コドモ達を連れて第1庁舎から外へ出ると、ハチは市長の隣で足を止めた。
「私は技術部に顔を出してくる。コドモ達を頼む」
「ああ、任せておけ」
市長は落ち着いた様子で返事をする。
ハチはそれを確認すると、コドモ達を市長に任せ、その場を離れていった。市長は遠ざかっていくハチの背中を一瞬だけ見送ると、改めてコドモ達へと向き直った。
「では、この第1庁舎から一周するルートを通るよ。ついてきなさい」
そう告げてから、市長は列の後方にいるナナへと視線を向ける。
「ナナさんは、列の最後尾から見守ってください」
「分かったわ」
ナナは穏やかに頷くとコドモ達の列の最後尾へと移動した。
それを確認した市長はゆっくりと歩き始める。
コドモ達もその後に続き、初めて訪れる第1庁舎周辺の見学が始まった。
周囲には、全体的にオレンジ色の光を放つ建物が立ち並んでいる。どの建物も整然としており、これまで彼らが暮らしてきたプランテーションとは異なる、独特の雰囲気を漂わせていた。
市長は歩きながら、目に入る施設や建物について簡単な説明をしていく。
コドモ達はそれぞれ興味深そうに周囲を眺め、市長の話に耳を傾けていた。
その中でも、最前列を歩くゾロメはひときわ目を輝かせていた。
右を見ては左を見て、時には足を止めそうになるほど、目に映るものすべてが珍しくて仕方がない様子だった。初めて見る街並みや、そこを行き交う人々。その一つ一つが、彼の好奇心を刺激していた。
見学を続けていると、通路ですれ違うオトナの姿もよく見かけた。
彼らは皆、例外なく仮面を身につけており、その素顔を窺い知ることはできない。それでも、すれ違う際には軽く頭を下げたり、手を振ったりと、コドモ達に対して友好的な反応を見せる者もいた。
コドモ達もそれに気づくと、少し不思議そうにしながらも、相手の様子を目で追っていた。
そんな中、市長は歩みを止めることなく、進行方向にある建物を示した。
「あそこは市民が暮らす住宅街、言わば居住区です」
市長の説明に、後ろから感心したような声がいくつも上がる。
彼らにとって、市民が暮らす場所というのは興味を引かれるものだった。プランテーションで生活している自分たちとは違う、オトナ達の日常。その光景を想像しようとしているのか、何人かは住宅街の方へ視線を向けていた。
すると、最前列にいたゾロメが勢いよく手を挙げた。
「あっあの!俺たちは、いつかここで暮らすことができますか!?」
その声に、市長は足を止めた。
そして、期待に満ちた表情を浮かべるゾロメと向かい合うと、優しく笑みを浮かべた。
「ああ、できるとも」
その返事を聞いた瞬間、ゾロメの表情がぱっと明るくなった。
まるで胸の内にあった期待が一気に膨らんだかのように、彼は溢れんばかりの笑顔を浮かべる。そして、あまりの嬉しさに言葉も出なくなったのか、その場で固まってしまった。
そんなゾロメの後ろから、別の声が聞こえてくる。
「俺、お腹空いたよ〜」
フトシが自分のお腹を押さえながら、少し困ったような声を漏らしていた。
それに続くように、ミクも声を上げる。
「ご飯食べた〜い!」
二人の言葉を聞いた市長は、周囲を見渡した。
少し視線を巡らせた後、近くにある建物へと目を向ける。どうやら、ちょうどいい場所を見つけたようだった。
「ちょうど近くにレストランがある。そこで昼食を取ろう」
その言葉に、ココロが不思議そうに首を傾げた。
「れすとらん?」
聞き慣れない言葉だったのか、彼女は小さく復唱する。
すると、後ろを歩いていたヒロが答えた。
「個別に用意されたテーブルについて、料理を頼む施設だよ」
ヒロの説明を聞いた市長は、感心したように頷く。
「その通りだ、コード016」
市長は袖口を捲り、手首に装着している端末へと目を落とした。表示された時刻を確認すると、再びコドモ達へ視線を戻す。
「ちょうどいい時間だな。さあ、行こうか」
そう言って、市長はレストランへ向けて歩き出した。
コドモ達もその後を追うように歩き始める。
先ほどまでの見学で目にしたものとはまた違う、初めて訪れる場所。そこではどんなものが待っているのか。どんな料理を食べられるのか。
それぞれに思いを巡らせながら、コドモ達の表情には新しい場所への好奇心が満ち溢れていた。
◇
レストランの扉をくぐり、中へと足を踏み入れたコドモ達。
その瞬間、ゼロツーを除く全員の目が、興味深そうに輝いた。
店内には、四角いテーブルがいくつも並んでいた。それぞれのテーブルを囲むように四脚の椅子が配置されており、複数の客が向かい合って食事を楽しめるようになっている。
プランテーションでの食事とはまるで違う光景に、コドモ達は思わず周囲を見回した。
そして、何より彼らの目を引いたのは、店の奥にある調理場だった。
そこでは、白く縦長に伸びた円筒形の帽子を被ったオトナ達が、忙しそうに料理を作っていた。帽子の上部はふっくらと膨らんでおり、これまで見たことのない独特な形をしている。
調理場からは、料理を準備する音が聞こえてくる。普段、自分たちの食事がどのように用意されているのかを意識する機会の少ないコドモ達にとって、その光景は新鮮なものだった。
何人かは立ち止まり、調理場の様子をじっと眺めている。
そんな中、市長は入口付近に立っていたオトナのもとへ歩み寄った。
「オトナ2人、コドモ13人だ」
市長が人数を伝えると、オトナは丁寧に頷いた。
「わかりました。人数が多いのでテーブルを組み合わせてよろしいですよ」
それを聞いた市長はコドモ達の方へ振り返る。
「テーブルを3つ組み合わせよう」
そう告げると、市長は近くのテーブルへ向かった。
コドモ達もそれに続き、互いに協力しながらテーブルと椅子を動かしていく。
最初は少し戸惑っていた者もいたが、周囲の様子を見ながら手伝い、やがて二つのまとまった席が出来上がった。
一方は六人掛け、もう一方は七人掛けだ。
それぞれの席が整うと、コドモ達は思い思いの場所へ腰を下ろしていった。
市長とナナは、少し離れた壁際に用意されていた二人掛けのテーブルについた。コドモ達全員が席に着いたことを確認すると、ナナは彼らへ向けて声をかける。
「食べ切れる分だけ頼むのよ」
その言葉にコドモ達はそれぞれ頷いた。
そして、いよいよ注文する料理を選び始める。
テーブルの上に置かれていたメニュー表を手に取り、興味津々といった様子でページを広げる者もいた。また、その端に設置された端末を手に取り、画面を操作しながら料理を選ぼうとする者もいる。
見慣れない料理の写真や名前が並ぶメニュー表を覗き込み、隣の仲間と顔を見合わせる。
「これ何だろう?」
「こっちの方が美味しそうじゃない?」
「俺これにする!」
「どうしよう〜」
そんな楽しげな声が、あちこちから聞こえてきた。
初めて訪れるレストランでの食事。何を頼めばいいのか迷うことさえ、彼らにとっては楽しい時間の一部だった。
市長とナナは、そんなコドモ達の様子を微笑ましそうに眺めていた。
普段とは違う場所で、見たことのないものに囲まれながら、仲間達と楽しそうに話している。その姿は、年相応の子供らしさに満ちていた。
しばらくして、市長もテーブルに置かれていたメニュー表を手に取る。ナナも隣で端末を操作し、注文する料理を選び始めた。
しばらくして、コドモ達が一通り料理を選び終えた頃、ゼロツーが隣に座るヒロへ声をかけた。
「ねえダーリン!デザートは何にする?」
「あ、そうだね。忘れてたよ」
ヒロは少し驚いたように目を瞬かせると、メニュー表へ視線を戻した。
すると、反対側の席に座っていたフトシが、二人の会話に反応して声を上げた。
「デザート!?なにそれ!?」
思いがけない反応に、ヒロは一瞬驚いたような顔をした。それからフトシの方へ向き直り、説明する。
「食後に頼むアイスやフルーツのことだよ。ガーデンで教わったはずだけど」
「そ、そうだっけ」
フトシは少し気まずそうに頬を掻いた。
その様子を隣で見ていたゴローは、呆れたような、それでいてどこか微笑ましそうな苦笑を浮かべていた。
コドモ達はそれぞれ食後のデザートも選び終えた。
注文を済ませると、料理が運ばれてくるまでの間、テーブルを囲んだコドモ達は思い思いに会話を楽しんでいた。
初めて見る料理の話をしたり、互いに何を注文したのか尋ねたりと、話題は尽きない。店内には、彼らの楽しげな声が絶えず響いていた。
そんな様子を眺めながら、ヒロはふと店内を見回した。
整然と並んだテーブルや、忙しそうに動く店員。調理場から漂う香り。どれもプランテーションでは見慣れない光景だった。
「都市って意外と面白いね」
ヒロが何気なく呟くと、隣に座っていたゼロツーは気のない様子で答えた。
「そうかな、ボクは飽きちゃった」
ヒロはゼロツーの方へ視線を向けた。
(そんなに行ったことがあるんだ)
彼女の何気ない返事から、ヒロはそんなことを考える。
ゼロツーにとっては、こうした場所も珍しいものではないのだろう。自分たちが今、目を輝かせて眺めている景色も、彼女には見慣れたものなのかもしれない。
そんなことを考えているうちに、注文していた料理が運ばれてきた。
店員が次々とテーブルへ皿を置いていく。
色とりどりの料理が目の前に並び、焼き上げられた肉や温かな料理から、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってくる。
それまで会話を楽しんでいたコドモ達も、目の前に置かれた料理に視線を奪われた。
やがて、イチゴがいつものように両手を組み、目を閉じる。
それを見た他のコドモ達も、自然と手を組んだ。
ナナはそんな彼らの様子を微笑ましそうに眺めていた。市長もまた、どこか懐かしむような眼差しで、その光景を見つめている。
そして、イチゴが目を開けると、はっきりとした声で告げた。
「いただきます!」
その声に続き、コドモ達も一斉に声を揃える。
「「「「いただきます!!」」」」
それぞれが箸やフォークを手に取り、待ちに待った食事を始めた。
最初の一口を口に運んだ途端、あちこちから歓声が上がる。
「おいしい〜!」
「こんなに美味いの初めて食べた!」
普段とは違う料理の味に、コドモ達は驚きと喜びを隠せない様子だった。
次々と料理を口に運び、互いに感想を言い合う。中には、あまりの美味しさに思わず笑顔がこぼれる者もいた。
クロも目の前の料理を一口頬張ると、嬉しそうに声を漏らした。
「ん〜!おいしい!」
その表情には、料理を心から楽しんでいる様子が表れていた。
隣ではナオミも食事を進めていた。普段は落ち着いた様子を崩すことの少ない彼女だが、今は珍しく目を輝かせている。口に運んだ料理の味に満足したのか、自然と表情が明るくなっていた。
その様子を見れば、彼女もまた、この食事を十分に楽しんでいることが伝わってくる。
一方、ゼロツーは普段と変わらない様子で食事をしていた。隣のヒロも料理を味わいながら、時折周囲の仲間達へ目を向ける。
テーブルを囲む仲間達の笑顔や、楽しそうな声。
それらを眺めていると、ヒロの表情にも自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。
やがて、コドモ達はそれぞれの料理を一通り食べ終えた。
店員が食べ終わった皿を回収していくと、今度は注文していたデザートが運ばれてくる。
テーブルの上に並べられたのは、色とりどりのフルーツだった。
一人ひとり頼んだものが違うため、目の前に置かれたデザートもそれぞれ異なっている。
コドモ達は自分の分だけでなく、仲間達のデザートにも興味津々といった様子で視線を向けていた。
「それ何?」
「こっちのも美味しそう!」
そんな声が飛び交い、食事を終えたばかりだというのに、再びテーブルの周囲が賑やかになる。
やがて、クロが目の前のデザートを見つめながら、弾んだ声で言った。
「食べちゃお〜!」
その一言を合図にするように、コドモ達はそれぞれスプーンやフォークを手に取った。
そして、待ちきれない様子でデザートを口へ運び始める。
食事のときと同じように、あちこちから楽しげな声が上がった。
この日、そのレストランでは珍しく、いつも以上に賑やかな声が店内に響いていた。
普段は落ち着いた雰囲気に包まれている店内も、今ばかりはコドモ達の笑顔と楽しげな会話で満たされていた。
─────
食事を終えたコドモ達は、レストランを出て外へと戻ってきた。
その一方で、市長は店の入口付近に設置されていた端末の前に立ち、近くにいたオトナと何やらやり取りをしていた。手首に装着している端末を相手側の端末へ向け、何度か操作を繰り返している。
市長が手続きを済ませている間、先に外へ出ていたコドモ達は、先ほどの食事について楽しそうに感想を交わしていた。
「美味しかったな〜」
フトシは満足そうにお腹を擦りながら、しみじみと呟いた。
隣にいたツグミも、その言葉に頷く。
「だな!あんなに美味いもの、なかなか食べられないよな!」
二人とも、すっかり食事を満喫した様子だった。周囲のコドモ達も、それぞれ自分が食べた料理の話をしたり、仲間が頼んでいたデザートについて話したりしている。
そんな和やかな空気の中、突然、大きな声が響き渡った。
「うおおおおおおお!!!」
あまりの声量に、周囲のコドモ達は一斉にそちらを振り向いた。
声を上げたのはゾロメだった。
彼は満面の笑みを浮かべ、興奮したように瞳を輝かせ、胸の内に湧き上がった思いをそのまま声に出す。
「俺、ぜってーオトナになってやるう!!!!」
その言葉には強い決意と憧れが込められていた。
初めて訪れた都市で見たもの、レストランで味わった料理。普段の生活では触れることのない光景の数々が、ゾロメの胸を大きく弾ませていたのだろう。
そんな彼の声を聞きながら、仲間達はそれぞれの反応を見せていた。
そこへ、少し遅れてレストランから出てきたナナが、コドモ達へ声をかける。
「みんな、そろそろ時間よ。ゴンドラに戻るわよ」
その言葉に、コドモ達は一斉に返事をした。
「「「「はーい!」」」」
それぞれ帰る準備を始めようとした、そのときだった。
市長がナナのもとへ歩み寄り、彼女に声をかけた。
そして、コドモ達には聞こえないように、声を潜めて何かを話し始める。
ナナは市長の話を聞いていたが、やがて呆れたような表情を浮かべた。
「……え?」
何かを聞き返すように、市長へ視線を向ける。
しかし、市長は引き下がる様子もなく、なおもナナに何かを頼み込んでいるようだった。
ナナは困ったように眉を寄せ、しばらく市長の顔を見つめていたが、やがて軽くため息をついた。
それから小さく何かを呟くと、市長は安堵したように頭を下げた。
話がまとまったらしい。
市長はナナのもとを離れると、コドモ達の方へ歩いていく。そして、先ほど大声を上げていたゾロメの前で足を止めた。
「コード666」
突然自分のコードを呼ばれ、ゾロメは少し驚いたように背筋を伸ばす。
「はっはい......?」
市長はそんなゾロメに穏やかな視線を向けると、落ち着いた声で尋ねた。
「少し君と話がしたい。いいかな」
「え、おっ俺に、ですか?」
思いがけない申し出に、ゾロメは戸惑った様子で自分を指差した。
「ああ」
市長は短く答え、頷いた。
「い、良いですよ!!」
ゾロメは緊張からか、少し上擦った声で返事をする。
それを聞いた市長は、軽く頷いてから近くにあるベンチへ目を向けた。
「では、そこのベンチに座って話そうか」
そう言って、市長はゾロメを伴い、ベンチの方へ歩き始めた。
その様子に気づいたゴローが、二人へ声をかけようとする。
しかし、その直前、すぐそばにいたナナの声が耳に入った。
「ゾロメは遅れてくるわ」
ゴローは足を止め、ナナの方へ振り返る。
「どうしてですか?」
「市長があの子と話がしたいって」
ナナはそう答えた。
すると、話を聞いていたフトシが不思議そうに尋ねる。
「え、どうして?」
だが、ナナにも詳しい理由は分からないらしい。
彼女は腕を組み、困ったような表情を浮かべた。
「さあね」
そう答えた後、ナナはちらりとベンチの方へ視線を向ける。
そこでは、市長とゾロメが並んで腰を下ろしていた。
◇
ゾロメは背筋をぴんと伸ばしたまま、身じろぎひとつできずにいた。
目の前にいるのは、この都市を治める市長だ。
先ほどまで一緒に行動していたとはいえ、こうして一対一で話をするとなれば、どうしても緊張してしまう。
何を話せばいいのかも分からず、ただ前を向いて固まっているゾロメに、市長が穏やかな声をかけた。
「緊張しているのか」
「はっはいッ!」
思わず勢いよく返事をしてしまう。
そのあまりにも素直な反応に、市長は小さく笑った。
「ははっ、そうか。そう緊張しなくてもいいよ。今は市長としてではなく、一人のオトナとして話をしたいんだ」
その言葉を聞いたゾロメは、ふと市長の方へ視線を向けた。
先ほどまでとはどこか声色が違っていた。
公の場で話していたときのような堅さが薄れ、目の前の相手と気軽に会話をしようとしているように感じられたのだ。
市長はそんなゾロメの様子を見て、何かに気づいたように顔へ手を伸ばした。
「……君と会話するなら、これは邪魔だな」
そう言って、市長は顔に装着していた仮面をゆっくりと外した。
その下から現れた素顔を見て、ゾロメは思わず目を瞬かせる。
市長の顔は彼が想像していたよりもずっと若々しかった。
少なくとも、普段接しているハチよりも年下に見える。
ゾロメは驚きのあまり、しばらくその顔をぼんやりと眺めていた。
「どうしたんだ?」
優しく声をかけられ、ゾロメははっと我に返る。
「あ、いっいえ何でもありません!」
慌てて取り繕うゾロメを見て、市長は再び笑みを浮かべた。
「ははっ、そうか?こうして素顔を晒すのは、珍しいことだぞ」
「そ、そうなんですか」
「ああ、特別だぞ」
少し得意げな市長の言い方に、ゾロメの表情にもつられるように小さな笑みが浮かぶ。
先ほどまで張り詰めていた緊張も、いつの間にか和らいでいた。
しばらくして、ゾロメは改めて市長へ向き直る。
「ところで、俺と話って何ですか?」
市長はすぐには答えず、ほんの少しだけ視線を遠くへ向けた。
「……個人的なことさ。君は昔の俺に似ていてね。放っておけなかったんだ」
「そう、なんですか」
ゾロメは意外そうに呟いた。
目の前にいるオトナは、自分とはまるで違う雰囲気をまとっている。
落ち着いた話し方も、穏やかな表情も、今の自分には到底真似できそうにない。
そんな人が、自分に似ていると言う。
今のゾロメには、いまひとつ実感が湧かなかった。
市長はそんな彼に、静かに言葉を続ける。
「君には良いパートナーがいる、その子を大切にするんだよ。勿論、他の人もね」
その言葉に、ゾロメの表情がぱっと明るくなる。
市長から掛けられた言葉は、まるで自分のことを認めてもらえたような、背中を押してもらえたような気持ちにさせるものだった。
ゾロメは胸を張り、力強く返事をする。
「はいッ!!!」
市長は満足そうに頷いた。
それから、ふと思い出したように袖口を捲り、手首に装着した端末へ目を落とす。
画面を確認すると、再びゾロメへ向き直った。
「そろそろだな」
市長はベンチから立ち上がる。
「俺の話に付き合ってくれてありがとう。もう時間だ」
その言葉を聞いたゾロメは、少しだけ俯いた。
先ほどまで明るかった表情にも、どこか寂しげな色が浮かんでいる。
せっかく市長と話せたのに、もう終わりなのか。
短い時間だったからこそ、もう少し話していたいという気持ちが、ゾロメの中に生まれていたのかもしれない。
市長はそんな彼の様子を見逃さなかった。
少し屈み込むと、ゾロメの目線に合わせるようにしゃがみ、穏やかな笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。君が大人になれば、またここへ来れる。その時は、君たち全員で来ることを心待ちにするよ」
そう言いながら、ゾロメの肩を軽く叩く。
ゾロメは顔を上げた。
市長の言葉を受け止めるようにその顔を見つめると、先ほどまでの寂しさを吹き飛ばすように、明るい声で返事をした。
「はい!!!」
市長は微笑みながら頷く。
それを見届けたゾロメは勢いよくベンチから立ち上がった。
「それじゃあ!」
市長に手を振ると、仲間達が待つゴンドラへ向かって走り出す。
遠ざかっていく途中でも、ゾロメは何度か振り返り、こちらへ向けて手を振っていた。
市長も軽く手を振り返す。
やがてゾロメの姿が遠ざかっていくと、市長はその背中を静かに見送った。
すると、その背後から女性の声が聞こえてきた。
「元気そうですね、市長」
市長は振り返ることなく、声の主が誰なのか分かったようだった。
「わざわざ探してくれたのか?」
「あなたが戻るのが遅いと連絡がありました。いい加減、時間を気にする癖を身に着けて欲しいですわ」
女性はそう言いながら、市長の隣へと歩み寄ってくる。
市長は少し困ったように笑った。
「意識してるつもりだが、夢中になってしまうんだ」
それを聞いた女性は、呆れたようにため息をつく。
「……何も変わってないわね」
その言葉には、呆れだけではなく、どこか懐かしさのようなものも感じられた。
やがて女性は、ふと思い出したように市長へ視線を向ける。
「ところで、あのコドモと話してた時、『良いパートナーがいる』と言っていましたね」
「聞いていたのか。確かにそう言ったが、それがどうしたんだ?」
女性は少しだけ表情を曇らせ、わずかにムッとした様子で呟いた。
「……私は違うんですか……」
「ん、何て言ったんだ?」
市長が聞き返すと、女性はすぐにそっぽを向いてしまった。
「何でもありません!早く戻りますよ、まだ仕事があるんですから」
そう言って、女性は市長を置いて歩き出す。
「ああ、そうだな」
市長もその後を追いながら、再び仮面を手に取った。そして、それを顔に装着すると、女性と並んで歩き始める。
ところが、しばらく進んだところで、市長の足がふと止まった。
隣を歩いていた女性も立ち止まり、不思議そうに振り返る。
「どうしました?」
市長はゾロメが走っていった方向を眺めていた。
少しの間、遠ざかっていった彼らの姿を思い返すようにしてから、静かに口を開く。
「いや……彼らのためなら、どんな事でもしたい。そう思っただけだ」
そう言うと、市長は再び歩き出した。
女性はその横顔を見つめると、小さく笑みを浮かべる。そして、何も言わずに彼の隣へ並び、その歩みに合わせて歩き出した。
◇
ゴンドラの乗車口では、先に戻ってきたコドモ達が会話を交わしながら、ゾロメの到着を待っていた。
それぞれが今日の出来事を振り返ったり、レストランで食べた料理の感想を言い合ったりと、話題は尽きない。初めて訪れた都市での体験は、彼らにとってそれほどまでに新鮮で、楽しいものだった。
そんな中、ツグミがふと何かに気づいたように顔を上げた。
「おい、あれゾロメじゃないか?」
そう言って、彼は少し離れた場所を指差す。
その声に反応して、周囲にいたコドモ達も一斉にそちらへ視線を向けた。
すると、遠くからこちらへ向かって走ってくる人影が見えた。見間違えるはずもない。ゾロメだった。
その表情は、先ほどまでとは打って変わって明るく、どこか弾むような足取りからも、機嫌の良さが伝わってくる。
やがて仲間達の姿を見つけたゾロメは、さらに勢いよく駆け寄ってきた。
「おーーーい!!」
大きく手を振りながら、元気いっぱいに声を上げる。
それに気づいたツグミとフトシも、笑顔で手を振り返した。
一方、ミクはそんなゾロメの様子を見て、呆れたように小さく息を吐く。
「アイツってほんっと...」
言葉の先は続かなかったが、その声には呆れだけでなく、どこか安心したような響きも混じっていた。
ゾロメが無事に合流したことを確認すると、ナナは全員を見回して声をかけた。
「みんな、集まったわね。ゴンドラに乗って戻るわよ」
その言葉を受け、コドモ達は次々とゴンドラへ乗り込んでいく。
全員が乗車したことを確認してから、ナナも乗り込んだ。
「「「「はーい!」」」」
元気のいい返事が重なり、ゴンドラの扉が静かに閉じる。
ゴンドラが動き出すと、車内には再び賑やかな声が広がり始めた。
そんな中、フトシがゾロメの隣に座り、興味津々といった様子で尋ねる。
「ゾロメ、なんか良いことあった?」
「え?お、おう」
突然話を振られたゾロメは、一瞬だけ言葉に詰まった。
市長と話していた時のことを思い出したのか、少しだけ視線を泳がせる。しかし、すぐにいつもの調子を取り戻すと、どこか照れくさそうに頷いた。
その反応を見逃さなかったツグミが、すかさず身を乗り出す。
「何話したのか聞かせろよ〜」
「ふふん、気になる?」
ゾロメは腕を組み、得意げに胸を張った。
その表情には、何かを自慢したくてたまらないような、けれど簡単には教えたくないような、そんな子供らしい得意げな雰囲気があった。
「なんだよ、もったいぶらずに教えろって!」
ツグミがさらに追及すると、ゾロメはますます調子に乗ったように笑う。
フトシも隣から身を乗り出し、続きを聞こうと目を輝かせていた。
周囲の仲間達もそのやり取りに気づき、自然と会話の輪に加わっていく。
ゾロメは結局、肝心なところをはぐらかしながらも、仲間達とのやり取りを楽しんでいるようだった。
やがて話題は市長との会話から離れ、今日訪れた都市のことや、レストランで食べた料理のことへと移っていった。
誰かが思い出したように笑い、別の誰かがそれに応じる。そんなやり取りが絶え間なく続く。
ゴンドラが進むにつれて、窓の外の景色は少しずつ遠ざかっていった。
それでも、車内に響く楽しげな声が途切れることはなかった。
都市で過ごした一日の余韻を胸に、コドモ達は仲間との会話に花を咲かせながら、帰路を進んでいった。