キリスト教知識はゼロです。すみません
「監督役か。教会の、だろう?……個人的にはお勧めしないかな。綾香はどうしたい?」
ブレザーの胸ポケットに差し込まれた紙を見る。昨日例の神父から墓前にて受け取ったものだった。
紙切れは無造作に破かれたもので、雑に住所が英語で書かれているのみだった。
住所が指し示す位置は、学校を少し通り越した丘の上あたり。
(あそこはあまり通らないけど確かカトリック系の教会があったっけ)
「セイバー。少し待ってて」
リビングの書棚からタウンマップを取り出した。ページを繰りつつ、丘の上を探し出した。
「うん、確かに紙の住所と一致してる」
正直あの神父に会いたくはない。印象最悪。性格悪そう。……さすがに偏見かな。
けれど聖杯戦争のプレイヤーではないが戦争に通じているという意味では、最も安心して今のわたしの途方もない状況を聞いてもらうことができる相手でもある。
(それにもしかすると離脱できるかもしれないんだから。セイバーには申し訳ないけど、他の人と契約してくれればいいわけだものね)
やっぱりすごい英雄でわたしの身の丈には合わないようなサーヴァントなのだろう。優秀だった姉と聖杯戦争を勝ち抜いていったというくらいだ。
わたしでは満足にマスターを務められないだろうし。はぁ。
玄関に移動しながらスニーカーに足を滑り込ませトントンとつま先をタタキに叩きつけた。セイバーはわたしには何も口出しせずに着いてきてくれた。
「やっぱりわたし監督役のところに行ってみたいと思う。その、圧倒的に情報不足なわけだし。どこまで話してもらえるのかはわからないけど。どうかな?」
「うーん。そうか。じゃあ、教会まで行ってみようか」
「セイバーは、その、どうして教会に行くのに前向きじゃないの?」
「教会からの監督役っていうけれど、どれくらい信用していいものなのかなって思ってね」
「うっ、それは。確かに。そうですけど」
もう一度特徴的な顔立ちをしたあの神父の顔を思い返してみる。やはり、うへえと、思い出したくもないイヤな記憶だ。
それを加味しても、わたしは戦争だなんて門外漢だ。痛いのなんてイヤだし、痛くするのだって、もちろん。
だから離脱できるならしたい。これが本音。
でも、それだけじゃない。
恥ずかしいという気持ちを抑えつつ、セイバーを改めて正視した。お互いの目の焦点がしっかりと合わさったのは初めてだったから怖気付きそうになったのを敢えて堪えた。
くっきりと開いた目の中には宝石のように輝く淡い光が湛えられており、罪を咎められたような気持ちになるのは何故だろうか。
(だけど、何も保身のためだけに教会に行くわけじゃない。マスターの座から降りたいわけじゃない。わたしはただセイバーにいい選択をしてもらいたいだけで……)
出逢ってから1時間にも満たない時間でしかないけれどセイバーはわたしにとって特別だった。
姉のサーヴァントだった。
先ほど一瞬起きた得体の知れない感情の奔流。
どれも理由のようで理由ではない。本能が呼ぶものがあった。
そういう運命的なものをいまは無視した。
柱時計の周期的な音は今も響いている。呼吸をしてから、玄関のドアノブに手を掛けた。それから少しだけ手に力を込めて俯いた。
背中を向けていてセイバーがどんな表情をしているのか読み取れないでいる。
「正直どうすればいいのかわからないの。聖杯戦争なんて知らないってずっと思ってきて今もそう思ってる。でも意図しなくともマスターになってしまったから、もう少しちゃんと考えたいの。そのために今は」
「教会に行くのが一番客観的な意見を得られるはずだってことだね」
「はい」
「そうか。じゃあ向かおうか」
「いいんですか?」
「綾香。私は何も反対したわけではないんだ。懸念があるから注意をして対面してほしい程度のことだよ」
「え。あ、そうか。そうでしたね、すみません……」
振り返るとセイバーは既に甲冑を纏ってはおらず安心させるような笑顔をわたしに向けていて、肩の荷が降りたような気持ちになった。
(よかった怒ってない)
果たして、わたしはどうして赦されたがっているんだっけ?
○
通学路。パン屋が目印の曲がり角。そこからずーっとまっすぐ歩いて、郵便ポストのを通り過ぎて最初の信号でさらに右に曲が、らない。
そのまままっすぐに進んでいくと、少しずつ坂が増えてくる。
コンビニエンスストアの薄明かりを通り過ぎるといよいよ辺りは高級住宅街といった風情。凝ったデザインに広々とした庭につくりこまれたガレージ。
わたしの家もそれなりに広くつくられているけれど、こうも立派な家が乱立しているとなかなか壮観だ。
既に寝静まった家々の窓から微かに漏れる常夜灯。
ジジジと濁った音を立てる街灯照明。
そして空を覆うは月明かり。
寒空に、随分遠くから響いているのであろうバイクの音が聞こえてくる。
セイバーはどこぞのご令嬢のSPかとでも思えるような警護スーツを纏っており、夜分なら目立ちはしないだろうけど、これで日の出ている時に街中を歩いていたらセイバーの美貌も相まって通り掛かる人たちは騒然とする。
(こんな夜更けでもなければ一緒に連れ立って歩くなんて目立ちすぎてできなかっただろうなあ)
横を歩くセイバーを横目にチラリと窺うと
「ん?どうかしたかな」
「あ、いや。なんでも、ないです」
やはり歴戦の勇者は細かな視線にも敏感なのかすぐに気づかれてしまって大変恥ずかしい思いをした。
それでふいに道路脇に目を逸らしたところ掲示板が目に入ってきた。
こんな高級住宅街にも町内会という制度はしっかりと働いているようで、アルミフレームにガラスの開閉扉。内側にはいくつもイベントごとのチラシが画鋲でクリップされていた。
『XX教会 礼拝案内』
『この坂を上ってまっすぐ200メートル』
『日曜午前9時30分から』
と書かれた紙もクリップされていた。
(朝から礼拝であの神父が聖書を読み上げてくれるのかな?)
想像しがたい絵面だった。
「ふむ。礼拝か。私も修道士たちを遠巻きに見たことがあったが呪文のようだったな」
「セイバーはキリスト教徒だったの?」
「敬虔なって形容がつくほどではなかったけれどね。けれど盾には聖母の装飾を施したり、ゲン担ぎには使わせてもらったよ。今風に言えばミーハーというやつかな。当時はね人々の支えになるものが失われた暗黒の時代だった。理解のできないラテン語ではあったけれどあの呪文のような響きのおかげで救われた人も多かったんじゃないかな。実際に何度か奇跡を目にしたこともあるよ」
魔術は等価交換を基本原則とする手前、どうやっても等価交換の際の手続きと宗教的な儀礼が密接に結びつきやすかった、と聞く。
ただ供物を用意すればいいだけではなく指示書も必要で、それが呪文。
その呪文が理解不能であればあるほど神秘としては高く、魔術の効果も高い。
となれば、理解のできない古ラテン語を巧みに操る修道士たちの姿はさぞや神秘的であっただろうし、彼らの扱う魔術の効果が奇跡つまりは魔法に近くとも不思議ではない。
「わたしもカトリックのはずなんですけど、久しく礼拝は出てないな。代わりにラジオのバチカン放送を聴いてます」
日曜の昼12時ごろになると短波放送で流れてくるノイズ混じりのミサを、なんとなくBGMのように流している。
グレゴリオ聖歌、ラテン語の音の流れ。
別に敬虔な信徒ではない。だけど教皇の写真付きベリカードはなんとなく持っている。
「人によって信仰の形、その現れ方はそれぞれだ。それにしてもラジオでミサか。時代の流れというのは驚かされるね。っと。さて、そろそろ教会が見えてきた」
薄らとした木立の上から十字架が覗いている。主の贖罪の犠牲、神の愛。
どうしてか、いまは泣いているように見えた。
何にせよ、目的地はもう目の前だ。
ステンドグラスは僅かに光を漏らしていた。例の神父がいるのだろうか。
簡単な装飾を施されたオーク材でできた両開きの扉。そのライオンのデザインのドアノッカーを叩く。
叩いた瞬間に、ゆっくりとドアが外に開き始めた。わたしは後退り背後のセイバーに身を寄せた。
ドア枠のすぐ側に男は立っていた。距離にしてわずか50センチメートル。
白髪のおかっぱ頭のやや痩せぎす。高身長から見下ろすその笑顔は、一方で能面のように漂白されてもいた。
サンクレイド・ファーン
「お待ちしておりました。こんばんは、サジョウさん」
目線を背後に立つセイバーに向けた。
「それから、セイバー、デスネ?」
「さて、それはどうかな。アーチャーかもしれないし、ライダー、キャスターかもしれない。それともバーサーカーか」
「アナタが、バーサーカー!ククク、冗長なやりとりがお好きなサーヴァントのようデス」
「何もおかしなことは言ったつもりはないけれど。狂化を切り替えられるサーヴァントがいても不思議ではない」
「セイバーの興味深い冗談はさておき」
まあ、いまはセイバーということにしておこうか。とセイバーも小言を聞こえるように漏らした。
「それでサジョウさん。アナタはなぜ深夜だというノニ、サーヴァントを召喚した足でこのような教会までワザワザ足を運んだのデショウか?」
何のためにわたしがここを訪ねてきたのか答えはわかっているというふうだった。
「いったん、入り口近くで話すのも変だし中に入れてもらってもいいですか」
「エエ、モチロン。本題はそこからで。ようこそ、XX教会へ」
赤い絨毯で祭壇まで続く身廊。トーチで怪しく炎が揺れている。
木製の長椅子が身廊挟んで対称に10列ほど並んでいる。人の気配はない。
説教台へ向かって身廊を歩いていくサンクレイド・ファーンの背中をゆっくりと追いかける。
セイバーもわたしに寄り添うような距離で着いてきてくれている。
説教台に立った神父はわたしたちを見下ろしながら語り始めた。
「キリストの教義の基本には三位一体説というものがアリ、この解釈を巡って古来より会議が開かれてきマシタ」
「ニケーア公会議とかですよね」
「エエ。アリウス派は異端とされ、アタナシウス派の掲げた三位一体説が公的な解釈となりマシタ。では父なる神、子なる神、精霊。これらがすべて一つとする考えはどこから出てきたノカ。わかりマスカ?」
「唯一神の思想とイエス信仰と齎される恩寵を一つにすることで、イエス信仰を磐石にしたかった?」
「表向きには。けれどマジックの領域と密接に結びついているのが本質デス」
「マジック?魔術じゃなくて魔法ですか」
「エエ。前提が異なりマス。最初に聖杯があったのだと」
「それはどう言う」
後ろでピクリとセイバーが反応したような気がした。
「言葉の通りデス。聖杯を用いた儀式が初めにあった。儀式を執り行う上で工夫した結果、役割を3つに分割したのデス」
「3つ。それが三位一体と繋がると?」
「父なる神とは根源のこと。子なる神とは、まあ、現代で言うならば魔術師とでも言い換えればいいデショウ。それから精霊が聖杯。聖杯に捧げる対価を喚び水とするコトデ、根源・魔術師・聖杯の3つを同一化する儀式が考案されマシタ」
でも、それじゃあおかしいのではないか。
「それだと三位一体の教義からは異端となってしまうんじゃないですか」
「その通りデス。だからこそ、コンスタンティヌス帝は異端とスルコトで規制を測ろうとシタ」
「なっ。そんなのって!」
「話を続けマショウ。既に紀元前の11世紀までには聖杯に喚び水を貯めることは容易ではなくなりマシタ。魔術王ソロモン王は偉大ダ。偉大である代わりに魔術というかたちで神秘を切り売りしてシマッタ。いとも容易く通じていたはずの根源への扉はこうして閉じてシマッタ」
神父は大袈裟な身振り手振りで残念がってみせた。
「イエスの誕生時はまだ神秘の残る時代デシタ。それでもソロモン王以前と比べるべくもナイ。だからこそ根源接続者として生まれたイエスの犠牲を血として受けた杯を用意すれば、ソロモン王以前の正しい意味での聖杯として機能するのではないか。結果としてその試みは成功シマス。イエスは再誕シタ。ただ根源と接続しているのではなく、正しく根源となって甦ったのデス。復活したイエスは教えを説きマス。神の国について。コレがまさに根源のコト。イエスとしては自らの状態を説明しただけで根源と一体化することを使徒たちに勧めたわけではナイのデスが、結果的にそうなってシマッタ。弟子の一人が教えを歪めテシマッタ。名をユダと言いマス。誰よりもイエスを求めていた男は、イエスと一体化するコトを望んだと言うのが通説デス」
聞いていてすべて繋がり始めたような錯覚を覚えていた。
「さてユダは次にこう考えマス。根源接続者の血に釣り合う対価とはどれほどのものか。新たに聖杯を用意するにはどうすればいいノカ。一時期教会では模造聖杯が乱造されマシタ。そして対価になり得るモノを探索し始めた。その中の一部が聖杯伝説として後世に伝わってイマス」
知っているストーリーが本質を覆い隠すために用意されたカバーストーリーだったということだろうか。脳は地殻変動を起こしているようにクラクラしている。
神父のしゃべりの熱量は止まることを知らない。
「……さて東京に運び込まれた模造聖杯はこの土地の霊脈から溜め込んだ魔力を対価につくりだすコンセプトデス。聖杯製造機のアーキタイプとでも思ってクダサイ。理論上は根源に至るのは可能。理論上は、ネ。ダガ、前回の聖杯儀式の勝者は儀式を完遂せずに死んだとイウ。理論は間違ってイタノカ。足りないプロセスが存在したノカ?どうですか、サジョウさん。アナタが狙われる理由は分かりましたか?」
このおよそ2000年前からのユダという男の妄執が急にわたしに向かって牙を剥いてきたようで恐ろしくなる。
すべてはそこに収斂するのか。背筋がゾクゾクとした。
サンクレイドはホラを吹いて、綾香に誤認させようとしている
捏造の歴史を語って、聖杯戦争怖いぞ〜マスター権放棄した方がいいぞ〜ってしたいだけ
セイバーは記憶にございませんしてるのでセイバー視点の前回の戦争の経過を説明することはしないし、サンクレイドの狙いには気づいていないので静観している感じ。そもそもアーサー王伝説に聖杯探索が存在するものの果たして探索していた人々の何人が正しく聖杯というものを理解できていたのか。