ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ 作:灰色の
入学2日目。この学校の「歪み」は、早くも教室の中に現れ始めていた。
午前中の授業中、案の定というか、廊下側の席から船を漕ぐような規則正しい呼吸音が聞こえてきた。須藤健だ。大柄な身体を机に投げ出し、完全に爆睡している。
教壇に立つ教師は、その姿を一瞬だけ冷や冷やとした視線で見つめ、手元のタブレットに手際よく何かを打ち込んだ。だが、それ以上は声をかけることも、チョークを投げることもなく、何事もなかったかのように淡々と教科書を読み進めていく。
(やっぱり、本当に減点してるな……)
ノートを取るフリをしながら、俺はその様子を冷静に観察していた。原作通り、生徒の怠惰はすべてポイントという名の命綱から差し引かれている。周囲の生徒たちは10万ポイントの全能感に酔いしれ、誰もその異常さに気づいていない。俺は取り込むべき情報を脳内に整理しながら、今はただ静かに授業を聞き流していた。
やがて放課後を告げるチャイムが鳴り響く。今日の放課後は、体育館で部活動の説明会が開催される予定だ。
俺は席を立つと、真っ先に須藤のもとへと歩いた。そして、近くを通りかかった三宅明人にも声をかける。
「須藤、三宅。この後、部活の説明会あるけど一緒に見に行かないか?」
突発的な誘いに、三宅は少し意外そうな顔をしたが、「ああ、別にいいぞ」と静かに頷いた。一方の須藤は、眠そうに頭を掻きながら「あぁ? 部活なぁ……」と気だるげに立ち上がる。
俺がこの2人を誘ったのには理由がある。この過酷なDクラスにおいて、身体能力の高いメンバーは喉から手が出るほど貴重だ。特に須藤は、短気だが根は単純。今のうちに「スポーツ」を通じて友達になっておけば、後々、俺の言うことにある程度耳を傾けてくれるかもしれない。そんな打算もあった。
体育館へ向かう渡り廊下、三宅が歩きながらふと須藤に問いかけた。
「そういえば須藤、お前は部活、何やる気なんだ?」
「俺か? 決まってんだろ、バスケ部だ!」
須藤はニカッと不敵な笑みを浮かべ、自身の大きな拳を握りしめた。
「高校でもバスケなら誰にも負ける気はしねえ。プロを目指すためのステップだからな」
「へえ、自信満々だな」
三宅が感心したように言う。そこで、俺はあえて不敵な笑みを口元に浮かべ、須藤のプライドを少しだけ突っついてみることにした。
「プロを目指す、か。……なぁ須藤、もしよかったら、説明会の後に少しバスケで勝負しないか?」
「あぁ!?」須藤の眉が跳ね上がる。好戦的な光がその瞳に宿った。
「凍影、お前バスケできんのか? ナヨナヨしたイケメンかと思ってたが、言うじゃねえか」
「まあ、多少はな。手加減は無しだぞ」
「おう、かかって来いよ! 泣き面拝ませてやるからな!」
ちなみに、一緒にいた三宅は「俺は弓道部を考えてるんだ。勝負、見届けさせてやるよ」と苦笑しながら審判役を引き受けてくれた。
──そして放課後、屋外のストリートコート。オレンジ色の夕日が入道雲を赤く染める中、俺と須藤の1オン1が始まった。
ぶっつけ本番の勝負。実は、転生前の俺はバスケなんて体育の授業で触った程度で、まともな経験はほとんどなかった。だが、ボールを手に取った瞬間、身体が勝手に最適解を導き出した。
神様から与えられたチートスペック。まだ新しい身体の感覚に完全に慣れきっていないというのに、爆発的な跳躍力、吸い付くようなハンドリング、そして相手の動きがスローモーションに見えるほどの反射神経が、脳の命令を置き去りにして駆動する。
ザシュッ! と鋭い音がして、俺の放ったシュートが綺麗にネットを揺らした。
「なっ……、嘘だろおい!?」
ディフェンスに回っていた須藤が、驚愕に目を見開く。
最初は「5本先取」のルールだった。だが、結果は5対2。俺の圧倒的な勝利だった。
しかし、この結果で大人しく引き下がる須藤ではない。
「ふざけんな! まだ終わってねえ! もう一回、もう一回だ!」
顔を真っ赤にした須藤が、肩を激しく上下させながらボールを奪い取ってくる。
「いいよ。お前が満足するまで付き合うさ」
そこからは、意地と意地のぶつかり合い──というより、須藤の猛烈な熱意に引きずられた泥仕合の継続だった。
それでも流石は須藤健と言うべきか。身体能力の化け物である俺を相手に、その野生的な勘と執念だけで、最終的に俺のディフェンスを破って3回もゴールをもぎ取ってみせたのだ。
……まあ、俺は20回取ったんだけどな。
「はぁーっ、はぁーっ、クソが……!」
合計20対3。ストリートコートの地面に大の字に寝転がった須藤は、滝のような汗を流しながら荒い息を吐いていた。
俺はほとんど息を切らすこともなく、涼しい顔で彼に手を差し伸べる。
「いい汗かいたな、須藤。また勝負しようぜ」
須藤は差し出された俺の手を、悔しそうに、だが力強くガシッと掴んで起き上がった。
「……当然だ、コノヤロー。次は絶対に負けねえからな!」
ギラギラとした、しかし先ほどまでの敵意とは違う、純粋なライバルとしての視線が俺に放たれる。
チート能力の全力を出さずとも、この学校のトップクラスのフィジカルを持つ須藤をねじ伏せることができた。そして何より、彼との間に確かな「繋がり」の足がかりを作ることができた。
入学3日目が終わった。
教室内を見渡すと、そこには早くも目を覆いたくなるような堕落した光景が広がっていた。
女子たちは授業中だろうとお構いなしに、机の下で熱心にスマートフォンをいじり、周囲とコソコソと私語に興じている。男子たちの様子もそれに輪をかけて酷いものだった。初日に支給された10万ポイントという大金に目を眩まされ、誰もがここを「天国のような学校」だと誤認している。このままでは、1ヶ月後には間違いなくポイントがゼロになる──。
放課後を告げるチャイムが鳴ると、案の定、廊下側から須藤がバックを片手に大声をかけてきた。
「おい、凍影! 今日も放課後バスケやろうぜ! 昨日の借りを返してやる!」
やる気満々の須藤に対し、俺はすまないというように手を挙げて見せた。
「悪い、須藤。ちょっと先生に個人的な用事があってさ。職員室に行ってくるから、少しコートで待っててくれ」
「あぁ? 先生に用事?……チェッ、分かったよ。早く来いよな!」
須藤と別れ、俺は一人で職員室へと向かった。
重い扉を開け、独特の静けさが漂う室内を進むと、お目当ての人物──茶柱佐枝先生の姿を見つけた。
デスクに座り、書類に目を落とす彼女の姿は、3次元の現実として見てもため息が出るほどに完璧な美人だった。大人の色気と冷徹さを兼ね備えたその佇まいに、思わず「不意にハグされたら最高だろうな」などという邪念がよぎるが、今はそれを必死に理性で抑え込む。今はDクラスの運命を左右する、重要な交渉の場なのだ。
俺がデスクの前に立つと、茶柱先生は顔を上げ、切れ長の瞳で俺をじっと見つめてきた。
「入学早々、私に何か用か? 凍影」
感情の読めない冷ややかな声。俺は一歩も引かず、その美しい瞳を真っ直ぐに見つめ返して切り出した。
「先生。少し無茶なお願いなのですが……明日のホームルームの時間を、俺に買い取らせていただけませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、茶柱先生の眉がピクリと跳ね上がった。
書類をめくる手が止まり、室内の空気が一瞬で張り詰める。
「ほう……? ホームルームの時間を買い取る、か。面白いことを言うな。それが可能だと本気で思っているのか?」
試すような視線が俺を射抜く。だが、俺には原作という名の絶対的な知識の裏付けがある。俺は不敵に、ほんの少しだけ口元を緩めて返した。
「先生は入学初日、この学校において『ポイントで買えないものはない』と言いました。でしたら、授業時間の一部を買い取ることだって、システム上何の問題もないはずですよね?」
しばしの沈黙。
やがて、茶柱先生の唇が綺麗な弧を描いた。凍りつくような、しかしどこか妖艶で、息を呑むほどに美しい笑みだった。
「クク……良いだろう。そこまでルールを理解しているのなら、明日のホームルームの時間を5000ポイントで売ってやる」
「ありがとうございます、助かります」
提示された金額は、現在の俺の残高からすれば安いものだ。手元の端末を操作し、言われた通りのポイントを素早く彼女の口座へと転送する。
しかし、俺の用事はそれだけでは終わらない。
「先生、実はもう一つ、お願いがありまして」
「なんだ? まだ何か買うつもりか?」
怪訝そうに首を傾げる茶柱先生に、俺は真剣な眼差しで告げた。
「俺がホームルームを仕切っている間、茶柱先生も、その場に付き添いとして居ていただけますか?」