模擬戦を終えたヒロは、真っ白の無機質な部屋の中央に経っていた。
天井には照明と壁際にはレーザーを発する機械がスライドしてヒロを照らしていた。人の温もりを感じさせるものは何ひとつなく、耳に届くのは機械の規則正しい作動音だけだった。
低い電子音が鳴る。
その光が瞼の裏を赤く染めても、ヒロは目を開かなかった。
身体に痛みはない。
けれど、胸の奥にはどうしようもない重苦しさが残っていた。
──駄目だった。
あの時は確かに動かせたはずだった。
ストレリチアの中で感じた、全身を駆け巡る不思議な感覚。自分の意識がどこまでも広がり、巨大な鋼鉄の身体と一体になるような、あの瞬間。
それが、イチゴと乗ったデルフィニウムでは、どうしても再現できなかった。
最初は繋がった。
確かに繋がったのだ。
それなのに、ほんのわずかな時間が過ぎただけで、機体は自分たちの意思を拒むように動かなくなってしまった。
あの時のイチゴの表情が、瞼の裏に浮かぶ。
必死だった。
自分以上に必死になってくれていた。
そして最後には、泣いていた。
──俺のせいで。
胸の奥がきゅっと締めつけられる。
イチゴは何も悪くない。
ただ俺を助けようとしてくれただけなのに。
どうして自分は、いつもこうなのだろう。
そんな問いが浮かびかけた時、不意に遠い記憶が脳裏をよぎった。
今よりもずっと小さかった頃。
まだ自分が、誰よりも自由に未来を思い描いていた頃のこと。
──ガーデン。
それは、ヒロたちが幼い日々を過ごした場所だった。
◇
部屋のあちらこちらには色鮮やかなクッションが積み上げられ、床には絵本や玩具が無造作に散らばっている。
その部屋の片隅で、一人の少女が小さく膝を抱えていた。
青い髪、大きな瞳。
その腕には、白いうさぎのぬいぐるみが大切そうに抱きしめられている。
積み上がったクッションの上に座っている少年は、何か面白いことを思いついたように、にこにこと笑っていた。
「名前?」
少女が不思議そうに首を傾げる。
少年──幼いヒロは、大きく頷いた。
「うん! ぼく、自分で自分の名前をつけてるんだ。ぼくはヒロ!」
自分の胸を指差し、誇らしげに名乗ってみせる。
少女は瞬きをした。
名前。
それは、彼女たちにとって馴染みのないものだった。
ここにいるコドモたちはみんな数字で呼ばれている。
数字は、誰が誰なのかを区別するためのもの。
それ以上の意味を考えたことなどなかった。
「どうして……私がイチゴなの?」
少女の問いに、ヒロは待っていましたと言わんばかりに顔を輝かせた。
「コード015だから、”いち・ご”だから!」
指を一本ずつ折り曲げながら楽しそうに説明する。
その理由に少女はしばらくぽかんとしていた。
やがて、自分の胸の中でその響きを確かめるように、小さく唇を動かした。
「……それが、私の名前……」
イチゴ。
ただの数字ではない。
自分だけを呼ぶための特別な言葉。
少女はぬいぐるみをぎゅっと抱き直すと、その陰に口元を隠した。
その頬にほんのりと嬉しそうな色が浮かんでいたからだ。
そんな二人の様子を見ていた周囲のコドモたちが次々と集まってきた。
「ねえ、じゃあぼくは?」
「 私もかんがえて!」
小さな手があちらこちらから伸びてくる。
誰もが目を輝かせ、ヒロの返事を待っていた。
自分にも名前が欲しい。
ヒロは困ったように笑いながらも、一人ひとりの顔を見渡していった。
その時だった。
賑やかな輪から少し離れた場所に、一人の男の子が立っていた。
両腕で青いボールを抱えこちらへ近づこうとしては足を止めている。
周囲の勢いに気後れしているのか、なかなか声をかけられないらしい。
そんな彼に気づいたヒロが顔を向けると、男の子は少しだけ勇気を振り絞るように、一歩前へ出た。
「ねえ……ぼくにも、名前つけてくれる?」
ヒロは迷わなかった。
「もちろん!」
その笑顔には何のためらいもなかった。
誰も置いていかない。
誰かだけを特別扱いするのでもない。
みんなに名前をつけて、みんなで笑い合う。
ただ、それが楽しかった。
幼いヒロにとって、仲間たちが自分のつけた名前を嬉しそうに呼び合うこと、それが何よりも幸せなことだった。
◇
短い電子音が鳴った。
閉じていた瞼の向こうから、淡い光が消えていく。
ヒロはゆっくりと目を開けた。
視界に映るのは先ほどと変わらない景色。
もう、あの賑やかな部屋はどこにもない。
小さな手も、笑い声も、色鮮やかなクッションも。
すべて、遠い過去のものだった。
あの頃は、みんなが自分を必要としてくれていた。
名前を呼ぶだけで、嬉しそうに笑ってくれた。
けれど今は──
そこまで考えたところで、ヒロはそっと目を伏せた。
パラサイトになれなくても、ほかの道がまったくないわけではない。
適性を持たなかったコドモたちは、一度トリノスへ戻り、オトナたちと相談しながら自分に合った仕事を探す。
必要な勉強と訓練を受け、試験を通過すれば、プランテーションやガーデン、トリノスで働くこともできる。
ヒロもその仕組みを知らないわけではなかった。
それでも。
自分が望んでいるのは別の役職に就くことではなく、仲間たちと一緒にフランクスへ乗って戦うこと。
幼い頃から目指してきた、その場所へ辿り着くことだった。
◇
同じ頃。
別の検査室では、一人の少女が検査を終えていた。
クロは大きく息を吐いた。
模擬戦の興奮が、まだ身体のどこかに残っている。
アイリスと何度もぶつかり合った感触。
訓練用スティックを通して伝わってきた衝撃。
そして、最後の一撃が決まった瞬間の、胸が弾けそうな高揚感。
どれも不思議なほど鮮明に思い出せた。
最初にグラジオラスへ乗り込んだ時とは大違いだった。
あの時は、頭が割れるような痛みと意識が遠のいていく感覚ばかりが残っていたのだから。
検査室の扉が開く。
「んーーーーっ!」
廊下へ出たクロは両腕を頭上へ大きく伸ばした。
背筋を反らすと長い黒髪がさらりと肩から滑り落ちる。
冷房の効いた検査室に長くいたせいか、廊下の空気は少しだけ暖かく感じられた。
ふと待合室へ視線を向ける。
そこには、長椅子に深く腰掛けたツグミの姿があった。
片脚を前へ投げ出し、退屈そうに天井を眺めていた彼は、クロに気づくと片手を挙げた。
軽い挨拶を交わしてから、二人は並んで歩き始める。
廊下には二人分の足音が規則正しく響いていた。
「検査どうだった?」
ツグミが横目で尋ねる。
クロは頭の後ろで手を組み、いつもの気楽な調子で答えた。
「特に何ともないってさ。異常なし」
「そうか、良かったな」
その短い返事には確かな安堵が滲んでいた。
ツグミは思い出す。
初めてグラジオラスに乗った時、クロは大量の鼻血を流していた。
あの時の姿を見ているだけに、今回の模擬戦でどれほど機体を動かせたとしても、身体に異常がないかという心配は残っていたのだ。
だが、当の本人はそんな不安などどこ吹く風である。
ツグミは小さく笑うと改めてクロの横顔を見た。
「しかしお前、実機に乗るのまだ3回目だろ? なのにあそこまで動かせるなんてな。正直驚いたよ」
その言葉に、クロの表情がぱっと明るくなった。
「ふふん! これでもガーデンにいた頃、シミュレーションの成績だけは一番だったんだからね」
腰に手を当て、得意げに胸を張る。
まるで褒められるのを待っていたかのような反応に、ツグミは思わず吹き出しそうになった。
昔からそうだ。
クロは、自分の得意なことを褒められると、すぐに調子に乗る。
けれど、それを鼻につくとは思わなかった。
誰かを見下すために自慢しているのではない。
ただ嬉しいのだ。
自分が頑張ったことを認めてもらえるのが。
その素直さをツグミはよく知っていた。
「前から思ってたけど、お前ほんっとうにすげえな……本番にも強いってわけか。……へっ、俺も負けてらんねぇな」
そう言って、ツグミは自分の拳を軽く握りしめた。
今日の模擬戦は完敗だった。
最後の最後まで食らいついたつもりだったが、クロはその上を行った。
悔しくないと言えば嘘になる。
けれど、その悔しさは決して嫌なものではなかった。
次はもっと上手く動かしてみせる。
次こそは俺が勝ってやる。
そんな気持ちが、胸の奥で静かに燃えていた。
クロは隣を歩くツグミの表情を見て、楽しそうに笑った。
今日の勝負は終わった。
けれど、二人が同じ場所で競い合い、肩を並べて歩く日々は、まだ始まったばかりだった。
夜の寄宿舎へ続く廊下に、二人の足音と他愛のない笑い声が、いつまでも響いていた。
◇
司令室では、薄暗い室内にいくつものホログラムが浮かび上がっていた。
ストレリチアの機体構造。
過去の戦闘記録。
コネクト時に観測された神経波形。
そして、コード016──ヒロの身体検査の結果。
青白い光に照らされたハチとナナは無言のままそれらを見つめていた。
ナナの視線が、ひとつの数値に留まる。
それは、ストレリチアに搭乗した後のヒロの身体に残された負荷を示すものだった。
他の記録と比べれば、その違いは明らかだった。
「あの子と乗って、ここまでダメージが少ない例は初めてね」
ナナは静かに呟いた。
ゼロツーと乗ったステイメンたちは、例外なく大きな負担を負ってきた。
それは単なる噂話ではない。
ここに残されている数値が、何より雄弁に物語っている。
だが、ヒロの記録だけは違っていた。
これまでの例と比較すれば、異常と言ってよいほど負荷が少なかった。
ハチは手元の端末を操作し別の波形を呼び出した。
「デルフィニウムとのコネクトには失敗した。……だが、ストレリチアとのコネクトでは、意識がなかったとはいえ適応している」
感情の起伏を感じさせない声。
しかし、その視線はいつになく慎重だった。
普通ならば考えにくい結果だった。
適性を失ったはずの少年が、通常のフランクスには満足に接続できない。
それなのに最も危険とされる特殊なピスティルとの接続には成功している。
しかも身体への損傷を最小限に抑えたまま。
ナナは腕を組み、わずかに眉を寄せた。
「考えられるとしたら……」
その先をハチが引き取った。
「……特殊検体か」
短い言葉が、静まり返った室内へ落ちる。
ナナは何も答えなかった。
ただ、ホログラムに表示されたヒロの顔写真を、しばらく見つめていた。
画面の中の少年は、どこにでもいる普通のコドモのように見える。
だが、その身体には、まだ誰も説明できない何かが隠されているのかもしれない。
ナナは小さく息を吐いた。
彼女にとってヒロは、ただの検査対象ではなかった。
ガーデンにいた頃から知っている、世話をしてきたコドモの一人なのだ。
だからこそ、数字だけでは割り切れない不安が胸の内に残っていた。
それでも、今はまだ何も断定できない。
司令室には再び、沈黙が訪れた。
─────
翌日。
ヒロは寄宿舎から離れた場所にある講堂を後にした。
説明を受けていた室内の空気は重く、外へ出た瞬間、頬を撫でる風が妙に心地よく感じられた。
しかし、気持ちは晴れなかった。
昨日の模擬戦。
検査の結果。
そして、これから自分がどうなるのかという不安。
どれも簡単には頭から離れてくれない。
建物の玄関を抜けたところで、見慣れた二人の姿が目に入った。
ゴローとナオミだった。
二人はヒロに気づくと、自然な足取りで近づいてきた。
そのまま三人は渡り橋を並んで歩き始めた。
吹き抜ける風が三人の髪を揺らした。
しばらく他愛のない会話を交わしていたが、やがてゴローが、ふと思い出したように口を開いた。
「お前達、コックピットで何かあったか?」
「なんで?」
ヒロは少し意外そうに顔を向けた。
ゴローは困ったように眉を下げる。
「いや、イチゴのやつ、模擬戦が終わった後からなんだか少し変だったからさ」
「なんだか、すごく怒ってるように見えたよ」
ナオミも頷いた。
あの模擬戦が終わった後、イチゴはほとんど誰とも目を合わせようとしなかった。
いつもなら、リーダーとして真っ先に状況を確認し、仲間たちに声をかけるはずなのに。
昨日は違った。
自分自身を責めるような、何かを必死に堪えているような。
そんな表情をしていた。
ゴローは遠くへ視線を向け、小さく息を吐く。
「あいつ、お前のことになるとすぐムキになるからなぁ……」
「イチゴが……?」
ヒロは瞬きをした。
確かに、イチゴには昔から何度も助けられてきた。
けれどそれが特別なことだとは、あまり考えたことがなかった。
ゴローはそんなヒロの反応に、どこか苦笑するように言葉を続けた。
「ただでさえ数少ない10番台、兄弟みたいなもんだろ? 俺も含めて、ずっと一緒に育ってきたからさ」
「それに、私たちが揃って同じ13都市に配属されたなんて、奇跡みたいなものだしね。普通はバラバラに配属されることが多いし」
ナオミの声には、静かな実感が込められていた。
ガーデンで育ったコドモたちは、適性や能力によって、それぞれ異なる道へ進んでいく。
フランクスのパラサイトに選ばれる者。
フランドールのパイロットとなる者。
そして、どちらの適性も認められず、トリノスへ戻る者。
トリノスでは、オトナたちとの相談を通じてその子に合った役職が探される。
整備士、料理人、オペレーター。
戦闘以外にもプランテーションやガーデンを支える役職はいくつもある。
進路が決まれば、専門の教育や訓練を受け、いくつかの試験を経て正式な配属先が決まる。
戦う適性がないからといって、コドモたちの未来そのものが閉ざされるわけではない。
けれど、それは同時に、幼い頃から一緒に過ごしてきた仲間たちが、それぞれ別の場所へ進んでいくことも意味していた。
昨日まで隣にいた友達が、ある日を境にガーデンを離れる。
新しい役割を見つけ、別の場所で暮らし始める。
それがその子にとって正しい道であったとしても、残された者にとって別れが寂しいことに変わりはなかった。
だからこそ、この四人がこうして同じ場所にいることには大きな意味があった。
幼い頃から知っている顔。
同じ時間を過ごしてきた仲間。
それが今もすぐそばにいる。
当たり前のようでいて、決して当たり前ではないことだった。
「兄弟か……そっか、そうだよな……」
ヒロは静かに呟いた。
幼い頃、イチゴに名前をつけた日のことが、ふと脳裏をよぎる。
あの時の少女は、うさぎのぬいぐるみを抱えながら、嬉しそうに笑っていた。
そして今も、自分のために必死になってくれている。
そのことが、胸に小さな痛みを残した。
ヒロは歩みを緩めた。
「なあ、ゴロー」
「ん?」
呼び止められたゴローが振り返る。
ナオミも足を止め、二人の顔を交互に見た。
「……今回のこと、イチゴのせいじゃないって、パートナーのお前から言っておいてくれないか」
ゴローは一瞬、目を細めた。
やはり、何かあったのだろう。
そう察しながらもそれ以上は問い詰めなかった。
「まあ、そりゃ構わないけど……」
ゴローは頷き、改めてヒロを見つめた。
「ヒロ、お前はこれからどうするんだ?」
その問いに、ヒロはほとんど間を置かなかった。
「もう一度、ゼロツーと乗らせてもらえないかお願いしてみる」
迷いのない返答だった。
まるで、それ以外の選択肢など最初から存在しないかのように。
ゴローの表情が曇る。
彼が何か言おうと口を開きかけた時、ナオミが一歩前へ踏み出した。
「ヒロ、あの子の噂……聞いてるでしょ?」
いつもの柔らかな声音とは違う。
真剣で、どこか切羽詰まった響きがあった。
「知ってるよ。三回以上ゼロツーと乗れたステイメンはいないって話……でも、噂は噂だ」
ヒロは落ち着いて答えた。
しかし、その落ち着きが、かえってナオミを不安にさせた。
噂を知らないわけではない。
危険を理解していないわけでもない。
そのうえで、ヒロは乗ろうとしている。
ゴローも堪えきれず、声を強めた。
「あの子と一緒に来たパートナーがどうなったか、見たって……!」
そこまで言って、言葉を詰まらせる。
ヒロの目が、あまりにも真っ直ぐだったからだ。
そこには恐怖がないわけではなかった。
むしろ、恐れているのだろう。
もう二度とフランクスに乗れないことを。
自分には何もできないまま、仲間たちだけが戦場へ向かっていくことを。
そして、幼い頃から目指してきた役割を失ってしまうことを。
「なあ、ゴロー、ナオミ。もし仮に僕が、ゼロツーと乗れないんだとしたら……それ以外に道はないんだ」
「ヒロ……」
ナオミの唇から、かすれた声が漏れた。
ヒロは二人を見つめたまま、話を続けた。
「僕たちは……人類を護るために、生まれてきたんだから」
その瞬間だった。
ナオミの胸の奥で、何かが強く軋んだ。
人類を護るために生まれてきた。
それは、ガーデンにいた頃から何度も聞かされてきた言葉だった。
パラサイトになり、フランクスに乗って、叫竜と戦うこと。
それこそが、自分たちに与えられた使命なのだと。
けれど、ナオミたちは知っていた。
戦うことだけが、人類を護る方法ではないということを。
戦場へ向かう機体を整備する者。
コドモたちの生活を支える者。
戦況を分析し、的確な指示を送る者。
それぞれが異なる役割を担うことで、プランテーションの暮らしは成り立っている。
そして、自分自身も一度はフランクスに乗る適性を失い、進むべき道を見失いかけた。
幸いにも、ナオミにはフランドールという別の道が残されていた。
だが、ヒロにはその適性もなかった。
それでも、だからといって、選択肢が完全に失われたわけではない。
ナオミはそう信じていた。
だからこそ。
命を危険にさらすしかないなどと、認めたくなかった。
ナオミの拳が、ぎゅっと握りしめられる。
「そんなこと、言わないでよ……!」
思わず声が大きくなった。
風にさらわれそうなほど震えた声だったが、その響きには強い感情が込められていた。
「たとえヒロが戦えなくなったって、私やイチゴは、ヒロがここに残ってくれるだけで嬉しいの! それに……パラサイトじゃなくたって、ここに残れる道はあるわ!」
ヒロがわずかに目を見開く。
ナオミはその反応を確かめる余裕もなく、必死に言葉を探した。
トリノスへ戻ることになったとしても、そこで終わりではない。
新しい役割を見つければ、また同じ場所で暮らせるかもしれない。
だから今すぐ命を懸ける必要などないはずなのだ。
「ヒロは手先が器用だから、地下都市でオトナたちと一緒にフランクスの整備やプランテーションを維持する作業員に就くことだってできる。そうすれば、ここに居続けることだって──」
「ナオミ」
その声は決して強くなかった。
けれど、ナオミの言葉を止めるには十分だった。
ヒロは彼女を責めるような目をしていなかった。
むしろ、どこか申し訳なさそうに見えた。
「僕にまだ戦う力があるなら、それを全力で使うつもりだ。整備士とかに就くのは、その後でも遅くないはずだよ」
ナオミは息を呑んだ。
その後でも遅くない。
ヒロはそう言った。
けれど、本当にそうなのだろうか。
もし、その「後」が来なかったら。
もし、ゼロツーと乗ったまま戻ってこなかったら。
そんな考えが頭をよぎり、胸が冷たくなる。
何か言い返そうとした。
しかし、言葉が出てこなかった。
ヒロは渡り橋の向こうへ目を向けていた。
その瞳に映っているのは、遠くに広がる空だった。
かつて、ミストルティンのガラス壁に一羽の鳥がぶつかったことがあった。
自由に空を飛んでいたはずの鳥。
けれど、透明な壁を認識することができず、翼を傷つけてしまった。
地上に落ちた鳥は、もう飛び立つことができなかった。
ヒロはその姿を忘れられずにいた。
飛ぶために生まれてきたはずなのに、飛べなくなってしまった鳥。
それは、今の自分とどこか似ていた。
別の生き方があることは分かっている。
誰かが自分のために、その道を探してくれることも。
けれど、今のヒロには、どうしても諦められないものがあった。
もう一度、飛びたい。
自分の意思で、あの空へ。
仲間たちと同じ場所へ。
たとえ、その先に何が待っていたとしても。
「それに……僕はもう決めたんだ。飛べない鳥には、もうならない……!」
ヒロはそう言い切った。
ナオミは、その横顔を見つめた。
強い意志。
揺るがない決意。
そのどちらも、確かにヒロの中にあった。
だから、余計に苦しかった。
彼の覚悟を否定したいわけではない。
戦いたいという気持ちを、無理やり押し潰したいわけでもない。
ただ生きてほしい。
それだけなのに。
ナオミは唇を噛み締めた。
その隣で、ゴローも黙っていた。
彼もまた、ヒロの決意を理解していた。
だからこそ、簡単には頷けなかった。
三人の間を乾いた風が吹き抜けていく。
遠くに見えるプランテーションの外壁は午後の陽光を受けて白く輝いていた。
それが今のヒロには、どこか遠い空のように見えていた。
◇
夕暮れ。
ミストルティンのラウンジには柔らかな茜色の光が差し込んでいた。
大きな窓の向こうでは、空がゆっくりと橙から紫へ色を変え始めている。
室内には何人かのコドモたちが集まり、それぞれ思い思いの姿勢でくつろいでいた。
ソファーに深く腰掛ける者。
菓子をつまむ者。
退屈そうに天井を眺める者。
いつもなら、くだらない言い争いや笑い声が絶えない場所だった。
けれど、今日はどこか落ち着かない空気が漂っていた。
「結局……ヒロがパラサイトになれるかもって話、どうなったのかな?」
最初に口を開いたのはフトシだった。
手元の菓子へ伸ばしかけていた手を止め、少し心配そうに周囲を見回す。
イクノはソファーの背もたれに身体を預け、静かに目を伏せた。
「模擬戦の開始直後、ほんの少ししかコネクトできなかったんだもの。やっぱり難しいんじゃないかしら」
その言葉に、フトシの肩がわずかに落ちた。
だが、ゾロメは気にした様子もなく、ソファーにふんぞり返って鼻を鳴らした。
「あんなの、ダメに決まってんだろ〜」
ひらひらと手を振る。
その態度に、向かい側に座っていたミツルが冷たい視線を向けた。
「その相手に引き分けた方が、どうかと思いますけどね」
ゾロメの眉がぴくりと動いた。
「あぁ〜ん!? あれはだな! ミクが急に足をもつれさせやがったからで──」
「はぁ!? あんたあの時、自分がなんて言ってたか覚えてないわけ!?」
それまで髪をいじっていたミクが、勢いよく身を乗り出した。
模擬戦の時のことを思い出したのだろう。
しかし、ゾロメは悪びれもせず顔を背けた。
「んなもん、いちいち覚えてねえよ」
ミクのこめかみに青筋が浮かんだ。
「……信じらんない」
低く吐き捨てる。
今にも再び言い争いが始まりそうな雰囲気に、ココロが慌てて二人の間へ視線を向けた。
「ふ、二人とも喧嘩はダメだよ。数値に響くよ」
その言葉にミクは不満げに頬を膨らませた。
ゾロメも面白くなさそうに腕を組む。
ようやく場が落ち着きかけたところで、イクノが静かに口を開いた。
「でも……乗れないパラサイトを、このままパパが放置しておくと思う?」
空気が変わった。
それまでの言い争いが、まるで最初からなかったかのように静まる。
誰もすぐには答えられなかった。
イクノの問いが、あまりにも現実的だったからだ。
ここにいるコドモたちは皆知っている。
パラサイトやパイロットとしての適性が認められなかった者は、一度トリノスへ戻される。
そこでオトナたちと相談しながら別の進路を探し、必要な教育と訓練を受けるのだ。
役職が決まれば試験を受け、プランテーションやトリノス、ガーデンのいずれかに配属される。
決して、未来がなくなるわけではない。
けれど、別の道へ進むということは今までの生活から離れるということでもあった。
そして、再び同じ場所に配属される保証もない。
昨日まで一緒に遊んでいた仲間が、ある日突然トリノスへ戻ることになる。
別れの挨拶を交わしても、その寂しさが消えるわけではない。
そんな経験を彼らは何度もしてきた。
「そうだよな。ガーデンにいた頃も……そうやって、どんどんいなくなっていった」
フトシが小さく呟く。
いつもの明るさはその声からすっかり消えていた。
いなくなった仲間たちが新しい場所で何をしているのか。
今はどんな仕事を目指しているのか。
無事に配属先が決まったのか。
フトシには分からない。
だからこそ、余計に寂しかった。
「……悲しかったよね」
ココロも俯いた。
膝の上で重ねた手をそっと握りしめる。
その場にいた誰もが、胸の奥にしまっていた記憶を思い出していた。
トリノスへ送られた仲間たち。
別の場所に配属された友達。
そして、いつか自分も今の仲間たちと離れ離れになるかもしれないという不安。
窓の外では、夕日が少しずつ傾いていた。
ミクは重苦しい沈黙を振り払うように、髪を指先でいじり直した。
「でも、イチゴもイチゴよね。リーダーのくせに、ちょっとヒロに肩入れしすぎじゃない? パートナーのゴローだって、よく文句も言わずに我慢してるわよ」
「──ゴローは関係ないでしょ」
鋭い声が、ラウンジの入り口から飛んできた。
全員が振り返る。
そこに立っていたのは、イチゴだった。
その後ろには、ゴローとナオミの姿もある。
「俺がどうしたって?」
ゴローが少し不思議そうに尋ねる。
けれど、イチゴはそちらを見なかった。
真っ直ぐにミクを見つめ、一歩前へ出る。
「ヒロがパラサイトになれば、私たちにとって大きな戦力になる。私はただ、その話をしてるだけ」
その声は、リーダーらしく毅然としていた。
だが、どこか必死さも感じられた。
ミクは肩をすくめる。
「パラサイトになれれば、の話でしょ?」
「まだ可能性があるわ」
「そうかしら。一番相性のいいはずのあんたでダメだったのよ? もう無理だと思うけど」
イチゴの表情が硬くなる。
けれど、言い返すまでに時間はかからなかった。
「でもストレリチアには乗れた。たとえ意識がなかったとしても、あの時……ヒロは私を助けてくれたんだ。私は、ヒロを信じてる」
その言葉には、確かな熱があった。
叫竜が迫ってきたあの日。
自分たちには、もうどうすることもできないと思った。
そんな時、ストレリチアが現れた。
ヒロが乗っていた。
それが偶然だったのか、奇跡だったのか。
今のイチゴには分からない。
それでも、あの時に感じた安堵だけは本物だった。
だからこそ、信じたい。
ヒロにはまだ、戦う力が残っているのだと。
「イチゴ」
落ち着いた声が割って入った。
ミツルだった。
彼はそれまで黙って会話を聞いていたが、ゆっくりと身体を起こし、イチゴへ視線を向けた。
「ヒロを庇う気持ちも分からなくはありませんが、意識のなかったヒロはただ乗せられていただけに過ぎません」
「でも! そうと決まったわけじゃ──」
「確かにヒロは特別でした。二桁組の中でも飛び抜けていましたから」
イチゴの反論を遮り、ミツルは立ち上がった。
その口調は穏やかだった。
だが、言葉の端々には冷たい棘が含まれていた。
「みんな思っていましたよ。ヒロが僕たちの道標になってくれるって。……でも、現実は違った。ヒロはパラサイトになれなかったんです」
ミツルは一度、言葉を切った。
その瞳には単なる嘲りとは違うものが浮かんでいた。
かつて、誰よりも高い能力を持っていた少年。
誰もがその背中を追いかけていた。
ミツル自身も、例外ではなかった。
だからこそ、今のヒロの姿を見ることが、どうしようもなく腹立たしかった。
「もうあの頃のヒロとは違うんです。いい加減受け入れましょう……これ以上あんなヒロを見ていたくないですかから」
その言葉が落ちた瞬間、イチゴは唇を噛み締めた。
反論したかった。
けれどミツルが言ったことの一部は、紛れもない事実だった。
ヒロは、まだ正式なパラサイトになれていない。
そして昨日の模擬戦でも結果を残せなかった。
その現実を、イチゴ自身が一番痛いほど理解していた。
だからこそ、何も言えなかった。
壁際に立っていたゴローは黙ってその様子を見守っていた。
ナオミもまた、言葉を挟めずにいた。
昼間、渡り橋で聞いたヒロの決意が、まだ耳の奥に残っている。
彼を信じたい。
けれど、危険な道へ進んでほしくない。
その二つの気持ちは、どうしても簡単には重なってくれなかった。
ラウンジには、再び沈黙が落ちた。
そんな中、イクノがふと隣に座ったナオミへ顔を向けた。
「ナオミ、クロとツグミはどうしたの?」
話題が変わったことに、ナオミはわずかに肩の力を抜いた。
「二人なら中庭でボール遊びをしているわ。『地面に落とさずに何回リフティングできるか』なんてルールで競い合っててね。あの様子じゃ、完全に日が沈むまで終わらないと思うわ」
呆れたような口調だったが、その声にはどこか親しみが滲んでいた。
先ほどまで中庭で見かけた二人の姿を思い出す。
ツグミが勢いよくボールを蹴り上げれば、クロが負けじと高く跳び上がって受け止める。
どちらかが少しでも失敗しそうになると、もう片方が大声で笑う。
そんな調子で、いつまでも競い合っていた。
模擬戦であれほど激しくぶつかり合ったというのに、二人の間には気まずさなど微塵もない。
むしろ、以前より楽しそうに見えるくらいだった。
「そうなの。ナオミは混ざらないの?」
イクノが静かに尋ねる。
ナオミは思わず苦笑した。
「ただでさえ体力自慢の二人相手に、私がついていけるわけないでしょ。昔からそうなのよ」
その返事に、イクノの目元がほんの少しだけ和らいだ。
ナオミはその小さな変化を見逃さなかった。
イクノは普段、感情をあまり表に出さない。
けれど、クロの話になると、時折こうして表情が柔らかくなることがある。
それを不思議に思いながらも、ナオミは何も尋ねなかった。
その時、フトシがぱっと顔を上げた。
「そういえば」
少し明るさを取り戻した声が、ラウンジに響く。
「クロは、正式にパイロットになれるのかな?」
その問いに、ミツルが淡々と答えた。
「実力は拮抗していましたが、最終的にクロのグラジオラスが打ち負かしましたからね。あれで選ばれない方がおかしいくらいです」
その言葉に、周囲の表情がぱっと明るくなった。
昨日の模擬戦。
グラジオラスとアイリスの激しい攻防。
互いに一歩も譲らないまま、最後にはクロが勝利を収めた。
あの光景を思い出し、何人かが嬉しそうに声を上げる。
少なくとも、仲間の一人には明るい未来が開けようとしている。
それが素直に嬉しかった。
ナオミも小さく微笑んだ。
そして、隣に座るイクノの横顔へそっと目を向ける。
イクノはいつもと変わらない表情をしていた。
けれど、その瞳には、わずかな安堵が浮かんでいるように見えた。
「……よかったね、イクノ」
ナオミが小声で囁く。
イクノは一瞬だけ視線を向け、それから静かに頷いた。
「……うん」
たった一言。
それだけだった。
けれど、ナオミには十分だった。
窓の外では夕日が地平線の向こうへ沈みかけていた。
中庭の方からは、かすかに楽しそうな声が聞こえてくる。
きっと、まだクロとツグミが競い合っているのだろう。
仲間が正式なパイロットになれるかもしれない。
その喜びが、ラウンジの空気を少しだけ明るくしていた。
けれど、イチゴは窓の外を見つめたまま口を閉ざしていた。
ゴローもどこか考え込むように腕を組んでいる。
ナオミの胸にも昼間の会話が重く残っていた。
クロの未来には、確かに希望が見え始めている。
ではヒロは、自分の望む場所へ辿り着ける日は来るのだろうか。
誰も、その答えを知らなかった。
─────
翌日。
プランテーションの外周に設けられた訓練区域では、一機の訓練機が限られた空間での加減速を行っていた。
前進し、方向を変え、停止する。
再び加速し、決められた動作を繰り返す。
その操縦席にいたのは、ヒロだった。
額には薄く汗が浮かんでいる。
呼吸を整えながら、彼は何度も操縦桿を握り直していた。
訓練機なら、動かせる。
操作の手順も分かる。
機体の反応だって、以前と変わらない。
けれど、これだけでは足りない。
自分が本当に乗りたいのは、訓練機ではないのだから。
──もう一度。
胸の奥で、その言葉を繰り返す。
もう一度、ゼロツーとストレリチアに。
あの時の感覚を確かめたい。
自分には、まだ戦う力が残っているのだと証明したい。
ヒロは操縦桿を強く握り、再び機体を前進させた。
訓練区域に機械の駆動音が響き渡る。
しかし、その音が届くことのないほど離れた場所では、一人の少年が訓練を眺めていた。
◇
プランテーション中央タワー。
巨大な建造物が天へ向かって伸び、その麓には無機質な構造物と太い支柱が幾重にも連なっていた。
滑らかな金属の壁面。
規則正しく配置された照明。
そして、人の気配がほとんどない、広々とした空間。
外の喧騒から切り離されたようなその場所は、昼間であってもどこか薄暗く、静まり返っていた。
その一角に、一人のゼロツーが座っていた。
彼女はタワーの麓で両膝を抱え、背中を近くの構造物へ預けていた。
膝の上に顎を乗せ、目を閉じている。
その表情は穏やかにも、退屈そうにも見えた。
長い睫毛が頬に影を落とし、わずかな空気の流れにピンク色の髪が揺れる。
ここから訓練所は遠い。
ヒロが今、どんな表情で訓練機を操縦しているのかも分からない。
機体の駆動音など、もちろん聞こえてこなかった。
それでも、ゼロツーは彼が訓練をしていることを知っていた。
そして、ただ静かに待っていた。
彼が、ここへ来るのを。
あるいは、再び自分の前に現れる時を。
その真意を知る者は、ここには誰もいなかった。
そんな彼女のもとへ、足音が近づいてきた。
規則正しく落ち着いた足取り。
ゼロツーは目を開けなかった。
やがて、その足音が少し離れたところで止まる。
「何をしているんですか、こんな所で」
声の主は、ミツルだった。
彼は膝を抱えて座る少女を見下ろし、わずかに眉をひそめた。
どうしてこんな場所にいるのか。
そして、誰を待っているのか。
問いを投げかけられたゼロツーは、目を閉じたまま、気のない調子で答えた。
「……ダーリンを待ってるんだよ。今、特訓中みたいだから」
ミツルの眉がわずかに動いた。
『ダーリン』
またその呼び方だ。
何度聞いても、どうにも気に入らなかった。
なぜヒロなのか。
かつては特別だったとしても、今の彼はまともにフランクスを動かすことすらできない。
それなのに、この少女はヒロを特別扱いしている。
その事実が、ミツルの胸を苛立たせた。
「そのようですね。まったく……無駄なことを」
吐き捨てるように呟く。
その言葉を聞いて、ゼロツーの瞼がゆっくりと持ち上がった。
瞳がミツルの方へ向けられる。
「……無駄?」
短い問い。
ミツルは待っていたかのように口を開いた。
「そうです。第13部隊のリーダーであるイチゴと乗ってすら、まともにフランクスを動かせなかったというのに……まだ現実を受け入れようとしない。あんなヒロを、もうこれ以上見ていたくないですね、僕は」
言葉にするほど、胸の奥に溜まっていた感情が浮かび上がってくる。
かつてのヒロは、特別だった。
誰よりも高い適性を持ち、誰よりも期待されていた。
ミツルもまた、そんな彼を見ていた一人だった。
だからこそ、今の姿が許せなかった。
かつて自分たちの前を歩いていた少年が、今では落第生として扱われている。
それでもなお、周囲の仲間たちはヒロを気にかける。
イチゴも、ゴローも、ナオミも。
そして、このゼロツーまでもが。
ミツルは無意識に拳を握りしめていた。
「……確かに幼い頃、彼は特別でした。オトナたちから『神童』と呼ばれるほど適応数値は飛び抜けていましたからね。コドモは誰もが、彼が僕たちの道標になると信じていた。ですが、彼はパラサイトになれなかった。もうあの頃のヒロとは違う...!!」
最後の言葉には、抑えきれない感情が滲んでいた。
怒り。
失望。
そして、それだけでは説明できない何か。
ゼロツーは黙って聞いていた。
表情を変えることもなく、ただ目の前の少年を見つめている。
その視線がミツルには妙に落ち着かなかった。
まるで、自分が何を言おうと、彼女にとってはどうでもいいことのように感じられたからだ。
ミツルは一度息を吸い込み、右手を差し出した。
「だから!僕と乗りませんか、ゼロツーッ!!」
声が、広い空間に反響する。
そこには、確かな熱があった。
自分ならできる。
ヒロにできなかったことを、自分がやってみせる。
この少女とフランクスに乗り、その力を証明してみせる。
そんな強い思いが、差し出した手に込められていた。
だが。
ゼロツーは、その手を取らなかった。
ただ、じっとミツルの顔を見つめていた。
そこに驚きも喜びも浮かんでいない。
やがて、彼女は小さく首を傾げた。
「……なんで?」
あまりにもあっさりとした問いだった。
ミツルは肩をすくめた。
「僕のパートナーであるイクノは、どうも数値が不安定でしてね。はっきり言えば相性が良くないと言いますか……訓練のたびにコネクトに時間がかかって大変なんですよ。ですから、僕とあなたが組めば──」
「やめた方がいいよ」
ゼロツーの声が、言葉を断ち切った。
ミツルは目を見開いた。
少女は抱えていた膝を解き、ゆっくりと立ち上がる。
長いピンク色の髪が、肩からさらりと滑り落ちた。
ゼロツーは軽く制服を整えると、ミツルへ顔を向けた。
その口元に薄い笑みが浮かぶ。
けれど、その笑みには温かさがなかった。
「お前がボクに乗っても、死ぬだけだ」
静かな声だった。
脅すような大声でもなければ、怒りを含んだ言い方でもない。
まるで、当然の事実を告げるかのような口調。
それが、かえってミツルの神経を逆撫でした。
死ぬだけ。
自分では無理だと、最初から決めつけられた。
そんな屈辱を簡単に受け入れられるはずがなかった。
「……ハッ! ヒロなら、違うとでも!?」
強がるように笑い、言い返す。
だがゼロツーは答えず、くるりと背を向ける。
そして、ミツルの横を通り過ぎていった。
足音が遠ざかっていく。
ミツルは振り返らなかった。
差し出したままだった右手を、ゆっくりと下ろす。
胸の奥で、苛立ちが渦巻いていた。
なぜ、ヒロなのか。
なぜ、誰も彼もがあいつばかりを見るのか。
その答えを求めるように、ミツルは遠ざかっていくゼロツーの背中を睨んだ。
しかし、彼女は一度も振り返らなかった。
やがて、その姿も向こうへ消えていく。
ミツルは一人、その場に取り残された。
その時だった。
突然、ポケットの中から甲高い電子音が鳴り響いた。
ミツルは我に返り、端末を取り出す。
画面には、緊急の通知が表示されていた。
その内容を確認した瞬間、彼の表情が変わる。
胸の奥で燻っていた感情が、別の熱へと姿を変えていく。
「……出撃……!!」
その声には、緊張と、抑えきれない期待が混ざっていた。
ついに来たのだ。
自分たちが、実際に戦う時が。
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