ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ 作:灰色の
翌日の午前8時前、俺は船内の広々としたカフェ『ブルーオーシャン』のボックス席に身を置いていた。大きな窓から差し込む朝の光が青い海を照らしているが、店内に漂う空気はどこか重苦しい。当然、クラスの要である平田と櫛田も同じテーブルに呼んでいる。
少し離れた隣の席には、護衛とカモフラージュを兼ねて同室の須藤と三宅を座らせていた。
「おい凍影、もし俺がその『優待者』ってやつになっちまったらどうすれば良いんだよ。ぶっちゃけ、周りに隠し通せる自信が微塵もねえぞ……」
須藤が大きな身体を縮こまらせ、貧乏揺すりをしながら声を潜めて言った。
「須藤、お前が選ばれる可能性は極めて低い。13人か14人のうちの1人が優待者だ、学校側もランダムに見えて何かしらの意図を持って配置しているはずだからな。そこまで心配する必要はないだろ」
三宅が呆れたようにコーヒーをすすりながら、須藤の肩を叩いて宥めている。そんな二人のやり取りを見届けてから、俺の隣に座る櫛田が小さくため息を漏らした。
「いよいよだね、雪波くん。あんな重たいメンバーのグループの中で、私は絶対に優待者に選ばれたくないな……。精神的にすり減っちゃいそうだよ」
「本当だね。あの顔ぶれの中でターゲットとして立ち回るとなると、かなりのプレッシャーになるのは間違いない」
平田も同意するように神妙な面持ちで頷く。二人の言葉に対して、俺はあえて何も言わず、静かに腕を組んで携帯の画面を見つめていた。
そして午前8時――。スマートフォンの画面が明るくなり、学校からのシステムメールが一斉に着信した。
画面を開き、本文を確認する。
『厳正なる調整の結果、あなたは優待者に選ばれませんでした――』
「あ、私……良かったぁ! 優待者じゃないみたい。本当に安心したよ……」
櫛田が胸に手を当てて、ホッとしたような笑みを浮かべる。
「僕も違ったよ。ひとまず僕たち3人は、全員が狙う側に回ることになったね」
平田の言葉通り、俺も当然ながら優待者ではない。隣の席の須藤と三宅も、携帯の画面を見て一様に肩の力を抜いているのが分かった。
そうして安堵の空気が流れたのも束の間、平田の携帯が短いバイブレーションを鳴らした。女子生徒からのメールだ。
作戦会議の後で、俺は平田と櫛田に『もしクラスメイトの中に優待者に選ばれた者がいたら、すぐに2人のどちらかに報告させるように』と裏で徹底させておいた。その網がさっそく機能したらしい。
続けて、櫛田のところにも女子から1人、さらに俺のところにも、男子から直接1人の連絡が入った。
「雪波くん、洋介くん、女の子から1人、自分が優待者になったって連絡が来たよ」
「僕の方にも別の女子から来ている。凍影くん、そっちは?」
「ああ、俺のところにも男子から1人連絡があった。これで計3人だな」
俺は集まった3人の氏名を自分の携帯に打ち込み、昨晩完成させた『全十二グループのメンバーリスト』と照らし合わせる。
実際には最初から答えを知っている原作知識だが、ここで即答しては平田たちに怪しまれる。俺はあえて、いかにも膨大なデータを精査しているかのように、険しい表情でしばらく考えるフリをした。
そして十分に時間を置いた後、平田と櫛田にだけ見えるように、携帯のメモ帳に打った文章をそっと提示した。
『優待者の法則が分かった。十二支の順番があるだろ。
鼠(子)グループは、クラスに関係なく出席番号順で一番最初の生徒が優待者だ。
牛(丑)グループは、同じく出席番号順で2番目の生徒。
つまり、十二支の順番と各グループの出席番号の順位がそのまま連動している』
2人は食い入るように画面を見つめ、記載された法則と、先ほど上がってきた自クラスの優待者3人の名前を頭の中で照らし合わせていく。
そしてそのパズルが完璧に噛み合っていることに気づき、目を見開いた。
「わあ……っ」
櫛田が周囲に聞こえないよう、両手で口元を押さえて思わず小さな歓声をあげる。
「凄いよ、凍影くん。これなら、全てのグループの優待者を完全に特定できる……! これ以上の強力な武器はないよ」
平田も興奮を抑えるように拳を握りしめ、小さく熱を帯びた声で頷いた。
脳内の原作知識通りの歪みがそのまま適応されていて、本当に助かった。これで学校側が仕掛けたゲームの底は完全に割れた。
「――よし、これで俺たちは圧倒的な優位に立った。だが、問題はここからだ」
俺の言葉に、平田と櫛田は力強く頷き、その瞳には勝利への確信が宿っていた。
午前8時を回った頃。客室のベッドに座る私、一之瀬帆波のスマートフォンに、学校からのメールに続いて、クラスメイトからの連絡がいくつか飛び込んできた。
画面を確認すると、そのうちの1人から「自分が優待者に選ばれた」という報告が入っていた。
(今のところ、うちのクラスの優待者はこの1人だけ、かな……)
画面を見つめながら、私は小さく息を吐き出して拳をぎゅっと握りしめた。今回の特別試験、Bクラスのリーダーとして、私はどうしても勝ちたかった。
1学期、私たちは順調にポイントを重ねていたはずだった。だけど、先日の無人島試験でAクラスにはさらに点数差を広げられ、後ろからは猛烈な勢いで追い上げてくる凍影君たちのクラスに、一気に差を詰められてしまった。
現在のクラスポイントの差は、わずか79ポイント。
唯一の救いは、1学期の間ずっと卑劣な手段で私たちを苦しめていた龍園君のクラスが、無人島特別試験でのやらかしによって自滅し、最下位へと転落したことだった。
噂では、葛城君の警告を受けた凍影君達のクラスが仕掛けた完璧なカウンターによって、龍園君のクラスは完全に沈んだらしい。同じ時期に入学したはずなのに、信じられないほどの知略と行動力。正直、私たちの手で龍園君を止められなかったことは悔しいけれど、凍影君達の優秀さには純粋に驚かされるばかりだった。
だけど、感心してばかりもいられない。もしこの船上試験で私たちが大きく躓けば、Bクラスは2学期を待たずにCクラスへと陥落してしまう可能性が極めて高い。
(ううん、弱気になっちゃダメ。クラスの皆としっかり協力して、正々堂々と真正面から勝っていこう。よしっ、頑張るぞ……!)
心の中で自分に気合を入れ直した、その時だった。
「ほ、帆波ちゃん……」
不意に、消え入りそうな声で名前を呼ばれた。振り返ると、この船旅で同室になっているルームメイトの千尋ちゃんが、スマートフォンの画面を握りしめたまま、所在なさげに佇んでいた。
なんだか、いつもより少し様子が変な気がする。顔色もどこか青白くて、酷く緊張しているみたいだ。
「どうしたの、千尋ちゃん? 体調でも悪いの?」
「ううん、大丈夫……。あのね、そのっ、もしよかったら、帆波ちゃんに届いてる『優待者の連絡』と、昨日配られたグループのメンバーリスト……私にも見せて欲しいな、って……」
「うん! もちろん良いよっ」
私は千尋ちゃんを心から信頼していたから、何の疑いも持たずに自分のスマートフォンの画面を彼女に向けた。
千尋ちゃんは、差し出された私の画面と、自分が持っているリストを食い入るように見比べ始めた。その真剣な横顔を見守っていると、やがて彼女はハッと息を呑み、震える声でこう言った。
「帆波ちゃん……その、私……優待者の法則、分かった気がする……」
「えっ、本当!?」
私は思わずベッドから身を乗り出した。
確かに、この学校の試験だから何かしらの規則性や法則はあるだろうな、とは思っていた。だけど、試験が始まってまだ1時間も経っていないこの段階で、そんな核心に気付けるなんて。
「千尋ちゃん、凄いっ! どんな法則なの?」
「う、うん……。その、干支のグループの順番と、出席番号がね……」
千尋ちゃんが少し不自然に視線を泳がせながらも、ぽつりぽつりと説明してくれた『優待者の法則』。
それを聞いた私は、すぐさま手元のメンバーリストと、今朝報告のあったBクラスの優待者の名前を照らし合わせてみた。
――子のグループは出席番号の1番目。丑のグループは2番目。
「あ……本当に、ぴったり合ってる……! 凄いよ、千尋ちゃん、大発見だよ!!」
パズルが完璧に噛み合った快感に、私は思わず弾んだ声をあげて千尋ちゃんの両手を握りしめた。
これで全てのグループの優待者が一瞬で特定できる。これなら、他クラスに理不尽に騙されることもないし、私たちの力でBクラスの勝利を掴み取ることができる。
「やったぁ……! 千尋ちゃんのおかげで、今回の試験は絶対に勝てるよっ!」
満面の笑みを浮かべる私に対して、千尋ちゃんはなぜか、泣き出しそうなほど複雑で、ひどく強張った微笑みを返すことしかできていなかった。その表情の裏にある、歪んだ『大人の事情』に、この時の一之瀬帆波はまだ、気づく由もなかった。
「帆波ちゃん……あの、その、優待者を当てるタイミング、なんだけど……」
私の両手を握ったまま、千尋ちゃんがどこか縋るような目で私を見つめてきた。
「うん? タイミングがどうかしたの?」
「その……最初のグループディスカッションが終わってから、1時間後くらいに送信する、っていうのはどうかな……?」
「えっ? なんで?」
せっかく法則が分かったんだから、試験が始まったらすぐに解答を送って、他クラスに考える時間すら与えずに完全勝利を決めちゃった方がいい気がする。疑問に思った私に、千尋ちゃんは視線を泳がせながら、イマイチ歯切れの悪い様子で言葉を続けた。
「えっと……その他のクラスの出方を見るっていうか、周りの実力をあらかじめ測っておいた方が、2学期以降のためにも良いと思うの。だから……」
「……?」
「それに! あまりにも早く優待者を当てちゃうと、学校や他クラスから『何か不正をしたんじゃないか』って疑われるかもしれないし……。それが、嫌だから……」
千尋ちゃんの声は少し震えていて、何かに怯えているようにも見えた。私の気のせいかな?
でも、言われてみれば千尋ちゃんの言うことにも一理あるかもしれない。あまり他クラスに時間を与えたくはないけれど、この完璧な法則がある以上、私たちの優位が揺らぐことはない。それに、本当にこの法則が合っているのかどうか、初日のディスカッションの様子を通じて慎重に確かめたいという気持ちもあった。
「そうだね〜。うん、千尋ちゃんの言う通りかも。ちょっと考えてみるねっ」
私が笑顔で答えると、千尋ちゃんはホッとしたように小さく肩を落とした。
ちなみに、私の所属する『辰グループ』の優待者は、今朝私に連絡をくれた神崎君自身だ。身内が優待者である以上、私たちのグループは他クラスに正解を当てられないように「防衛」に徹することになる。
だったら、別のグループにいる麻子ちゃんあたりに、この法則を使って他クラスの優待者を探ってもらって、ディスカッション終了後に一斉に仕掛けるのが安全かな。
方針は決まった。焦る必要はどこにもない。いつでも好きな時に正解を当てられるんだから。
それよりも、今考えておくべきなのは他クラスとの関係だ。これだけシンプルな出席番号の法則なら、流石に試験終了までにはどこかのクラスが気づくだろう。
だったら、今まで中間試験で過去問を譲ってくれたり、無人島試験で龍園君のクラスのカードリーダー情報を教えてくれたりした凍影君に、この特大の情報を共有して恩返しがしたい。彼らと協力して、Aクラスを引きずり落とせたら最高だよね。
そう思い立った私は、すぐに凍影君に向けてメールを送信した。
『凍影君、今回の試験、私達のクラスと協力しない?』
スマホの画面に並んだ文字をもう一度確認して、私は胸を高鳴らせながら送信ボタンをぽちっと押した。
なんだか、胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じる。
今まで、中間試験の過去問を譲ってもらったり、無人島特別試験では龍園君のクラスのカードリーダー情報を教えてもらったりと、私は凍影君に助けられてばかりだった。そのたびに「ありがとう」とは伝えてきたけれど、言葉だけじゃ足りないってずっとずっと思い続けていた。
(やっと、凍影君に恩返しができる……!)
ずっと貰いっぱなしだった大きな借りを、この最高のタイミングで綺麗に返すことができるんだ。
それだけじゃない。この圧倒的なアドバンテージがあれば、1学期の間ずっとみんなで頑張ってきた、私たちのBクラスの『強さ』と『絆』を、誰よりも評価している凍影君に真正面から見せつけることだってできる。
「どう? 私たちのクラスだって、負けてないでしょ!」って、少しだけ胸を張って言えるかもしれない。
凍影君が驚く顔や、それから「一之瀬には敵わないな」なんて言って苦笑いする姿を想像すると、自然と口元が緩んでしまうのを止められなかった。
……だけど。
私の端末が小さく震えて、返ってきたのは、そんな弾むような期待を綺麗に裏切る、予想外に素っ気ない内容の短いテキストだった。
『すまん、俺達は自力で頑張る方針だ。だから今回は協力は無しで頼む』
「あれれ?」と私は首を傾げた。あんなに頭の良い凍影君が、どうして他クラスからの協力の提案を蹴っちゃうんだろう。気になって、すぐに追加のメールを送ってみる。
『本当にいいの? 勝ちたくないの?』
『大丈夫だ、クラスで勝ちに行くって決めてる。気遣いだけ受け取っておく』
凍影君はどこまでも一点張りだった。
うーん、何か考えがあるのかな。諦めきれない私は、同じグループの桔梗ちゃんにも個別に連絡を入れてみた。
『桔梗ちゃん、今回の試験、Bクラスと一緒に動かない?』
だけど、桔梗ちゃんからの返信も、凍影君と同じようにやんわりと断るものだった。
『ごめね帆波ちゃん、今回の試験は私達も自力で頑張ろうってクラスで話し合って決めたの。クラスメイト全員で力を合わせて乗り越えるつもりだから、協力はできないんだ。本当にごめんねっ』
「そっかぁ……。折角ちょっとだけ助けてあげようと思ったのになぁ〜」
スマホの画面を見つめながら、私は思わず頬を膨らませて小さく「にゃ〜」と声を漏らした。せっかくの好意を断られちゃったのは残念だけど、まあ、プライドやクラスの方針があるなら仕方のないことだよね。
「よしっ、気を取り直して、まずは1学期にたくさんお世話になった凍影君たちの前で、成長したBクラスの頼もしいところを見せられるように頑張ろう!」
私は笑顔を取り戻すと、午後1時からの最初の話し合いに向けて、制服の襟をピシッと正した。