デビル・イン・ザ・フランドール   作:かるご

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静かなるカウントダウン

「じゃあ僕達は都市へ降りるよ♪すぐここに来ちゃったからね。ナナとハチ達にあいさつしないと」

そう言い残し、都市へと降りていったナインアルファとナインゼータ。彼らの傲岸不遜とも言える、しかし洗練された立ち振る舞いを、ゴローは苦笑いと共に思い出していた。

 

嵐が過ぎ去ったかのような寄宿舎のリビング。

窓の向こうでは、ツグミやクロ達がキッシングの様子を物珍しそうに眺めているはずだが、その賑やかさは厚い壁に遮られ、ここには一切届かない。

今部屋にいるのは、イチゴ、ナオミ、ゴローの3人だけ。

ソファに身体を沈める彼らの間には、ひやりとした、それでいて息の詰まるような重苦しい空気が澱んでいた。

ゴローが背もたれにゆっくりと体重を預け、天井を仰ぎ見ながら不意に疑問を口にする。

 

 

「......あいつら、結局なにしに来たんだろうな」

 

 

ゴローは、ナインアルファが見せた、親しみやすさの裏にある底知れない冷徹さを思い出していた。自分たちとは根本的に異なる、絶対的な強者の視線。それが何を意味するのかを掴めず、彼の胸には確かな警戒心が燻っていた。

ゴローの疑問に、誰も明確な答えを返せない。それほどまでに彼らの存在は異質で、圧倒的だった。

そんな沈黙の中、ナオミは膝の上でスカートの生地を固く握りしめていた。指先が白くなるほどに力を込め、ぽつりと呟く。

 

 

「……ねえ、呪いって、本当なのかな」

 

「ただ私たちをからかって楽しんでいただけよ。いくらなんでも『生命を吸い取る呪い』だなんて、馬鹿げてるわ」

 

 

イチゴの声は、驚くほど穏やかで、温かかった。

ナオミの肩をぽんぽんと優しく叩きながら、イチゴはゴローにも視線を送り、安心させるように小さく頷いた。

 

 

 

─────

 

 

 

プランテーション13と第26都市が物理的に連結し、マグマ燃料のパイプラインが繋がれたことを祝う、友好のセレモニー。

大ホールの特設ステージは、眩いライトとホログラムの光で彩られ、両都市のパラサイトたちが整然と列をなして並んでいた。

演壇に立った13都市の市長が、両手を大きく広げ、マイクを通じてホール全体に響き渡るような大声を張り上げる。

 

 

「諸君!!おぞましい叫竜たちは我々のマグマ燃料を狙い、大挙して襲ってくるであろう!!!この両都市の運命は、パラサイト諸君に掛かっている!!君たちは強い!!必ずや勝利をもたらしてくれると信じている!!!」

 

 

市長の熱を帯びた演説に、第26都市のパラサイトたちは規律正しく、揃いの敬礼で応える。その揺るぎない兵士としての姿に重ねるように、市長はさらに声を張り上げ、身振りを交えて言葉を続けた。

 

 

「そして!! 勝利の栄光を掴み取ったその暁には、一人の欠けもなく、我が都市へ、諸君らの帰るべきこの家へと無事に帰還してほしい!!! 私は、我々は、諸君らの健闘と、誇り高き無事なる凱旋を、心から祈っている!!!」

 

 

大人からの「帰ってこい」という激励は、コドモたちにとって何よりの栄誉であり、戦う意味そのものだった。ステージに並ぶクロやツグミも、その熱気に当てられたように、どこか高揚した表情で前を見据えている。

 

───けれど、その歓声の渦の中で、第13部隊の何人かの心は、冷え切った冷たい檻に閉じ込められたままだった。

 

イチゴは、拍手を送りながらも、隣に立つヒロの横顔を盗み見ていた。

ヒロはいつもと変わらない、穏やかで真っ直ぐな目で市長を見つめている。自分の身体に起きているかもしれない異変を、周囲に微塵も悟らせないための、あまりにも完璧な「いつも通り」の横顔。

『いくらなんでも『生命を吸い取る呪い』だなんて、馬鹿げてるわ』

さっきナオミに言った自分の言葉を、イチゴは必死に胸の中で繰り返す。けれど、市長が叫んだ「一人の欠けもなく帰還してほしい」という言葉が、今のイチゴには、まるでヒロの命の期限をカウントダウンする残酷な引き金のように聞こえて仕方がなかった。

 

そのイチゴのさらに隣では、ナオミが静かに俯いていた。

拍手を微かに鳴らしながらも、彼女の視線は床の一点に注がれている。

ナインアルファの言った『100人以上のステイメンが生命を吸い尽くされた』という言葉。そして市長の『無事に帰還してほしい』という願い。その二つの言葉が、ナオミの頭の中で激しく衝突していた。

もし、あの呪いが本当なら、ヒロは「無事に帰ってくる」ことなんてできないのではないか。戦いに勝っても、その先でゼロツーに命を吸われ尽くしてしまったら……

ナオミはヒロが何かを隠していることまでは気づいていない。だからこそ、今こうして目の前で元気に立っているヒロが、次の戦いの後に突然、文字通り「使い捨てられて」消えてしまうかもしれないという不条理な恐怖が、彼女の胸をきりきりと締め付けていた。

 

 

 

友好セレモニーが幕を閉じた、その翌日。

寄宿舎のリビングには、朝の柔らかな光が差し込んでいた。前日の緊張感が嘘のように、ソファにはコドモたちが思い思いの姿勢でくつろぎ、昨日の余韻を楽しそうに語り合っている。

 

 

「昨日のセレモニーは本当にすごかったね! あんなにたくさんの大人たちに注目されるなんて、緊張しちゃって夜一睡もできなかったよ!」

 

 

ココロがソファの背もたれに体を預け、興奮まじりの声を上げる。その顔にはセレモニーで行われた激励の言葉を全身で噛み締めているようだった。

 

 

「だよね! 第26都市のフランクス、近くで見たらすっごい強そうだった! 私たちのフランドールだって負けてられないけど、なんだか良い刺激になっちゃった!」

 

 

クロが拳を握りしめ、前日と変わらない真っ直ぐな瞳を輝かせる。そんな風に、無邪気に大人の期待を喜び、戦いへのモチベーションを高めているコドモたちの声が、リビングを明るく満たしていた。

 

──しかし、その賑やかな輪から、静かに距離を置いている者たちがいた。

 

ソファの端、あるいは少し離れたテーブル席。

 

ヒロは、みんなと楽しく会話をしている。

そのヒロの様子を、ミツルは壁に背を預けたまま、腕を組んで冷ややかな目で見つめていた。大人たちの仰々しい演説にも、周囲の無邪気なはしゃぎっぷりにも、彼は最初から鼻で笑うような態度を崩さない。

そして、イチゴとナオミの二人は、お互いに言葉を交わすこともなく、ただ沈黙を守っていた。

ナインアルファから告げられた『生命を吸い取る呪い』という言葉。それが、今も二人の胸の奥底に冷たい錨のように沈んでいる。

イチゴは、はしゃぐ仲間たちの姿を見て「これでいい、みんなが不安になる必要はない」と心のなかで自分に言い聞かせながらも、ヒロの完璧すぎる横顔を見るたびに胸が締め付けられるような錯覚に陥っていた。

ナオミもまた、隣で目を輝かせているクロの眩しさに救われつつも、昨日感じた「自分だけが暗闇に取り残されているような孤独感」を拭いきれずにいる。ヒロが無理をしていることすら気づけない自分へのもどかしさと、いつか彼が消えてしまうのではないかという漠然とした恐怖が、彼女の思考を鈍く縛り付けていた。

 

そんなリビングの空気をすべて見計らうように、ゴローがゆっくりと立ち上がり、みんなの中心へと歩み出た。

 

 

「みんな、ちょっといいか?」

 

 

ゴローの落ち着いた声に、ゾロメたちの賑やかなお喋りがピタリと止まり、全員の視線が彼に集まる。ゴローは手にした端末を軽く見せながら、穏やかなトーンで切り出した。

 

 

「ハチさんから連絡があったんだ。キッシングの間、お互いの戦術や連携を高めるために、第26都市のコドモたちと直接会って、話し合える場を設けてくれるらしい……そこでなんだけど、誰か向こうの部隊に行ってみる奴はいるか?」

 

 

その提案に、真っ先に反応したのはゾロメだった。

 

 

「行く行く! 俺が行く! 向こうのエースがどんな奴か、この目で確かめてやる!」

 

「私も行くわ。向こうの女子がどんな感じか気になるし」

 

 

ミクが続き、ツグミとクロも「私も!」「俺も行く」と勢いよく手を挙げる。フトシやココロ、イクノたちも、合同任務を円滑に進めるためには必要なことだと判断し、それぞれ賛成の意を示して頷いた。

 

「よし、じゃあ……」

 

ゴローは賛成したメンバーの顔ぶれを確認し、それから、最初から一切手を挙げようとしなかった者たちへと視線を巡らせた。

 

イチゴは、リーダーとしての職務を果たすべきだと頭では分かりつつも、今の心境で他部隊と笑顔で交渉する余裕はなかった。ヒロの側を離れたくない、という焦燥もある。

ナオミも同様に、ヒロが不安であまり離れたくないよう。

ミツルは、他部隊との馴れ合いなど端から興味がないとばかりに、視線すら動かさない。

そしてヒロは、自分の体調の波を自覚しているからこそ、余計な摩擦を避けるために静かにその場に留まることを選んでいた。

 

四人がそれぞれの「行けない理由」を胸に秘めて沈黙する中、ゴローは彼らの拒絶を咎めることも、理由を詮索することもしなかった。ただ、すべてを察したような深く優しい目で小さく頷く。

 

 

「分かった。じゃあ、俺についてきて。場所は格納庫だそうだ」

 

 

こうして、第13部隊とフランドールチームは、無邪気な期待を胸に外へ向かう者たちと、寄宿舎の静寂の中でそれぞれの影と向き合う者たちへと、静かに分かれていくのだった。

 

 

 

─────

 

 

 

ゴローたちが第26都市のパラサイトたちの元へと向かい、静まり返った寄宿舎のラウンジ。

残されたのは、ヒロ、イチゴ、ナオミ、そしてミツルの4人だけだった。

壁に寄りかかっていたミツルは、他部隊との交流に沸き立つ仲間たちの声が完全に遠ざかったのを見届けると、ふん、と鼻で冷たく笑った。

 

 

「くだらない。馴れ合いなら他所でやってほしいものですね」

 

 

吐き捨てるようにそう言うと、ミツルはヒロの姿を一瞬だけ冷徹な目で見据え、そのまま一切の未練を残さずラウンジから出ていってしまった。彼の背中には、ヒロが何かを隠していることへの苛立ちと、この重苦しい空気に付き合うつもりはないという明確な拒絶が表れていた。

 

ミツルの足音が完全に消えたのを見計らい、ヒロもまた、手元に置いていた本を静かに閉じた。

 

 

「……僕も、少し部屋で休むよ」

 

 

いつも通りの、穏やかで何の変哲もない微笑み。みんなに心配をかけないために、「普段のヒロ」を演じながら、彼はソファから腰を上げた。そのままミツルの後を追うように歩き出そうとした、その時だった。

 

 

「待って、ヒロ」

 

 

イチゴの声が、ヒロの足を止めた。

振り返ると、イチゴが真っ直ぐな、けれどどこか悲痛な光を宿した瞳でヒロを見つめていた。その隣では、ナオミもまた、膝の上で手を固く握りしめたまま、祈るような目でヒロを見上げている。

 

 

「イチゴ、どうしたの?」

 

 

疑問に思うヒロに、イチゴは一歩、歩み寄った。彼女の胸の奥では、昨日からナインアルファの警告がずっと、激しい警報のように鳴り響いていたのだ。

 

 

「ヒロ……あなた、本当は無理をしてるんじゃない?」

 

 

その言葉に、ヒロの眉が微かにピクリと跳ねた。けれど、彼はすぐにそれを柔らかな笑顔で覆い隠す。

 

 

「 無理なんてしてないよ。フランクスに乗れてるし、体調だって悪くない。」

 

 

少しも淀みのない、完璧なしらばっくれ方だった。

けれど、幼馴染として、コドモの頃から誰よりも近くで彼を見つめてきたイチゴの目は、騙せなかった。今のヒロの笑顔は、あまりにも綺麗に作られすぎていて、逆に歪に見えたのだ。

 

 

「嘘を言わないで!」

 

 

イチゴの声が、今度は少し鋭さを帯びた。怒っているのではない。ヒロが自分たちに完全に心の壁を作っていることが、悲しくて、怖くて仕方がないのだ。

 

 

「今日のヒロ、少し変だよ。いつも以上に笑ったり、みんなの顔を伺ってた。昨日だって顔色が悪かった。本当に何ともないなら、どうしてそんな風に、私たちから逃げるみたいに部屋に戻ろうとするの?」

 

「イチゴの言う通りだよ、ヒロ」

 

 

今度はナオミが会話に加わった。

ナオミには、ヒロの身体のどこが悪いのか、具体的な症状までは分からない。ヒロが必死に隠し通しているモノが何なのか、彼女は気づいていない。

けれど、前回の戦闘からある「違和感」が、どうしてもナインアルファの言っていたあの警告と重なってしまうのだ。

 

「……9'αナインアルファって人が言ってたこと、どうしても頭から離れないの。ゼロツーのパートナーは、みんな生命を吸い尽くされて死んじゃうって……100人以上の人が、そうやって使い捨てられたって。ヒロ、あなたに何かあったら、私は……」

 

 

ナオミの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。具体的な病状を知らないからこそ、「あの呪いが本当で、もし次の出撃でヒロが突然死んでしまったら」という得体の知れない恐怖が、彼女の心を激しく揺さぶっていた。同じパイロット仲間であるクロやツグミにさえ隠し通していたその恐怖を、ヒロの前にすべて曝け出していた。

 

二人の少女からの、必死で、粘り強い問い詰め。

向けられる純粋な心配と愛情の深さに、ヒロの胸の奥がズキリと痛んだ。嘘をつき通すことが、これほどまでに苦しいとは思わなかった。

 

 

(ごめん。イチゴ、ナオミ……)

 

 

けれど、ヒロの決意は揺るがなかった。ここで自分の不調を認めてしまえば、二人は間違いなく自分をゼロツーから引き離そうとする。もう二度とフランクスに乗れなくなる。それだけは、何があっても避けたかった。自分の命が削られているのだとしても、あの少女と共に大空を飛ぶことだけが、今のヒロのすべてだったから。

 

ヒロは、ナオミの涙から目を背けるように、ふっと視線を落とした。そして、先ほどよりも一段と硬く、けれどどこか突き放すような冷たさを孕んだ声で言った。

 

 

「……呪いなんて、そんなおとぎ話みたいなこと気にする必要はないよ。僕は大丈夫だ。」

 

「ヒロ、待って、まだ話は──」

 

 

イチゴが手を伸ばす。けれど、ヒロはその手をすり抜けるように、少し足早に歩き出した。

 

 

「ちょっと寝不足なだけだから、心配しないで。……少し、一人にしてほしいんだ」

 

 

振り返ることもなく、ヒロはラウンジの扉の向こうへと消えていった。

残されたイチゴとナオミの前にあったのは、固く閉ざされた扉と、先ほどよりもさらに冷たく、深くなった静寂だけだった。

 

 

 

ところ変わって、第13プランテーションの巨大なフランクス格納庫。

天井高くそびえ立つケージの中には、出撃を待つフランクスたち、そして3機のフランドールが並び、その足元では、ゴローに連れられた13部隊のコドモたちと、第26都市のパラサイトたちが対面していた。

 

お互いの機体を見上げるコドモたちの間には、どこか奇妙な沈黙が流れていた。

 

第26都市のパラサイトたちが見上げる先にあるのは、13部隊のフランクス。そして彼らにとって見るのも聞くのも初めてである、フランドールチームの機体だった。

26部隊の一人が、信じられないといった様子で呟く。

 

 

「……なんだ、あの機体は。それに13部隊のフランクスも、武装も見た目も全員バラバラじだ。これじゃあ集団運用の戦術が組めないだろうに」

 

 

彼らにとって、フランクスとは徹底的に統一され、個性を排した「兵器」だった。現に、彼らが乗ってきた第26都市のフランクスは、どれも同じ顔、同じ四肢、そして同じ武装で整然と並んでいる。

対するゾロメたちは、その26部隊の機体を見て、少し退屈そうに首を傾げていた。

 

 

「へえ、向こうのフランクスって全部同じなんだな。武装も見た目も揃ってて、なんだかお利口さんな兵器って感じ。俺たちのアージェンティアの方が、何倍も強そうだしカッコいいぜ!」

 

 

「ちょっと、ゾロメ、失礼でしょ」とミクが肘でつつくが、13部隊にとっては、それぞれの個性に合わせた不揃いな機体こそが当たり前だった。お互いがお互いの「普通」に違和感を抱く中、第26都市の部隊を率いるリーダー、090が一歩前に出た。

 

090は、何度もキッシングを経験し、数々の修羅場をくぐり抜けてきたフランクス部隊の頼れる先輩だ。その立ち振る舞いには、どこか大人びた落ち着きがある。

 

 

「まあ、都市によってフランクスの運用方針が違うのはパパたちの思惑があるのだろう……私たちは君たちより何度もキッシングを経験しているし、戦場での先輩でもある。何か、聞きたいことはないか?」

 

 

090の硬派で親切な問いかけに、真っ先に目を輝かせて飛びついたのは、やはりゾロメだった。戦術ではなく、彼がずっと胸に抱き続けている「最大の憧れ」について。

 

 

「はい!はいはいはい!!質問ッ!!あの、そっちの部隊でオトナになったパラサイトっていますか?」

 

 

ゾロメの純粋で切実な瞳。パパたちに認められ、いつかあの都市で暮らす「大人」になることを夢見る彼にとって、それは何よりも重要な質問だった。

しかし、その言葉を聞いた瞬間、090の表情が微かに、けれど痛々しく陰った。

 

 

「……いや。私たちの部隊では、まだ大人になった人はいない」

 

「えー、噂とかでも聞いたことは?」

 

「......すまない」

 

 

つまらなそうに肩を落とすゾロメ。そんなゾロメの様子を見ながら、090はフランクスの冷たい鋼鉄の足元を見つめ、誰に言うでもなく、ボソッと小さな呟きを漏らした。

 

 

「……だが、大人か。いつかなってみたいな……」

 

 

その声はあまりにも小さく、はしゃぐゾロメたちの耳には届かなかった。けれど、隣にいたゴローの耳には、その短い呟きに含まれた、諦念と、微かな渇望の響きがはっきりと届いていた。パラサイトの寿命、あるいは戦い抜いた先に何があるのか、先輩である彼らですら本当のことは何も知らされていないのだ。

 

重くなりかけた空気を変えるように、090が「他に何かあるか?」と促すと、今度はクロが遠慮がちに、けれど期待を込めて手を挙げた。

 

 

「あのぉ、第26都市の部隊には……私たちみたいなパイロットはいますか?」

 

 

フランクスの操縦者(パラサイト)ではなく、フランドールのような特殊な機体を駆る「パイロット」。自分たちと同じような存在が他の都市にもいるのか、仲間がいるのかという、クロなりの純粋な好奇心だった。

しかし、090は特に気に留める風でもなく、あっさりと首を横に振った。

 

「いや、いないな。そのような機体も、パイロットと呼ばれる役割も、私たちのプランテーションには存在しない」

 

「あ……いないんだ。ちょっと残念……」

 

 

あまりにも短い一言で否定され、クロはあからさまにシュンと肩を落として俯いてしまった。自分たちの存在が、やはりこの世界において極めて特殊で、孤立しているのだと突きつけられたような気がしたのだ。

 

そんな相方の様子を見て、ツグミがすかさずクロに話した。

 

 

「そう落ち込むな。落第判定を受けたパラサイトがパイロットに任命されることは珍しいそうだ。今回はたまたまいなかっただけで、いるにはいるさ。」

 

「そっか......そうだね、いつか他のパイロットと会えるといいな〜」

 

 

ツグミのフォローに、クロは小さく笑みをこぼした。二人の間に流れる、確かな信頼関係。

 

しかし、その様子をじっと見つめていた090の目が、驚きに丸くなっていた。彼は不思議そうに、眉をひそめて二人の間を視線で往復させる。

 

 

「……珍しいな」

 

「何がですか?」

 

 

尋ねたのは、ずっと一歩引いて会話を聞いていたゴローだった。

090はゴローに向き直ると、格納庫に響く低い声で言った。

 

 

「君たちは、お互いをコードネームではなく、別の『名前』で呼び合っている。どうして、そんな呼び方をするんだ? その『名前』とやらに、何か意味があるのか?」

 

 

26部隊のコドモたちにとって、お互いは「090」であり「091」であり、ただの記号でしかなかった。だからこそ、13部隊が当たり前のように互いを「名前」で呼び、絆を深めている姿が、少し異質なものに映ったのだ。

 

 

「意味、か。……俺たちにとっては、ただの番号で呼ばれるより、その名前で呼ばれる方が、お互いが『ここにいる』って、ちゃんと実感できます……大事な仲間だから」

 

 

ゴローの静かで、けれど確かな誇りを含んだ言葉に、090はそれ以上何も言わなかった。ただ、13部隊のコドモたちの顔をもう一度見渡し、何とも言えない複雑な眼差しを向けるだけだった。

 

 

 

─────

 

 

 

第26都市のパラサイトたちとの話し合いを終え、ゴローに率いられたコドモたちが寄宿舎へと帰ってきた。格納庫で話した余韻をそれぞれが胸に抱きながら寄宿舎へ戻ると、ちょうど2階から降りてきた、イチゴとミツルの二人と出会った。

 

 

「イチゴ、ミツル。戻ったよ」

 

 

ゴローが声をかけると、イチゴはハッとしたように顔を上げた。その瞳には、先ほどヒロを問い詰めたときの、やり場のない焦燥感と痛みがまだ生々しく残っている。ミツルは相変わらず不機嫌そうにしたままで、ゴローたちを一瞥すると、何も言わずにすれ違ってどこかへ歩いていってしまった。

 

ゾロメやミクが「向こうのエース、マジで四角四面でさー!」とさっそく報告を始めようとする中、クロはあたりを見回し、そこに一番いてほしい人物の姿がないことに気づいた。

 

 

「ねえ イチゴ、ナオミは? 一緒にいないの?」

 

 

クロの純粋な問いかけに、イチゴは一瞬だけ言葉を詰まらせた。ヒロとの間に起きた痛々しいすれ違い。それを思い出し、胸を締め付けられながらも、イチゴは努めて冷静な声を絞り出す。

 

 

「ナオミなら……さっき、書庫へ本を読みに行ったよ。」

 

「そっか、ありがと!」

 

 

クロはすぐに合流しようと、トコトコと廊下を歩き出す。その後ろを、他部隊との交流を終えて少し落ち着きたいと考えていたイクノが、静かに付いていった。

 

薄暗く、古びた紙の匂いが漂う寄宿舎の書庫。

高い本棚に囲まれたその静寂の中で、ナオミは一人、小さな机に座って大きな本を開いていた。

ヒロを救えなかった無力感。ナインアルファの言っていた不条理な呪いへの恐怖。それらが頭の中でぐるぐると渦巻き、現実から逃げるようにして、彼女はただ文字と絵が並ぶページを見つめていたのだ。

 

静かな空間に、パタパタと軽快な足音が響く。

 

 

「ナオミ、みーつけた!」

 

「あ……クロ、イクノも」

 

 

顔を上げたナオミの前に、クロが嬉しそうに顔を覗き込んできた。少し遅れて入ってきたイクノは、二人を邪魔しないように「私は少し、読みたい本があるから」と告げると、そのまま背の高い本棚の奥へと静かに進んでいき、二人の視界から逸れていった。

 

クロはナオミの隣の椅子を引くと、机の上の大きな本に目を留めた。

 

 

「何読んでるの?」

 

「これ? ……鳥の図鑑、かな」

 

 

ナオミが指し示したページには、精緻なタッチで描かれた様々な鳥たちの絵が並んでいた。ミストルティンを自由に飛び回る、翼を持った生き物たち。

クロはへえー、と感心したようにページを覗き込む。

 

 

「これ、なんて鳥? すっごい綺麗な羽。ねえねえ、こっちの鳥はなんていうの?」

 

「これはね……」

 

 

クロの無邪気な質問に、ナオミは一つひとつ、図鑑の文字をなぞりながら静かに答えていく。

けれど、そんなナオミの横顔をふと見つめた瞬間、クロの言葉がピタリと止まった。

 

いつも通りの落ち着いたナオミの声。いつも通りの優しい微笑み。

けれど、その顔には隠しきれていない疲労感が張り付いていた。

クロは少し真剣な表情になると、ナオミの顔をじっと覗き込んだ。

 

 

「……ナオミ。なんか、疲れてない?」

 

「え……?」

 

 

不意を突かれたナオミは、目を丸くして息を呑んだ。

 

 

「ううん、そんなことないよ。昨日のセレモニーで緊張しちゃっただけ。なんともないわ」

 

 

慌てていつもの冷静なトーンを作り、大丈夫だと笑ってみせるナオミ。

クロは、ナオミのその笑顔を、少し疑うような目でじっと見つめた。ナオミが何かを隠していることは、今のクロにもはっきりと分かった。

 

 

(本当かなぁ……)

 

 

けれど、クロはそれ以上、無理に理由を問い詰めようとはしなかった。ナオミが言いたくないのなら、それを暴くことが正しいわけじゃない。

クロは「そっか」と短く言うと、そのままふわりとナオミの隣の椅子に深く腰掛け、彼女の華奢な肩に、自分の頭をコテンと預けた。

 

 

「でも、疲れたときは無理しちゃダメだよ。今日はいっぱいご飯食べて、夜はぐっすり寝た方がいいよ」

 

 

隣から伝わってくる、クロの小さくて、真っ直ぐで、温かい体温。

「なんともない」と強がる自分を、何も聞かずにただ丸ごと包み込んでくれるような優しい言葉に、ナオミの胸の奥で固く凝り固まっていた結び目が、じわりと解けていくのが分かった。

ナインアルファの警告に縛られ、ヒロに拒絶され、冷たい泥の中に一人で沈んでいくようだったナオミの心。けれど今、クロが隣にいてくれるだけで、背負い込んでいた重い荷物が少しだけ軽くなったような、そんな救いを感じていた。

 

 

「……うん。ありがと、クロ」

 

 

ナオミは優しく微笑み、今度は無理をせず、クロの温もりにそっと身を委ねた。

 

二人の間に流れる、静かで穏やかな時間。

それを引き取るように、本棚の奥から一冊の専門書を抱えたイクノが、静かな足取りで戻ってきた。イクノは二人の距離感を見て、邪魔をしないように机から少し離れた場所に立つと、淡々と、しかしどこか引き締まった声で告げた。

 

 

「……ナオミ、クロ。ハチさんから連絡が入ったわ。明日、第26都市のパラサイトたちと、合同作戦に向けたブリーフィングを行うそうよ。今夜は早めに休んで、明日に備えておきなさいって」

 

「ブリーフィング……いよいよ合同任務が始まるんだね」

 

 

クロが肩を離し、少し緊張した面持ちで頷く。ナオミもまた、図鑑の鳥の絵を見つめながら、静かに心を戦闘モードへと切り替えようとしていた。

 

明日から始まる、26部隊との本格的な合同運用。

それは、コドモたちにとっての試練であると同時に、ヒロを巡る不穏な運命が本格的に動き出すカウントダウンでもあった。書庫に差し込む微かな光の中で、少女たちは静かに、明日の戦いへと想いを馳せるのだった。

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