末を取り出して画面を開くと、ナナからのメールが届いていた。

 

 

『明日、13部隊のみ特別に海に行けるそうよ。水着はこっちで用意しておくわ。他に必要なものがあるなら、今日中に私に言ってね』

 

 

画面の文字を読み終えたイクノはゆっくりと息を吐いた。

胸の奥に残る温もりを確かめるように、もう一度だけ手を添えてから、静かに本へと視線を戻した。

 

 

 

─────

 

 

 

翌日。

第13部隊の面々は、あらかじめ用意されていた水着へと着替え、それぞれ必要なものを持って砂浜へと足を踏み入れていた。

空は雲一つない快晴。数羽のカモメが悠々と風に乗り、甲高い鳴き声を響かせている。

そして、彼らの目の前には、どこまでも広がる青い海があった。

コドモたちにとって、海は知識や噂の中にしか存在しないものだった。実物を見たことのある者はほとんどおらず、ましてや自由に泳ぐことのできる場所など、ほとんど残されていない。

プランテーションでの生活と、いつ襲い来るとも知れない叫竜への警戒。そんな日常から遠く離れた光景を前に、誰もが胸を躍らせていた。

ゾロメ、フトシ、ツグミ、そしてクロ。四人は目の前に広がる海を見つめ、しばらく言葉を失っていた。

あまりの美しさに感激したゾロメは、興奮を押し殺すように一度俯く。

浮き輪を腰に引っかけ、勢いよく顔を上げる。その瞳は、まるで宝物を見つけた子供のように輝いていた。

 

 

「海だああああああ!!!」

 

 

歓声を上げ、ゾロメは真っ先に波打ち際へと駆け出していく。

その後を追うように、フトシ、ツグミ、クロも声を揃えた。

 

 

「「「海だああああああ!!!」」

 

 

四人の足音と歓声が、波の音に重なっていった。

ビーチボールを抱えたミクは、その後ろ姿を呆れ半分、羨ましさ半分といった様子で見送る。

 

 

「...ほんとガキ。休みだからって浮かれすぎ」

 

「しょうがないよ。泳いで良い海なんて、私達初めてだもん」

 

 

隣にいたココロが柔らかな笑みを浮かべてフォローする。

イクノも海風を頬に受けながら、感慨深そうに呟いた。

 

 

「でも、地上にまだこんな場所残ってたんだ」

 

 

沖の方では、先に海へ飛び込んだ面々が気持ちよさそうに水飛沫を上げていた。

ゴローは持参した大きなビーチパラソルを砂浜に突き刺し、傘を広げる。できあがった日陰を確認すると、端末を手にしているイチゴのもとへ歩み寄った。

 

 

「おーい!あんまり遠くに行くなよ!」

 

 

遠くまで泳いでいく4人に声をかけたあと、ゴローはイチゴの方へ視線を向けた。

イチゴは端末の画面を示す。

 

 

「ナナ姉、明日の朝に迎えに来てくれるって」

 

「これも何かの訓練なのかね」

 

 

首を傾げるゴローにイチゴは「さあ」と短く返し、再び海へと視線を戻した。

ゴローも隣に並んで海を眺める。

その横顔を何気なく見た時、日差しを受けたイチゴの姿が、いつもよりどこか可愛らしく見えた。風に揺れる髪も、穏やかな表情も、普段とは少し違って見える。

思わず目を奪われ、ゴローは一瞬だけ言葉を失った。

イチゴは右手で髪を押さえながら、海を見つめたまま言う。

 

 

「でも、周辺に叫竜もいないみたいだし。せっかくの海なんだから、楽しもうよ」

 

 

振り向いた彼女の柔らかな笑みに、ゴローは慌てて視線を逸らした。

 

 

「お...おう」

 

 

何でもないように返事をして、再び海へと顔を向ける。

その少し後ろでは、ミク、ココロ、イクノ、ナオミ、クロの五人が砂浜に集まっていた。

彼女たちの視線の先にいるのは、砂の上をちょこちょこと歩く小さなカニだった。五人は興味津々といった様子で、揃って屈み込んでいる。

その時、背後から弾んだ声が響いた。

 

 

「ダーリン、行こう!」

 

 

ゼロツーがヒロの手を引き、勢いよく海へと駆け出していく。

二人の仲睦まじい姿を見たココロはほっと胸を撫で下ろした。

 

 

「ヒロくん、元気になって良かったね」

 

「心配して損しちゃった」

 

 

ミクも小さく口を尖らせる。

ゴローは二人の姿を眺めながら、静かに呟いた。

 

 

「でも、ゼロツーの噂が晴れて、ヒロも正式なパラサイトになれたんだ。良いことづくめじゃないか?」

 

 

イチゴは浅瀬で楽しそうに水を掛け合うヒロとゼロツーを見つめていた。

あの激戦を経て、二人は名実ともにパートナーとなった。ゼロツーに対する疑念がすべて晴れたわけではない。それでも、ヒロには彼女が必要だったのだろう。

そう思うと、自然と口元に優しい笑みが浮かんだ。

 

 

(本当に、良かった......)

 

「イチゴ」

 

 

ナオミが浮き輪を抱え直しながら声をかける。

 

 

「先に行ってるね」

 

「わかったよ、楽しんで」

 

 

イチゴに見送られ、ナオミは嬉しそうに海へと駆け出していった。

砂浜では、ココロとミクが少し距離を置いて向かい合っている。ココロの手にはビーチボールがあった。

 

 

「行くよー!」

 

 

ココロの声に、ミクは素早くレシーブの構えを取る。

 

 

「こーい!」

 

「よーし、行くよ〜……そーれ!」

 

 

ココロがボールをふわりと高く放り投げ、柔らかく打ち返す。ミクは落下地点へ走り込み、タイミングを合わせて腕を振った。

 

 

「えい!」

 

 

ボールはきれいな弧を描き、ココロのもとへと戻っていく。

その様子を水面に浮かべた浮き輪の上に腰掛けたゾロメと、そこにしがみついているフトシ、ツグミが眺めていた。

 

 

「海ってサイコーだね...」

 

 

幸せそうに呟くフトシに、ゾロメとツグミは深く頷く。

 

 

「「ああ」」

 

「心なしか、5割増しで可愛くも見える不思議...」

 

「なんか...今だけパラサイトが羨ましく思える...」

 

 

ゾロメがぽつりと呟くと、ツグミも実に悔しそうな声で続けた。

 

 

「確かに、これもなかなかだな...」

 

 

横から聞こえた声に、三人が振り返る。

そこには、浮き輪に肘を置いて同じ方向を眺めるゴローがいた。

 

 

「あれ、ゴローも結構この手の話題にはいけるクチ?」

 

「しょせん二桁組のいい子ちゃん集団って思ってたけど、案外話通じるんだな」

 

 

意外そうな二人に、ゴローは心外だと言わんばかりに眉を寄せる。

 

 

「なっ、なんだよ!俺だって男だぞ!」

 

 

胸を張ったゴローは、誇らしげに言葉を続けた。

 

 

「この素晴らしい光景をスルーできるはず──」

 

 

その言葉を遮るように、砂浜から小さな悲鳴が上がった。

 

 

「「きゃあっ」」

 

 

四人が反射的に振り向く。

そこには、砂浜に手をつき、揃って額を押さえているミクとココロの姿があった。どうやらボールに夢中になるあまり、互いに正面からぶつかってしまったらしい。

幸い、二人に大きな怪我はなさそうだった。

しかし、男たちの目を釘付けにしたのは、そんな二人を照らす眩しい日差しだった。青空から降り注ぐ光が、まるで舞台の照明のように彼女たちを照らし出している。

ゴローたちは息を呑み、その光景から目を離せなくなった。

額を撫でながら、ココロが笑顔で尋ねる。

 

 

「いたた、大丈夫?」

 

「ごめん上ばっか見てたぁ」

 

 

ミクが申し訳なさそうに頭をかく。

すると、ココロは彼女の姿を見てハッと目を丸くした。

 

 

「あ!ひも緩んでる」

 

「えっ、やだやだ結んで〜」

 

 

水着の背中を気にしながら、ミクが甘えるように背を向ける。

その一部始終を見ていた四人は、弾かれたように互いの顔を見合わせた。

そして、間髪入れずに肩を組み、円陣を作る。

 

 

「「「「海ってサイコーだな!!」」」」

 

 

一方その頃、クロは岩場に気をつけながら海の中を潜っていた。

陸地からさほど離れてはいない。足を伸ばせば容易に底へ立てる程度の浅瀬だったが、海底には不規則に岩が並んでいる。足を踏み外さないよう、クロは慎重に進んでいた。

水中に差し込む太陽の光が、波に揺られて海底を照らす。光の筋が砂地を滑るように移ろい、見慣れない景色を幻想的に彩っていた。

 

 

(......きれいだなぁ......)

 

 

クロはしばらく、その光景に見入っていた。

ふと、視線を下へ向ける。

砂地の隙間から、かすかに光が漏れている場所があった。

気になったクロは近づき、ためらうことなく砂の中へ手を差し込む。指先に冷たく硬い感触が伝わった。

それをしっかりと握り、砂の中から引き抜く。

手のひらの中にあるものを確かめようと、ゆっくりと指を開いた。

その瞬間、クロの目が大きく見開かれる。

 

 

(ナオミに見せてみよう!)

 

 

胸を躍らせたクロは、それを大切に握りしめ、一気に水面へと浮上していった。

その頃、ナオミは浮き輪に上半身を預け、波に揺られながら漂っていた。

少し離れた沖合では、ヒロとゼロツーが何かを話している。ナオミは二人の姿をぼんやりと眺めていた。

──ザバァン!

突然、すぐ近くで大きな水飛沫が上がった。

驚いて振り向くと、水面から顔を出したクロが勢いよく頭を振り、濡れた髪から水を弾き飛ばしていた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

ナオミが尋ねると、クロは目を輝かせながら浮き輪へと泳ぎ寄ってくる。

 

 

「ねえナオミ!これ見てよ!」

 

 

興奮を隠しきれない声とともに、握りしめていた手を開く。

そこに乗っていたのは、真っ白なビー玉のような丸い物体だった。

ただの球体ではない。表面は丁寧に磨かれたかのように滑らかで、鏡のように太陽の光を反射している。覗き込む二人の顔まではっきりと映し出すほどだった。

初めて目にする美しさに、ナオミは感嘆の息を漏らした。

 

 

「キレイね〜。これどこで拾ったの?」

 

「海の底!」

 

 

クロは誇らしげに胸を張る。

 

 

「そうなの!......私も泳げたら、見つけてみたいなぁ」

 

 

羨ましそうなナオミの言葉を聞くと、クロは迷うことなく白い玉を差し出した。

 

 

「あげる!」

 

「ええ!?いいよ、そんなきれいなモノ」

 

 

ナオミは遠慮したが、クロは気にする様子もなく、その手に玉を握らせた。

 

 

「探せば見つかるから大丈夫だよ〜!」

 

 

屈託のない笑顔を残し、クロは再び海へと潜っていく。

その姿を見送ったナオミは、掌に残された小さな玉へ視線を落とした。

強い日差しを受け、白い玉がきらきらと輝いている。

その美しさもさることながら、何より嬉しかったのは、クロが自分のために迷いなく届けてくれたことだった。

ナオミの胸に温かな喜びが広がっていく。

自然と口元に愛おしげな笑みが浮かんだ。

海に落としてしまわないように。

ナオミはその小さな宝物を大切に握りしめた。

 

 

◇

 

 

砂浜に立てられたビーチパラソル。その下に敷かれたシートには、イクノが腰を下ろしていた。

そのすぐ近くにはイチゴが立ち、二人はそれぞれ海を眺めている。

ただし、視線の先は違っていた。

イクノが追っているのは、浮き輪に乗って波に揺られるナオミと、時折水面から顔を出しては楽しそうに話しかけるクロ。

一方のイチゴは、遠くで声を張り上げているヒロやゴローたちを見つめていた。

イクノはそんなイチゴの横顔に気づき、柔らかく声をかける。

 

 

「気になる?」

 

「ぅえ!?」

 

 

不意を突かれたイチゴは思わず妙な声を上げた。

その反応にイクノは小さく笑みを漏らす。

 

 

「海のことよ。イチゴは泳がないの?得意だったじゃない、水泳」

 

「ぁあ、水泳ね。まあ...うん、そうなんだけど...」

 

 

どこか言葉を濁すイチゴ。

イクノはバッグから愛読書を取り出すと、彼女に見せるように軽く掲げた。

 

 

「私にはこれがあるから、気にしないで行ってきて」

 

 

その気遣いにイチゴはほっとしたように笑う。

 

 

「ありがとう、イクノ」

 

 

そう告げると、イチゴは弾むような足取りで海へと走っていった。

その背中を見送ったイクノはゆっくりと本を開く。文字を追い始めた、その時だった。

 

 

「こんな所まで来て読書ですか」

 

 

背後から声がかかる。

そこには腰に手を当てたミツルが立っていた。

イクノはページから視線を外さずに答える。

 

 

「わざとらしくするの、苦手なの」

 

「否定はしませんが」

 

 

ミツルは自嘲気味に呟いた。

ふと海へ目を向けると、ゴローたちがヒロを勢いよく担ぎ上げ、どこかへ連れていこうとしているのが見えた。

その光景を眺めるミツルの表情にはどこか冷めたものがあった。

 

 

「良いですよね、ちょっと前までは死んでしまいたいなんて顔をしていた人間が、また直ぐにああやって人の中にいられるんだ」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、イクノは本から視線を上げた。

氷のように冷たい眼差しが、ミツルを鋭く射抜く。

 

 

「......私に同情求めないでよね、私はあんたとは違う」

 

 

言い捨てるように告げ、すぐに本へと視線を戻す。

 

 

「冗談、単なる独り言ですよ」

 

「話はそれだけ?もういいかしら」

 

 

淡々とした拒絶にも、ミツルは引き下がらなかった。

むしろ、どこか怪しげな笑みを深める。

 

 

「いや、ちょっと妙なモノを見つけましてね」

 

 

 

─────

 

 

 

周囲を岩場に囲まれた、小さな砂浜。

そこへ強引に連れてこられたヒロは、砂の上に少し乱暴に放り出された。

すぐに身を起こし、自分をここまで運んできた面々へ振り返る。

 

 

「なんだよいきなり...!」

 

 

先ほどまでゼロツーと話していたはずだった。それなのに、突然水中から足を掴まれ、抵抗する間もなく男四人に拘束されてしまったのだ。

理由のわからない仕打ちに眉をひそめるヒロ。その横で、ゴローは申し訳なさそうに頭の後ろへ手を回した。

 

 

「いやぁ、邪魔するつもりはなかったんだが...こいつらが聞かなくて...」

 

 

苦笑するゴローの隣から、ミツルが顔を近づけてくる。

その横では、ゾロメが眉間にしわを寄せ、ヒロを睨みつけていた。

 

 

「な、なんだよ...」

 

 

身構えるヒロにゾロメは唐突に問いかけた。

 

 

「......キスってなんだよ」

 

「はあ!!!?」

 

 

予想外の単語に、ヒロの顔が一瞬で真っ赤に染まる。

 

 

「きっ、聞いてたあ!!!?」

 

「キス....初めて聞く言葉だけど、なんだかステキな響き...」

 

 

フトシは両手をそっと合わせ、その言葉を噛みしめるように呟いた。

ゾロメの注意が一瞬そちらへ向いた隙に、ヒロはこっそり逃げ出そうとする。

しかし、その背後からゾロメが飛びついた。

 

 

「どこ行くのかなヒロくぅ〜ん、何か隠し事してなぁ〜い?」

 

「二人でナニしてたの〜?」

 

 

ゾロメが挑発するように煽り、フトシもニヤニヤしながら横から顔を覗き込む。

 

 

「何もしてないよ!な、なあ!」

 

 

助けを求めるようにゴローを見るヒロ。

だが、ゴローは眼鏡のブリッジを押し上げ、真剣そのものの声で告げた。

 

 

「ヒロ...俺も教えてほしい、キスって何だ」

 

「わかりやすく、具体的に頼む」

 

 

ツグミも同調する。

 

 

「二人までぇ!?」

 

 

完全に逃げ道を失ったヒロは、観念したように小さくなる。

 

 

「お......俺もよくわからないけど...人と人の口が触れて...くっつくというか......」

 

 

羞恥に耐えながら絞り出した説明。

それを聞いた四人の声が、綺麗に重なった。

 

 

「「「「口!!?」」

 

「ご飯食べること以外に、口って何か意味ある!?」

 

「お前...呼吸してんだろ」

 

 

フトシが自分の口元を指さして迫り、ゴローが冷静に突っ込む。

そのやり取りを気にすることなく、ゾロメはさらに身を乗り出した。

 

 

「そのっ!!キスってのをすると、どうなるんだ!?」

 

 

凄まじい迫力に圧倒されながらも、ヒロは記憶を辿る。

 

 

「や...やわらかくて、あったかくて......な...なんだか、ドキドキした......」

 

 

その感想に四人は微かに頬を赤らめた。

誰もがごくりと唾を呑み込み、真剣に耳を傾けている。

 

 

「じゃ、じゃあ、まさかさっきゼロツーとくっついてたのは...!!」

 

 

ツグミの問いかけに、ヒロは慌てて両手を振った。

 

 

「え!?いや!!あれは違う!」

 

「俺、ちょっと興味あるかも...!」

 

 

フトシは顎に指を当て、何やら考え込む。

その隣でゾロメは頭を抱えて暴れ出した。

 

 

「うわああああ!!なんだソレ超気になるううううっ!!」

 

 

悔しさを隠しきれないゾロメは、ヒロへと詰め寄る。

 

 

「また俺たちよりも先を行きやがってっ!!」

 

 

そして、両肩をがっしりと掴んだ。

 

 

「俺にもさせろッ!!」

 

「ええ゛え゛!!?」

 

 

困惑するヒロの口元へ、ゾロメが自分の顔を押し付けようとする。

ヒロは必死に額を押し返し、何とか抵抗した。

その無茶苦茶な攻防を、ゴローとツグミ、ミツルは腹を抱えて笑いながら眺めていた。

──そこへ。

 

 

「......何してんの?」

 

 

騒ぎを聞きつけたイチゴが岩陰から姿を現す。

心底困惑した様子の彼女に、ヒロはハッと視線を向けた。

その一瞬に力が緩み、ゾロメが押し込みを支えきれなくなり。

 

 

「「わっ!」」

 

 

二人はバランスを崩し、派手な音を立てて砂浜へ倒れ込んだ。

呆れ顔で近づいてきたイチゴに、フトシが何気なく尋ねる。

 

 

「イチゴはキスって知ってる?人の口と口が触れるやつ」

 

「っ!!」

 

 

その言葉を聞いた瞬間、イチゴの脳裏にあの日の記憶が蘇った。

模擬戦の最中、コクピットの中でヒロと唇が触れ合った、あの瞬間。

顔が一気に熱くなる。イチゴは勢いよく首を背け、上擦った声で叫んだ。

 

 

「しっ知らない!」

 

 

明らかに動揺したイチゴの様子に、ゴローは一瞬だけ不思議そうな顔をした。

しかし、その疑問を口にするより早く、少し離れた場所からミクの声が響いた。

 

 

「ねーーー!」

 

 

視線を向けると、遠くでミクとココロが大きく手を振っていた。

 

 

「ちょっと良いー?」

 

 

全員の視線が、二人の方へと向けられた。

 

 

◇

 

 

ミクとココロに案内され、ヒロたちは岩肌に挟まれた細い一本道を進んでいた。

海辺から離れるにつれ、風の流れが変わり、日差しも少しずつ遮られていく。ミクやミツルをはじめとした数人は、支給されていたラッシュパーカーを羽織っていた。

先頭を歩くミツルは、一定の歩調を崩さない。

その背中に向け、ミクが疑問を投げかけた。

 

 

「ねー、本当なの?」

 

「ええ、この道を通ったすぐ先に見えてきます」

 

 

落ち着いた声で答えるミツル。

その言葉を聞いたゾロメは途端に目を輝かせた。

 

 

「探検みたいでワクワクするなー!」

 

 

抑えきれない好奇心のまま駆け寄っていく。

一方、ココロは胸の前でそっと手を合わせ、暗がりの伸びる道の先を不安そうに見つめていた。

 

 

「でも、暗くて少し気味が悪いね」

 

「別に無理してついて来なくても良かったんですよ」

 

 

ミツルは歩みを止めずに振り返り、冷淡な声で告げた。

その言い方に、フトシがすぐさま食ってかかる。

 

 

「なぁんだよ!ココロちゃんに向かってその言い方ぁ!」

 

「少なくとも、この先の安全は保証できないので」

 

 

ミツルは意に介さず、再び前を向いた。

その先に見えていたのは、古びた石の階段だった。

長い年月を経て、段の大部分は苔や植物に覆われている。

ミツルはその階段を見上げ、静かに言葉を続けた。

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