50ゴールドやるから魔王を倒しに行けと言われました。 作:白豚くん
城を出たアルスの足取りは重かった。
手の中にある50ゴールドの革袋が、まるで呪いのアイテムであるかのように重く感じられる。
城下町の活気ある声が、今の彼女には酷く遠い世界の出来事のように思えた。
「こんなの、世界を救う勇者じゃない……。これじゃ、ただの人質だ」
ぽつりと呟いた言葉は、風に消えていった。
我が家の扉を開けると、そこには心配そうに帰りを待っていた母と、杖を突いて立っている祖父の姿があった。
母はアルスの姿を見るなり、駆け寄ってその身体を強く抱きしめた。
「アルス! ああ、無事だったのね……! 王様は何とおっしゃったの?」
アルスは母の温もりを感じながら、胸が締め付けられるような思いだった。
本当のことは言えない。
「断ればお母さんたちを追放すると言われた」などと、どうして言えるだろうか。
「お母さん……。私、旅に出ることになったよ。
お父さんの代わりに、魔王バラモスを倒すために」
「そんな……!?」
母の顔から血の気が引いていく。
「どうして……どうしてあなたが!?
あの人も戻らないのに、あなたまで私から奪おうというの!?
王様は、私たちのことを何だと思っているの!!」
泣き崩れる母の姿を、アルスはただ黙って受け止めるしかなかった。
言葉が出なかった。自分の無力さが呪わしい。
その時、ゆっくりと歩み出てきた祖父が、重い声をあげた。
「……やはり、そうなったか。あの臆病な王の考えそうなことじゃ」
「おじいちゃん……」
祖父はアルスの前に立つと、その老いた、しかし数々の戦いを潜り抜けてきた深い皺の刻まれた手で、アルスの頬を包み込んだ。
その瞳には、深い悲しみと、それ以上の覚悟が宿っていた。
「アルスよ。お前の悔しさは、儂には痛いほど分かる。
オルテガが行方不明になった時も、あの王は何もしてくれなんだ。
だがな……血は争えん。お前のその強い眼差し。
儂にはお前の中に、燃え盛るような『勇者』としての輝きが見えるのだ」
祖父はそう言うと、一本の古びた長剣と、簡素な緑色の服をアルスの前に差し出した。
「これは……」
「儂が城勤めの兵士をやっていた頃に使っていた『どうのつるぎ』と、お前のために用意しておいた『たびびとのふく』じゃ。
この、『どうのつるぎ』。今の兵士たちの武具には遠く及ばんどころか、今の時代、骨董品のようなものかもしれん。
じゃがな、アルス。これには儂の、家族を守りたいという魂が宿っておる」
アルスは、差し出された『どうのつるぎ』を握りしめた。
ずっしりとした重みが、手のひらを通じて彼女の心へと流れ込んでくる。
王から渡された50ゴールドとは比べ物にならない、本当の「価値」がそこにはあった。
「おじいちゃん……ありがとう」
「お前をこんな目に遭わせる国など、滅びてしまえと言いたいところじゃが……。
アルス、お前は生きるために戦うのじゃ。魔王を倒すためではない。お前自身が、生きて儂らの元へ帰ってくるために、その剣を振るってくれ」
祖父の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
アルスは旅人の服へと着替え、腰に銅の剣を帯びた。黒髪を一つに結び、鏡を見る。
そこには、不条理な運命に立ち向かう、一人のうら若き勇者の姿があった。
「行ってきます、お母さん、おじいちゃん。私は絶対に、帰ってくるから」
母の嗚咽と、祖父の力強い激励を背に受けながら、アルスは旅の仲間を探しにルイーダの酒場へと歩みを進めた。
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アリアハンの城下町の一角にある、大きな看板が掲げられた建物。
そこが、冒険者たちが集う「ルイーダの酒場」だ。
普段であれば、一攫千金を夢見る荒くれ者や、腕自慢の戦士たちが酒杯を交わし、喧騒に包まれている場所である。
しかし、アルスがその扉を開けて中に入った瞬間、店内の空気が一変した。
ざわざわとしていた店内の会話が、ピタリと止まる。
視線が、入口に立つ黒髪の少女――腰に銅の剣を帯びたアルスへと集中した。
彼女の背後には、城の兵士たちが監視するように張り付いている。
それを見て、この少女がどのような「事情」を抱えているか、冒険者たちには分かった。
「あなたがオルテガ様の娘、アルスちゃんね」
カウンターの奥から、豊満な肢体を揺らしながら、妖艶でありながらも母性を感じさせる女性が歩み出てきた。
この酒場の主であり、数々の冒険者を仲介してきた女性、ルイーダだ。
彼女の瞳には、アルスに対する深い同情と、城のやり方に対する怒りが滲んでいた。
「ルイーダさん。お初にお目にかかります」
アルスが礼儀正しく一礼すると、ルイーダは小さく溜息をつき、店内の冒険者たちに向き直った。彼女はカウンターを強く叩き、大声を張り上げる。
「さあ! 皆、聞いてちょうだい! ここにいるアルスちゃんは、今から魔王バラモスを討伐するための旅に出るわ!
王様の命を受けての、世界を救うための旅立ちよ!
誰か、彼女のパーティに加わって、共に世界を救う腕自慢はいないの!?
さあ! 名乗りを上げなさい!」
ルイーダの声が酒場に響き渡る。
しかし、返ってきたのは、静寂だった。
先ほどまで大口を叩いていた戦士たちは、一斉に視線を逸らし、手元の酒杯を見つめ始めた。ある者は鼻で笑い、ある者は怯えたように首を振る。
「おいおい、冗談じゃねえよ……。あの勇者オルテガでさえ死んだって噂の魔王退治だろ?」
一人の大柄な戦士が、小さな声で仲間に向かって呟いた。
「しかも、城の支援もまともにねえ、16歳の小娘を担げってか?
命がいくつあっても足りやしねえ。悪いが、俺たちは犬死にするために冒険者やってるんじゃねえんだ」
その言葉を皮切りに、酒場中に同意の囁きが広がっていく。
「そうだそうだ」
「悪いが他を当たってくれ」
「死にたい奴だけが行けばいいでしょ?」
アルスは、その冷たい言葉を、ただ無表情で受け止めていた。
分かっていたことだ。誰も、見ず知らずの、しかも国から見捨てられたような少女のために命を賭けるわけがない。
これが、人間の、世界のリアルな姿なのだ。
しかし、ルイーダは顔を真っ赤にして憤慨してくれた。
「あんたたち、それでも冒険者なの!?
情けない連中ね! オルテガ様に恩がある人だっているはずでしょう!」
「……ルイーダさん、もういいです」
アルスは静かにルイーダに伝える。
「皆さんの言う通りです。
皆さんを巻き込む筋合いはありません。私は、一人で行きます」
「そんなの無理よ!」
ルイーダはアルスの手を強く握りしめた。その手は温かく、そして震えていた。
「一人でアリアハンの外に出るなんて、自殺行為よ!
スライムやおおがらすならともかく、魔物の群れに囲まれたらひとたまりもないわ!
……分かったわ。こうなったら、私が一緒に行く!」
「えっ?」
アルスは驚いて目を見開いた。
「ルイーダさんが? でも、この店は……」
「店なんてどうとでもなるわ!
あなたみたいな若い女の子を、一人で死地に向かわせるなんて、ルイーダの酒場の名が廃るわよ!
私も冒険者だったんだから、任せておきなさい!」
本気だった。ルイーダは本気で、自分と運命を共にする覚悟を決めている。
アリアハンの大人がすべて腐っているわけではないのだと、アルスは救われるような気持ちになれた。
しかし、だからこそ。
アルスはルイーダの手を、優しく、しかし断固とした思いで振り払った。
「ありがとう、ルイーダさん。その気持ちだけで、私はこれから戦っていけます。
でも、ダメです。ルイーダさんがいなくなったら、アリアハンの冒険者たちは路頭に迷う。それに……これは私の、我が家の問題なんです。
私は一人でも大丈夫。お父さんの血が流れているから」
「アルスちゃん……」
アルスは無理に笑顔を作ると、ルイーダに背を向けた。
「お世話になりました。行ってきます」
「待ちなさい、アルスちゃん! アルス――!」
ルイーダの制止の声を振り切り、アルスは酒場の扉を押し開けて、外の冷たい空気の中へと飛び出した。
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アリアハンの城下町の西端。
そこには、外の世界へと繋がる石造りの門がそびえ立っていた。
この門を出れば、そこから先は魔物たちが跋扈する草原が広がっている。
アルスが門に近づくと、そこには2人の兵士が門番に立っていた。
彼らは嫌らしい目でアルスを見下ろしている。
「おいおい、ようやく来たか。待ちくたびれたぞ、勇者様よぉ」
一人の兵士が、小馬鹿にしたような声をあげた。
「ほら、さっさと門の外へ出ろ。王様の御命令だ」
「……通してください」
アルスは感情を押し殺した声で言った。
「言われずとも、私は行きます」
「へえ、威勢がいいねぇ。一人旅の寂しさで、今夜あたり泣き出すんじゃねえか? 」
兵士たちが下品な笑い声をあげる。
彼らにとって、アルスの旅立ちは退屈な警備任務の中の、暇つぶしの娯楽に過ぎなかった。
アルスは怒りで身体が震えるのを自覚した。
腰の銅の剣の柄に、自然と手が伸びる。
この男たちの首を撥ねて、そのまま全てを投げ出してしまえたら、どれほど楽だろうか。
「おい、何を睨みつけてるんだ?
反逆の意志ありとみなして、今すぐ拘束してもいいんだぞ?
そうなれば、お前の家族がどうなるか……分かってるよな?」
兵士がアルスの耳元で、蛇のようにねっとりとした声で囁いた。
家族。その言葉が、アルスの理性を繋ぎ止めた。
「……っ」
アルスは剣から手を離し、頭を下げた。
「失礼いたしました。今、出ます」
「ははは! そうだ、従順な犬のように大人しくしていろ!
さあ、開門だ!!」
ギギギ、と重い音を立てて、門がゆっくりと開いていく。
その向こうに見えるのは、薄暗い曇り空と、どこまでも続く荒涼とした大地。
アルスが一歩目を踏み出そうとした、その時だった。
「アルスーーーーーーーッ!!」
背後から、自分を呼ぶ少女の大声がした。
アルスが驚いて振り返ると――。
大通りの向こうから、息を切らし、美しい金髪を振り乱しながら、必死にこちらへと駆けてくる一人の少女の姿があった。
彼女は豪華な刺繍が施された、しかし動きやすそうな服を身に纏い、手には一本の樫の杖を握りしめている。
「ドロシー……!?」
アルスは我が目を疑った。
そこにいたのは、アリアハンでも指折りの名門貴族の令嬢であり、そして何よりも――アルスの幼馴染である、魔法使いのドロシーだった。
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「アルス! 待って! 置いていかないで!!」
ドロシーは、門番の兵士たちが制止しようとするのも構わず、猛烈な勢いで突っ込んできた。
その顔は涙と汗でぐしゃぐしゃになっていたが、その瞳には、アルスに負けないほどの激しい輝きが宿っていた。
「おい、何だこの小娘は!? もう門を閉めるから、戻れ!」
兵士の一人がドロシーの前に立ちふさがり、その肩を掴もうとした。
「退きなさい、この屑どもがッ!!」
ドロシーは叫ぶと同時に、手にした樫の杖を構えた。
杖の先端から、パチパチと弾けるような小さな火花が散る。
呪文までは発動させていなかったが、その気迫に、兵士は思わず手を引いて後ろずさった。
「な、何だコイツは……!」
兵士たちが武器に手をかけようとしたが、ドロシーは彼らを完全に無視して、アルスの元へと飛び込んだ。
「アルス……! アルス、アルス!!」
ドロシーはアルスに、勢いよく抱きついた。
その細い腕が、アルスの身体を折れんばかりに強く抱きしめる。
ドロシーの体温と、激しい息遣い、そして薔薇のような匂いが、アルスを包む。
「ドロシー、どうして……どうしてここにいるの!? 貴方のお父様や、お母様は……」
アルスは困惑しながらも、幼馴染の身体を抱き返した。
ドロシーはアルスの胸に顔を埋めたまま、声を震わせて叫んだ。
「そんなの、関係ないわ! お父様も、お母様も、あの糞食らえな王様も、みんな、みんな大嫌い!!
アルスが一人で、こんな酷い目に遭わされて旅立たされるなんて聞いて……私、居ても立ってもいられなくて、家を飛び出してきたのよ!」
「家を、飛び出してきた……? 」
「そうよ! あんな人たちのいる家なんて、こっちから願い下げだわ!
私の最愛のアルスにこんな仕打ちをする国なんて、滅びてしまえばいいのよ!」
ドロシーは顔を上げ、涙に濡れた瞳で真っ直ぐにアルスを見つめる。
その金髪が、風に揺れていた。
「ドロシー……でも、この旅は魔王を倒すための旅なんだよ?
お父さんだって戻ってこなかった、本当の死地なんだ。
貴方まで巻き込むわけにはいかないよ」
アルスが諭すように言うと、ドロシーは怒ったようにアルスの頬を両手で挟んだ。
「バカ言わないで、アルス! 一人で行かせるわけないでしょう!
私はアリアハンで一番の天才魔法使いよ?
貴方が剣を振るうなら、私はその背中を魔法で守る。
私たちは、いつでも、いつまでも一緒だって、小さい頃に約束したじゃない!」
ドロシーの言葉は、アルスの凍てついてた心を、優しく融解させていくようだった。
一人だと思っていた。誰も信じられない、孤独で冷たい絶望の旅路だと思っていた。
だが、ここに、すべてを捨てて自分に命を預けてくれる、最高の仲間がいる。
「こら、そこでお喋りをしてる暇はないぞ! 行くなら二人で行け! さっさと失せろ!」
兵士たちが忌々しげに怒鳴り散らす。
アルスはドロシーの手を、強く、強く握りしめた。
そして、荒野を見据え、最高に美しい笑みを浮かべた。
「……行こう、ドロシー。私たちの冒険へ!」
「ええ、アルス! 世界のどこまでも、私は貴方に付いていくわ!」
二人の少女は、アリアハンの城下町を振り返ることなく旅立った。
彼女たちの胸に、もう恐れはなかった。
勇者アルスと、魔法使いドロシー。
勇気ある2人の旅が、今ここに始まった……。