ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ 作:灰色の
前話修正しました、後半が主人公にしては違和感あるのでそれらしく変更致しました。
良かったら読んで頂けると幸いです。
今回は櫛田さんの視点です。ではよろしくお願いします。
——まさか、こんなにすぐ。
彼と、文字通りの「二人きり」の、誰も邪魔できない時間を手に入れられるなんて。
「300kg達成!!」
トレーニングジムの計測ブースに、試験官の驚愕混じりの大声が響き渡った。
直後、周囲で見ていた他クラスの生徒たちから「うおお、マジかよ……!」「化け物かよ……!」と地鳴りのようなざわめきが沸き起こる。
その信じられない熱気の中で、私はただ呆然と立ち尽くしていた。
目の前では、銀髪を汗で少し濡らした凍影雪波くんが、あり得ない重さのバーベルを泰然とした態度で床に下ろしたところだった。
……ねえ、あれってどうやって持ち上げてるの?
信じられないものを見る目で、私は彼の背中を見つめてしまう。
男の子と女の子の身体って、本当に全然違うのかな。だって、私と同じくらいの年齢で、細身でスマートに見える彼のどこに、そんな底無しの怪力が眠っているのか、外見からは全く想像がつかないんだもの。
「ここまでにします」
もうこれ以上の数値を出す必要は無いと判断したみたいで、雪波くんがバーベルから離れてこちらに戻ってくる。
雪波くん! ちょっと、やり過ぎだよっ!
皆の前なので私はいつもの『優しくて心配性な櫛田桔梗』の仮面を完璧に被ったまま、駆け寄って彼の左腕を両手でギュッと掴んだ。
「腕、本当に大丈夫……? 折れたりしていない?」
彼の二の腕を念入りに触って確認する。……平気みたいだ。どこにも異常はなくて、衣服越しでも分かる硬くしなやかな筋肉の感触だけが手の平に伝わってくる。本当にどういう身体の構造をしているんだろう。
「よし、次行くぞ」
私の心配をよそに、雪波くんはフッと余裕のある笑みを浮かべて私の頭を軽く小突いた。
次に私たちが向かったのは、スポーツデッキにあるバッティングブースだった。
「最初は時速80キロから始まるらしい。徐々に球速を上げていくシステムだな」
「時速80キロ……。う、上手くできるかな……」
不安そうにバットを握りしめて見せる。もちろん、周りに人がいるからこれは可愛い女の子を演じるための私の演技。……だけど、実際に打席に立つと、マシンの威圧感に少しだけ本当に足がすくみそうになった。
「まずは桔梗、お前の番だ。肩の力を抜け」
そう言って、雪波くんが私のすぐ後ろに回り込んできた。
一瞬、背中に彼の胸板が触れそうなほどの距離まで近づく。彼が私の両肩にそっと大きな手を置いた瞬間、その体温と男の子特有の匂いが私の感覚を支配した。
「バットはこう握って……もっと脇を締めるんだ。球を最後までよく見て、体幹をぶらさずに振り抜く。いいな?」
耳元で囁かれる彼の低い声が、心地よく鼓膜を揺らす。
後ろから私の身体を包み込むようにして、手取り足取り打ち方を教えてくれる雪波くん。
クラスの誰もが彼に頼り、縋り付こうとしている中で、今この瞬間、彼の圧倒的な有能さと優しさを特等席で独占しているのは——他のみんなじゃなくて、この私。
あは……。やっぱり、雪波くんの相方は私しかいないよね
私の黒い過去も本性もすべて知った上で、「お前は悪くない」と肯定してくれた彼。
背中から伝わってくる彼の圧倒的な頼もしさに、私の心臓はいつもの演技とは違う、本当の熱を帯びて激しくトントンと跳ね上がっていた。
雪波くんの大きな手の温もりが肩から離れると、途端に少しだけ心細さが襲ってきた。
でも、教えてもらった通りに脇を締めてバットを構える。
ビュッ、と乾いた音を立てて放たれた時速80キロの球。私は無我夢中でバットを振った。
カキィン、と小気味いい音が響いて、球が綺麗にネットへと吸い込まれていく。やった、なんとか打つことが出来た……!
「上出来だ、桔梗。その調子でいい」
後ろから聞こえた雪波くんの声に、胸の奥がキュンと跳ねる。
この試験はペアの合計か、どちらか片方でも最後まで撃ち切れればクリアになるルール。
交代した雪波くんは、次にマシンから放たれた時速90キロの球を、まるで止まっているかのようにあっさりと芯で捉えて打ち返した。そのフォームの美しさに、思わず見惚れてしまう。
そして、私の二打席目。電光掲示板に表示されたのは、時速100キロ。
数字を見ただけで、正直に言って身体がすくみそうになる。怖い。あんな硬い塊が新幹線みたいなスピードで飛んでくるなんて、女の子の力じゃ弾き返せる気がしない。
「球の軌道を点じゃなくて線で追うんだ。外れても後ろに俺がいる。思い切っていけ」
打席の外から、雪波くんが優しく的確なアドバイスを送ってくれる。
うん。もし私が空振りしても、失敗しても、後ろには世界で一番頼りになる雪波くんが控えている。
だけど、ただ守られるだけの女の子でいたくない。彼の『相方』として、私もちゃんと役に立ちたい、打ちたい……!
でも、やっぱり怖い……。
色んな感情がぐるぐると混ざり合う中、マシンのアームがガシャリと音を立てた。
頑張れ、私。
心の中でそう強く念じた瞬間、白球が目の前に迫る。雪波くんの言葉を頭の中で反芻しながら、身体が自然と動いていた。
パキィィン!!
衝撃が両腕を震わせる。重い、と本能的に思った。
だけど、手の平には確かに、球の芯を引っ叩いた確かな手応えが残っていた。
綺麗にライナー性で飛んでいった打球を見届け、私はバットを持ったまま小さく飛び跳ねた。やったんだ。たまたまかもしれないけれど、100キロの球を、私は自分の力で打ち返せたんだ……!
興奮する私とハイタッチを交わし、雪波くんが再び打席に入る。
続く時速110キロの球を、彼はやはり何てことのない顔で、いとも簡単に打ち返してしまった。本当に凄いな……。底が全く見えない。
流石にその次の120キロの球は、私のバットは空を切ってしまったけれど、もう悔しくはなかった。ここからは、私の大事な役目——彼の応援だ。
打席に固定された雪波くんの独壇場が始まる。
キィン! キィン! と、鼓膜を震わせる鋭い打球音が等間隔でバッティングブースに鳴り響く。
時速120キロを平然と打ち返し、130キロ、140キロとマシンの速度が上がっていっても、彼のスイングスピードは全く衰えない。それどころか、速度に比例して打球のライナーがどんどん鋭くなっていく。
気がつけば、ブースの周りには人だかりができていた。そして、みんな一様に絶望したような顔をしている。
あれ、これって一体何キロまで撃てるマシーンなんだろ?
雪波くんが正確無比に快音を響かせるたび、後ろで順番を待っている他クラスのペアたちは、完全に諦めムードになって肩を落としていた。そりゃそうだよね、こんな次元の違う化け物を見せつけられたら、勝負する気なんて失せるに決まってる。
ふふっ、最後まで全部打っちゃって良いよ、雪波くん。あなたの凄さをみんなに見せつけてあげて♪
誇らしい気持ちで彼の背中を応援していると、ふと、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこにいたのはBクラスの女の子たち数人だった。
「ねえ、櫛田さん。流石に羨ましすぎるよ。凍影くん、めちゃくちゃ格好よくない?」
「ほんとほんと、流石は桔梗ちゃんだよねー。あんなハイスペックな男の子が、最初から桔梗ちゃんをペアに指名して寄って来たんでしょ、良いな〜」
羨望と、少しの嫉妬が混ざった言葉。
それを聞いた瞬間、私の胸の奥から、どす黒くて最高に甘美な愉悦がじわじわと湧き上がってきた。
「ふふっ、そんなことないよー。私はただ、雪波くんに引っ張ってもらってるだけだしね」
口元には、いつも通りの謙虚で可愛らしいお淑やかな笑みを浮かべておく。
だけど、心の裏側では、激しい優越感で笑いが止まらなかった。
あはは、いい気分……。そうだよ、その通り。どんなに羨ましがったって、雪波くんは『私』のものなんだから。
Cクラスには、他にも可愛い女子や生意気な女子がたくさんいる。長谷部とか、松下とか、軽井沢とか、佐倉とか、そして私の大嫌いな堀北とか。
みんなが裏で彼を意識して、どうにかして近づこうと必死になっているみたいだけど、無駄なんだよ。
だって、この緊急特別試験という大事な舞台で、彼が最初の『相方』として、自分の隣に立つ人間として選んだのは、他の誰でもない、この私なんだから。誰がどれだけ彼に言い寄ろうと、その絶対的な事実だけは絶対に変わりはしない。
バキィィン! と、今日一番の爆音が響き渡り、マシンが全課程の終了を告げる電子音を鳴らした。
完璧なスコアを叩き出し、ふう、と息を吐いて振り返る雪波くん。
私は最高の笑顔を作って、タオルを手に、誰よりも早く彼の元へと駆け寄った。
2種目を完璧なスコアで制覇した私たちが次に向かったのは、ボードゲーム室で行われている3種目目の『オセロ』だった。
このオセロやバスケットボールといった対戦型の種目は、あらかじめ試合の開始時間が決まっている。エントリーしたペア同士による総当たり戦、つまりリーグ戦形式で順位を決めるから当然といえば当然だ。
「……決まったね」
私が最後の一手を盤上に置くと同時に、対面に座っていたBクラスの神崎くんと津辺さんペアが、一様に悔しげな表情を浮かべて肩を落とした。
よし、また勝った。
このオセロのルールは、ただ勝てばいいというわけじゃない。リーグ戦の最終順位には、試合ごとに残した「最終的な石の個数」もカウントされる仕様になっている。だから、上の順位を狙うなら、ただ勝つだけじゃなくて毎回『圧勝』で連勝を重ねなきゃいけない。
私には少し荷が重い条件のはずだった。だけど、そんなプレッシャーは最初から存在しないも同然だった。
男女交互に1手ずつ指していくルールだけど、打つ直前、隣にいる雪波くんが盤面を見つめながら、私にだけ聞こえるような微かな声でそっと次の一手を教えてくれる。他クラスとの不正なポイント裏取引や不当なスコア操作は禁止されているけれど、ペア同士が教え合うこと自体はルール上、何の問題もない。
……すごい。本当に、全部雪波くんの思い通りに盤面がひっくり返っていく……
対戦相手がどんなに考えて打ってきても、雪波くんが指示する座標に石を置くだけで、相手の包囲網が面白いように瓦解していくのだ。まるで、私の思考すら停止させて、彼の優秀な脳細胞に私の身体すべてを操られているかのような、奇妙で、それでいて強烈にゾクゾクする感覚。
こんなに次々と、上位クラスの強敵たちを簡単に倒していけるんだから、彼への依存度が上がっちゃうのも仕方ないよね。
心地よい全能感に浸っていると、ブースの入り口から新たな対戦相手が姿を現した。
Aクラスの山村美紀さんと、橋本正義くんのペアだ。
山村さんはいつも通り気配を消して俯いているけれど、隣の橋本くんは歩きながら何やら手元の携帯を熱心に操作している。……誰かと連絡でも繋がっているのかな? おそらく、葛城くんに代わってクラスを仕切っている坂柳さんあたりから、裏でリアルタイムに指示でも受けているんだろうか。
「よっ、噂のCクラスはここでも絶好調みたいだな。外まで勝ち名乗りが聞こえてたぜ?」
橋本くんがトレードマークの軽い笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振って席についた。
「Aクラスこそ、この試験は稼ぎ放題だろ。誰も足を引っ張る奴がいないんだからな」
雪波くんが表情を変えずに淡々と返すと、橋本くんは「手厳しいねえ」と肩をすくめて苦笑した。
「そりゃ学力系に関してはうちのクラスも自信あるけどさ。こういう一発勝負のボードゲームとかスポーツ系は、イマイチ自信ないんだよな。特に凍影、お前みたいな奴が相手だとさ」
どうやら昨夜の最下層での事件、すでに橋本くんの耳にも届いているらしい。彼の目が、雪波くんに対して明らかに強い警戒の色を帯びている。
「そんなことないよ、橋本くん。私、オセロなんて普段全然やらないから、とっても緊張してるんだ。……お手柔らかにお願いね?」
私はいつもの愛されキャラの笑顔を完璧に作り、両手を合わせて小首を傾げた。
心の底では、雪波くんという絶対的な盾を隣に据えて、目の前のAクラスをどうやって完璧に叩き潰してやろうかと、黒い愉悦をこれでもかと滾らせながら。
——それは、息を呑むような、あまりに濃密で凄まじい頭脳戦だった。
対局が始まって中盤に差し掛かった頃から、ボードゲーム室の空気は完全に変質していた。
対面の橋本くんは、耳に装着したイヤホンマイクから聞こえる声にじっと耳を傾け、指示された座標に慎重に石を置いていく。おそらく、通話の向こう側にいるのは、あのAクラスを支配する車椅子の少女——坂柳有栖さんだ。
対するこちらは、雪波くんが盤面をじっと見つめ、一瞬の思考の後に私に伝える微かな指示に従って、私が石を指していく。
実質的に、この狭い盤上で行われているのは、私と橋本くんや山村さんの試合じゃない。
凍影雪波と坂柳有栖という、二人の「天才」による、お互いのプライドと知略を賭けたダイレクトな一騎打ちだった。
勝負は、どちらが勝つか最後の最後まで全く分からない混沌とした泥仕合の様相を呈していた。
橋本くんから状況を聞いている通話相手の人物が、見たこともないほどの長考に入って沈黙したかと思えば、今度は雪波くんがふっと一瞬だけ静かになり、即座に次の最善手を私に耳打ちしてくる。
一手打つたびに、盤上の白と黒が激しく入れ替わり、じりじりと脳を焼くような強烈な緊張感がブース全体を支配していた。私も、あまりのピリピリした空気に、自分の番が回ってくるたびに指先が少し震えてしまうほどだった。
そして、張り詰めた糸が切れるようにして、最後の1マスが埋まった。
結果は——。
「……あーあ、負けたよ。バックに『天才』を据えて、ここまでお膳立てしてもらって勝てないとはな。完敗だ」
橋本くんが両手を上げて、あきらめたように息を吐きながら背もたれに体重を預けた。
その隣で、ずっと影のように俯いていた山村さんも、盤面を見つめたまま「嘘……あの坂柳さんが……」と、信じられないものを見たように小さく、けれど確かに驚愕の声を漏らしていた。
「ふぅ……」
雪波くんも、深く、静かに一息をついた。その額には、珍しく薄っすらと汗が滲んでいる。
「ずっと押されてる気がしてたよ。一手でも間違えたら、その瞬間に盤面ごと全部持っていかれるような、恐ろしいプレッシャーだった」
そう語る雪波くんの表情は、どこか強敵と戦い終えた後のような、充実感に満ちた爽やかなものだった。
「私も……最後まで心臓がバクバクして、本当にドキドキしたよぉ……」
私は胸に手を当てて、ホッとしたような笑顔を作って見せた。
勝った。確かに勝った。
けれど、最終的な石の数の結果だけを見れば、雪波くんの鮮やかな包囲網による私たちの『圧勝』のはずなのに、そのプロセスの密度が、中身が、あまりに凄すぎた。
雪波くんも、橋本くんと通話していた坂柳さんも、次元が違いすぎる。普通の高校生がやるオセロのレベルを遥かに逸脱した、歴史に残るような名勝負の瞬間に、私は彼のすぐ隣で、彼の『手』として立ち会っていたのだ。こんなゾクゾクするような特別な体験、彼と組んでいなきゃ絶対に味わえなかった。
気がつけば、私たちの対局を遠巻きにハラハラしながら見守っていた、他クラスやAクラスの生徒たちが、一斉にざわつき始めていた。
「おい、マジかよ……」
「嘘だろ……あの坂柳が裏で指示出してて、負けたのかよ……!?」
周囲の呟きを聞いて、私の確信は深まった。やっぱり、橋本くんの通話相手は坂柳さんだったんだ。学校の頂点に君臨するあのAクラスのリーダーを、私の雪波くんは、真っ向からの知恵比べで叩き潰してみせたのだ。
「いい刺激になったぜ、凍影」
橋本くんが席から立ち上がり、苦笑しながら右手を差し出してくる。
「また暇な時にでも、情報交換がてら話でもしようぜ」
「ああ……持ってくる内容次第だな」
雪波くんも立ち上がり、その手をしっかりと握り返した。 冷徹で、けれど対等な強者として橋本くんと渡り合う彼の背中を見つめながら、私の心の中の独占欲は、もう留まるところを知らないほどに膨れ上がっていた。
あはは……凄い。やっぱり雪波くんは本物だ。そんな彼を、私が独り占めしてる……!
誇らしさと歪んだ愛着で胸をいっぱいにしながら、私は次のブースへと歩き出す彼の斜め後ろを、ステップを踏むような軽い足取りでぴったりとついていった。
前話の最後の方もよろしくお願いします。