ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ 作:灰色の
入学4日目の朝。
教室内はいつも通り、10万ポイントの全能感に酔いしれた生徒たちの軽い私語で満ちていた。だが、始業のチャイムと共に教壇に立った茶柱先生の一言が、その弛緩した空気を一瞬で切り裂いた。
「これよりホームルームを始めると言いたいところだが……お前たちの中に、今日のホームルームの時間をポイントで買い取った奇特な生徒がいてな」
茶柱先生は冷淡な視線を教室内へ走らせると、そのまま言葉を濁して教壇をすっと降りた。
一瞬の静寂の後、クラス中が「おい、どういうことだ?」「ポイントで時間を買う?」とガヤガヤとざわめき始める。
そんな周囲の動揺を他所に、俺は静かに席を立ち、教壇へと向かって歩き出した。
クラス全員の視線が、窓際の一番後ろから歩み出てくる銀髪の俺へと集中する。教壇に立ち、クラスを見渡して俺は口を開いた。
「皆に話すことがある。俺なりに、この学校の仕組みについて色々と調べたんだ。これからの3年間を左右する、ものすごく大事な話だから、静かにちゃんと聞いてくれ」
普段は控えめな俺が、わざわざポイントを払ってまで場を設けたのだ。その異様な状況に、平田や櫛田、そして隣の席の堀北までもが真剣な目をこちらに向けてくる。
俺は一呼吸置き、脳内の原作知識を総動員して『Sシステム』の全貌を網羅するように、理路整然と説明を始めた。
この学校はリアルタイムで生徒の素行や実力を測っていること。授業中の私語、居眠り、携帯の操作はすべてチェックされており、その都度ポイントがリアルタイムで減点されていること。しかもその減点は個人ではなく、クラス全体の連帯責任としてクラスポイントから差し引かれること。
さらに、定期試験で赤点を取れば一発で即退学処分になること。AクラスからDクラスという配置は優秀な順に分けられたヒエラルキーであり、下位クラスであるこのDクラスからは、毎年多くの退学者が電子の藻屑となって消えていること。
そして最大にして最悪の真実──卒業後に『希望する進路に100%行ける』という特権は、3年間の最後に最も多くのポイントを残せた、たった『一クラス』、即ち通常Aクラスだけに与えられる称号だということを。
「──以上が、俺の調べたこの学校の真実だ」
俺が説明を終えた瞬間、教室内は水を打ったように静まり返った。
唯一、金髪の男──高円寺六助だけが「ふむ、美しいね」と鏡を見て髪を弄っている以外は、全員が声を失って唖然としていた。
しかし、すぐに我に返った生徒たちが、救いを求めるように教壇の横に立つ茶柱先生へと詰め寄る。
「せ、先生、今の凍影くんの話、本当ですか……!?」
「嘘ですよね!? 毎月10万ポイント貰えるんじゃ……!」
「卒業したら、どんな進路でも行けるって言ったじゃないですか!」
悲痛な叫びのような質問が次々と飛ぶ。だが、茶柱先生は腕を組んだまま、一切口を開こうとはしなかった。
ただ、俺は至近距離で見ていた。茶柱先生の綺麗な唇の端が、ほんの僅かに歪んでいるのを。
(あ、今、くくくっ……って声が漏れてる。この人、笑いそうになってやがるな……)
ハグしたくなるほどの美人だが、性格の悪さは一級品だ。だが、彼女が「否定も肯定もしない」という態度を貫いたことで、逆に俺の言葉のリアリティは爆発的に跳ね上がった。クラスの動揺が恐怖へと変わっていく。
俺は間髪入れずに、さらに追い打ちをかけるように告げた。
「俺たちのポイントの査定は、今月からもう始まってる。後ろにある監視カメラを見てくれ。あれはただの防犯カメラじゃない。俺たちの素行を24時間観察しているセンサーだ。テストの成績はもちろん、普段の行いが全て評価対象になる。そして、どんなに文武両道で優秀な人間であっても、素行や性格のどこかに致命的な欠陥がある生徒が、このDクラスに配属される仕組みなんだ」
「欠陥品」という言葉が、重く教室にのしかかる。
Dクラスの面々は完全に唖然とし、顔を青ざめさせていた。だが、現実を受け入れたくない一部の生徒から、必死の反論が飛ぶ。
「んな、そんなの……お前の勝手な勘違いじゃねえの!?」
山内が声を荒らげる。
「そうだよ! 私、自分が一番下のDクラスだなんて絶対に納得いかない!」
篠原もそれに同調して不満をぶちまけた。
(お前たちこそがDクラスの『欠陥』を象徴する存在そのものなんだけどな……)
そんな毒づきを完璧にポーカーフェイスの裏に隠し、俺は努めて優しく、諭すようなトーンで言葉を返した。
「そう思うのは当然だし、俺の言葉を疑う気持ちも分かる。……けど、だったらこの1ヶ月間だけ、俺の我儘に付き合って、全員で真面目に授業を受けてくれないか? もし俺の言葉が本当だった場合、今ここで不真面目に過ごしている人たちは、真面目に授業を受けようとしている生徒たちを最悪の形で巻き込むことになる」
俺はあえて、クラス内の「優秀な人間」の名前を具体的に挙げた。
「君たち自身のポイントだけじゃない。必死にノートを取っている平田や、クラスのために動いている櫛田、静かに勉強している堀北や幸村のポイントまで、君たちの居眠りや私語のせいで削られるんだ。1ヶ月だけ様子を見て、5月にポイントが満額入ってきたら、その時は俺を嘘つきだと笑って、また好きなように過ごせばいい。1ヶ月だけ、様子を見ても遅くないんじゃないか?」
俺は教壇の上で、深々と頭を下げた。
「この1ヶ月だけでいい。俺の我儘に付き合ってくれ」
教室を重苦しい無言の空気が支配する。須藤も山内も、俺の気迫と、茶柱先生の不気味な沈黙に圧されて言葉を失っていた。
──その静寂を破ったのは、やはりあの男だった。
「……僕は、凍影くんの言葉を信じるよ」
平田洋介だった。彼はいつもの爽やかな笑顔を崩さず、真っ直ぐに俺を見て頷いてくれた。
「凍影くんがわざわざ私財(ポイント)を投じてまで僕たちに警告してくれたんだ。それに、もし本当だったら取り返しがつかない。みんな、1ヶ月だけ頑張ってみようよ」
「うん! 素晴らしい提案だと思う!」
平田に続くように、櫛田桔梗がパッと明るい声を上げた。
「私も、みんなと一緒にちゃんと授業を受け続けるよ! せっかく同じクラスになれたんだもん、みんなでAクラスを目指したいな!」
クラスの二大巨頭である平田と櫛田が賛同した。その瞬間、教室の空気は完全に「凍影の言う通りにしてみよう」という方向へと一気に傾いていった。
(助かったぜ、平田、櫛田。ありがとな……!)
心の中で二人に深く感謝する。この二人の影響力がなければ、山内たちの反発を抑え込むのは難しかったはずだ。後で絶対に個別でお礼を言いにいこうと心に決める。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴り、ホームルームの時間が終了した。
教壇を降りる際、茶柱先生と一瞬だけ視線が交差した。彼女は俺を見て、誰も気づかないほど小さく、静かに頷いてみせた。その瞳には、明確な「興味」と「賞賛」の色が混ざっていた。
やれることは全てやった。
原作の知識というチートを使い、Dクラスの最初の破滅を回避するための布石は打った。
あとは、このクラスの連中がどれだけ持ち堪えられるかだ。
席に戻ると、すぐさま左隣から冷徹な視線が突き刺さった。堀北鈴音だ。彼女は腕を組んだまま、冷ややかな横顔のままで声をかけてきた。
「貴方の説明、なかなか興味深いわね。……私が最底辺のDクラスだなんて言われたこと以外は。だから、まだ全てを信用したわけじゃないわ」
プライドの高い彼女らしい言葉だった。自分が欠陥品扱いされたことが、どうしても許せないのだろう。俺は苦笑交じりに肩をすくめた。
「堀北さんは、そのままで真面目に頑張ってくれるだけでも助かるよ。君が授業をサボる姿なんて想像できないしね」
それだけを言い残して、俺は前を向いた。原作を知っている身としては、彼女が4月に他人の足を引っ張るような真似はしないと確信している。今は彼女を無理に説得するより、大人しく勉強させておくのが一番だ。
やがて訪れた昼休み。俺はホームルームで絶妙なフォローを入れてくれた、クラスの二大巨頭のもとへと向かった。教室の片隅で話していた平田と櫛田に声をかける。
「平田、櫛田。さっきは本当に助かった。二人が最初に声をあげてくれなかったら、クラスを納得させるのは無理だったよ。これ、せめてものお礼」
俺はスマートフォンの端末を操作し、二人にそれぞれ15,000ポイントずつを転送した。
「安くてごめん。でも、どうしても受け取ってほしいんだ」
「えっ!? 待って、凍影くん、こんなの受け取れないよ!」
平田が慌てて手を振って拒絶し、櫛田も「そうだよー! 私たちは当然のことをしただけだし、ポイントなんて悪いよぉ」と困ったように微笑む。
「いや、俺の我儘に付き合ってもらった対価だ。それに、これで二人がDクラスのために動く軍資金にしてくれたら、俺としても投資した甲斐がある」
そう言って半ば強引に押し切ると、二人は申し訳なさそうに、しかし俺の「誠意」を真摯に受け止めて払い込みを認めてくれた。これで二人との間に、確かな貸し借りの関係と信頼のベースができたはずだ。櫛田の裏の顔を警戒しつつも、表の彼女を味方につけておく価値は計り知れない。
その後、飯の時間になると、俺は須藤と三宅の二人に拉致されるようにして食堂へと連行された。
食券を買い、席につくなり、須藤がカレーを口に放り込みながら怪訝そうな顔で聞いてくる。
「なぁ凍影。お前、いつからあの学校の仕組みを見抜いてたんだよ。俺はまだ、あのアマ(茶柱)の態度も含めて信じられねえけどよ……」
隣でうどんをすすっていた三宅が、重苦しい表情で呟いた。
「いや、俺は凍影の言う通りな気がする。もしこれが本当だったら、初月から相当ヤバい状況になってたぞ……」
二人の言葉を聞きながら、俺はふと、原作の最大の難所の一つである「赤点即退学」のルールを思い出した。特に須藤の学力は壊滅的だ。放置すれば5月の最初の中間テストで一発アウトになりかねない。
「そういえばさ、須藤。お前、将来プロのバスケ選手になるのが夢なんだろ?」
「あぁ? 当然だ。それがどうした?」
「もしプロになるなら、学歴の肩書きや素行も良いに越したことはない。……ちなみに、勉強は自信あるか?」
俺の問いかけに、須藤はあからさまに嫌そうな顔をして顔を背けた。
「関係ねえだろ、そんなの。俺は体動かすのは得意だけど、勉強はさっぱりできねえよ」
「じゃあ、俺が勉強を教えてやるよ。最悪の事態を想定して、やっておいて損はないと思うぜ」
俺はあらかじめ、午前中の授業の要点と解説を完璧にまとめたルーズリーフをポケットから取り出し、須藤の前に差し出した。チートスペックの脳細胞のおかげで、授業を聞きながら「超初心者向け」の分かりやすい噛み砕いた解説書を即興で作るなど造作もなかった。
「なっ……なんだよこれ、わざわざ作ったのか?」
須藤が驚いたようにリーフを見つめる。
すると、横から覗き込んできた三宅の目が輝いた。
「……おい須藤、これめちゃくちゃ分かりやすいぞ。凍影、これ俺にもくれないか? 実は俺、文系科目がちょっと苦手なんだ」
「ああ、もちろんいいぞ、三宅」
「サンキュ。ほら須藤、お前も今のうちにやっておけ。凍影がここまでしてくれたんだからさ」
三宅に背中を押され、須藤は「ちぇっ、分かったよ……」と渋々ながらも、俺のノートをしっかりと受け取った。
よし、これで須藤の学力を最速で矯正するルートに入った。
俺は内心でガッツポーズを決めながら、食堂のテーブルで、二人に優しく今日の授業の解説を始めた。銀髪のイケメンが熱心に勉強を教えている姿は、周囲の生徒たちの目を少しばかり惹きつけていたが、今の俺には彼らの学力を引き上げることの方が遥かに重要だった。