ブルーアーカイブ外伝:導き手のアルキウム 作:どんべい同好会
できるだけ温かい目で見てください!
皆が寝静まる深夜。今宵は満月が夜空に浮かび、何気なく空を見上げて物思いにふけるには、あまりにも美しい夜だった。
だが、その静寂は無慈悲にも打ち砕かれる。
夜の闇を裂くような銃声。そして、響き渡る悲鳴。
「クソッ! 何なんだよアイツら!」
引き金が引かれるたびに、一人、また一人とPMCの兵士が地面へと倒れ伏す。まるで最初からそこに立っていることが死を意味していたかのように、彼女らの攻撃に一切の容赦はない。
「おい、どこ狙って撃ってんだ!」
「当たんねぇんだよ!」
「どこから撃たれ——」
頭部を撃ち抜かれた兵士が血飛沫を撒き散らし、その場へと崩れ落ちる。防護壁を赤く染める鮮血が、戦場の凄惨さを物語っていた。
「おい! クソッタレ!」
兵士は、ただ一人残された絶望感に駆られ、呻き声と共に銃を乱射する。しかし、暗がりから放たれた閃光を目視した刹那、彼の生命活動が瞬時に停止した。
銃撃が止み、暫しの静寂の後、ゆっくりと襲撃者たちが歩み寄ってくる。帽子を深く被った少女が、手信号で仲間に指示を出し、物陰を物色した者が、駆け寄ってきて報告する。
「……クリア」
「こっちも大丈夫でした……」
「よし。トラックの積荷を調べろ」
「リーダー。弾薬と銃がある……」
「こっちには食料が積まれています……。へへっ、これで飢えずに済みますね」
「……」
仮面の少女が、隣にいる少女へ指や手を動かし、無言で何かを伝える。
「『援軍が来るかもしれないから、早く行こう』だそうです……」
「そうだな。トラックに乗れ、撤収するぞ」
「了解……」
襲撃者たちが次々とトラックへ乗り込んでいく。リーダーの少女も後を追おうとしたが、その足首が何者かによって強く掴まれた。
「クソガキが……」
息の絶える寸前の兵士が、最後の足掻きとばかりに彼女の脚を掴み、力無く睨みつける。
しかし、そんな非力な抵抗は虚しく、一発の銃声によって終わりを迎えた。
「…………すべては虚しいものだ」
少女は、冷たくなった亡骸を一瞥し、魂の抜けたような寂しげな声でそうそう呟く。その双眸には、一切の感情の揺らぎも映っていなかった。
*
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1. はじめに(報告目的)
本報告書は、20××年4月に連邦生徒会長代行・七神リンの権限により緊急就任した、連邦捜査部
2. 活動経過(20××年4月~5月上旬)
20××年4月——日
身元不明の人物「仲導優人」が突如としてキヴォトスに出現。連邦生徒会長代行・七神リンの権限により、シャーレ顧問への緊急就任が決定された。
同日、脱走した七囚人の一人である狐坂ワカモと接敵。現場に居合わせた生徒と共同でこれを撤退させる。
【特記事項】
羽川ハスミおよび守月スズミへの聴取によると、仲導優人の指示は極めて状況判断能力が高く、戦術的な指揮に長けていたという。これは、一般の教員の範疇を超える専門的な軍事知識、あるいは豊富な実戦経験を示唆する。
また、銃弾を躱し、体術による不良生徒の制圧を行ったとの証言も得られており、身体能力についても特筆すべきものがある。
20××年同月——日
地域住民との交流を目的としたボランティア活動に参加。地域社会との良好な関係構築を目的とした行動であると推測される。
20××年同月——日
狐坂ワカモと再接敵。仲導優人の介入により無力化に成功し、その身柄はヴァルキューレ警察学校へ引き渡された。
20××年同月——日
連邦生徒会長代行・七神リンならびにヴァルキューレ警察学校連邦矯正局長・監原ミスズ、同公安局長・尾形カンナの了承の下、重大な脱走生徒である狐坂ワカモをシャーレ所属部員として特例的に加入させる。
【特記事項】
当局による強硬な反対意見を覆し、加入を認めさせた交渉内容の詳細については一切明らかとなっていない。
本件は重大な情報統制事案であり、仲導優人の交渉能力および関係各所への影響力に対する懸念を増大させるものである。交渉経緯については、継続的な調査が必要と判断する。
20××年同月——日
アビドス高等学校へ訪問し、物資の譲渡を実施。
20××年同月——日
我が校へと来訪し、カイザーコーポレーションのアビドス駐屯基地襲撃作戦の援助を要請。
【備考】
本作戦の目的は、拉致されたアビドス高等学校所属生徒・小鳥遊ホシノの救出であることが確認されている。
その後、ゲヘナ学園風紀委員会委員長・空崎ヒナへ協力を要請し、支援の取り付けに成功している。
20××年同月——日
上記作戦を決行。両学園の支援を得て作戦は成功し、結果としてカイザーコーポレーションをアビドス自治区内の一部拠点より撤退させることに成功した。
20××年同月——日
作戦後、カイザーコーポレーションによる組織的犯罪行為(裏金問題、ブラックマーケットへの不正資金取引、不良生徒の拉致・使役等)が表面化。
これにより世論の激しい反発を招き、カイザー関連施設への連続襲撃事件が発生した。一連の事件の結果、同社はアビドス自治区からの全面撤退を余儀なくされている。
【特記事項】
一連の連続襲撃事件については、シャーレが情報提供その他の手段により間接的に関与していた可能性が極めて高いと判断される。
現時点において明確な証拠は確認されていないものの、複数の状況証拠が存在しており、現在も調査を継続中である。
20××年5月——日
ミレニアムサイエンススクールへ訪問。
【備考】
同日以降の活動記録については、意図的な情報流出防止措置が講じられている可能性が高く、現時点では詳細を確認できていない。
活動内容の特定は急務であり、情報収集体制の強化が必要である。
20××年5月——日
百鬼夜行連合学園へ訪問。
〜(中略)〜
3. 現状の評価と懸念事項
仲導優人は就任直後よりキヴォトス各地の問題へ積極的に介入し、特にアビドス高等学校の事案においては、カイザーコーポレーションの撤退という大きな成果を短期間で達成している。
一方で、その活動の背後には複数の重大な不明点が存在しており、極めて高い潜在的リスクを有する人物であると評価される。
【最重要警戒事項】(早急な調査を要する事項)
■ カイザー関連施設連続襲撃事件への関与の疑い
カイザーコーポレーションの撤退に繋がった一連の襲撃事件について、シャーレが情報提供または作戦立案等を通じて関与していた可能性が極めて高い。
本件は連邦生徒会およびシャーレの信頼性に直結する問題であり、その関与の有無ならびに程度について、最優先事項として事実確認を行う必要がある。
【その他の懸念事項】
■ 出自および経歴の不明確性
仲導優人の身元は依然として不明であり、その高度な戦術知識および戦闘能力の出所についても一切特定されていない。
■ 狐坂ワカモ加入の経緯
重大脱走生徒である狐坂ワカモを部員として迎え入れた経緯は極めて不透明である。
交渉内容によっては、今後の治安維持体制に悪影響を及ぼす可能性があり、慎重な調査が必要である。
■ ミレニアムサイエンススクールにおける活動内容
20××年5月以降の活動記録については、外部への情報流出が確認されておらず、意図的な情報統制が行われている可能性が高い。
同校関係者への聴取および追加調査が必要である。
4. 提言
仲導優人の活動は社会的秩序の維持において一定の成果をもたらしているものの、看過できないリスクと不明確な要素が多数存在している。
ついては、上記「最重要警戒事項」を最優先とし、「その他の懸念事項」についても並行して調査を継続するよう、所管部署への指示を提言する。特に、仲導優人の行動パターンおよび交友関係についての情報収集の強化を求める。
以上
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「以上が、【連邦捜査部_
部屋に静かに響いた声を最後に、側近の生徒が一礼して後ろへと下がる。
同時刻——トリニティ総合学園の本校、その最奥にある重厚な扉の向こうの一室で、とある密会が行われていた。手渡されたばかりの報告書に目を通しながら、それぞれに淹れられた紅茶を嗜む。彼女たちの胸元には、【ティーパーティー】の生徒会長であることを示す証のバッジが月明かりを受けて静かに輝いていた。
「なるほど。……どう思われますか、ミカさん」
「うーん……。なんか分かんない事だらけだね。ミレニアムでの活動が明かされてないのは、あの会長の仕業かな?」
「えぇ。
「まあ、あそこの連中がしそうなことだよね」
「そうですね……。ですが、それ以上に注意すべきは先生本人です。どうやら噂で聞くよりも油断できない相手のようです」
ナギサはティーカップを持ち上げ、一口だけ紅茶を口に含む。そして、思考を整理するように静かに言葉を続けた。
「不明瞭な点が多すぎます。出自も経歴も不明。それでいて、高度な戦術眼と戦闘能力を有し、短期間でカイザーコーポレーションをアビドスから撤退へと追い込んだ。仮に報告書の内容が事実ならば、単なる教員として片付けるには無理があります」
ナギサは報告書の一節を指でなぞる。
「特に、カイザーの不正が世間に露見した件については明らかに意図的なものです。どこで情報を得たのかは分かりませんが、裏で情報戦までこなしていたとなれば、非常に厄介な存在と言わざるを得ません。場合によっては、私たちが彼を調べていることすら把握しているかもしれませんね」
「でも、こっちも上手く立ち回れば
看過できないリスクを冷静に分析するナギサの横顔を見つめながら、ミカは悪戯っぽく微笑む。
「それも見越して、ミカさんは今回、先生に声を掛けようと提案したのではありませんか?」
「だって、あんな面倒くさい事、さっさと終わらせたいじゃん。だから、優秀そうな人が関わってくれたら、こっちも助かるしね。どう、ナギちゃん? 先生に頼んでみない?」
ナギサは顎に手を当て、静かに思考を巡らせる。
外部の人間を巻き込むことには当然リスクが伴う。情報漏洩の危険性もあり、本来なら部外者を関わらせるべきではない案件だ。しかし、自分たちだけでは手駒が足りないのもまた事実だった。
仲導優人——生徒の頼みとあらば、常識外れの問題すら解決してみせる人物。
仮に失敗したとしても切り捨てればいい。成功すれば、自分たちの抱える問題を解決できる。
利用価値としては十分過ぎるほどだった。
「仲導先生が、我が校にどのような影響を及ぼすのか……見ものですね」
静かにカップをソーサーへ置いたナギサが、意味ありげな薄笑いを浮かべる。
「じゃあ、私の提案を受け入れてくれたってこと?」
「えぇ、私の方から先生に連絡を入れましょう」
「ありがとう、ナギちゃん。はぁ……なんだか眠たくなってきちゃったから私そろそろ帰るね」
ミカは欠伸を噛み殺しながら、いつものように満面の笑みを浮かべる。
だが、その笑顔はどこかぎこちないものだった。
長年隣にいたナギサだからこそ分かる。あれは本心からの笑顔ではない。以前のように、何の憂いもなく無邪気に笑う彼女の姿を見なくなってから、どれほどの時間が経っただろうか。
化粧で隠しているのだろう。目の下には薄っすらと隈が浮かび、その疲労を完全に隠し切れてはいなかった。
(やはり、あの事件以来、眠れていないのですね…………)
「では、開きにいたしましょう。おやすみなさい、ミカさん」
「じゃあね、ナギちゃん。おやすみ〜」
部屋を後にするミカの背中を見送りながら、ナギサは小さく息を吐いた。
「……せめて、あなただけでも守ります。ミカさん」
それは誰に向けるでもない、彼女自身の決意だった。
*
「ナギサ様は何やら企んでいるようです」
自室へ向かうため渡り廊下を歩いていたミカの元へ、側近の生徒が歩み寄り、小声で耳打ちする。
「考えすぎじゃない、イオちゃん?」
「警戒するに越したことはありません」
「そんな余計なことばかり考えてると、ストレスでナギちゃんみたいに肌が荒れちゃうよ?」
イオは、思わず手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。
彼女はいつだってそうだ。自分が傷付くことには無頓着なくせに、周囲には笑って「大丈夫」と言ってみせる。
(どの口が言えたことですか……!)
その笑顔の裏で、どれだけ苦しんでいるのかを決して口にしない。
誰よりも優しく、誰よりも自分を大切にしない。それが聖園ミカという少女だった。
彼女が自分たちに心配をかけまいと、すべてを一人で抱え込んで隠そうとするその態度に、イオは苛立ちと、やり場のないもどかしさを感じていた。
「……あなたが能天気すぎるだけです」
「ひどい! 長にそんな態度を取るなんて!」
いつもと変わらないやり取りに、ミカは楽しそうに笑う。
だが、その笑顔の奥にある疲労を、イオは見逃さなかった。
「…………あなただけでも守ってみせます。ミカ様」
それは誰にも聞こえない、あまりにも小さな呟き。
だが、それでよかった。
これは他ならぬ、イオだけが立てた誓いなのだから。
*
「あー、飽きた」
【
デスクチェアの背もたれに深く身体を預け、仲導優人は天井を仰ぐ。パソコンのキーボードを叩いていた手は、とうの昔に止まっていた。目の前のモニターには、処理途中の書類が無慈悲に並んでいる。
突如としてキヴォトスへと現れ、【先生】として働くことになった男——
これまで数々の生徒たちの問題を解決してきた彼だったが、モニターと睨み合うだけの事務作業は、どうにも性に合わないらしい。
現在、彼は誰に隠すでもなく、堂々と業務を放棄していた。
「そんなことをぼやく暇があるなら、仕事をしてください」
怠惰な態度を見透かしたように、デスクの向かい側から冷ややかな声が飛んでくる。
声の主は、連邦生徒会長代行の【
「分かってますよ……」
「本当に分かっているのであればよいのですが……」
リンは呆れたように小さく息を吐くと、抱えていた分厚い資料をデスクの上へ置いた。
ずしり、と鈍い音が響く。
「それでは、こちらの案件は先生にお任せいたします」
「了解。仕事、頑張れよ」
「先生もですよ。それでは失礼いたします」
リンは軽く会釈をして執務室を後にする。扉が閉まり、再び静寂が戻った部屋で、優人は机上に積み上げられた資料を見つめ、しばらく沈黙する。やがて椅子からずるずると滑り落ちるようにして床へ膝をついた。
「これは後で、あいつに手伝ってもらうか……」
ここに来てから、早いもので数ヶ月が過ぎ、少しずつ新しい環境にも慣れきている。デスクの上にそびえ立つ書類の山を眺めながら、彼はしみじみとその変化を噛み締めていた。
優人は椅子へ座り直すと、背もたれに体重を預けたまま、くるりと回転する。
視線の先には、ガラス張りの窓の向こうに広がる巨大な学園都市があった。高層ビルの群れ。その合間を走る鉄道。空を行き交う無数の飛行船。
今では見慣れたその光景を、優人はどこか懐かしむような目で見つめていた。
「……お前とあんたの願いに応えてやらなきゃな」
誰かへ語りかけるように——あるいは、迷いかけた自分自身へ言い聞かせるように、静かに呟く。
「さぁ、お仕事しますか。アロナ、今日の予定は?」
気を取り直してデスクの方に向き直り、【シッテムの箱】と呼ばれるタブレット端末を起動する。画面が淡い光を放ち、メインOSである
「はい、先生! 今日の予定ですが……まずはゲーム開発部から、新作ゲームのテストプレイに付き合ってほしいそうです。それと、アビドスの対策委員会からは、また不良生徒たちが問題を起こしているので対処に協力してほしいと連絡が来ています」
「了解。じゃあ、【[[rb:S.C.H.A.L.E > シャーレ]]】出動しますか!」
優人が顧問として所属している【連邦捜査部_[[rb:S.C.H.A.L.E > シャーレ]]】。連邦生徒会長が失踪する前に発足されたこの機関は、単なるものではなく一種の超法規的機関である。キヴォトスに存在するすべての学園の生徒を制約なく迎え入れ、各学園の自治区内であっても特別な許可なしに活動できる。
あらゆる校則や境界線も、【[[rb:S.C.H.A.L.E > シャーレ]]】の前では無意味に等しい。それほどまでの絶大な権力と自由を保障されている反面、それは同時に、非常に重い責任を背負うことを意味していた。
先生として、あらゆる生徒の要望に応じ、時には悩みに耳を傾け、時には銃弾飛び交う戦場の指揮を執る。
誰もがまるで神にすがるように、この異世界の来訪者に救いを求めるのだ。
目の前の少女たちを正しく導いてやれる大人が、自分しかいないのだとすれば——彼は喜んで、そのすべてに力を尽す。
子供たちの日常と平和を守ること。
それこそが、かつて全てを失ったこの【大人】に課せられた、唯一の使命であり、償いなのだから。
*
太陽は空高く昇り、眩い光で街を照らしていた。
空はどこまでも青く、季節は肌にまとわりつくような暑さを迎えている。しかし、今日はまるで春へ逆戻りしたかのような、心地よい風が街を吹き抜けていた。
穏やかな木漏れ日の下。葉擦れの音だけが響くベンチに腰を下ろし、優人は微睡むように目を細めていた。
「ああ~風が涼しい」
優人はクレープを片手に至福の時を過ごしていた。普段は生徒たちのために奔走し、問題解決に追われる日々だが、今日はその喧騒から解き放たれている。生徒たちから【頼れる存在】として一目置かれ、時には【超人】のように扱われることもあるが、結局はただ人間。休まなければ、過労死してしまう。そんなわけで、今日は久しぶりの休暇を満喫中である。
「ぶらぶらと散歩して、スイーツを食べて。これぞ休日って感じだな」
穏やかな気温は、散策に最適だった。心は弾み、足取りも軽くなる。ふと、木々の隙間から漏れる眩い光に目を向けると、ビルの巨大な液晶パネルに映し出された企業のロゴが目に留まった。その瞬間、彼の表情から光が消え、影が差す。
「そういえば、最近カイザーの宣伝見なくなったな……」
【カイザーコーポレーション】。アビドスの皆を莫大な借金地獄に突き落とした、悪名高い企業。金と権力を武器にし、弱者を容赦なく搾取する。彼の最も嫌いな大人の姿だった。不快な記憶が頭をよぎり、彼は無意識に顔をしかめる。
「ま、静かにしてる分にはいいけどな」
これ以上、不愉快な思考に囚われるのは無益だと感じ、思考を振り払うようにベンチから立ち上がった。
「ん?」
そのとき、視界の片隅に一人の少女の姿が入り込んだ。 黒い帽子を深くかぶり、濃藍色の髪を風になびかせた少女が
「お前、例の奴に似ているな」
「……何の話だ?」
表情こそ落ち着いているものの、その身体は僅かに重心を落としていた。いつでも動けるように警戒しているのだろう。
「最近、俺らの前哨基地が襲われる事件が多発している。襲撃者の特徴は——そう、お前みたいに長髪に黒い帽子を被った女だそうだ」
「人違いだ」
「人違いねぇ……。そんな血生臭い匂いをさせて、いかにも怪しいな」
「ちょっと俺たちと一緒に来てもらおうか、お嬢さん?」
(……ここで騒ぎを起こすのはまずいか)
往来には多くの人がいる。
この場で戦えば、無関係な者に目撃される可能性があった。
(だが、仕方ない。やるか)
「どうした?」
不意に、兵士たちの背後から声がした。
「っ!?」
兵士たちは弾かれたように振り返り、慌てて武器を構える。
(いつの間に……?)
少女もまた、僅かに目を見開いた。
優人がそこへ立つまで、足音はおろか、人の気配すら感じられなかった。
「……何の用だ?」
「いや、そこの女の子が困ってる様子だったからつい」
優人は兵士たちの殺気など気にも留めず、少女と彼らの間へ割って入る。
「お前には関係ない。痛い目に遭いたくなかったら失せろ」
「そう言われてもな。嫌がってる女の子を無理やり連れていくのは、感心しないが」
「聞こえなかったのか?」
兵士の一人が苛立たしげに銃口を持ち上げ、優人の額へ突きつける。
「失せろ」
「おぉ、怖い怖い」
優人は両手を軽く上げながら、困ったように笑った。
「なるべく穏便に済ませたいんだが」
「だったら——」
「はぁ……」
わざとらしいため息。
直後、優人の姿が兵士の視界から消えた。
突きつけられた銃身を左手で外側へ払い、そのまま相手の懐へ潜り込む。右肘を鳩尾へ叩き込み、兵士の呼吸を奪う。間髪入れずに銃を握る腕を捻り上げ、身体を背負うようにして持ち上げた。
「ぐっ——!」
大柄な兵士の身体が宙を舞い、背中から地面へ叩きつけられる。
「この野郎!」
もう一人の兵士が銃を構えた。
だが、引き金へ指を掛けるより早く、優人は腰元から拳銃を抜き放つ。
一発の銃声。弾丸は兵士の足元を撃ち抜いた。
「うおっ!?」
兵士が反射的に身を縮めた瞬間、一気に間合いを詰める。軸足を踏み込み、鋭い回し蹴りを顔面へ叩き込んだ。鈍い音とともに、兵士の身体が横向きに吹き飛ばされる。
(見事な
無駄のない動き。相手の意識と武器を的確に制しながら、致命傷だけは避けている。単なる喧嘩慣れではない。実戦の中で培われた技術だ。
サオリは、自分の経験からそう判断した。
「行くぞ!」
「ちょっ、おい!」
呆然としていた少女の腕を掴み、優人はその場から走り出す。
倒れた兵士たちの呻き声を背に、二人は人通りの少ない路地裏へと駆け込んだ。
*
「よし、ここまで来れば大丈夫だろ」
路地から少しだけ顔を覗かせ、追手が来ていないことを確認し、優人は安堵の息を漏らす。
「いや〜面倒ごとになるとこだったな」
「……何者だ、お前は?」
彼女の声は低く、硬い。助けられたとはいえ、見知らぬ大人に腕を掴まれ、連れ出されたのだ。警戒するのも当然だろう。
「すまん、困っているみたいだったから、つい」
「助けてくれたことには感謝する」
少女は掴まれていた腕を静かに振りほどく。
「だが、もう大丈夫だ。じゃあな」
「ちょい待ち」
「……今度はなんだ?」
少女は鋭い視線で優人を睨みつける。
「どこへ行くんだ? 良かったら送って行こう」
「必要ない……」
「そう言うなって」
優人は先ほどまで兵士と戦っていたとは思えないほど、気楽な調子で肩を竦める。
「ああいう連中がそこら中にいるんだろ? お前を探してるなら、また絡まれるかもしれないぞ」
「……」
「それに多分、俺の方が土地勘もあるし、人目のつかない道を知ってる。厄介ごとを避けられる超安全ルートで行けるぞ。どうだ?」
少女は答えなかった。目の前にいる男を信用してよいのだろうか。
彼女は、まともな大人というものをほとんど知らない。
大人は自分たちを利用し、都合が悪くなれば簡単に切り捨てる。誰かへ差し伸べられた手の裏には、必ず何らかの打算が隠されている。
それが、彼女にとっての常識だった。
しかし、不思議なことに、目の前の男からは悪意を感じなかった。
根拠などない。
それでも、この男ならば少しくらい信じてもよいのではないか。
そんな僅かな期待が、心のどこかに生まれていた。
なぜそう感じるのか、自分でも分からなかった。
少女は目を伏せ、しばらく沈黙していたが、やがて再び顔を上げ、口を開いた。
「その、ブラックマーケットに行きたいんだが……」
優人はかすかに微笑み、「なら、こっちだな」と指差すと、少女に迷うことなく背を向け、迷いなく歩き始めた。
突然の行動に、少女は困惑する。
「何をしている?」
「何って? 道案内だよ。一緒に行ったほうが分かりやすいだろ?」
「いや、方向さえ教えてくれれば——」
「それだと俺の意味ないじゃん? 人の好意は、素直に受け取っとけ」
そう言って歩き出そうとしたその時——。
「だから! そもそも先にぶつかってきたのはそちらでしょう!」
「はぁ⁉︎ その、ご立派な羽が邪魔で見えなかっただけなんだけど!」
「なっ……! 今、私たちの翼を侮辱しましたね!?」
少し離れた先の小さな広場から、少女たちの怒鳴り声が聞こえてきた。
優人と少女が声のする方へ視線を向けると、そこには二つの学園の生徒たちが睨み合っていた。
一方は、白を基調とした制服に身を包んだトリニティ総合学園の生徒。もう一方は、黒を基調とした制服を身に纏ったゲヘナ学園の生徒だった。
サオリは彼女らを一瞥すると、興味を失ったように視線を外した。
(トリニティとゲヘナか……)
足元には、ひっくり返った紙袋と、地面に散らばった焼き菓子が転がっている。どうやら肩がぶつかった拍子に、荷物を落としてしまったらしい。
「謝罪してください!」
「そっちが謝れ!」
「これだからゲヘナの方々は……。最低限の礼節すら身についていないのですね」
「なんだとコラッ! その羽、全部むしり取ってやろうか!」
「まったく、野蛮な方々ですこと。やはり、由緒正しき学園で教育を受けていない方に、品位を求めるだけ無駄だったようですね」
「うわぁ……またか」
優人は頭を抱えるように額へ手を当て、小さくため息を漏らした。
「……知り合いか?」
「いや、知らない。ゲヘナとトリティって昔から犬猿の仲なんだそうだ」
「放っておけばいいだろ」
「そんな訳にもいかない。仲良くしてもらわないと困る」
「……止めるのか?」
「できればな。少し待っててくれ」
そう言って、優人は二人の間へと歩み寄った。
(滑稽な奴らだ……)
互いを見下し、憎み合う姿を見ても、少女は特に何も感じない。
(どうせなら、このまま潰し合ってくれればいい……)
その方が都合がいい。少なくとも、彼女が止める理由などどこにもなかった。
「そもそも、あなた方のような下品な方々が、この区域へ来なければ、このようなことには——」
「ちょっと待った。」
優人の声に、生徒たちが一斉に振り返る。
「誰だ、コイツ?」
「あ、もしかして最近噂の先生ではありませんか?」
「先生?」
「様々な学園のトラブルを解決して回っていると聞いております。やはり、騒ぐことしか能のないゲヘナの方はご存知ありませんでしたか?」
「テメェ……! さっきから、ごちゃごちゃうるせぇんだよ!」
「落ち着け、お前ら」
両陣営から戸惑いの声が漏れる。
優人は地面へ落ちていた紙袋を拾い、破れた箇所を確認した。
「とりあえず、何があったか教えてくれない?」
「この野蛮な方が私にぶつかってきて、せっかく買ったお菓子を台無しにしたんです」
「お前らが、前も見ずに喋りながら歩いてたからだろ!」
「嘘に決まっています。私たちがトリニティの生徒だから、難癖をつけてきたのでしょう?」
「憶測で物を言うな」
「ですが、先生!」
「決めつけだけで判断するな。もし、ゲヘナの生徒の言っていることが本当なら、お前にも非はある」
「ほらみろ」
「それと、お前もだ。相手に非があったとしても、喧嘩を売り返していい理由にはならない」
「あんたはトリニティの肩を持つってのかよ!」
「なんでそんな話になるんだよ」
「さっさと謝罪してください。さもなくば、偉大なる主の御名の下に裁きを——」
「あ? お花畑育ちのお嬢さんたちが、私たちとやるってのかよ?」
「そこまでだ」
優人の声音から、僅かに怒号の色が窺える。
「ここで銃を抜けば、壊れた店の修繕費も、怪我人の治療費も、全部お前たちの責任になる」
「うっ……」
「それは……」
金銭的な話を持ち出され、双方の勢いが僅かに削がれる。
「ぶつかったのは事故。荷物を落としたのも事故。それでいいだろ?」
「よくありません!」
「そうだ!」
「なるほど。でも、忠告しとくと、もしここでおっ始めるつもりなら——俺は容赦はしないぞ」
優人は二人を真っ直ぐ見据え、腰にあるピストルに手をかける。
ただ一言。それだけだった。
しかし、その言葉は二人の少女を押し黙らせるには十分だった。
鋭く突き刺さる眼光を前に、生徒たちは思わず息を呑み、額に冷や汗を流す。
「……行きましょう」
「チッ胸糞わり……。行くぞ」
「……」
到底納得したとは思えない表情ではあったが、少なくとも戦闘に発展する気配は消えた。
優人は、小さくため息を吐き、路地の方へと戻る。
「待たせたな」
「どうして止めた?」
「ん?」
「どうせ、また争うのだろう? 奴らはそういうものだ。何も学ばない」
「まぁ、明日には別のことで喧嘩してるかもしれないな」
「なら、意味はない」
優人は少しだけ空を見上げ、小さく笑った。
「意味ならあるさ。少なくとも、今日は誰も怪我しなかった。それだけで十分だ」
「……」
*
しばらくの間、優人の背中を追い、人通りの少ない細道へと足を踏み入れる。
表通りの喧騒は次第に遠ざかり、周囲には薄汚れた毛布を被って眠る者たちの姿が見え始めた。廃材を組み合わせて作られた簡素な住居。壁にもたれ掛かりながら煙草を吹かす老人。
そこは、人目につかず、行き場を失った者たちが肩を寄せ合って暮らしている場所だった。
「このルートいいだろう? 人目が全くつかない秘密のやつだ。誰にも言うなよ?」
優人は前を歩きながら、冗談めかして人差し指を口元へ立てる。
「あぁ……」
優人は慣れた足取りで路地を進んでいく。迷う素振りは一切ない。
どこに誰が住んでいるのか知っているかのように、人々の生活を邪魔しないよう自然に歩いている。
(この男……)
少女は優人の背中を見つめる。
戦闘技術は一流。危険な場所への知識も豊富。そして、こうしたスラム街のような場所にも妙に慣れている。
(もしかして、私と似たような場所で生きてきた人間なのか……?)
ふと、そんな考えが頭をよぎった。
だが、先ほど見た生徒たちを諭す姿は、自分の知る人間とは決定的に違っている。
似ているようで、どこか違う。
その正体が何なのか、少女にはまだ分からなかった。
「それにしても、みんなブラックマーケット好きだね〜。まぁ確かに珍しいもんばっかだから、気になるのは分かるけどな」
「……怪しいと思わないのか?」
「何が?」
「ブラックマーケットに行くような奴だぞ……」
ブラックマーケット。そこは不法な取引が横行する市場であり、犯罪者や悪徳企業、そして不良生徒が行き着く先だ。治安は極度に悪く、その広大な領域ゆえに、どの学園も迂闊には手を出せずにいる。一般に流通しない限定品を目当てとする珍しい客もいるが、大抵は、表立っては買えない
「必ずしも全員が全員、悪いヤツじゃないだろ。まあ、できれば悪さはしないでほしいね。俺の仕事増えちゃうから」
(少しは警戒するべきだろう……)
少女は呆れたように眉を寄せる。
優人はそんな彼女の反応に気づいているのかいないのか、そのまま言葉を続けた。
「治安が悪くなって、仕事を失って、ブラックマーケットでしか日銭を稼げない人もいる」
「……」
「そういう状況を生み出したのは、子供じゃない」
優人の声音から、それまでの軽さが消える。
「俺たち大人の努力不足だ」
少女は何も答えなかった。
これまで彼女が見てきた大人たちは、自らの過ちを認めるどころか、その責任を弱い者へ押しつける者ばかりだった。
大人が自分たちの非を口にする。そのこと自体が、少女には理解し難かった。
「ほら、着いたぞ」
優人の声に、少女は顔を上げる。
目の前には、古びたアーケードに覆われた商店街が広がっていた。太陽の光は途中で遮られ、その奥には夜のような薄暗さが漂っている。
「ここから先がブラックマーケットだ。一応言っておくが、危険な所だから、気をつけろよ」
優人は立ち止まり、くるりと少女の方を向いた。彼は、今まさにその光と影の境界線に立っていた。
「ああ」
「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は仲導優人。【連邦生徒会連邦捜査部_S.C.H.A.L.E】の顧問をしている。何か困ったことがあったら、ここに連絡してくれ」
優人は、名刺だけ渡すと「じゃあな」と軽く告げ、来た道へと引き返していく。
目的も名前も尋ねない。
礼も、見返りも求めない。
「……待て」
少女の声に、優人が足を止めた。
「その……感謝する」
絞り出すような、小さな礼の言葉。
優人は振り返らず、片手をひらひらと振るだけで応じた。そのまま彼の姿は、曲がり角の向こうへと消えていく。
少女は周囲へ視線を走らせた。
「……追手はいないか」
人の気配はない。聞こえてくるのは、遠くから響く雑踏だけだった。
安全を確認し、先ほどの男を思い浮かべる。
(あの男……私に近づいたとき、まるで気配を感じなかった)
加えて、PMCの兵士を瞬く間に制圧した技術。ただの一般人でないことは明らかだった。
「仲導優人——何者なんだ……」
「それに会ったばかりの怪しい人間に、ここまで親切にするとは……」
少女の知る大人は、自らの利益のために動く。他者を利用し、傷つけ、不要になれば切り捨てる。
だからこそ、何の打算もなく手を差し伸べた優人の行動を、彼女の常識は受け入れることができなかった。
理解できない。
理解できないからこそ、妙に心に残る。
静かな水面へ落とされた一滴のように、彼の存在は少女の心に小さな波紋を生んでいた。
「すべては虚しいものだ……」
理解できないものについて考え続けても意味はない。
そう自分へ言い聞かせ、深く被った帽子のつばを僅かに下げる。優人が去った方向を視界から隠し、その姿と記憶を思考の外へ遮断する。
「早く合流地点に向かおう……」
生まれかけた感情を断ち切り、少女はブラックマーケットの奥へと歩き出す。
その小さな背中は、やがて薄暗い市場の影へ溶けていった。
まるで闇が彼女を迎え入れるように、音もなく、静かに。