一話.白の森
桜色のツインテールが、風に
背中の白い翼を羽ばたかせ、
地平線まで果てなく続く、緑の森林と青い空。
木々の上では
「空を飛ぶのって、すっごく好き!」
「風も、気持ちいいね!」
白を基調とするワンピース式セーラー服に、ジャケット型の上着を羽織る桜花が笑う。
胸元からは子狐の
紅葉の首には、赤いルビーのネックレス。
下を見ると広大な森林に、ぽっかりと切れ間があった。
「くーちゃん、あそこ。
「ほんとだ。暗くて…深い」
「うん。…くーちゃんと会えた場所はどこだろう」
切れ間から見えるのは、長く続く谷。
谷間に
「真っ暗だ…わわっ」
「ひゃっ!」
翼を傾け、谷の切れ間に沿うように旋回した桜花が、ぐらついた。
段々と落ちて、風に押され左右に揺れる桜花の身体。
両手と翼を広げてバランスを取り、持ち直した。
「ふー…」
「…落ちなくて、よかった!」
「ね」
緩やかな曲線を描く崖に沿って、ゆっくりと飛ぶ。
谷底の見えない崖は、途切れない。
「わ…すごく長いよ、おねえちゃん!」
「深くておっきいね!
風を浴びながら飛び続ける二人。
視界の右には、雲を高く超えてそびえ立つ星樹アルヴがある。
星樹からは、マナが立ち昇っているのが見えた。
「ヴェムティアが言ってたみたいに、星樹のマナって濃かったんだ」
「…ほんとだ。ここまで来ると、マナが薄くなってるね」
ふと、桜花が紅葉に目を落とした。
きょとんとした目で、見つめ返してくる紅葉。
「保持魔法、まだ使ってても大丈夫そう?」
「うん! マナも大丈夫だよ」
「ありがとう、くーちゃん。…でも、無理はダメだからね」
狐耳をそっと撫でると、紅葉はくすぐったそうに桜花に頭を擦り付ける。
「はーい」
「んに。あっちのマナ、ちょっと多い?……ざわざわする感じ。行ってみよ!」
「うん。ついてく!」
空中で旋回した桜花の身体は崖を越えて、星樹を後ろに、どこまでも続く森林へ飛んでいった。
高く空から、日の光が降り注ぐ。
△▼△▼△▼△▼△
「やっ!」
桜色のツインテールが
半透明の
「グギュウウゥッ」
何本もの長い牙を持つ豚から、赤い鮮血が散った。
その体躯が地面に倒れ、小さな地響きが鳴る。
「…ごめんね」
一度目を伏せると、桜花は肩にかけたポーチからごそごそと
図鑑を開くとパラパラとぺージがめくれ、一つのページで止まった。
そのまましゃがみこんだ桜花は、紅葉と並んで図鑑を読む。
「この魔性は、牙ボアだって。お肉は弾力があるけど脂が乗っていて、
「あれ、どうなんだろ」
「うーん。暖かいし、葉っぱも緑色だけど…」
座ったまま、きょろきょろと辺りを見渡す桜花。
木々は青々と伸び、大地には
白いウサワタが風に流され、気ままに転がっている。
「春っぽい、のかな?」
「かも。……分かんないね!」
首を傾げる紅葉と、笑いかける桜花。
小さく、腹の音が鳴った。
「えへへ。マナの多いところに行く前に、まずはご飯にしよっか!」
「うん!」
小川のせせらぎの側で、パチパチと
焚き火を囲むように、枝に刺さった肉が並ぶ。
「お肉の匂い…!」
「おいしそうだね、おねえちゃん」
焼きあがったボアの肉を枝から抜き取り、大きな葉っぱの上に置いた桜花。
背中の翼は、今は生えていない。
傍に置いていたカゼハバネを
肉の断面から、湯気が立ち昇った。
両手を合わせる桜花と、ちょこんと座る紅葉。
「「いただきます!」」
湯気を上げる焼けた肉を口に運び、はふはふと口の中で冷ます。
噛むと、じんわりと肉汁が広がった。
「んー! おいしい!…さっぱりしてる!」
「ほんとだ。油が多いのに、油っぽくない!」
両手を頬に当てて肉を噛む、桜花の笑顔が弾ける。
葉っぱの上の肉を食べきった、桜花と紅葉の視線の先には黄色の果実。
三角形の瑞々しい果実を、手に取った。
「くーちゃん。これも食べてみよう!」
「…おねえちゃん、まだ
「そうだった! くーちゃん、えらい」
紅葉のもこふかの頭を
『
桜色の炎が黄色い果実を包むと、炎が揺れ始めて赤色になる。
二人が顔を見合わせる。
「これは、食べちゃダメみたいだよ」
「うーん。こっちはどうだろう」
黄色い果実を置いた桜花は、ポーチから緑の果実を取り出した。
桜色の炎で緑の果実を包むと、炎の色や揺らぎに変化はなかった。
「わ! こっちは大丈夫そう」
「よかった。…食べてみる?」
「そうしよう!」
カゼハバネを握った桜花は、『クリア』と唱えた。
二人の足元に桜色の魔法陣が展開して、いくつもの泡が桜花たちとカゼハバネを包む。
「しゅわしゅわで、体も綺麗になって、気持ちいいね!」
「くれは、この魔法すき」
「えへへ。私も」
桜花はカゼハバネで、緑色の果実を切り分けた。甘い匂いが漂う。
新たに取り出した葉っぱの上に、白い
二人は、果肉を同時に口に含む。
「甘い!…あれ。――にぃっがい!!…にがいぃ…」
一瞬だけ顔を
舌の上に残ったままの果肉を、葉っぱに出す。
隣を見ると、紅葉は体毛を
「わわっ。くーちゃん、大丈夫!?」
「――おねえちゃん!…すごくまずいよ!」
「……ぷっ。あはは! びっくりするくらい、不味いね」
葉っぱに吐き出した後も、紅葉は目を白黒させる。
紅葉の背中を、何度も撫でる桜花。
『飲み水』と唱え、魔法陣から生み出した水で二人揃って口をゆすいだ。
「うぅ。まだ口の中が苦いよぅ…」
「…食べれても、おいしいとは別なんだ」
肩を落とした桜花は、舌を出したままの紅葉を抱え、耳を揉む。
されるがまま、紅葉は耳を揉まれる。
「そうみたい。まずかった…」
「んに。…まあ、そんなこともあるよね! 次は気をつけよう」
「…ふふ。うん!」
紅葉を抱えたまま、木の根本に寄りかかった桜花。
日差しを反射して煌めく、小川の水面を見ながらひと休みした。
△▼△▼△▼△▼△
白い翼を羽ばたかせて、空魚の群れの中を飛ぶ。
全身で風を浴びている。
「夢みたい。お魚たちと、飛んでる!」
泳いでいる、様々な種類の魚を見渡す桜花たち。
「くーちゃん! 右上のほうを見てみて」
「みぎうえ? わっ。…すごい」
桜花たちの上には、縦長の大きな魚がいた。
のんびりと泳ぐ魚の下を、通り過ぎる。
「魔性図鑑、使えるかな?――わわっ」
「きゃっ!」
ポーチに手を伸ばした桜花は、バランスを崩した。
少し降下するも、持ち直す。
「…大丈夫?」
「ふぅ…まだ、慣れてないみたい」
ポーチに伸ばしていた手を、今度は紅葉の頭に乗せた。
少し速度を落として飛び続ける。
そのまま飛び続けていると、桜花たちは空魚の群れを抜けた。
「ばいばい!」
顔だけで空魚の群れに振り返り、桜花は前へ飛ぶ。
すぐ下の森を見ると、緑色の森林が続いている。
「マナの多い場所、そろそろだと思うんだけど…」
「うーん。何も変わらないね」
「…寝るところも探さないとだ」
陽は落ち始めて、空に橙色が混ざっていた。
木々の間の影が深くなり、地面がまばらにしか見えない。
「おねえちゃん、どうする?」
「ん。今日は、ここまで!…さっきの川に戻ろう」
飛びながら、速度を緩めた桜花。
――瞬間。視界一面が、白に染まる。
「なに!?」
「ぇ…」
周囲の森が、空が、真っ白に変わった。
「白い…森?」
鳥の鳴き声も、枝葉のざわめきも、辺りの音がピタリと止んだ。
色が抜けたように、枝葉の白い木々が並んでいる。
「白い、森……。白き森…おねえちゃん!」
「そうだ。…白き、森」
桜花と紅葉が顔を見合わせる。
「ヴオオオオオオオオオオオ」
「んにっ!」
地響きのような、太く低い音が鳴り響いた。
思わず翼の羽ばたきが止まり、落下し始める桜花。
「落ちてる!」
紅葉の悲鳴のような叫びが上がった。
「わわわっ」
慌てて翼を動かして、揺れる姿勢を整える。
くすんだような白い木の枝にぶつかる直前で、滑空して再び飛び上がった。
「危なかった…」
体勢を立て直して、飛び上がる桜花は音の鳴った方を、見た。
「っ――」
「…おねえちゃん? ひっ」
黒い巨人が、いた。
離れた木々の中に
その姿は、人よりも
「マナ、じゃない…。マナよりもっと…」
その身体が、ガタガタと震えだした。
「…逃げよう」
身体を揺らしながら、不安定に空中で旋回する。
黒い巨人は、動かない。
紅葉がか細い声で問いかける。
「おねえちゃん…どこに行けば、くれはは…」
「…さっき、
震える手で一度、紅葉の頭を撫でる桜花。
「ヴオオオオオオオオオオオ」
「ひっ」
空気を揺らすような、太く低い音が続いた。
紅葉が、桜花にしがみつく。
大きく翼を羽ばたかせ、速度を上げた。
白い木々の上で、白い空の下を、突き進む。
「たぶん…ここ!」
膜を抜けた感覚があった。
真っ白だった視界が、色を取り戻す。
茜色の空と緑の森が広がっていた。
それでも、桜花は速度を緩めず真っすぐに飛び続けた。
△▼△▼△▼△▼△
小川のせせらぎの音が鳴る。
夜の
川辺からほど近い木の
「くーちゃん、ごめんね。…大丈夫?」
「大丈夫だよ、おねえちゃん。ありがとう」
紅葉の頭を撫でる桜花の手は、まだ少し震えていた。
「へへ。もこふかだ」
「おねえちゃん、あったかい」
膝の上の紅葉にぎゅっと抱き着くと、紅葉は桜花に頬ずりをする。
虫の声が、静かに鳴いていた。
紅葉がポツリと呟く。
「さっきの、怖かったね」
「うん。マナよりも、もっとむき出しで……何も分かんないや」
桜花は小さく、吐息を吐いた。
「白き森、なのかな」
「たぶん、そう。ヴェムティアの言ってた」
洞の中から夜空を見上げると、無数の星と、少し欠けた翠の半月がある。
ほどいた髪が、かすかに靡く。
「月、今日は緑だ」
「うん。きれい」
澄んだ空を見る二人。桜花が微笑みかける。
「…また、二人で木の中だね」
「そうだね。おねえちゃんと会えた最初の日とおんなじ」
「あの日も、くーちゃんが助けてくれたんだよ」
力を抜いた桜花は、紅葉と共に洞の壁にもたれかかった。
ポーチから、
「…すべすべさらさらだ。花妖精のお手製
「お手製特製でもあるよ!」
笑う二人は絹布をかぶって、でこぼことした木の天井を見る。
「明日も冒険だ。…明日は何があるかな」
「たのしみ?」
「…うん。とっても」
翠の月光が、洞の中を仄かに照らしていた。