デビル・イン・ザ・フランドール   作:かるご

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しばしの休息と秘密

プランテーション13のパラサイト宿舎『ミストルティン』。

ガラスの天蓋の向こうにある人工の夜空は、完璧に計算された星々の瞬きを模倣していた。昼間の地下採掘施設での激しい戦闘、叫竜の咆哮、そして飛び散った青い体液──それらすべての狂騒が嘘のように、宿舎の中は穏やかな静寂に包まれている。

 

しかし、その静寂はどこか薄氷のようでもあった。初陣を無傷で生き残ったという安堵と、初めて本物の死を間近に感じたという生々しい興奮が、コドモたちの胸の内でまだ静かに燻っているからだ。

 

 

「──だからさ! 俺がこう、トドメ刺そうとした瞬間よ!」

 

 

寄宿舎の広間には、ゾロメの大きな声が響き渡っていた。ソファの背もたれに深く腰掛けたゾロメは、身振りを交えながら昼間の戦いぶりを熱弁している。

 

 

「ポーズはカッコよかったけど、作戦中にふざけるのは止めたほうがいいぞ。」

 

 

隣のシングルソファに座るゴローが、呆れたように苦笑しながら話す。

 

 

「うるせぇなゴロー! あれは急に叫竜が動き出して驚いたんだよ! なぁ、ミクもそう思うだろ!?」

 

「はあ? 私に振らないでよ。気絶させられたこっちの身にもなってよね。……まあ、でも、イチゴたちが助けにきてくれなきゃ、本当に危なかったのは確かだけどさ」

 

 

ミクは不機嫌そうに腕を組みながらも、どこかホッとした様子で、自分のために淹れられた温かいお茶に口をつけた。

初陣の恐怖を笑い話に変えようとする、彼らなりの虚勢。しかし、その顔には、死線を共に潜り抜けた者同士の、昨日までにはなかった確かな絆の色が滲んでいた。

 

 

「それにしてもさ……本当に一番驚いたのは、お前だよ。ヒロ──」

 

 

視線が一斉にヒロへと集まる。

かつて落ちこぼれと呼ばれ、戦うための翼を持たずに独り、ミストルティンに取り残されかけていた少年。しかし今のヒロの瞳には、かつての陰りは一切なかった。

 

 

「うん。ゴローやイチゴにも何度も聞かれたけど、本当にどこも痛くないんだ。ハチさんたちの精密検査でも、数値は全部正常だって。……やっと、乗れたんだ。僕にも、まだ戦える翼があったんだって、それがただ嬉しくて」

 

 

ヒロは自分の両手をじっと見つめ、照れくさそうに、しかし誇らしげに拳を握りしめた。

 

 

「本当に、あの一撃は凄かったよな」

ゴローがしみじみとした口調で腕を組み、ヒロを見つめて温かく笑った。

「俺たちが叫竜の群れに囲まれて完全に動きを止められてたときさ、ストレリチアが上空から突っ込んできて、一瞬で敵の陣形を崩したんだ。あのスピードと圧倒的な威力は、正直俺たちじゃ真似できないな」

 

「そうそう!すごかったね〜、ヒロくんの戦闘!」

 

 

ココロがゴローの発言に続くようにヒロを褒める。

 

 

「けっ、調子に乗んなよ。たまたま上手く乗れただけじゃねえか」

 

 

ゾロメがヒロに対抗心を剥き出しにし「おい、いちいち水を刺さなくても」とゴローが制止する。

するとヒロが立ち上がり、ゾロメと向き合う。

 

 

「確かに......叫竜に勝てたのは皆のおかげだ。みんなと一緒に戦えて嬉しかった。もし次も乗れるとしたら、足手まといにならないように頑張るよ。だから、よろしく...!」

 

 

ヒロの言葉にゾロメは調子よく笑いながら「しょーがねぇな!次もしっかりやれよ」と言い、それを見ていたミクは「調子いいんだから」とちょっかいをかけるが今のゾロメには聞こえていないようだ。

ヒロも笑っている。けれど、その呼吸はどこか浅く、ゾロメに背中を叩かれた一瞬だけ、本当に一瞬だけ、表情が険しく見えた。衣服に隠れて見えないが、彼の内側では、何かが確実に悲鳴を上げているのではないか──。

(ヒロ……本当に何ともないの……?)

ナオミの胸の奥に、言葉にできない不穏な予感が微かなトゲのように突き刺さる。しかし、それを今この場で追求することはできなかった。

 

 

「ヒロの活躍も、本当に凄かった。けれど……」

 

 

不意に、静かな、しかし確かな存在感を持った声が広間の空気を回した。

声を上げたのはイチゴだった。彼女は、少し離れた場所に座る三人を見つめた。

 

 

「今回の作戦が成功したのは、ヒロだけのおかげじゃないわ。……ナオミたちのことも、忘れないで。彼らの初陣での連携も、本当に見事だった」

 

 

イチゴのその言葉をきっかけに、視線が今度はナオミたちへと移る。

 

 

「あ、それあたしも言おうと思ってたんだよね〜」

 

 

イチゴに話を振られるや否や、それまでソファの上で退屈そうに足をぶらつかせていたクロが、弾かれたように身を起こした。マイペースな彼女は、注目が集まってもあまり表情を変えず、軽く身振りを交え出す。

 

 

「聞いてよぉ。 私たちのルートはね、前は叫竜がたくさんで、そっちはミクが気絶してどうしたらいいかパニックになりそうだったんだ。 でもね、ナオミが声を掛けてくれたおかげで落ち着けたの。あの時のナオミ、カッコよかったな〜」

 

「え……っ、ちょっと、クロ……! 」

 

 

ナオミが顔を真っ赤にしてクロの袖を引っ張るが、クロは気にする風もなく、楽しげに言葉を続ける。

 

 

「本当でしょ?ナオミがさ、私とツグミに完璧な指示を出し続けてくれたからこそ、あの数に囲まれても無事に切り抜けられたんだよ。ツグミもそう思うでしょ?」

 

「そうだな、クロの言う通りだ」

 

 

それまで静かに話を聞いていたツグミが真っ直ぐな瞳をナオミへ向け、物静かに話だす。

 

 

「ナオミの指示が僕たちの道しるべになってくれたのは本当だ。おかげで、俺は迷わずアイリスのトリガーを引くことができた」

 

「ツグミまで、もう……」

 

 

みんなからの視線と称賛を真っ向から受け、ナオミは耳の裏まで真っ赤に染め上げて、顔を埋めるようにして俯いた。

かつてヒロとコネクトできず、落第判定を受け、皆と離れ離れになるはずだった少女。彼女は一度、完全に絶望したはずだった。

 

けれど、今こうしてフランドールという新しい武器を手に入れて、彼女は誰の足引っ張りでもない。チームを、仲間を勝利へと導く「リーダー」としての、確かな役割を手に入れたのだ。

 

 

「凄いね、ナオミ。アタシも負けてられないな」

 

 

イチゴが、優しく、しかし心からの敬意を込めてナオミに微笑みかけた、その時だった。

 

 

ピピッ、ピピッ、と無機質な電子音が広間に響いた。

イチゴの制服のポケットにある、携帯端末からの呼び出し音だった。画面を確認したイチゴの表情が、一瞬で引き締まる。表示されていたのはナナからのメールだった。

 

 

「ごめん、みんな。ナナ姉から呼び出しが入っちゃった」

 

 

イチゴは端末を閉じると、ソファから立ち上がった。

 

 

「少し話があるから、指定の場所まで来てほしいって。……何だろう、今日の戦闘の件かな。みんなは、消灯時間になるまで好きにしてて」

 

「ああ、分かった。気をつけてな、イチゴ」

 

 

ゴローの見送りの声を背に、イチゴは足早に広間を出て、どこかへと向かっていった。

リーダーの不在によって、少しだけ引き締まった空気が戻る。しかし、クロが「ねえねえ、それよりさー!」とまた別の話題を切り出したことで、広間には再び和やかな笑い声が満ちていくのだった。

 

 

 

─────

 

 

 

夜が更け、広間の賑やかな祝勝会もお開きとなった。

コドモたちはそれぞれ、体を休めるため自室へと戻っていく。

 

 

「あー楽しかったー!ねえ、食堂の冷蔵庫に何か夜食残ってないかな? あたし、今すっごい甘いものが食べたい気分なんだけど!」

 

 

クロが頭の後ろで手を組みながら、階段を登る。その隣を、ナオミとツグミが並んで歩いていた。広間からそれぞれの居室へと向かう。

 

 

「クロ、もう寝る時間よ。遅くまで起きてたら疲れが取れないよ」

 

「えー、まだみんなと話したいのにぃ......ツグミはどう思う?」

 

「俺もナオミに賛成だ。今日は疲れた」

 

 

ツグミの真面目な返しに、クロは「.....そっかー」と不服そうに返す。そんな二人のやり取りを、ナオミは少し呆れつつも、どこか心地よく感じていた。

自分は一人じゃない。その実感が、彼女たちの心を深く満たしていた。

 

だが、宿舎の入り口へと差し掛かったその時、冷たい夜風が廊下の奥へと吹き込んできた。

 

ガシャリ、と静かな夜の空気に不釣り合いな金属音が響く。

 

三人が無意識に視線を向けた先――月明かりが差し込む寄宿舎の風除室から、ふらりと、一人の少女が影のように姿を現した。

 

 

「──あ」

 

 

ツグミがわずかに息を呑み、その身体をすっと引き締める。

 

そこにいたのは、ゼロツーだった。

ピンク色の長い髪が夜風に揺れ、頭部に生えた二本の赤い角が、室内光を受けて強調されている。

 

独特のステップで、音もなく室内へと歩んでくるゼロツー。その異質さと、彼女が放つ、人を人とも思っていないような不気味なオーラに、ナオミとツグミは思わず一歩、身を引いた。

 

ゼロツーは、目の前に立ち塞がる形になった三人を見つめると、その端正な顔に、猫のような、掴みどころのない笑みを浮かべた。

 

 

「ねえ」

 

 

鈴を転がすような、しかしどこか底の知れない声が静かな廊下に響く。

ゼロツーはクロの目の前まで歩み寄ると、その瞳でじっとクロの顔を覗き込んできた。女の子同士、至近距離で視線が交錯する。

 

 

「ダーリンの部屋はどこ?」

 

 

ストレートすぎる問いかけに、クロも一瞬目を瞬かせた。

「ダーリン」──それがヒロを指していることは、ゼロツーのこれまでの言動を思い返せば一目瞭然だった。

 

 

「ヒロの部屋なら、この階段を──」

 

 

クロが教えようとした、その瞬間。

 

 

「待って、クロ」

 

 

クロの言葉を遮るようにナオミが一歩前へ出た。

ナオミの表情は硬く、その瞳にはゼロツーに対する強い警戒心が宿っていた。

 

 

「……あなた、どうしてここにいるの? まさか、これからここに住むつもり?」

 

 

ナオミの問いに、ゼロツーは面白そうに首を傾げた。その仕草は酷く無邪気でありながら、同時にこちらのルールをせせら笑っているようでもある。

 

 

「そうだよ。ボク、今日からここに住むの。だから、ダーリンの隣がいいなーって思って」

 

「な……っ、男子の部屋に勝手に入るなんて、そんなの──」

 

 

ナオミがさらに語気を強めようとした、その時。

 

 

「ゼロツー......!」

 

 

廊下の奥から、どこか疲労の滲む声が響いた。

振り返ると、そこにはイチゴが立っていた。彼女はナナに呼び出され、ゼロツーの処遇についていくつか説明を受けてきた帰りだったのだ。

 

イチゴは腕を組み、厳しい表情でゼロツーを見つめた。広間での和やかな雰囲気は完全に消え去り、第13部隊のリーダーとしての、そしてヒロを幼馴染として見守ってきた者としての、強い意志がその小柄な身体から放たれていた。

 

 

「あなたにはちゃんと用意された部屋がある。ナナ姉からも、勝手に行動させないようにって言われてるの。……ついてきて」

 

 

イチゴはゼロツーの隣を通り過ぎると、有無を言わせない足取りで女子寮の方へと歩き出した。

ゼロツーはそんなイチゴの背中をしばらく見つめていたが、「ちぇー、ケチだなあ」とつまらなそうに唇を尖らせると、提げていたケースを揺らしながら、イチゴの後を追って歩き始めた。

 

すれ違いざま、ゼロツーはもう一度だけクロの顔を見て、小さな笑いを残していった。

 

静まり返った廊下に、二人の足音が遠ざかっていく。

それを見送ったナオミは、せき止めていた息を一気に吐き出すように、深くため息をついた。

 

 

「なんなの、あの子……本当に、私たちと同じコドモとは思えない……」

 

「……ヒロにすごい懐いてるね、前に合ったことがあるのかな?」

 

 

クロが頭の後ろで手を組みながら、軽く肩をすくめる。その様子を見ながら、ツグミは静かに呟く。

 

 

「……油断できないピスティルなのは確かだ。俺たちも、自分の身は自分で守れるように、もっと訓練を積んでおかないと」

 

 

クロのマイペースな態度を嗜めつつも、ツグミの言葉にはフランドールを操る者としての強い決意が滲んでいた。クロも「そうだね」と素直に頷き、ナオミも小さく同意する。

 

 

「行こう。今日は疲れた。早く寝て疲れを取ろう」

 

 

ツグミの促しに、クロとナオミもようやく緊張を解き、それぞれの部屋へと足を向けた。

自室のベッドに横たわると、昼間のフランドールの感覚と、ナオミの凛とした声、そしてゼロツーの笑みが、コドモたちの脳裏で複雑に入り混じる。しかし、押し寄せる強烈な眠気には勝てず、彼らは深い眠りの中へと落ちていった。

 

 

 

─────

 

 

 

同じ時刻、ミストルティンの上層に位置する、プランテーション13の地下司令室。

ホログラムの戦術モニターや、無数のデータ波形が青白く発光する薄暗い空間の中で、二人の指導官――ナナとハチは、デスクの前に並んで立っていた。

 

室内に響くのは、精密機械が刻む無機質なシステム音だけ。

ハチは淡々とキーボードを叩き、一つのパラサイトデータをメインスクリーンへと拡大表示した。そこに映し出されたのは、昼間の戦闘でストレリチアを完璧に駆動させた、コード016――ヒロの生体データだった。

 

画面に表示されたグラフの数値を見たナナは、思わず息を呑み、手元に持っていたバインダーを強く握りしめた。

 

 

「……これ、本当なの……?」

 

 

ナナの声は、微かに震えていた。長年、多くのパラサイトの育成と管理に携わってきた彼女にとっても、それはこれまでの常識を根底から覆すような、異常な数値だった。

 

 

「ああ。戦闘終了後、および先ほど行った精密検査の最終結果だ」

 

 

ハチは表情一つ変えず、淡々と、しかし極めて冷徹な声で告げた。

 

 

「どういうこと?この黄血球の異常な数値は......生きてるのが不思議なくらいだわ」

 

 

黄血球。パラサイトたちがフランクスを動かすために必須とされる、体内の特殊な細胞。

 

 

「原因は不明だ。ゼロツーの黄血球が、コード016の黄血球と拒絶反応を起こさず、むしろ融合を始めている可能性がある。これほどの数値を示しながら、肉体に一切の損傷が見られないステイメンは前例がない」

 

「.....」

 

 

ハチはさらにキーボードを叩き、画面のデータを切り替えた。

次に映し出されたのは、もう一つの新しいデータ。コード131(クロ)、コード703(ナオミ)、コード390(ツグミ)――フランドールチームの三人の生体反応と、機体の同調グラフだった。

 

 

「……そして、これがフランドールチームのデータだ」

 

 

画面に表示された三つのグラフは、驚くほど整った一定の数値で留まり、機体と完全にコネクトしていることを示していた。

 

ナナは画面を見上げ、少しだけ表情を和らげた。

 

 

「こちらは、極めて順調みたいね。三人とも、初陣なのに機体とのコネクトを高い水準で維持しているわ。特にナオミは今回の戦闘で戦術指揮が優れているデータが取れたわ。」

 

「ああ。フランドールチームのパイロットたちと、あの機体群の相性は、我々の予測を大きく上回る良好さを示している」

 

 

ハチとナナはデータを眺め、分析を続ける。

すると思い出したように手元のキーボードに指を走らせ、メインモニターに新たなホログラムウィンドウを展開した。そこに映し出されたのは、二つの巨大な移動要塞都市──プランテーションが、ゆっくりと互いを目指して進路をとるシミュレーション映像だった。

 

 

「これって...」

 

「上層部から正式な通達が来ている」

 

 

 

画面を見上げるハチの横顔に、より一層冷徹な影が落ちる。

 

 

「近々、第26部隊のプランテーションとの燃料交換キッシングを行うことが決定した。ストレリチアの処遇を含めて、それまでに結論を出すとのことだ」

 

「燃料交換キッシングね......あれは大量の叫竜を呼び寄せる危険があるわ。ナオミ達の適性が高いとはいえストレリチアは戦力としてほしいけど......」

 

「......次で3回目か...」

 

 

ハチはホログラムの映像を消去し、司令室には元の薄暗い静寂が戻った。

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