ようこそ原作主人公抜きで頑張る教室へ   作:灰色の

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休日

 

 

翌日は、心弾むような五月の青空が広がる休日だった。

 

俺は一之瀬帆波からの誘いに応じ、ケヤキモール内にあるお洒落なオープンカフェに足を運んでいた。休日のモールは多くの生徒たちで賑わっていたが、テラス席の向かい側に座る一之瀬は、今日も周囲の目を引くほどに快活で、瑞々しい美貌を輝かせている。

 

 

「本当に驚いちゃった! まさか中間試験の問題が毎年ほとんど同じだなんて、そんな裏技みたいな仕組みになってるなんてびっくりだよ〜!」

 

 

運ばれてきたアイスマキアートのグラスを手に、一之瀬はパッと花が咲くような笑顔で声を弾ませた。俺が渡した過去問のコピーのおかげで、Bクラスは大半が満点というこれ以上ないロケットスタートを切ることができたのだ。嬉しさを隠しきれない彼女の様子に、俺はフッと口元を緩めた。

 

 

「役に立ったなら良かったよ。また何か困ったことがあったら、いつでも言ってくれ。俺にやれることなら、いくらでも力になるからさ。……まあ、うちのクラスの邪魔をしない限りは、だけどな」

 

 

完璧な銀髪のルックスに少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、一之瀬は「あはは、そうだよね」と楽しそうに笑った後、ふと真剣な表情をその美しい瞳に宿した。

 

 

「でも、良いの? 私たち、別のクラスなのに……。普通ならライバルを助けるような真似、なかなかできないよ?」

 

 

一之瀬の純粋な疑問。Bクラスに恩を売るという損得勘定はもちろんあるが、俺はあえて、学内のパワーバランスを意識した別の大義名分を口にした。

 

 

「確かにそうだが、噂で聞いてるCクラスのやり口──他クラスを執拗に脅迫したり妨害したりするような手段を、この学校でまかり通らせる訳にはいかないと思ってるからな。真っ当に戦う奴が損をするのは、見ていて気分が良いもんじゃない」

 

 

龍園翔の陰湿な妨害工作を牽制する意図を混ぜて告げると、一之瀬は深く感銘を受けたように、胸の前で小さく拳を握りしめた。

 

 

「そっか〜……。うん、そうだよね! 私も本当にそう思う。理不尽な嫌がらせに負けたくないもん。でも、だからこそ本当に助かったよ、凍影くん」

 

 

彼女の信頼のゲージが、俺に対して一気に跳ね上がるのを感じる。だが、ここで甘やかして終わるつもりはない。俺は一之瀬を真っ直ぐに見据え、今後の残酷な現実を釘を刺すように、少しトーンを落として告げた。

 

 

「……ただ、過去問っていう裏技が通用するのは、この中間試験だけだ。学校側も馬鹿じゃない。次の期末試験からは、完全に実力勝負の初見問題になる。だから、今回上手くいったからって、過去問に頼り切るような癖をクラスにつけちゃダメだぜ」

 

 

俺の現実的な忠告に、一之瀬は一瞬だけハッとしたように目を見開いたが、すぐにクスクスと魅力的に微笑んだ。

 

 

「ふふっ、流石にそうだよね。甘えてちゃダメかぁ。……うん、分かった! 私たちのクラスも次はしっかり実力で勉強して、凍影くんたちのクラスに負けないように頑張るからね!」

 

 

負けず嫌いな一面を覗かせ、人懐っこい笑みを浮かべる一之瀬。その真っ直ぐな宣戦布告が心地よく、俺は背もたれに身体を預けながら、不敵な笑みを返した。

 

 

「受けて立つよ。……まあ、俺個人を相手にするなら、どんなジャンルであれ負ける気はしないけどな」

 

 

チートスペックの頭脳と肉体を誇る俺の、絶対的な自信。それを単なる冗談交じりのビッグマウスだと受け取った一之瀬は、頬を膨らませて楽しそうに声を上げた。

 

 

「うにゃ〜! 言うね〜、凍影くん! よーし、次のテストの点数、どっちが上か勝負なんだからね!」

 

 

カフェの爽やかな風が、俺の銀髪と一之瀬の髪を優しく揺らす。

クラスの絶対的なリーダーである一之瀬帆波を完全に味方(協力者)として引き込み、Bクラスとの強固なパイプラインを確立した。櫛田の爆弾、堀北の依存、そして一之瀬との同盟。

 

Dクラス浮上のための外堀を俺は確実に埋めていた。

 

 

 

 

夜が更けた頃、俺の部屋のチャイムが静かに鳴り響いた。

 

インターホン越しに応答すると、スピーカーから聞こえてきたのは、いつもの弾むようなトーンを失った櫛田の声だった。

ドアを開けると、そこには所在なさげに佇む彼女がいた。俺が中に招き入れると、櫛田は一言も発しないまま、トボトボとした足取りで部屋の奥へと進み、促されるよりも前にベッドの端へぽつんと腰掛けた。終始、視線は床に落とされたままだ。

 

 

「よ、どうした? 疲れたのか? ……ちょうどいいや、美味そうなケーキを用意してあるんだ」

 

 

緊迫した空気を和らげるため、俺は努めて軽い口調で語りかけた。冷蔵庫を開け、元々は自分が夜食にするつもりだったショートケーキを取り出す。だが、皿に移して振り返っても、櫛田は固まったように下を向いたままで、ピクリとも動かない。

 

 

「櫛田……?」

 

 

不審に思った俺は、ケーキの皿をローテーブルに置き、ベッドの彼女の隣へとゆっくり腰を下ろした。

その瞬間だった。

櫛田の小さな手が、迷うように泳いだ後、俺の右手をきゅっと力強く掴んできた。

 

 

(……おいおい、何が始まるんだ?)

 

 

じわりと彼女の手の熱が伝わってくる。教室内で見せる完璧なアイドルの姿とは程遠い、酷く脆くて危うい温もりだった。そのまま、部屋の中を濃密な無言の時間が支配する。時計の秒針の音だけが、やけに大きく響いていた。

 

やがて、櫛田が掠れた声で、ぽつりと口を開いた。

 

 

「ねえ、凍影くん……」

 

「ん?」

 

「凍影くんはどうして、このクラス(Dクラス)にいるの……?」

 

 

下を向いたまま、彼女は俺の手を握る力をさらに強めた。

 

 

「……凍影くんがこないだ言った、私の理由と同じなの?」

 

 

凍りつくような問いかけだった。彼女は、俺が自分の過去(裏の顔)を見抜いた理由をずっと考えていたのだろう。そして、俺自身も彼女と同じように「何らかの致命的な欠陥」を抱えてこの最底辺に叩き落とされた同類なのかを、確かめにきたのだ。

 

俺はどう答えるべきか、チートな脳細胞をフル回転させて迷っていた。

ここで適当な嘘で誤魔化すのは容易い。だが、何も語らない、あるいは完璧な優等生を演じることは、彼女を信用していないという明確なメッセージになり、せっかく築いた『唯一の本音を話せる理解者』としてのポジションを崩壊させかねない。

 

覚悟を決め、俺は前世──すなわち、この身体(凍影雪波)になる前の、本物の「俺」の過去を語ることにした。

 

 

「……中学初期の俺は、決して優秀な人間じゃなかった。周りの奴らが優秀すぎて、完全に埋もれるレベルだったんだ」

 

 

本当のことを話す。それは転生前の、息の詰まるような現実の記憶。

 

 

「家族から脅されるようにして、必死に勉強を始めたんだ。俺の両親は冷酷でさ、俺が欲しがったゲーム機一つすら、絶対に買ってくれなかった。家にお金がないわけでもないくせに、だ。だから俺は、どうしてもゲームが欲しくて、必死にテストの点数を上げようとした。ゲームの話で盛り上がってるクラスの皆の輪の中に、どうしても入りたかったから」

 

 

自分の過去の格好悪い部分を、俺は隠さずに言葉にしていった。櫛田の手が、わずかに震える。

 

 

「だけど……どれだけ必死に机に向かっても、元から優秀な周りの連中に追いつくことは叶わなかった。両親は結局、俺の望むものは何も買ってくれず、ただ新しい問題集ばかりを買い与えて、俺を縛り付けたんだ。そのくせ、毎日『学校で何があったのか教えろ』としつこく聞いてくる。無趣味で、みんなの話題についていけない俺は、友達と話す材料なんて何一つ持ってなかった。だから、教室ではいつも一人でいたよ。完全に孤立していたんだ」

 

 

俺の手を握る櫛田の手先が、冷たくなっていくのが分かった。

 

 

「でも、そうやってありのままを話すと、今度は両親が激昂するんだ。『なんで友達と話さないんだ、お前は協調性がないのか』ってな。……理不尽だと思ったよ。共通の話題もない、何を話してるかも分からない相手の顔色をわざわざ伺って、その場に無理やり合わせるなんて、俺には到底出来なかった。だから、俺は両親のことが心の底から大嫌いで……この、外部と完全に遮断された学校を受験して、家から逃げ込んできたんだよ。俺が今、お前たちの前で見せてるような『このレベル(実力)』になれたのは、文字通り、この学校に入った今この瞬間からなんだ」

 

 

話し終え、俺がふっと息を漏らすと、それまで頑なに床を見つめていた櫛田が、ゆっくりと顔を上げた。

その瞳には、いつもの眩しい光はなく、どす黒い感情と、激しい動揺が混ざり合った本物の『裏の顔』が露わになっていた。

 

 

「……親が、嫌いなの?」

 

「ああ、大嫌いだ」

 

 

俺は一切の迷いなく、冷徹に言い切った。

その答えを聞いた瞬間、櫛田の表情から張り詰めていた警戒心が、ほんの少しだけ融解したように見えた。家族への嫌悪、周囲への不信感、そして理不尽な環境への怒り。アプローチの形は違えど、俺の中にある「強烈な闇」の片鱗に触れたことで、彼女は俺を少しだけだが、本当の意味での『同類』だと認識したかも知れない。

 

 

「……でも、今のこのクラスでは、ちゃんと友達が出来てるんじゃない? 須藤くんとか、三宅くんとか」

 

 

櫛田は俺の手を握ったまま、探るような、どこか縋るような複雑な瞳でそう問いかけてきた。周りから見れば、入学早々クラスの主要メンバ―を従え、瞬く間に中心人物へと躍り出た俺の姿は、孤立していたという過去と矛盾しているように映るのだろう。

 

だが、俺は自嘲気味にフッと鼻で笑い、冷徹な現実を口にした。

 

 

「良くも悪くも、能力面で俺が圧倒的に優位だから成立している関係さ。実際、対等な友達って関係にはあまり思えないよ。向こうの二人からしたら、勉強をわかりやすく教えてくれるから仲良くしてくれる。バスケが自分より上手いからライバル意識を持って突っかかってくる。……冷たい言い方をすれば、そんな利害関係の延長線にあるものだと思う」

 

「……クラスのみんなを、信頼してないんだね」

 

「ああ、少なくとも完全にはな。この学校のシステムを知れば知るほど、いつ誰が誰を裏切るか分からない。他人に100%の首根っこを預けるような真似は、俺にはできないよ」

 

 

俺の冷徹な一線。それを聞いた櫛田は、息を呑むように小さな胸を上下させた。そして、俺の手を握る指先にぐっと力を込め、壊れ物を扱うような、消え入りそうな声で核心を突いてきた。

 

 

「じゃあ……私は? 私は凍影くんにとって、何……?」

 

 

その問いかけに、室内の空気が一瞬で凝固した。

俺はすぐには答えず、しばらくの間、無言のまま彼女の瞳を見つめ返した。静寂のなかで、お互いの呼吸の音だけが重なり合う。

 

 

「今はまだ、櫛田の本当のところは分からないよ。俺が前に話したことも、全部ただの推論だからな」

 

 

一拍おき、俺は彼女の心の奥底へ届くよう、あえて優しく、語りかけるようにトーンを落とした。

 

 

「でも、お前が時々、クラスのために割に合わない仕事を笑顔で引き受けてる姿を見てると思うんだ。……誰もが絶賛するような『ただの本当の良い子』よりも、本当はドス黒い感情を抱えていて、それでも必死に頑張って良い人を演じ続けている人間の方が、俺は人間らしくて親近感が湧く。そういう奴とこそ、お互いの仮面を外して、本音を話せる気がするからさ。だから……もし櫛田が、俺の想像通りの『演じている人間』なのだとしたら……俺はお前と、誰よりも深いところで繋がりたいって思うんだ」

 

 

俺の言葉は、彼女の『裏の顔』を暴くための脅迫ではない。彼女の歪みも、その努力も、すべてを包み込んで全肯定する究極の包容だった。

 

櫛田は何も答えなかった。

唇を強く噛み締め、大きな瞳に言葉にならない激しい感情の渦を宿したまま、ただじっと俺の銀髪の容姿を見つめている。

 

だけど──。

俺の手を握る彼女の小さな手の震えは、いつの間にか止まっていた。

その瞳の奥に灯ったのは、拒絶でも警戒でもない。世界でたった一人、自分の本質を理解してくれるかもしれない存在を見つけた、強烈な依存と救いの光だった。

 

カーテンの隙間から差し込む月光が、ベッドに並んで座る俺たちの影を一つに重ね合わせる。

 

 

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