ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ 作:灰色の
特別試験の4日目も大きなトラブルなく無事に終わり、島は深夜の深い闇に包まれていた。
いつものように須藤と三宅を伴って自分たちのスポットの夜間更新を完璧に終わらせた後、俺は2人をハンモックで休ませ、再び単独でキャンプを抜け出していた。
向かった先は、平田たちが突き止めてくれたAクラスの拠点である洞窟の周辺エリアだ。
サバイバル試験のルール上、占有したスポットの権利は8時間ごとに更新の手続きを行わなければ維持できない。それは首位を走るAクラスであっても同じことだ。彼らが占有しているスポットを守るためには、例えこんな夜中であっても、わざわざ洞窟を出て端末にカードをタッチしに来る必要がある。
深い生い茂る藪に身を潜め、チート級の夜目を凝らして暗闇の中に佇むスポット管理装置を見つめる。
確認すると、次の更新時間まであと32分というタイミングだった。隠れて待つ。
(――来たな)
遠くからわずかな草音と足音が近づいてくる。俺は手持の懐中電灯のスイッチを完全に消し、気配を殺して巨木の影へと同化した。
現れたのは、Aクラスの葛城康平と、その影のように従う戸塚弥彦の2人だ。
彼らは周囲を厳重に警戒しながら装置の前に立った。
まず、戸塚が懐からカードを取り出して端末にタッチする。ピッ、という小さな電子音が夜の静寂に響く。続いて葛城がそのカードを端末にタッチし、手続きを終えると同時に、周囲を欺くようにリーダーカードをジャケットのポケットへと滑り込ませた。
「弥彦。前も言ったが、行動の際は常に細心の注意を払え。カードの扱い一つとってもそうだ。この島では、何処で誰が俺たちの動向に目を光らせているか分からないのだからな」
葛城の厳しい叱責に、戸塚は少し緊張感を欠いた様子で肩をすくめた。
「はい、葛城さん。分かっていますよ。……でも、もう4日目が終わりますし、こんな夜中に森を歩いてるやつなんてそうそういないんじゃないですか? さすがに警戒しすぎですよ」
「馬鹿者が。その油断が命取りになると言っているのだ」
葛城は声を低くし、さらに鋭い視線で戸塚を睨みつけた。
「他クラスのリーダーたち……特に一之瀬や今回は味方だが龍園、そしてDクラスから上がってきた連中を侮るな。彼らがこの闇に紛れて動いていないという保証はどこにもない。拠点の防衛だけでなく、スポットの管理まで完璧に行ってこそAクラスだ。二度とそんな軽口を叩くな」
「……すみません、葛城さん」
戸塚はすっかり縮こまり、小さく頭を下げた。
「分かればいい。行くぞ、弥彦」
葛城たちがその場を十分に離れ、足音が完全に聞こえなくなるのを見届けてから、俺は懐中電灯の光を一切点けることなくスポット装置の前に進み出た。
2人が装置を囲んでカードを占有した際、指先が端末に触れた僅かなタッチ時間の『コンマ数秒のタイムラグ』から逆算を試みる。
(……先にタッチしているのは戸塚の方…これなら戸塚がリーダーである可能性が極めて高いな)
確証を得るため、俺は葛城たちを追跡しようとしたが――その一歩を踏み出す直前、ピタリと足を止めた。
はるか遠方、葛城たちが去っていった方向とは全く別のルートから、別の足音が微かに風に乗って聞こえてきたのだ。
俺は進路を変更し、物音を立てずにその不穏な気配のする方へと闇を滑るように移動した。
鬱蒼とした木々を掻き分けた先、小さな岩陰の窪地で、パチパチと小さな爆ぜる音を立てて静かに火が焚かれていた。
その火の粉の明かりに照らされていたのは、驚くべきツーショットだった。
地面に直に座り、焚き火の熱で無骨に焼いた蛇の肉を美味そうにかじっている現Dクラスのリーダー・龍園翔。
そして、その龍園の目の前に、不敵な笑みを浮かべて腰掛けている男――Aクラスでありながら坂柳派の懐刀である、橋本正義だった。
(葛城と戸塚が拠点を留守にしてスポット更新に向かった隙を突いて、Aクラスのキャンプ地である洞窟を抜け出して来たわけか)
俺は岩の隙間に身体を完全に潜ませ、息を殺して2人の密談に耳を傾けた。
「ククク……。で、どうなんだ橋本。あの堅物の葛城が、てめえら坂柳派の連中に、大人しくクラスのリーダーを教えると思うか?」
龍園が蛇の肉を噛みちぎりながら、挑発するように尋ねる。それに対し、橋本は周囲を警戒するように一度首を回してから、声を一段と潜めて応じた。
「ああ、確かな情報だ。……おい龍園、秘密契約の履行と別に、俺たちの本当の『カードリーダー』を教えてやるよ」
橋本は焚き火を挟んで龍園の顔へと身を乗り出した。
「――戸塚弥彦だ」
夜風にかき消されそうなほど小さな声だった。
だが、持ち前の高い聴覚を持つ俺の耳には、その名前が確かに、明確に聞こえてきた。
それを聞いた龍園は、高笑いするどころか、細めた瞳の奥に冷たい不快感を宿らせ、蛇の骨を焚き火に投げ捨てた。
「ククッ……お前ら本当に、俺たち下位クラスを舐めてるな」
龍園は低く地を這うような声で橋本を睨みつける。
「そんな風に高みの見物を決め込んで身内を売り合ってりゃ、足元をすくわれるぜ。一瞬で追い越されても知らねえからな」
その言葉に、橋本は全く動じることなく、肩をすくめていつもの軽い調子で笑ってみせた。
「そいつは怖いねえ。……ま、せいぜい頑張ってくれよ、龍園。でも、うちの姫さん(坂柳)には勝てないさ」
そう言い残すと、橋本は静かに立ち上がり、夜の闇へと溶け込むように去っていった。
(Aクラスの本当のリーダーは戸塚弥彦で確定。そして、それを坂柳派の橋本経由で龍園も把握した。さらに龍園は、最下位に落ちながらも牙を研ぎ続けている……)
俺は微かに聞こえたその決定的な会話のすべてを脳内に完璧に記憶し、足元の枯れ葉一枚鳴らすことなく、その場から静かに離脱した。
まだ龍園に勝つための『外堀』を埋めるには、いくつかの情報が足りていない。だが、この4日目の夜にして、敵の戦略の1つを掌の上に載せることができた。
俺は懐中電灯の光を一切必要としない暗黒の森を駆け抜けながら、クラスメイトたちが待つ井戸のベースキャンプへと帰還するのだった。
深夜の闇を滑るようにして、俺は井戸のあるベースキャンプへと帰還した。
自分の割り当てられているハンモックへと近づくと、やはりそこには、夜の寒さを凌ぐようにして櫛田が待っていた。俺が戻ってきた僅かな気配を察知したのだろう、彼女はすぐに目を覚まし、ハンモックの中から身を起こした。
「……おかえり、凍影くん」
周囲の男子たちを起こさないよう、極小の声で囁いてくる。俺がハンモックの端に腰掛けると、櫛田は顔をぐっと近づけ、密やかなトーンのまま決定的な報告を口にした。
「伊吹さん、動いたよ」
「マジか。……何をした?」
原作を知っているが気になる事だった。
「夜、みんなが寝静まったのを見計らってね。多分女子たちの荷物が置いてある場所から、バッグを次々に開けて何かを盗み出して……それを、男子のバッグのどれかにコッソリ入れてたの」
伊吹澪の仕掛けた、クラス内部の人間関係を崩壊させるための汚い工作。原作の知識を持つ俺には、その内容が嫌というほど理解できた。
「それは不味いな……。どの男子のバッグに入れられたか、場所は特定できてるか?」
俺が冷徹に戦況を予測しようとすると、櫛田はフフッと満足そうに喉を鳴らし、小悪魔のような笑みを浮かべて首を振った。
「あ、ううん。大丈夫だよ。伊吹さんが安心してテントに戻った後にね、私、その男子のバッグから『それ』を先に取り出しておいたから。……何が入ってたと思う?」
「……まさかとは思うが、女子の――」
「うん、そのまさかだよ。女子達の下着が入れられてたの。女子全員を怒らせて、男子を犯人に仕立て上げて、クラスをバラバラにするつもりだったんだよ。だから私、その汚い男子のバッグから、下着を取り出してあげたんだ」
「助かった。お手柄だな、櫛田。……で、その下着は元の女子のバッグに戻したのか?」
最も安全な現状復帰。だが、俺がそう尋ねると、櫛田は「ううん、違うよ」と即座に首を振った。
「それじゃあさ、明日の夜にまた同じことを繰り返されるだけでしょ? だからね……」
そう言うと、櫛田はさらに俺の耳元へと顔を近づけ、そのドス黒い、だけどこれ以上ないほどに甘い本音の声を吹き込んできた。
「――全部、伊吹さんのバッグの中に叩き込んでおいたの」
「……!」
俺はそれを聞いて、思わず目を見開いて驚いてしまった。
この娘は……櫛田桔梗という少女は、俺が動きやすいように、そしてこのクラスの完全勝利を確実なものにするために、自らの手を汚してまで完璧なカウンターを仕込んでくれていたのだ。一学期から俺への依存度を高めてきた成果が、これ以上ないほど凶悪な形で身を結んでいた。
驚く俺の顔を見て、櫛田はさらに楽しげにクスクスと肩を揺らした。
「だってさ、伊吹さんってば、佐倉さんたちにあんなに優しくされて、トウモロコシや魚まで分けてもらったのにね。本当、沢山世話になったのに悪い子だよね。……お仕置きが必要だと思うな、私は♪」
小悪魔のように目を細めて密やかに笑う櫛田。その笑顔はゾッとするほど美しいが、中身は完全に龍園以上の冷徹なハンターのそれだった。一学期から俺への依存度を高めてきた成果が、これ以上ないほど心強い形で結実している。
もしこれを放置すれば、明日の朝か昼、伊吹自身のバッグから盗まれた下着がゾロゾロと出てくることになる。自作自演の泥棒スパイという、最悪の生贄の完成だ。女子同士の揉め事として処理されるため、原作のように男子に疑いがかかってクラスが真っ二つに分裂する可能性は、この時点で大幅に下がったと言っていい。これなら、明日からの心理戦で幾らでも伊吹をコントロールし、龍園の計画を根底からハメ殺すやりようがある。
俺は目の前の愛おしい『相棒』を見つめ、心からの賞賛を告げた。
「最高だ、櫛田。本当にお前は完璧だよ」
「ふふ、でしょ?」
俺が優しく彼女の頭を撫でてやると、櫛田は本当に嬉しそうに目を細め、俺の手のひらに頭を擦り付けてきた。
「伊吹が誰の下着を盗み出したかはまだ分からないが……これで主導権は完全に俺たちのものだ。明日が楽しみだな」
「うん。私も、すっごく楽しみ♪」
送風機の静かな駆動音が響くベースキャンプの闇の中、俺たちは2人だけの邪悪な微笑みを交わし合った。
櫛田が伊吹のスパイ工作を完璧に逆手に取った。
迎える5日目の朝。現Cクラスを脅かそうとする全ての悪党たちを無人島の奈落へと突き落とすための完璧なチェックメイトの盤面を胸に抱きながら、俺は櫛田の温もりをハンモックに残し、次なる朝を静かに待つのだった。