後悔は雪のように降り積もるけれど   作:○△□☆

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#8 玲瓏館美沙夜

「で。あなたは結局、相手のサーヴァントを推量できる手掛かりさえ得られず、のこのこと帰ってきたってわけね」

「いや、そいつはおかしいぜ。オレはまだやれた。退却令を出したのはオマエだろうがよ」

「まぁ。マスターに向かってその言い草は何かしら。せっかくアナタの不利に心を痛んで、退却時も読めない戦闘狂に指示を出してあげたというのに」

 

 クスクスと、女は笑った。

 

「予想外の事態が3つ続いたときにはね退却をさせると決めているの。混沌とした場に身を置き続けるのは得策ではないと判断した結果よ。分を弁えなさい」

 

 美沙夜はああは言うがランサーは不利を背負ってなお、セイバーに勝ち切れるとは思わなかったが負けるとも思っていなかった。

 戦場において突発的なアクシデントは日常茶飯事。武器がないなら転がっている枝で眼球を潰せばいい。それさえなければ徒手空拳でやりあえる。

 それほどの自負を抱えたランサーでさえ内心、撤退を命じてくれて助かったという側面を否定はしない。

 最悪、美沙夜が令呪を切る場合にもなり得た展開だった。

 

「残り1騎のサーヴァントを得体の知れないヤツに召喚されるよりは、所在の割れてるひよっこ魔術師に召喚された方が対策の立てようがあるもの。それに沙条。あそこは代々黒魔術を専門とした家系だから、ある程度魔術の系統も読める」

 

 ランサーに対しての皮肉を忘れないながら、しっかりと今後の戦争への対策も立てるという抜け目のなさはやはり優秀な魔術師だと、ランサーは思う。

 

「しかし、向こうの嬢ちゃんはてんで魔術の修行もしていないお花畑だっていうからオレも精々楽しめるようにって立ち回ってたのによ。投入した使い魔の猟犬、全滅じゃねえか」

「それはアナタの責任でもあるでしょう。わたくし、相手の力量の想定は伝えたけれど、遊んでいいとは一言も言っていなくてよ?」

「へいへい。悪ぅございましたよ」

「というか、沙条は独力で猟犬を殲滅したわけではないのでしょう?」

 

 深夜2時。

 沙条邸の襲撃を終えたランサーが、玲瓏館邸に帰ってきてから30分程が経過していた。

 美沙夜は豪奢でしかし品の良いデザインの浴槽に浸かりながら、重苦しい溜め息の表情でランサーを咎めていた。

 責める声色にどことなく喜悦が混じっているのは気のせいではないだろう。

 

「で、どう思う。キャスターの件について。あの嬢ちゃん、ひよっこどころじゃねえかもしれないぜ」

「……。わたしが気になるのはキャスターが沙条に加勢していた可能性の方だけれどね。何らかの契約を交わしていて、途中で決裂があったと見ているわ」

「それは違いねえとは思うが」

 

 浴室からは水の跳ね、揺れる音が響いていた。シャワーの流れる音がし始めた。

 擦りガラス越しに、スタイルの良いシルエットが暖色の照明の中に黒く揺れていた。

 ザーという音がしばらく続いたのちに、

 

「アナタが見たっていう沙条とキャスターの交戦の現場だって、敢えてキャスターが退いただけの可能性だってあるじゃない。身を守ってもらう契約が破談となった。だけど今回だけは見逃してもらう契約をその場で結んだ。ストーリーとしては十分に成り立つわ」

「まぁ、な」

 

 確かにストーリーは成り立つのだ。

 キャスターが退く間際に、沙条の娘から何かを受け取っていたのをランサーは撤退の傍らで確認していた。

 神代の神秘を包含した装飾物の類いであった。

 ランサーの魔術師としてのキャリアをもって評価するならば、取引を交わし見逃してやるのに十分すぎる代物と判断するだろう。

 

 美沙夜は沙条の娘をまるで評価していない。だから、今のような解釈に落ち着いてしまう。

 きっと、客観的な説明だけを聞かされただけであればランサーもそう考えただろう。

 

 しかし直接あの場面を目にしたランサーには違和感があった。気のせいか、キャスターが引き攣った表情をした気がした。それが引っ掛かる。

 キャスターに渡したという装飾品がキャスターを引き攣らせるほど交渉材料としての価値高いものだったとすれば美沙夜の解釈と矛盾はしないが。

 

 だからランサーは今にも説き伏せられようとしている。否定する材料がないからだ。

 そも、キャスターとして召喚された魔術師を、どうして現代のひよっこ魔術師が圧倒できようか。

 

 ランサーの抱く疑念には正当性も合理性も、カケラもなかった。

 

「で、今のところ得られた情報は、沙条綾香は指輪の形をした礼装を主に使用しており、うちの使い魔を屠る程度なら容易であること。一方で戦い慣れした振る舞いはしない。召喚したサーヴァントは」

「言った通り。宝具を隠す手段を持っているようだった。剣だろうな。あれだけ打ち合ってれば間合いくらいはもう読めたよ」

「初見殺しに逸話のあるサーヴァント?……それとも宝具を見られただけで看破されかねないほど有名なサーヴァントか。この二択ってところかしらね?」

 

 意味あり気なこちらを窺うような声のトーンには、クー・フーリンも宝具使用で即看破の同類であるという揶揄いのニュアンスが混じっていた。

 

「で、もう一度マスターだけに目を向けるのならば、何らかの手段でキャスターからの加勢を取り付けることができ、契約が解消された後でもキャスターと取引をして退かせられる価値を持つ礼装も持っていた。その礼装の効果は不明」

「ああ、そうだな」

「当初の想定よりは手強いということだけは確かね。しかし、向こうは一族の魔術を十分に継承できていないことは確か。うちのかわいい使い魔を屠ったご自慢の礼装だって、あの娘の作製物ではないでしょうね。だからこそチグハグな振る舞いを見せる」

「獰猛な、の間違いだろ。あの使い魔は。……だが、まぁ、他のところについては同意見だ」

「なによ。同意見っていう割には不満そうじゃなくて?」

「んなことは、ねえよ」

「そ」

 

 美沙夜のいまの話はこれ以上ないくらいには完璧な推論だ。

 しかし見逃している何かが存在するはずだった。

 

「アナタがそこまで言うのなら隠し球があるのでしょうね。わかったわ、多少は警戒しておくから」

 

 もちろん、どの勢力にも警戒は向けるものだ。いつ強襲が行われるのかわからないのだから。

 ただ、少なくとも警戒に割く割合を、想定以上に沙条にあてることにしたというだけの話だ。

 

「警戒するっていうのなら、もう急拵えの槍じゃあ我慢ならねえよ。早くオレの宝具を解放してくれ」

「それはダメよ、ランサー」

 

 浴室の戸が開いた。蠱惑的な美を纏った裸体だった。うなじには六枚羽の令呪が刻まれていた。

 

「あなたがあの宝具を手にするのは、場が完全に動き切ってからよ。いまだに姿をくらませたままの第一位を見つけるまではね」

「そうかよ」

 

 不貞腐れたような声を吐き、ランサーは霊体化して場に溶けた。

 

 滴る水。張り付いた髪の毛の一束。

 美沙夜はタオルで水気を拭き取りながら、自己矛盾を噛み締めた。

 

 

 

 

 霊体化したランサーは不貞腐れつつ、いまは屋根の上に姿を現し周囲を見渡していた。

 

「感情と理性とがいい意味で釣り合っているから、大胆すぎる臆病な一手を打つのかもしれねぇな」

 

 召喚されてより数日、退屈な現世だとこの地を眺めていたが、いまはどうだろう。

 一夜にして深夜の風は、神代のアルスターの平原を覆っていた夜に似た死臭が混じったものへと変貌を遂げた。

 

 ランサー。真名をクー・フーリンと言う。

 宝具の名をゲイ・ボルク。心臓の槍が命中したという結果をつくってから槍を投擲するという因果逆転のワザ。

 クー・フーリンという英霊を象徴する宝具であり、それ即ち、使用すればすぐに名は知れ渡るということでもある。

 

 加えて沙条邸にはルーン文字を使った索敵魔術の痕跡を残している。

 沙条綾香とキャスターとが通過してきた順路として、どこを通ったとしてもルーンの索敵に引っ掛かったはず。

 それが未検出だったというのなら、おそらくはキャスターによって魔術を看破されているということ。

 ランサーが北欧・古ブリテン付近出身の英雄であるということは明らかになっていることだろう。

 

 北欧神話、ケルト神話を紐解けば、メイン武器ではないもののクー・フーリンの槍捌きにも見劣りしない槍使いの名手として名を上げられるのは、オーディン、フレイ。それから、ルー、ディルムッド、ケルトハル、フェルグス、フェルディア、ドゥフタフ、そしてクー・フーリン。

 

 すでにおよそ10人の候補の中には入る。

 

 仮に自身の宝具を振り回せば真名バレは確実だろう。

 それをランサーひいては玲瓏館陣営の油断・慢心というべきか、相手戦力が思いの外高かったが故の想定外というべきか。

 

 その答えはさておき、

 ランサーは不満たらたらだった。

 

「理屈じゃねえんだよなあ」

 

 セイバーとの手合わせでは歯痒かった。なぜオレは全力で立ち合えないのか。

 

 手のひらから伸びる五指をピンと張り巡らせるように開き、それからギュッと拳を握りしめた。

 フツフツと沸き上がる闘志を、闇夜にぼうっと浮かぶ月夜にぶつける。

 

 キィっと、ベランダの扉の開く音がした。ベランダの柵にもたれ掛かるようにして屋根の上のランサーを見上げた。

 

「さぞや不満でしょうね」

「分かってんなら返してもらいてぇもんだがね」

「ふふ、それは無理よ。偉大なるアイルランドの神子。いにしえより連綿と継承されてきた物語の主人公。アナタがどれほど人類史において偉大であろうと関係ないわ。この戦争はね計略・謀殺。搦手でいくらでも番狂せは可能よ。能天気な沙条は置いておくにせよ、侮って切り抜けられるほど甘くはない」

 

 ならばよりいっそうサーヴァントの宝具を封印するなどという愚行を犯そうというのか。

 

「そんなにサーヴァントに信用がないかねえ」

「そうよ。偉大なる英雄とはいえ、所詮は人。凡俗な大願を聖杯にかけるというのであれば、そこをつかれて他陣営へ寝返る可能性だってあるじゃない?わたしはね、わたししか信じないのよ」

 

 宝具を封印することでようやくランサーと対等。ここまでやってようやく、無防備な裸をランサーに晒すこともできるし、夜に睡眠を摂ることだってできる。

 

 ではいつまでこの縛りは続くのか。

 序盤は情報収集に努めて、いくつかの陣営が敗退し、ある程度この戦争に勝算があることをランサーと見解を一致させられたときにようやく宝具は解放されるだろう。

 

「オレは戦わせてくれさえすりゃあ満足なんだがな」

「一般的な感性とは言い難いわよね、まったく」

 

 美沙夜も既に、この縛りに意味がないことに気づいていた。効果がないとは言わないが、リスクとリターンが釣り合っていないように見える。

 

「ま、そうね。そういうアナタだからこそ、わたしは安心してアナタの宝具を封印しておけるのね」

 

 ランサーが目をぱちくりとさせた。

 

「じゃあね。おやすみなさい」

 

 美沙夜はベランダから室内へと戻っていった。少し恥ずかしそうにも見えたのは自分らしくない発言の自覚があったか、単に見るものの勘違いか。

 

 ランサーは戦闘巧者でもあるし、矢避けの加護を持ち、継戦能力について言えば此度の戦争に参加するサーヴァントの中でも群を抜いている。それは宝具には依存しない、クー・フーリンという英雄の在り方だった。

 だからこそ、己のみをあてにして生きてきた美沙夜とて、英雄クー・フーリンのことを頼もしく思っているし、信頼しているのだ。

 

 そして必要とあれば、ランサーのことを信頼しているという感情を、伝わりにくくもしかし確かに伝わるよう打算的に小出しにだってできる。

 その巧者振りは、やはり玲瓏館美沙夜の成せる技なのだった。

 

『ランサー、わたしはね。タイムリミットまでにこの聖杯戦争に勝てなければ死ぬわ』

 

『アナタの宝具を封印する』

 

『解除の条件は二つ』

 

『一つは誰かからの干渉や洗脳等に依らずわたし自身の意志で解除を行った場合』

 

『もう一つは、わたしがタイムリミットを迎え屍人と化したとき』

 

「そうなったとき、アナタがわたしにトドメを刺すの、か」

 

 勝たせてやりたいと、ランサーは思う。

 憐れみや同情だけが理由ではない。

 

『わたしはこの都市のセカンドオーナー。無辜の人々を守り抜く義務がある。だからこそ、わたしは勝つし、負けるのであればわたし自身を処理しなければいけない』

 

 当然のように重たい責務を背負った少女の表情に気負いはなかった。

 強くあることを課せられ、そうでないなら身を滅ぼせとでも言わんばかりの亡き父親からの薫陶に絶望するでもなく、美沙夜はそれを糧にした。

 いや、装飾品を身を飾るようにして、強者としての立ち振る舞いを磨き続けてきた。

 

 たかが数日の期間においてなお、神代の酸いも甘いも噛み分けてきたランサーにとっても、その姿は美しく映った。

 

 一言で言えば、気に入ったのだ。

 

 だから、この聖杯戦争におけるランサーの「戦いたがり」とでも言うべきモチベーションが、単なる戦闘狂いである。

 というだけではないことは、言うまでもない。

 

 ただ勝つだけでは許されない。

 タイムリミットの決められた戦い。悠長に構えている余裕などあってはならない。

 

 ランサーは既に、キャスター、セイバー。それからライダーとバーサーカーと接敵している。

 表向きは今日からが儀式の始まりだが、水面下での小競り合いはこの1週間密かに続いているのだ。

 

 負けてやる気はしないが、どいつもこいつも底の見えない、もとい底を見せない曲者ども。生前はひとたび槍を交えれば相手のすべてがわかると豪語したランサーも、さすがに耄碌したかと冗談混じりに肩を揺らす。

 当然、まだ見ぬアーチャー、アサシンも一筋縄ではいかないだろう。

 

 名だたる英雄たちを今日より3週間のうちに打ち滅ぼさなければマスターの命はない。

 

「上等だ。全員ぶっ潰してやるよ、単純なことだ」

 

 いかに複雑なプロセスが世界を雁字搦めにしたとして、普遍的な真理が一つ横たわっているとするのならば、それは、他者を降し続ける先に己が立っているということだ。

 気に入らない法則やルールが毒を撒いていても関係のないこと。

 

 

 ランサーは目を見開いた。

 いま、魔力の瞬間的な起こりと衝突が発生したのを夜の向こうに感じた。

 

 無秩序な力の奔流は、数日前に接敵したバーサーカーのそれを思い出した。

 あの膂力。ゲイ・ボルクではない急造の槍では、いかな武芸を持ってしても振り下ろされる斧の勢いを止めきれず、手持ちの槍を破壊されかねない相手であった。

 

 もはや槍など不要と、敢えて徒手空拳と成り果てたランサーは、バーサーカーに対して2時間もの死闘を繰り広げ、いよいよ街中への被害が隠しきれないまでになりかけたところで美沙夜からの連絡をもって退却した。

 数時間前のセイバーとの争いも然り。

 

 

 遠くで剣戟の衝撃波が脈動のように夜に花開く。

 ランサーは待ちきれず飛び出そうというのを堪えて、再び夜に溶けた。

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