すっかり日が暮れ、辺りは夜の帳に包まれていた。
昼間は太陽の光を浴びて青く輝いていた海も、今ではどこまでも続く黒い水面へと姿を変えている。
空には無数の星が瞬き、穏やかな波の音が静かな浜辺に響いていた。
そんな夜の海岸を、ヒロたち一行は歩いていた。
そして、ようやく元いた浜辺へと戻ってきた、その時だった。
「……おっ?」
真っ先に声を上げたのはゾロメだった。
彼の視線の先には、明々と火の灯ったバーベキュー台があった。
その上では、ウィンナーやトウモロコシをはじめとした様々な食材が、じゅうじゅうと音を立てながら焼かれている。
香ばしい匂いが潮風に乗って漂い、歩き疲れた少年少女たちの食欲を刺激した。
台の隣には人数分の取り皿やコップ、飲み物の入ったポットが整然と並べられ、さらにパンや色とりどりのフルーツが盛られたカゴまで用意されている。
少し離れた場所には焚き火があり、その周囲を囲むように丸太が置かれていた。
まさに準備万端。
あとは食べるだけ、と言わんばかりの光景だった。
「やっりー! もうできてんじゃん!」
それを見たゾロメが、嬉々としてバーベキュー台へ駆け寄った。
「肉だよ肉ぅ!」
フトシも負けじと走り出す。その表情は緩みきっており、今にも涎を垂らしそうな勢いだった。
「うんまそ〜♪ 早く食べようぜ、なあ!」
ツグミも目を輝かせながら二人の後を追う。
「お腹すいた〜……」
ミクは自分のお腹をさすりながら、待ちきれないといった様子で呟いた。
「わ〜い! 食べる食べる〜!」
そんな声とともに、クロも元気よく駆け出していく。
その後ろから歩いてきたナオミは、ふと焚き火へと視線を向けた。
ぱちぱちと小気味よい音を立てて燃える薪。
綺麗に並べられた食器。
そして、すでに焼かれ始めている食材の数々。
(……思ったけど……)
ナオミは小さく首を傾げる。
(……こういうのって、いつ用意されてるんだろう……)
自分たちが浜辺を離れている間に、誰かが準備したのだろうか。
そんな疑問が頭をよぎったものの、目の前ではすでに仲間たちが賑やかに騒ぎ始めている。
ナオミはそれ以上深く考えることなく、みんなの後に続いた。
やがて、全員に食材の刺さった串が行き渡り、待ちに待った夕食が始まった。
「いっただきまーす!」
あちこちから元気な声が上がる。
焼きたてのウィンナーを頬張る者。
トウモロコシにかぶりつく者。
パンを片手に、次は何を食べようかと目移りする者。
静かだった浜辺は、あっという間に賑やかな食事の場へと変わった。
「んぐっ……!」
その時だった。
「ッアチ! あちちちち……!」
フトシが突然、口元を押さえながら慌て始めた。
どうやら、焼きたての食材を冷まさずに口へ運んでしまったらしい。
涙目になりながら必死に口の中の熱さと格闘するフトシ。
その隣にいたミクは、呆れたように眉を下げた。
「もう、気をつけなさいよ」
「だ、だって……美味しそうだったから……!」
「だからって、そんな勢いで食べなくてもいいでしょ」
フトシは少し恥ずかしそうに笑いながらも、懲りずに次の食材へと手を伸ばしていた。
そんな光景を、ゼロツーは少し離れた場所から眺めていた。
炎に照らされて揺れる仲間たちの顔。
楽しそうな笑い声。
美味しそうに食事を頬張る姿。
ゼロツーは何も言わず、ただその様子を見つめている。
すると、
「ほら、ゼロツーも」
不意に声をかけられた。
振り向くと、ゴローが食材の刺さった串を差し出していた。
ゼロツーは素直にそれを受け取った。
手にした串をしばらく眺める。
その先端には、こんがりと焼き色のついたトウモロコシが刺さっていた。
ゼロツーはそれをじっと見つめた後、おもむろに口元へ運ぶ。
かぷっ。
小さくかじりつき、もぐもぐと咀嚼する。
そして、また一口。
ゴローはそんな彼女の様子を見て、小さく笑みを浮かべた。
食事がひと段落した頃。
今度は焚き火の周りで、別の楽しみが始まっていた。
「よーし、次はこれだ!」
ゾロメが手にしていたのは、先端に白いマシュマロを刺した串だった。
それを焚き火へと近づける。
炎の熱を受けたマシュマロは、少しずつ表面が柔らかくなり、やがて薄いきつね色へと変わっていった。
「お〜、焼けた焼けた!」
ゾロメは満足げに串を引き寄せる。
表面には程よい焦げ目がつき、甘い香りがふわりと漂っていた。
「わ〜! ミクもやる!」
その様子を近くで見ていたミクが、興味津々といった様子で身を乗り出す。
「へへっ、上手く焼かねーと真っ黒になるからな!」
「わかってるわよ!」
そう言いながら、ミクもマシュマロを串に刺し、焚き火へと近づけた。
その反対側では、
「ん〜っ♪ おいひ〜!」
クロが焼きたてのマシュマロを頬張っていた。
口いっぱいに広がる甘さと、とろりと溶けた柔らかな食感。
その美味しさに、クロの頬は自然と緩んでいく。
隣ではナオミも、串に刺したマシュマロを火にかざしていた。
「……これくらいかな?」
串をゆっくり回しながら、焼き加減を確かめる。
焚き火の炎が、二人の顔を柔らかな橙色に照らしていた。
そんな和やかな時間が流れる一方で、その少し後ろでは──
フトシが、まだ食べていた。
片手には食材の刺さった串が二本。
もう片方の手には、大きなパン。
それらを交互に口へ運びながら、実に幸せそうな表情を浮かべている。
そして、その隣ではツグミもバーベキュー台に残っている食材を次々と頬張っていた。
「ん〜! やっぱ焼きたては最高だな!」
「うんうん!」
二人とも、まだまだ食べる気満々らしい。
「…………」
その光景を見ていたミツルは、思わず口を半開きにしたまま固まっていた。
あれだけ食べたというのに、まだ入るのか。
そんな言葉が聞こえてきそうな、何とも言えない表情だった。
「ねえ、ダーリン」
不意に、ヒロのラッシュパーカーの袖がくいっと引っ張られた。
「ん?」
振り向くと、そこにはゼロツーが立っていた。
彼女はヒロの袖を軽くつまんだまま、いつものように無邪気な笑みを浮かべている。
「ボク、また泳いできてもいい?」
「え?」
ヒロは思わず海の方を見た。
昼間とは違い、今の海は真っ暗だった。
波打ち際こそ焚き火の光がかすかに届いているものの、その先には黒い水面がどこまでも広がっている。
「こんなに真っ暗なのに?」
ヒロが尋ねる。
しかし、ゼロツーはまるで気にしていない様子だった。
「うん!」
にっこりと笑い、元気よく頷く。
そして、ヒロが何か言うよりも早く、
「じゃ、行ってくるね!」
そう言い残して、海へと駆け出していった。
ヒロはその後ろ姿を見送った。
「……もう無理ぃ……!」
焚き火のそばで、ミクがぐったりと声を漏らした。
「おなか、はち切れる〜……」
そう言うなり、隣に座っていたココロの膝へ、ぽすんと頭を乗せる。
「わっ、ミク?」
突然のことに、ココロが少し驚いた声を上げた。
ミクは気にする様子もなく、すっかりくつろいだ表情を浮かべている。
「ミクったら、みんなの前で行儀わるいよ」
ココロはそう言いながら、ミクの肩にそっと手を置いた。
しかし、ミクはまったく悪びれない。
「いいの、今日はいっぱい歩いたんだから」
「もう……」
ココロは困ったように微笑んだ。
そんな二人の様子を、少し離れた場所から見つめている者たちがいた。
ゾロメとフトシだ。
二人は何とも言えない表情で、わなわなと震えていた。
その視線に気づいたミクは、にやりと口角を上げる。
そして、ココロの膝に頭を乗せたまま、わざとらしく勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ほらほらみなさ〜い♪あいつらの羨望の眼差し♫」
「「くうぅぅぅうう……!」」
ゾロメとフトシの悔しそうな声が、見事に重なった。
「みんな歩いたのは同じだろうがよ!」
ゾロメが抗議する。
「羨ましいぃぃいい……!」
フトシも心の底から悔しそうな声を上げた。
しかし、ミクはどこ吹く風。
「なんとでも言いなさ〜い♪」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らす。
ココロは少し困ったように微笑みながらも、膝の上で満足げにしているミクを無理にどかそうとはしなかった。
焚き火の周りには、またひとつ賑やかな笑い声が広がっていった。
その一方。
焚き火から少し離れたところでは、イクノ、クロ、ナオミ、イチゴの四人が温かいココアを手にしていた。
それぞれのコップから、白い湯気がゆらゆらと立ち上っている。
「ふ〜……ふ〜……」
クロは両手でコップを包み込むように持ちながら、熱いココアへ息を吹きかけていた。
その表面には、小さなマシュマロがいくつか浮かんでいる。
温かいココアに浸かったマシュマロは、少しずつ角が取れ、柔らかく溶け始めていた。
クロはそれをじっと眺めながら、もう一度息を吹きかける。
そんな彼女の隣で、ナオミがふと口を開いた。
「ねえ、クロ」
「ん〜?」
クロがコップから顔を上げる。
ナオミは少し考えるような表情を浮かべてから、尋ねた。
「どうして、あの時すぐに動けたの?」
「……え?」
クロはぱちりと瞬きをした。
ナオミが言っているのは、昼間の出来事のことだった。
あの時。
自分たちがいた場所で、突然起こった危険な出来事。
そして、イクノを助けたクロの行動。
「う〜ん……」
クロは再びココアへ視線を落とした。
表面に浮かぶマシュマロが、ゆっくりと揺れている。
(……どうして、かぁ……)
クロはあの時のことを思い返してみた。
◇
正直なところ、自分でもよくわからなかった。
最初は、ナオミと同じように声をかけようとしていたのだ。
けれど、その直後。
何気なく上を見上げた時、視界に入ったものがあった。
──壊れかけた、錆びた鉄筋。
今にも崩れ落ちそうなそれを見た瞬間だった。
(……っ!)
胸の奥から、何かが一気に込み上げてきた。
焦り。恐怖。
それも、ただ危険なものを見つけた時に感じるような、単純な恐怖ではなかった。
もっと深いところから。
自分でも知らない、心の奥底から湧き上がってくるような、得体の知れない感覚。
まるで、何かが必死に警告しているかのように。
──危ない。
──早く。
──今すぐ、動かなきゃ。
そう思ったのかどうかさえ、はっきりしない。
気がついた時には、すでに体が動いていた。
イクノのもとへ駆け寄り、その体を抱えるようにして、反対側の入口へと滑り出る。
そして、危険な場所から抜け出した瞬間。
あれほど強く感じていた焦りも恐怖も、嘘のように消えていた。
◇
(……なんだったんだろう、あれ……)
クロは小さく首を傾げる。
思い返してみても、あの感覚が何だったのか、見当もつかなかった。
ただひとつ確かなのは、あの時、自分はイクノを助けようとして動いたということだけ。
だからこそ、クロは少し困ったように笑った。
「……わかんない」
「え?」
「気がついたら体が動いてた、かな……?」
そう言って、えへへ、と照れくさそうに笑う。
ナオミはしばらくクロの顔を見つめていた。
「……そうなんだ」
そして、小さく微笑む。
「……凄いね、クロは」
その声には、素直な感心と、ほんの少しの羨ましさが混じっていた。
自分もあの時、何かできたのだろうか。
そんな思いが、ナオミの胸の奥をかすめる。
けれど、クロはその言葉に少し照れたように笑うだけだった。
「えへへ……そうかなぁ?」
すると、
「……クロ」
今度は、反対側から声がした。
「ん?」
クロが振り向く。
そこには、ココアの入ったコップを手にしたイクノがいた。
イクノはクロの方へ顔を向けていたが、その瞬間、ふと気づいた。
(……あ……)
思っていたよりも、顔が近い。
クロがこちらを向いたことで、二人の距離は普段よりもずっと近くなっていた。
焚き火の光を受けたクロの瞳。
柔らかく揺れる髪。
そして、何の疑いもなく自分を見つめるその表情。
(……っ)
どくん。
イクノの胸が、小さく跳ねた。
思わず顔を引こうとする。
けれど──
(……だ、だめ……)
ここで急に離れたら、変に思われてしまうかもしれない。
イクノは何とかその場に踏みとどまった。
しかし、胸の鼓動は収まらない。
どくん、どくん。
普段よりも少し速い心音が、やけにはっきりと感じられた。
「……イクノ?」
クロが不思議そうに首を傾げる。
その仕草に、イクノの心臓がまたひとつ跳ねた。
(……落ち着いて……)
イクノは心の中で自分に言い聞かせる。
そして、ほんの少しだけ息を整えると、クロの目を見つめた。
「……助けてくれて、ありがとう」
静かな声だった。
けれど、その言葉には確かな感謝が込められていた。
あの時、クロが動いてくれなければ。
そう考えると、今でも少し怖くなる。
だからこそ、きちんと伝えておきたかった。
自分を助けてくれたことへの、心からの感謝を。
クロは一瞬、きょとんとした顔をした。
しかし、すぐにぱっと表情を明るくする。
「えへへ、こちらこそ〜♪」
そう言って、いつものように無邪気な笑顔を向けた。
「…………」
イクノはその笑顔を見つめる。
そして、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
手の中にあるココアの温もりとは、また違う。
もっと柔らかくて、くすぐったいような感覚。
(……クロ……)
イクノは小さく目を伏せた。
その頬が、ほんのりと赤く染まっていたことに、クロは気づいていないようだった。
遠くからは、相変わらずゾロメたちの賑やかな声が聞こえてくる。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音。
穏やかに寄せては返す波の音。
様々な音が響いていた。
─────
夜の浜辺に、穏やかな時間が流れていた。
空には無数の星が瞬き、昼間とは違う静けさに包まれた海からは、寄せては返す波の音が聞こえてくる。
その波音に混じって、ぱちっ、ぱちっと薪の爆ぜる音が響いていた。
焚き火の炎は時折風に揺られながら、周囲に集まった少年少女たちの顔を柔らかな橙色に照らしている。
食事を終えた13部隊の面々は、思い思いの姿勢でくつろぎながら、他愛もない会話に花を咲かせていた。
昼間に見た景色のこと。
海で遊んだ時のこと。
そして、初めて体験した様々な出来事のこと。
話題が変わるたびに誰かが笑い、また別の誰かが声を上げる。
そんな賑やかな時間が、しばらく続いていた。
しかし、ふとした瞬間。
ヒロは会話から意識を離し、焚き火を眺め今日見てきたことを思い返した。
昼間、初めて間近で見た広大な海。
足の裏に感じた砂浜の感触。
肌を撫でる潮風。
そして、朽ち果てた建物の中に残されていた、かつて人々が暮らしていた痕跡。
どれも、これまでプランテーションの中で過ごしてきたヒロにとっては、知らないものばかりだった。
そして、胸の奥に引っかかっていた疑問を、自然と口にした。
「人間は何で地上を捨てたんだろう」
その呟きに、近くにいた仲間たちの視線が集まった。
「ああ、さっきのゼロツーの話だろ」
最初に反応したのはゾロメだった。
焚き火の向こう側から顔を上げ、思い出したように声をかける。
「何でって...住めなくなった事情があったからだろ?」
続いてゴローが、穏やかな口調で答えた。
それは、彼らにとって当たり前の認識だった。
人間は地上に住めなくなった。
だからこそ、プランテーションという巨大な移動都市で暮らしている。
少なくとも、これまでそう教えられてきた。
しかし、ヒロはすぐには頷かなかった。
目の前で揺れる炎を見つめながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「でもこんなに広くて、きれいな景色もあって、こんな世界があるんだって驚いた」
その声には、昼間に感じた驚きがまだ残っていた。
果てしなく続く青い海。
どこまでも広がる空。
風に揺れる草木。
そして、かつて人々が暮らしていた場所。
プランテーションの中では決して味わうことのできなかった景色が、地上には確かに存在していた。
「それはミストルティンにだってあるし...」
フトシが少し不思議そうに口を挟む。
彼にとっては、緑の木々や草花がある場所といえば、普段自分たちが暮らしているミストルティンも同じだった。
すると、その近くでココロに膝枕をしてもらっていたミクが、片手をひらりと広げた。
「それに、外には叫竜がいるじゃないの」
そう言って、当たり前のことを指摘するように肩をすくめる。
ミクの頭を膝に乗せているココロは、そんな彼女の様子を見ながら静かに微笑んでいた。
確かに、地上には叫竜がいる。
自分たちがフランクスに乗り、命を懸けて戦っている敵。
それは紛れもない事実だった。
「…………」
ヒロはしばらく黙り込んだ。
焚き火の中で、赤く燃えた薪が小さく崩れる。
ぱちり、と火の粉が舞い上がった。
昼間、廃墟で見聞きしたこと。
そして、ゼロツーが話していたこと。
それらが、ヒロの頭の中でゆっくりと結びついていく。
やがて、ヒロは考え込むように目を伏せたまま、口を開いた。
「......もし、人間がマグマ燃料を掘り起こさなかったら、叫竜たちも現れなかったのかな」
ヒロ自身、確信があって言ったわけではなかった。
ただ、昼間に知ったことを思い返すうちに、そんな疑問が浮かんだのだ。
しかし──
「パパたちを疑うんですか?」
静かながらも、どこか鋭さを含んだ声が響いた。
ミツルだった。
彼はヒロへ視線を向けると、落ち着いた口調のまま言葉を続ける。
「人間を叫竜から守るため、今のプランテーションに移り住むことを選んだ。素晴らしいことじゃないですか」
その言葉には、疑問を差し挟む余地などないと言わんばかりの響きがあった。
ミツルにとって、パパたちが下した判断は、人類を守るための正しい選択なのだ。
「…………」
ヒロは何も答えなかった。
ミツルの言葉を否定することも、肯定することもなく、ただ静かに目を伏せる。
そして、ふと海の方へ視線を移した。
暗い水面の向こうでは、ゼロツーが一人で泳いでいた。
時折、水面に小さな波紋が広がり、星明かりを受けてきらきらと揺れる。
そんな彼女の姿を、ヒロはしばらく見つめていた。
その時だった。
「うおおおおおお!!」
突然、勢いのある叫び声が響いた。
声の主はゾロメだった。
彼は勢いよく立ち上がると、両手にぐっと拳を握りしめ、興奮した様子で声を張り上げた。
「やっぱりパパたちスゲーよ!だってさぁ、こんなとこで生活してたオトナが、今はあんなキラキラした都市で生活してるんだぜえ!!」
その目は、まるで憧れの何かを見つめる子供のように輝いていた。
ゾロメにとって、プランテーションの中で暮らすオトナたちは、いつか自分もなりたいと願う存在だった。
あの美しく輝く都市。
そこで暮らすことのできるオトナたち。
そして、そのオトナたちを守るために戦う自分たち。
そう考えるだけで、胸の奥から興奮が込み上げてくる。
「そうだよなぁ」
フトシも大きく頷いた。
しかし、ゾロメの勢いは止まらない。
むしろ、ますます熱を帯びていった。
「それを守ってるのがこの俺たちでさあ!俺たちオトナの役に立ててるんだぜえ!こうやって叫竜を倒していれば、ごはんだって用意してもらえるし、パパたちも見ていてくれる!そしたらきっと、いつか俺たちだってオトナに...!!」
ゾロメは握った拳を胸元に引き寄せたり、腕を大きく広げたりしながら、身振り手振りを交えて熱弁する。
その顔には、未来への期待が満ちていた。
いつか、自分たちもオトナになれる。
いつか、あの輝く都市で暮らせる。
そんな希望を、ゾロメは心の底から信じていた。
「うん!うん!!」
フトシも興奮した様子で立ち上がり、何度も力強く頷く。
「ははっ、すげえ熱くなってんな!」
その様子を見ていたツグミが、思わず笑い声を上げた。
隣にいたクロも、楽しそうに目を細める。
「ゾロメ元気だね〜♪」
クロはくすくすと笑った。
一方、ナオミはそんな二人のやり取りを聞きながら、小さく微笑んでいた。
ゾロメの話し方は少々大げさだったが、その真っ直ぐな気持ちは十分に伝わってきた。
すると、ゾロメはふと思い出したようにヒロへ顔を向けた。
そのまま軽い足取りでヒロの方へ駆け寄り、肩にぽんと手を置くと、その隣へ腰を下ろした。
「なあ、ヒロもそう思うだろ?」
「え...う、うん」
突然話を振られたヒロは、少し戸惑いながら返事をした。
そんな反応を見たゾロメは、呆れたように笑う。
「んだよ水くせえな〜」
そして、今度はにっと歯を見せて笑った。
「俺たち仲間だろ?」
「…………」
ヒロは、思わず目を見開いた。
「仲間...」
その言葉を、確かめるように小さく呟く。
仲間。
それは、決して初めて聞く言葉ではなかった。
けれど、今のヒロには、その響きが不思議なほど温かく感じられた。
かつて、フランクスに乗れなくなった自分。
パラサイトとしての居場所を失いかけた自分。
そんな自分が、今はこうして仲間たちと同じ場所に座っている。
焚き火を囲み、食事をして、笑い合っている。
そして、目の前のゾロメは、何のためらいもなく自分を仲間だと言ってくれた。
ヒロは、胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。
一方、ゾロメはヒロの反応が予想と違ったのか、きょとんとした顔をする。
「ん?俺なんかヘンなこと言ったか?」
そう言って、ゴローたちの方へ顔を向けた。
しかし、返ってきたのは呆れた言葉でも、からかうような声でもなかった。
ゴローは穏やかに微笑みながら、ヒロを見つめていた。
その隣では、フトシも嬉しそうに笑っている。
ツグミは満足げに頷き、クロもにこにこと笑みを浮かべていた。
そんな仲間たちの表情を見て、ヒロは少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
すると──
「ゾロメの話はともかく。あんたたちが一番新入りなんだから、いなかった分までしっかり働くのよ」
ミクが口を開いた。
いつの間にかココロの膝から頭を上げ、彼女の隣に座り直している。
言葉こそ少し厳しかったものの、その表情には柔らかな笑みが浮かんでいた。
「なんだよ、俺の話はともかくって!」
ゾロメがすかさず反応する。
「そのまんまの意味よ」
「んだとぉ!?」
「ふふっ」
二人のやり取りに、ココロが小さく笑った。
そして、ヒロの方へ顔を向ける。
「私としては、二人がいてくれてとっても心強いよ」
その声は、いつものように穏やかで優しかった。
ココロは胸元でそっと両手を重ね、ヒロへ微笑みかける。
彼女にとって、ヒロとゼロツーが仲間になったことは、素直に嬉しい出来事だった。
「ゼロツーには、結構助けてもらってるしね」
フトシも笑顔で言葉を添える。
これまでの戦闘を思い返せば、ゼロツーの存在がどれほど大きかったのかは、誰もが知っていた。
その時。
「...私も、ヒロがいてくれて本当に嬉しいよ」
それまで静かに話を聞いていたナオミが、口を開いた。
「……ナオミ」
ヒロが彼女へ視線を向ける。
ナオミは、穏やかな表情でヒロを見つめていた。
かつて、二人はフランクスのパートナーだった。
けれど、適性の問題によって、共にフランクスに乗ることは叶わなかった。
その事実は、今でも二人の間に残っている。
ヒロは、ほんの少し表情を曇らせた。
自分がフランクスに乗れなかったことで、ナオミにもつらい思いをさせてしまった。
そんな気持ちが、胸の奥をよぎったのかもしれない。
しかし、ナオミはすぐにその変化に気づいた。
(……ヒロ……)
彼女は一瞬だけ目を細める。
そして、ヒロが何か言い出すよりも先に、優しく声をかけた。
「気にしないで。フランクスに乗れなかったのは残念だけど...でもヒロにはゼロツーがいるし、今の私にはフランドールがある」
そう言って、軽く微笑んだ。
その笑顔に、無理に明るく振る舞おうとする様子はなかった。
確かに、フランクスに乗れなかったことは残念だった。
けれど、今のナオミにはダリアがある。
自分の力で戦うための機体。
そして、共に戦う仲間たちがいる。
だからこそ、ナオミはヒロに余計な負い目を感じてほしくなかった。
ヒロはしばらく彼女を見つめていた。
「…………」
ナオミの言葉を聞いて、胸の奥にあった重苦しさが、ほんの少し和らいでいく。
彼女が今もこうして、自分の隣で笑ってくれている。
そのことが、ヒロには何よりも嬉しかった。
ゴローはそんな二人の様子を静かに見守っていた。
そして、周囲を軽く見渡す。
どうやら、みんなの言いたいことは一通り出揃ったらしい。
そう判断すると、ゴローは改めてヒロの方へ顔を向けた。
「だそうだ」
短い言葉だった。
けれど、その声には仲間たちの気持ちをまとめるような、温かな響きがあった。
「……ゴロー」
ヒロは小さく笑った。
すると、その時。
「ヒロ」
凛とした声が響いた。
ヒロが顔を上げると、イチゴが立ち上がっていた。
焚き火の炎が、彼女の青い髪を柔らかく照らしている。
イチゴは一度、周囲の仲間たちへ視線を向けた。
ゾロメ。
ミク。
フトシ。
ココロ。
ゴロー。
ミツル。
イクノ。
ナオミ。
そして、クロ、ツグミ。
みんなが、静かに彼女を見つめていた。
イチゴは小さく息を吸う。
そして、改めてヒロへ向き直った。
「改めて、ヒロとゼロツーが正式に13部隊の一員になったこと、歓迎するよ。これからはリーダーとして、ビシビシいくから覚悟してよね」
そう言って、にっこりと笑った。
いつものリーダーらしい、少し厳しさを感じさせる言葉。
けれど、その表情には、心からの喜びが浮かんでいた。
「……イチゴ」
ヒロは一瞬、驚いたような顔をした。
そして、自然と笑みがこぼれる。
その隣に座っていたゾロメも、にやにやと笑っていた。
ヒロも小さく笑う。
改めて周囲を見渡せば、そこには仲間たちの顔があった。
みんな、笑っている。
誰も、自分を拒んでいない。
かつてフランクスに乗れなくなり、パラサイトとしての存在意義を失いかけていた自分。
そんな自分を、みんなは仲間として受け入れてくれた。
その事実が、ヒロの胸に深く染み込んでいく。
そして、ヒロは真っ直ぐに顔を上げた。
「...みんな、ありがとう!頑張るよ!」
その言葉に、仲間たちの表情がぱっと明るくなった。
「おう! その意気だぜ!」
ゾロメが笑いながら、ヒロの背中をぽんぽんと叩く。
フトシも嬉しそうに笑い、ゴローは穏やかな表情で頷いている。
ツグミは楽しそうに声を上げ、クロもつられるように笑った。
ナオミはそんな光景を見つめながら、ほっとしたように息を吐く。
そして、イチゴは──
「…………」
その場に立ったまま、ヒロの笑顔を静かに見つめていた。
嬉しかった。
ヒロがまた、こうして笑ってくれていることが。
かつて自分たちの前からいなくなりかけた彼が、今はこうして仲間たちに囲まれている。
それだけで、胸が温かくなる。
焚き火の光を受けたヒロの笑顔を見つめながら、彼女もまた、柔らかな笑みを浮かべていた。
◇
その頃。
少し離れた海の中では、ゼロツーが一人で泳いでいた。
夜の海は静かだった。
時折、穏やかな波が彼女の体を持ち上げ、またゆっくりと下ろしていく。
ゼロツーは水面に顔を出し、浜辺の方へ視線を向ける。
そこには、橙色の光が揺れていた。
焚き火だ。
その周囲には、仲間たちの姿が小さく見える。
どうやら、何か楽しいことでもあったらしい。
遠くから、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
ゾロメが何かを見つけたらしく、勢いよく立ち上がっていた。
その後を追うように、フトシも駆け寄っていく。
二人は焚き火の近くでしゃがみ込み、何やら騒がしく話し始めた。
「…………」
ゼロツーは、その様子を静かに眺めていた。
波が彼女の肩を優しく揺らす。
浜辺からは、相変わらず楽しそうな声が聞こえてくる。
そして、その中心には──
仲間たちに囲まれて笑う、ヒロの姿があった。
ゼロツーはしばらくその光景を見つめていた。
やがて、夜風が水面を撫で、小さな波紋が広がっていく。
遠くの浜辺では、焚き火の炎が静かに揺れ続けていた。