広大な演習場。周囲を無機質なコンクリートの壁に囲まれたその場所は、夜の帳(とばり)に包まれていた。
演習場の両端には、二機のフランクスが静かに佇んでいる。
精緻な青い装甲を持つ第13部隊の象徴、『デルフィニウム』。その頭部前面には、搭乗するピスティルであるイチゴの顔が透過表示され、彼女の切実な表情が浮かび上がっている。
そして、その対面に立つ、未だ全貌のベールを脱いでいない試作単機兵器『グラジオラス』。
デルフィニウムのコックピット内、イチゴはモニターに映るヒロの横顔を見つめ、震える声で通信を繋いだ。
「ヒロ、聞いて。余計なことは考えないで。私と……私との繋がりだけを意識して。」
イチゴの声には、リーダーとしての気負いと、ヒロを自分の隣に引き戻したいという切実な願いが混じっていた。
一方、対面に立つグラジオラスのコックピットでは、私(クロ)が静かに目を閉じていた。
手順通りに接続シーケンスを完了させた私の脳内に、奇妙な感覚が広がっていく。それは痛みなどではない。まるで自分の神経系が、機体の動力源や四肢の先端まで瞬時に拡張されていくような感覚。コックピットの計器類を見る必要はない。グラジオラスの装甲の質感、巨大なバーニアが微かに発する熱、そして大地を踏み締める感覚が、自分の筋肉であるかのように生々しく脳へ直接流れ込んでくる。
「準備、できたよ……。イチゴ、ヒロ。お手柔らかにお願いね」
私が呟くと、グラジオラスの瞳が鋭く青い光を放った。
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ハチの「模擬戦、開始」という電子音が夜空に響き渡った直後。デルフィニウムが力強く大地を蹴り、数歩前へと歩みを進める。しかし、その動きはすぐに止まった。駆動音が低くうねり、やがて呼吸を止めたかのように静かになっていく。
「……っ!?」
私が反射的にグラジオラスの反応を警戒する。モニター越しにイチゴの焦燥しきった声が響いた。
「待って、ヒロ……! もう少し、同期率を上げなきゃ……。ごめんなさい、クロ! ……あと3分、3分だけ待って!」
私は肩をすくめ、動かなくなったデルフィニウムを見つめた。手持ち無沙汰になった私は、改めて自分の乗る『グラジオラス』のコックピット内を意識した。地下都市のオトナたちが取り付けてくれた大型バーニアの重厚な出力。そして増強された重装甲の感覚。グラジオラスの右手をゆっくりと開いたり、閉じたりする。機体の挙動はまるで自分の指を動かすのと同じ速度で行われ、夜風が機体を撫でる感覚すらも背中に伝わってくる。
「すごいな、これ。本当に私の一部みたいだ」
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演習場のすぐ脇。コドモたちは固唾を呑んで戦況を見守っていた。
「……どうしたんだ、イチゴ? なんで動かないんだよ」とゴローが不安げに呟く。ナオミもヒロの安否を案じるように唇を噛みしめ、その視線は動かなくなったデルフィニウムから一瞬たりとも離れなかった。彼らにとって、ヒロが再びフランクスに乗れたはずのこの機会が潰えることは、何よりも恐ろしい事態だった。地に伏したデルフィニウムを見て勝ち誇ったような笑みを浮かべるゼロツーを除いて。
そのすぐそばで、ハチはタブレット端末のデータを追っている。
「……やはり、パラキャパシティの安定には至らないか。機体が、ヒロの出力を拒絶しているようだな」
ナナもまた、神妙な面持ちで頷いた。
ナナは、デルフィニウムとは対照的に完璧な接続状態を維持しているグラジオラスへと視線を向ける。
「けれど、クロとグラジオラスのパラキャパシティデータは極めて安定しているわ。このまま実戦で結果を残せば、彼は正式に第13部隊の3人目のパイロットとして選出されるでしょうね」
その言葉を聞いた他のコドモたちの間からは、小さく明るい声が漏れた。
「そうか、クロが正式メンバーになるんだ!」
「一人で動かすなんて……やっぱりクロってすごいよ。これなら僕らも、プランテーションに一緒に残れる……!」
何人かのコドモたちは、心底嬉しそうに顔を綻ばせる。それは、落第判定を受ければ追放されるという過酷な現実の中で、クロという存在が仲間たちにとって「共に生き残れる」という希望の光になりつつあるからだった。
しかし、その歓喜の輪の中で、ゴローやナオミたちの瞳には依然として深い憂いが宿っていた。クロへの期待が高まるほどに、動かないデルフィニウムの中で沈黙するヒロの影が濃く見えていた。
─────
グラジオラスのコックピット内、私はモニターに流れるテキスト通信を眺めていた。
(……私が、正式なパイロットに?)
私が選出されれば仲間と一緒にいられる。その事実に胸が熱くなる一方、対面のデルフィニウムを見て、冷たい夜風が心に吹き込むような不安がよぎる。
(でも……もし私が残れても、ヒロはどうなるんだろう)
「イチゴ、……まだなの?」
通信越しに、イチゴの荒い呼吸音が聞こえる。彼女は必死だった。しかし、無情にも3分のカウントダウンは終わりを告げた。機体はついに再起動することなく、ただ夜の闇の中に立ち尽くすだけだった。
「……そこまでだ」
ハチの冷静な宣告が、演習場に響いた。
私はグラジオラスのレバーから手を離し、静かに天を仰いだ。今回の模擬戦は、私が安定してフランドールと接続できた結果を残しただけで終わった。しかし、私の心の中にあるのは達成感ではない。目の前で動かないままのデルフィニウムと、その中で絶望を噛み締めているであろう二人の姿だった。
「終わっちゃった……」
私の呟きは、夜の静寂に吸い込まれていった。これが何を意味するのか。この後、ヒロたちに突きつけられるであろう厳しい現実を想像し、私はコックピットでただ拳を握りしめるしかなかった。