後悔は雪のように降り積もるけれど   作:○△□☆

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#2

 家に帰ると保健室でずいぶんと休めたはずなのに、どっと疲れてきた

 米を炊飯器にセットしてお味噌汁を作って、おかずに何を作ろうかなどと考えている間にソファーに体を委ねて眠ってしまっていた。

 気づけば、時刻は夜の9時過ぎ。

 時間を無為に過ごしてしまった。

 

「何やってるんだろ」

 

 時間は刻一刻と過ぎ去っていって、時計の針を押し止めることはできない。

 それは摂理。きっとどんな魔術でも覆しようのないものだ。

 

 例えば明日、お父さんとお姉ちゃんの命日がやってくること。

 そして、日付が変われば、夜を死の気配が満たし始めるということ。

 

 ご飯と味噌汁のみという質素な夕飯を食べ、1人きりのリビングで物思いに耽る。

 

カチカチカチカチ

 

 隣の部屋に置いてある柱時計の音が0.5秒の周期で、リビングの壁越しに減衰して響いてくる。

 2週間前に、久しぶりにゼンマイを巻いてみた。先週も巻き直した。

 1週間ごとに巻き直さなければ時を止めてしまう、というのは、今のわたしには魅力的に映った。

 ちょうど明後日には、先週巻いた分が消化される。

 

「わたしが死んだら、時計も止まる、ってね……」

 

 柱時計に自らを仮託するだなんて、なんて悲劇のヒロインだろう。

 自らを呆れつつ、実際のところ、ほとんど一般人としてこの8年間過ごしてきたのに、どうして魔術師のよくわからない儀式なんかに巻き込まれなければならないんだ、という怒りや戸惑いもある。

 

 皿などの洗い物、パジャマに着替え、最後にガーデンの様子を見に行く。鳩たちはいるものの、すでに眠っているのだろうか、不気味なほどに静かな夜。

 

 1月28日木曜日。ただいま夜の11時。

 空を見上げれば、あと数日もすれば満月になるだろう中途半端な月がぼんやりと浮かんで、わたしを冷たく見下ろしている。

 

「死ぬのはちょうど満月の下の可能性が高いって思えば、いよいよ天に見放されてるなあ」

 

 物語の主人公ならば、悲劇さえも相応しい天気模様を用意してくれそうなものだけど、生憎わたしは悲劇のヒロインぶっているだけで主人公ではなかった。

 死に目に満月でも目に入ったらいよいよ狂ってしまう気がした。

 

 ガーデンの戸締りを確認し終えたら、リビングを通って柱時計の音を耳に落とし込みつつ、2階の自室に戻った。

 

 明日は夕方に一時的に雨が降るみたいで、学校には傘を持っていかなければいけない。霊園に行くにしても、その前に花を用意して、着いたら着いたでお墓のお掃除もしないといけない。

 

 ……鳩も全羽逃してあげた方がいいんだろうな。鳥籠の中で誰も飼育してくれないんじゃ、ただの牢獄だ。

 

「やること、案外いっぱいだ」

 

 死ぬっていったってただ死んで終わりというわけにもいかない。多方面に迷惑をかけないようにそれなりに片付けて、人目につかないようひっそりと、猫のように死ぬのが良い。

 

 何度か深呼吸を繰り返してみると、自分でも驚くくらい安らかで、気づけば朝の陽光に眉を顰めながら、重い体をなんとか起こした。

 

 鳥籠から鳩を出して、ガーデンに解放する。

 あとは夜にでもガーデン自体を開け放てば、勝手に鳩たちも出て行ってくれるだろう。

 

 昨晩は月がよく見えたのだけど、朝の上空はどんより曇り空。夕方の雨をどう凌げばいいか思案しながら、台所で卵焼きをつくって、ウィンナーを焼いて、極めて簡単な朝ごはんを食べた。

 

 ゴーンゴーンと柱時計が部屋を響かせた。時刻は8時ちょうど。

 

 コップ一杯の牛乳を飲み、歯を磨き、お財布の中のお金を確認。

 冬服ブレザーの上から、コートとマフラー。それから手袋を嵌めて完全防寒スタイルを決め込む。

 

 家を出た。

 晴れ間がやや見えていて、じんわりと温かい。

 

 ほうっと吐息をこぼせば白く湯気立つように白い呼気が上っていく。

 

「学校、学校。学校、かぁ」

 

 クラスの人々。

 担任の先生。

 各教科の先生たち。

 それから、昨日知り合った保健室の先生。

 

 特に未練はない。我ながらひどく厭世的に生きてきたものだと苦笑したくなる。

 

 それに、意味深な発言をして、死の兆候を匂わせるとか、そういう構ってちゃんみたいな行動をしたいわけではない。

 けど、最後にあの保健室の先生の顔を見にいくのは、アリかもしれない。

 

「そもそも今晩死ぬって前提だけど、まだ全然、巻き込まれるって決まったわけでもないし」

 

 そういう意味でも、昨日はありがとうございました。それくらいのことを伝えに行くのも、悪くない。

 

 陰気なわたしらしくない?でも、気まぐれというか。今まさに心が晴れ渡っているというか。

 火事場の馬鹿力、とは全然違うか。

 上手く言えないけど、死の間際になって自己への執着が薄れ、吹っ切れたのかもしれない。悟りの境地だ。

 

 

 通学路。

 パン屋が目印の曲がり角。そこからずーっとまっすぐ歩いて、郵便ポストのを通り過ぎて最初の信号でさらに右に曲がる。

 

 遠く、学校の正門前には、黒く細長い、洗練されたデザインのリムジンが止まっていた。

 わたしはあえて歩調を緩めて、学生たちの群れの中に身を隠す。

 

 玲瓏館美沙夜が、座席を降りた。

 

 学校の、いわゆるマドンナ。文武両道、才色兼備、公平無私。

 高校生ながら財界とも関わりがあるという規格外ぶり。

 そんな彼女のほんとうの顔が、魔術師、であることを知る人間はこの学校ではわたしくらいだろう。

 

 魔術師としてのレベルはわからない。関わったことさえないくらいだから。

 向こうもわたしのことを認識しているのか定かではない。

 ただ、玲瓏館は、沙条家と比べて名門も名門。

 

 東京。

 この日本の中心の、魔術世界における管理者。

 

 わたしのお父さんもあの人の父親と良い関係を築いていたということだった。

 

 しかし、玲瓏館も沙条と同様、先の大戦において当主を失うという危機に瀕した。

 それをまだ幼い玲瓏館美沙夜が立て直した、というのが噂伝いに聞いた、本当かどうかわからない。けれど、今のリムジンから降りてくる様子を見ていれば、その噂はおそらく。

 

 玲瓏館先輩が、正門を通過して、足早に、しかしどこか品を纏ったように昇降口へと向かっていく姿を50メートルは後方から窺いながら、わたしも登校した。

 

 傘立てには、何本もの傘がすでに並んでいた。その中でも端っこの方に突き刺した。

 

 授業が開始する。

 

 1限、2限、3限、4限。

 お昼休み。

 5限の現国は先生欠席のため自習、6限。

 

 平和な1日だった。

 

 さて、と。

 帰りのホームルームを終えて、カバンの中の教科書類を、もう持っていっても仕方ないでしょと、すべて自分用のロッカーにしまい込んだ。

 最後に、忘れ物はないか。やり残したことはもう学校には残っていないか。入念に確認をしていると。

 

「ねぇ沙条さん」

「……。なんですか」

「日直、代わりにやっておいてくれない?ちょっと今から忙しくてぇ」

 

 佐伯さん、という名前だっただろうか。

 彼女を待つ、教室出入り口に立つ、数人の学生たち。

 

「早く早く!」

 

 佐伯さんを呼びかける声。これからどこかに遊びにいくのだろう。

 しかし、申し訳ないけど断らなければいけない。こっちにも用事ってものがある。

 

「ごめんなさい。わたし、今日やることがあって」

「やることって。誰かと放課後に遊んだりするわけでもない沙条さんが、用事があるわけないでしょう?」

 

 カチンときた。

 友達がいないのは、まあ、自分の責任だとして、それを理由に日直の仕事を変わってもらおうだなんて。しかもたかが数分で終わるのに。

 

「手伝うってだけなら、別にいいですよ」

「やったぁ。それじゃあ後はよろしく」

「手伝うのなら、です。全部任せっきりじゃ、そんなのおかしいじゃないですか。わたしだって、やることがあるのに」

「何よ」

「お墓参りです」

「はぁ?そんなのいつでも」

「父と姉の、命日なので」

 

 凍りつく佐伯さんの表情。

 

「じゃあ、一緒に日直の仕事、やりましょうか」

「……ごめん」

「……。わたしも、その。キツく言い過ぎた、かな。ごめんなさい」

「自分でやるから、いいよ。沙条さんは帰って」

「じゃあ、そうする」

 

 教室を出ようとすると、結局遊びに行く約束をしていたのだろうお友達たちが日直のお手伝いをしていて、最初からそうすればよかったんじゃないの、わたしなんかに声を掛けずに、ってちょっと思ったりもしたけれど、過ぎたことだ。

 

 昇降口は人でごった返していた。

 

「うわ。傘今日持ってくるの忘れちゃったよ!」

 

 男子の低い声が響く。天気予報を見ないからだ。

 さて、わたしは。と思いながら、傘立ての自分の傘を探す。何度も探す。

 

「あれ、ないな。なんで?」

 

 軌跡さえ目に映るような土砂降り模様。真冬の雨はやはり凍えるほどに寒いもので、雨に降られながら墓参りだの下校だのをしていたら、明日には高熱で倒れているだろう。

 

「ま、体調なんてどうでも良いことになってるかもしれないけど、ね」

 

 覚悟を決めるか。

 学校のカバンを頭に上にセットして、いざ戦場のごとく降り注ぐ空の下をいざ行かん。

 昇降口を出て、校庭を突っ切ろうとした。

 

「あら、沙条さん。昨日はそれから、体調はどうだった?」

「……保健室の、先生?」

 

 青い髪をした、保健室の先生だ。

 

「傘はどうしたの?いま出て行こうとしてたけど。風邪ひいちゃうわよ」

「まぁ、ちょっと。傘がなくなってたので、しょうがなく」

「しょうがなく、カバンを盾にして雨の中を走ってこうとしたってわけ?バカっぽい男子生徒なら案外だいじょうぶかもしれないけど、昨日の今日じゃ、沙条さんはちょっと大変なんじゃないかしら」

 

 頬に手を当てて、困った子を見るような目で、少しため息をつく先生だった。

 

「そうは言うものの……。友達もいないので入れてもらうのもできないですし」

「そんな悲しいことを言わないの。あ、そうだ。ちょっと保健室寄って行かない?今日って月末のノー部活デイでしょ?保健室の先生も、今日は店じまいなのよね。ココア入れてあげる」

「ありがとうございます。……でも今日はちょっと」

「?」

「お墓参りに行かないとで、お花屋さんとか、隣町まで行ったりとか、色々と」

「なおさら傘なしで飛び出しちゃダメじゃないの!……そういえば、なんでかみんなやらないんだけど、職員室に貸し出し用の傘が何本か余ってたと思うわよ。それ、借りてきたらいいんじゃないかしら?」

「わっ。本当ですか?助かります」

「どういたしまして」

 

 それから先生は、うーんと少し悩んだ素ぶりを見せた後に、

 

「もう帰るんだけどね、車、乗ってく?」

「えっ。そんなの悪いですよ」

「いいのいいの。他人の善意ってやつは受け取っておかないと」

「でも」

「わたし、もっと沙条さんとお話ししたいな」

 

 距離の詰めかたが、すごい。

 それをイヤだとも思わないのだから、自分でも不思議だ。

 心の奥底まで覗き込んでくるくらい、先生はわたしの目を見つめて、わたしも離すことができなかった。

 

 隙ありとばかりにさらっと手を取られて、先生は学校の裏口から教員用駐車場へ出て、あれよあれよと車の中の、助手席に押し込められてしまった。

 

「沙条さんみたいな子はね。押せ押せで行った方が、結構付き合ってくれるのよね〜」

「なんですか、それ」

「わたしそっくりってこと」

「……そんなふうには、見えないですけど」

 

 車が発進した。

 

「花屋って、どこがいいとかってある?」

「最初は駅前の雑居ビル1階のお花屋さんで買ってから、電車で隣町って考えてました」

「いつもそこ?」

「まちまちです」

「うーん。きっと霊園前ならお花屋さんもあるわよね。楽観的すぎる?」

「お花屋さんはあるんですけど、駅から行くと霊園の向こう側にあるので遠くなっちゃうんです」

「つまり、車なら問題なしってことね」

「そういうことです」

 

 出た頃は土砂降りくらいで、ワイパーも激しく回転し続けていたけれど、今はだいぶゆっくりとした周期に落ち着いた。

 

「先生はパートナーがいるって昨日は言ってましたけど。どんな人なんですか?」

「それ、聞いちゃう?……わぁ、恥ずかしいわね。ぼかして話そうかしら」

「はい」

「興味津々って感じね。ま、沙条さんが楽しそうならいいかな」

 

 どこからどう話したものかしらと1、2分くらい先生は唸っていると、それからゆっくりと口を開けた。

 

「わたしもできた人間じゃないから、間違えを繰り返してきたのよね。自己嫌悪。でもそういう生き方が染み付いちゃってるのかしら。どれだけ自分のことが嫌いになっても、どんどん、日を追うごとに嫌いになり続けることしかできない。結局、あーもう。わたしも死ぬかなーって諦めたとき。あの日も今日くらいの雨だったかしら。人目につかないところでぽつんと佇んでたら、その人がね。ぬっとわたしの横に現れて」

「ぬっと、ですか」

「そう。ぬっと現れたの。いつの間にって普通驚くじゃない。でもわたしもそれどころじゃないから。客観的に見れば不気味な人だったから、もしかするとこの人にここで殺されるのかもしれない。それでもいいかって思ってたら、そこから色々ね。あったのよ。ドラマが」

「ドラマですか。そこから先が気になります」

「ここからは秘密。でも、まあ、いっぱい大切なものをもらったのよ。それこそ、この人の隣にいられるのなら、もう世界を裏切ったっていい!っていうくらい情熱的にね」

 

 情熱的、という割にはどこか先生は落ち着いた話しぶりだった。

 

「それくらい、誰かのことを想うことができるって、羨ましいなって思いますけどね」

「ふふ。ありがと。でもね、いつか思うの。結局、嫌いな自分がここにもいるって。好きな人のためなら、誰かを犠牲にしてもいい?そんなことあるわけない。でも。正直、今もね、あの人のために全人類消せって言われればわたしは、消すと思う。……大人って、案外大人じゃないのよ。沙条さんも覚えときなさい」

「先生は。会って1日で何がわかるって話ですけど、でも、とってもいい人だと思います。こんなわたしでもわかるんですから、相当いい人ですよ」

「ふふ、なにそれ。慰めてくれてる?ありがと」

 

 花屋に着く頃にはすでに雨は上がっていた。

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