50ゴールドやるから魔王を倒しに行けと言われました。   作:白豚くん

1 / 2
第1話 50ゴールド

アリアハン大陸の朝は、世界から隔絶された静寂の中に始まる。

地上の東の果てに位置するこの孤島は、遥か遠い外海から吹き寄せる波濤によって常に守られ、あるいは拒絶されてきた。

四方を果てしない蒼海に囲まれたその島国は、世界のどんな流行からも、どんな戦火からも切り離された平穏を貪っている――少なくとも、市井の人々にとっては、そのはずだった。

 

_________________________________________

 

朝の光が、小高い丘の上に築かれたアリアハン城下町の石畳を白く染めていく。

細い路地の奥に佇む、古びてはいるが手入れの行き届いた一軒の民家。

その2階の窓から差し込む陽光が、ベッドに横たわる一人の少女の瞼を揺らした。

アルス。それが彼女の名であった。

この日、彼女は16歳という人生の大きな節目となる誕生日を迎えていた。

寝返りを打った拍子に、艶やかな黒髪がシーツの上に波打つように広がる。

その容姿は可憐で美しく、しかし同時に、どこか強く気高い雰囲気を纏っていた。

切れ上がった涼やかな瞳、引き締まった唇。少女らしい可憐さを残しながらも、その佇まいには、かつてこの国で「最強の戦士」と謳われた一人の男の面影が色濃く残されていた。

戦士オルテガ。それが彼女の父親の名だ。

 

「……ん……」

 

アルスは静かに目を開け、天井を見つめた。

16歳。アリアハンの法律において、そしてこの世界の慣習において、成人として認められる年齢だ。

普通であれば、友人たちに囲まれ、家族から祝福を受け、これからの未来に胸を膨らませるはずの朝。

しかし、アルスの胸中に去来するのは、重く冷たい澱のような懸念だった。

父が、帰ってこない。

7年前、世界を闇に陥れんとする魔王バラモスの存在が発覚したとき、アリアハン国王の命を受けて単身討伐の旅に出たオルテガ。

彼はこの国の希望であり、世界の救世主となるはずだった。

だが、旅立った父からの便りは途絶え、巷では「ネクロゴンドの火山に落ちて命を落とした」という不吉な噂さえ流れている。

残された家族――アルスの母、そして年老いた祖父――は、毎日、ただ祈るような日々を過ごしていた。

 

「おめでとう、アルス。……でも、とうとう成人してしまったのね……」

 

階下から、朝食の準備をする母の微かな足音と、切ない呟きが聞こえてくるような気がした。

アルスは小さく息を吐き、ベッドから起き上がると、自室の鏡の前に立った。

黒い髪を軽く手櫛で整え、自身の姿を映し出す。

 

「お父さん……。私は、どうすればいい?」

 

鏡の中の自分は答えない。

ただ、オルテガから受け継いだ強い意志を宿した瞳だけが、じっとこちらを見返してくる。

 

________________________________________

 

その静寂を破ったのは、およそこの平和な民家には似つかわしくない、粗暴で重々しい音だった。

激しく叩かれる1階の木の扉。ゴン、ゴン、と威圧的な音が家中に響き渡る。

 

「おい! オルテガの娘、アルス! 居るのだろう!?開けろ! 王命である!」

 

傲慢な男の声が響く。

アルスは身体を硬直させた。

心臓が嫌な音を立てて脈打ち始める。

彼女は急いで部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。

 

1階の居間では、すでに母が怯えながらも扉を開けていた。

そこに立っていたのは、アリアハンの紋章が刻まれた鉄の胸当てを身に着けた、二人の兵士だった。

どちらも傲慢な笑みを浮かべ、家の中へと踏み込もうとしている。

 

「何の御用でしょうか……。オルテガはまだ戻っておりませんが……」

 

母は声を震わせながらも、兵士たちの前に立った。

その華奢な身体は、大柄な兵士たちの影に完全に隠れてしまいそうだった。

髭面の兵士が鼻で笑った。

 

「オルテガのことなどどうでもいい。用があるのはその娘だ。

今日で16歳になったはずだな? 王がお呼びだ。ただちに城へ来てもらおう」

 

「お待ちください!」

 

母が必死に兵士の腕にすがりついた。

その顔は恐怖で真っ青だったが、母親としての本能が、娘を守ろうと身体を動かしている。

 

「アルスはまだ16歳になったばかりです!

成人を迎えたばかりの、ただの女の子なのです!

なぜ城へ連れて行くのですか?

主人があのような旅に出てから、私たちは静かに暮らしてきたのです。

これ以上、私たちから何を奪おうというのですか!」

 

「うるさい! 退け、女!」

 

兵士は忌々しげに舌打ちをすると、すがりつく母の腕を乱暴に振り払った。

力の差は歴然だった。

母の身体が大きくよろめき、木製の食卓に打ち付けられそうになる。

 

「お母さん!」

 

階段を下りきったアルスが叫んだ。

彼女の身体は、思考よりも先に動いていた。

しなやかな跳躍と共に母の身体を間一髪で支え、そのまま兵士たちの前に立ちはだかる。

その黒い瞳に、激しい怒りの炎が灯っていた。

 

「私の家族に、気安く触るな」

 

地を這うような低く、冷徹な声。

16歳の少女のそれとは思えない威圧感に、一瞬、二人の兵士が気圧されたように身を引いた。

しかし、すぐに自分たちが優位にあることを思い出し、下卑た笑みを浮かべる。

 

「ほう……さすがはオルテガの娘だ。小生意気な目付きをしていやがる。

だが、我々は王の命令で動いているのだ。

逆らうというなら、この母親がどうなっても知らんぞ?」

 

兵士の手が、腰の長剣の柄にかけられる。金属の擦れる嫌な音が響いた。

アルスは奥歯を噛み締めた。

ここで暴れれば、確かにこの兵士たちを叩きのめすことはできるかもしれない。

しかし、それは国家への反逆を意味する。

残された母や祖父が、アリアハンで生きていけなくなるのは火を見るより明らかだった。

 

「分かった」

 

アルスは母を背中にかばいながら、真っ直ぐに兵士を見据えた。

 

「城へ行く。だから、家族には手を出すな」

 

「ふん、最初からそう言えばいいのだ。来い、小娘」

 

兵士たちは満足げに向きを変え、歩き出した。

アルスは振り返り、涙を流して自分を見つめる母の肩を優しく抱いた。

 

「大丈夫だよ、お母さん。すぐ帰ってくるから。おじいちゃんを頼むね」

 

「アルス……ああ、アルス……! 行かないで、行かないで頂戴……!」

 

母の悲痛な叫びを背に受けながら、アルスは一歩、不条理なる運命が待つ世界へと足を踏み出していった。

 

________________________________________

 

アリアハン城の謁見の間は、高い天井から差し込む光によって一見すると厳かに見えたが、その空気はひどく冷え切っていた。

大理石の床にアルスの足音が虚しく響く。

玉座に鎮座するのは、アリアハンを統べる国王。

立派な髭を蓄え、豪華な毛皮の衣を纏っているが、その瞳には世界を憂う王の心ではなく、ただ保身と権威に固執する老人の猜疑心が宿っていた。

アルスは謁見の間の中心で、片膝を突いて頭を垂れる。

 

「オルテガの娘、アルス。参上いたしました」

 

抑揚のない、しかし確固たる意志を持った声が響く。

王は玉座の上で尊大に頬杖を突き、彼女を見下ろす。

 

「うむ。面を上げよ、アルス」

 

言われるままにアルスが顔を上げると、王は満足げに頷いた。

 

「今日で16歳になったそうだな。

オルテガが旅立ってから久しいが、お前も随分と逞しく、また美しく育ったようだ。

その眼光、まさしくかつて我が国最強と謳われた戦士の血を引く者に相応しい」

 

「お褒めに預かり光栄に存じます。して、本日の召喚の理由をお聞かせ願いたく存じます」

 

アルスが淡々と本題を切り出すと、王の表情から社交辞令の笑みが消えた。

 

「単刀直入に言おう。アルスよ、お前に命じる。

行方不明となった父オルテガの意志を継ぎ、世界を破滅へと導かんとする魔王バラモスを討伐せよ」

 

その言葉が謁見の間に響き渡るが、左右に並ぶ大臣や近衛兵たちは、まるですべてを事前に知っていたかのように、冷淡な無表情を崩さない。

 

「……魔王、バラモス、ですか」

 

アルスは言葉を噛み締めた。予想していたとはいえ、あまりにも身勝手な命令だった。

父を死地へと追いやり、今度はその娘を都合よく身代わりとして差し出そうというのだ。

 

「王よ、失礼ながら申し上げます。

私は本日成人したばかりの、剣の修行こそ積んできたとはいえ、実戦の経験もない一介の娘に過ぎません。

父のような偉大な戦士とは違います。なぜ、私なのですか?

この城には、訓練を積んだ優秀な兵や騎士が数多くいるはずですが」

 

王の傍らに立つ肥満体の大臣が、不快そうに一歩前に出た。

 

「無礼者! 王の御前であるぞ! 魔王バラモスの軍勢は日増しに勢力を拡大している。

我がアリアハンの精鋭は、この地を守るためにも軽々しく動かすわけにはいかないのだ。

オルテガの血を引く者がその程度のことも分からぬとは!」

 

王は手で大臣を制し、冷たい声を重ねた。

 

「お前の言い分も分からぬではない。だがな、アルス。

お前の父オルテガは、我が国から多大な支援を受けて旅立ったのだ。

その結果がこれだ。行方不明、あるいは死亡。アリアハンの民は不安に怯えている。

オルテガの娘がその不始末を正し、国の為に命を賭すのは、当然というものであろう?」

 

不始末。王の口から出たその言葉に、アルスの胸の奥で何かが激しく弾けた。

父は、この国のために、この身勝手な王のために命を賭けて旅立ち、戦ったのに。

それを不名誉と切り捨てるか。

激しい憤りを抑え込み、アルスは拳を固く握りしめた。

 

「分かりました……。王の御命令とあらば。必ずバラモス討伐を成し遂げしょう」

 

「おお、そうか! さすがはオルテガの娘だ!」

 

王はわざとらしい歓声をあげた。

 

「では、これが余からの餞別である。受け取るが良い」

 

アルスに、王から小さな革袋が投げ出された。大理石の床を転がり、アルスの膝元で止まる。

アルスがその袋を拾い上げ、中身を確認すると――入っていたのは、わずかなゴールドだけだった。

 

「……これは?」

 

「50ゴールドだ。旅の支度金としては十分であろう。

ルイーダの酒場へ行き、仲間を募るが良い」

 

アルスは呆然と硬貨を見つめた後、乾いた笑いが込み上げてくるのを必死に堪えた。

50ゴールド。これで何が買えるというのだ。

まともな武器はおろか、粗末な薬草をいくつか買えば消えてしまうようなはした金だ。

これで世界を滅ぼす魔王を倒しに行けというのか。

アルスは立ち上がり、真っ直ぐに王の瞳を射抜いた。

その強い眼光に、王は一瞬、気圧されたように身を引く。

 

「王よ。50ゴールドでは、こん棒と、布の服を買うのが関の山です。

このような装備では、アリアハンの外に出ることすら叶わず、魔物の餌食になるだけです。

真に私にバラモスを倒せとお命じになるのであれば、相応の準備をさせてください」

 

「何だと?」

 

王の眉が不機嫌そうに跳ね上がった。アルスは一歩、玉座へと近づく。

 

「この城の国庫には、国宝の『バスタードソード』があると聞き及んでおります。

せめて、あの剣を私に、アリアハンの未来のために使わせてはいただけないでしょうか。あれがあれば、私は魔王の軍勢とも互角に――」

 

「黙れッ!」

 

王の怒号が謁見の間を震わせた。

先ほどまでの、どこか取り繕ったような態度は完全に消え去り、王の顔は醜い権力者のそれへと変貌していた。

 

「強欲な小娘めが! 我が慈悲である50ゴールドを侮辱し、さらに城の至宝を要求するとは何事か!

バスタードソードは我が国の宝剣であり、お前のような未熟な娘に与えるようなものではない!」

 

「しかし、これでは自殺行為です!」

 

「自殺行為だと? なら勝手に死ぬが良い!」

 

王は冷酷に言い放ち、ふんと鼻を鳴らした。

 

「アルスよ、勘違いするな。お前に拒否権などないのだ。

もし、この命令を拒み、旅立とうとしないのであれば……そうだな、お前たちの家を取り上げ、お前の母親と、あの先短い老いぼれの祖父を、このアリアハン大陸から叩き出す。

身一つで、魔物の徘徊する外海へ追放してやろう」

 

「……っ!」

 

アルスの息が止まった。

脅迫。一国の王が、16歳の少女に対して行う最低最悪の脅迫だった。

アリアハンの外海は、まともな船も持たない者が放り出されれば数日で命を落とす危険地帯だ。母と祖父を人質に取られたも同然だった。

左右の近衛兵たちが、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべてアルスを見ている。

この国は、すでに腐り切っているのだ。

父が命を賭けて守ろうとしたアリアハンの上層部は、これほどまでに醜悪だった。

 

「どうした? 返事は?」

 

王が冷たく問いかける。

アルスは口の中が血の味で満たされるのを感じた。

悔しさのあまり、唇を噛み切りそうになっていた。

拳を握る爪が手のひらに食い込み、鋭い痛みを訴える。

だが、今の自分には、この不条理を受け入れる以外の選択肢は存在しなかった。

 

「……承知、いたしました」

 

絞り出すような声だった。

 

「ただちに、旅立ちます」

 

「うむ。分かれば良い。魔王バラモスを倒すまで、アリアハンに戻る必要は無い。行け」

 

王は面倒そうに手を振った。

 

アルスは踵を返し、一歩一歩、大理石の床を踏み締めながら謁見の間を後にした。

背後から、王や大臣たちの低い笑い声が聞こえてきたが、彼女は一度も振り返らなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。