うたう竜と桜の世界【StarNotes】   作:逢生 藍

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二話.澄んだ湖畔

 ヒュン――と風を切る音が鳴る。

 目を覚ました紅葉は、断続的に音のする(うろ)外へ、ぼんやりと顔を出した。

 

 桜花が、小川の側でカゼハバネを振っている。桜色のロングヘア―が、踊る。

 剣を振る度に鳴る、風を斬る音。

 

 ふと、紅葉に気づいた桜花が視線を向けた。

 

「あれ、くーちゃん。起こしちゃった?」

「ううん。でも、朝からやってるの?」

 

 洞から飛び降りた紅葉は、桜花に歩み寄る。

 

「うん。昨日の夜はできなかったから」

 

 カゼハバネで宙をなぞって、頷いた桜花。

 刀身を(さや)に収め、指先に桜色の魔法陣を展開した。

 

『クリア』

 

 しゅわしゅわの泡が桜花を包み、身体の汗や汚れを落とす。

 続けて、再び桜色の魔法陣。

 

『飲み水』

 

 空中に浮いた二つの水の球が、桜花と紅葉に向かう。

 

「…それに、もうちょっと上手くできそうで。――ん」

 

 目の前で浮く、水の球を口に含んで飲み干した。

 紅葉も水を飲み終えるまで待ち、抱き上げる。

 

「朝ご飯にしよっか。お腹ぺこぺこだ」

「くれはも! …昨日のボアのお肉、まだある?」

「いっぱいあるよ! たくさん食べようね」

 

 足元に置いてあったポーチをさすり、川辺に歩く。

 朝日を反射した水面(みなも)が、キラキラと輝いていた。

 

 

 結び終えた、桜色のツインテールの両端を持ち上げる。

 髪の(ふさ)を見比べてから、小首を傾げた。

 

「くーちゃん、どうかな?」

「バッチリだよ、おねえちゃん!」

「えへへ。ありがとう」

 

 ツインテールから手を離して、くるりと回った桜花。

 

 ペンダントにしている、銀のチェーンに通した胸元の指輪を握り締める。

 

「うん」

 

 指輪を制服の内側にしまい込んで、スニーカーで地面を二度、トントンと叩いた。

 駆け寄る紅葉を抱き上げる。

 

 背中に、ふわりと白い翼が生えた。

 翼をぴょこぴょこと動かして、そして大きく開く。

 

「よし、行こっか!」

「うん!」

 

 大地を駆けて、勢いよく地を蹴る。

 翼を羽ばたかせて、桜花は空へ飛び上がった。

 

 

△▼△▼△▼△▼△

 

 遠くの空、左手には天高くそびえる星樹がある。

 

「今日は、どこに行くの?」

 

 紅い魔法陣を展開する、胸元の紅葉が桜花を見る。

 桜花は紅葉を見て、そして眼下の大地の小川の流れを目で追った。

 

「今日はね、この川の下流に行ってみよう。何か、あるかも」

 

 青い空を、追い風に乗って飛び続ける。

 尾羽の長い、緑色の鳥が「ズーイッチョ!」と、鳴き声を上げる。

 

 小川の流れは、降るほどに少しずつ太くなっていった。

 

 

「おねえちゃん、おっきな川に出たよ!」

「ん。広いね!……わ、鳥だ!」

 

 いつの間にか、広がっていた川には水鳥(みずどり)が泳いでいる。

 桜花たちに気づいた水鳥は、片翼を振って(かしま)しい鳴き声を上げた。

 

「手を振ってる。可愛い! こんにちは!」

「えと…こんにちは!」

 

 手を振り返す桜花と、制服の襟から前足を出して振る紅葉。

 水鳥の鳴き声を置き去りにして、飛び続ける。

 

 青い水面が、見えた。

 

「くーちゃん、見て! 湖だ!」

「わあ! きれい!」

「行こう!」

 

 強く羽ばたき、加速する桜花。

 ツインテールが後ろに流れ、湖に近づいていく。

 

 辿(たど)り着いた湖は、いくつかの河川(かせん)が合流していた。

 

 草原の生い茂る、緑色の湖畔へ徐々に降下していく。

 桜花にしがみつく紅葉。

 

「ととっ」

 

 足をもつらせながらも転ばずに、桜花は着地した。

 胸元から、紅葉が地面に降りる。

 

「――湖だー!」

「広い!」

 

 湖に駆け寄る桜花たち。湖面で、魚が跳ねた。

 水は青く、透き通っている。

 

「水遊びだ!」

「うん!」

 

 そのままの勢いで飛び込んだ。

 時間差で、二つの水しぶきが上がる。

 

 膝より少し高いくらいまでを水に(ひた)して、桜花が水の中。

 水に沈んだ紅葉が、浮かび上がる。

 

「冷たい!気持ちいい! あはは!」

「ぷはっ。水がきれい!」

 

 両手で(すく)った水を、目の前にまき散らす。

 隣では、毛並みがしなやかになった紅葉が浮いている。

 

「くーちゃんも泳げてるね!」

「泳げた!」

 

 そのまま、水しぶきと共に水の中へ倒れこむ桜花。

 たくさんの気泡が水中に沈んで、桜花と共に浮かび上がった。

 

「ぷはっ」

 

 仰向けに水に浮いて、背泳ぎで岸から離れる。

 真上には、青い空と降り注ぐ陽光。

 

「楽しいよ、くーちゃん!」

「おねえちゃん、待ってー!」

 

 桜花の後を、紅葉が犬かきで泳ぐ。

 全身を水に濡らした二人は、ただ水の中で笑っている。

 

 湖に潜ると、魚群が目の前を横切った。

 

 

「へくちっ」

「えへへ。びしょびしょだね」

 

 ずぶ濡れの制服と毛並みのまま、倒木に座り、焚き火にあたる桜花たち。

 くしゃみの出た紅葉の頭を、桜花が撫でる。

 

「そういえば、空温保持(くうおんほじ)魔法でドライヤーみたいにできないかな」

「どう…だろ?」

「うーん」

 

 空中に桜色の魔法陣を描く桜花。

 魔法陣の文字を書いて消して、書き直す。

 

「こう、かな?――むむ。…できた」

「おねえちゃん、すごい!」

「使ってみるね!」

 

 空中で、魔法陣が発光した。

 

『乾かす風』

 

 温かな乾いた風が渦巻き、桜花たちを撫でる。

 

「んに。いい風」

「ふあー」

 

 髪や制服、毛並みを優しく撫でる風。

 渦巻いた風は段々と強くなり、やがて強くはためかせ始めた。

 

「わああー!」

「ひゃああ!…お、おねえちゃん! 飛んじゃう!」

 

 慌てて紅葉を抱えて、空中の魔法陣を消す桜花。

 風の勢いは少しずつ収まる。

 

「ふう…少し、強すぎたかな」

「おねえちゃん…。『つむじ風』の魔法みたいだった」

「あはは…。そ、そんなこともあるよね!……次は、もう少し弱くしよ」

「もうっ。ふふ」

 

 風が止み、パチパチと焚き火の音が鳴っている。

 

「相変わらず、愉快なことをやっておるの。…とは言え、新たな魔法を編み出すのは、なかなかに素敵じゃな」

「わっ」

「…ひゃっ」

 

 桜花たちの背後、湖の方から声がした。紅葉の狐耳が、ピンと立つ。

 

 振り向くと、半透明の少女がいた。

 ミントグリーン色のセミロングの髪の横から、尖った長耳が伸びている。

 

「ネムだ!」

「ネム、さん?」

 

 走り寄って、両手を上げる桜花。ネムも手を上げて、合わせる仕草をする。

 

「ぬふふ。久しぶりじゃのう。オーカにクレハ」

 

 エルフの少女、ネムは口角を上げた。

 

「しかし君たちは、自由奔放じゃの。…泉には、肉を溶かすものもあるから気をつけるのじゃよ」

「むむ。怖いね…。次は気をつける!」

「…肉が、溶ける」

 

 ゴクリと喉を鳴らす紅葉。

 片手を上げて返事をした桜花が、首を傾げた。

 

「あれ? ネム、星樹から出れたの?」

「うむ。そうじゃの」

 

 大きく頷いたネムは、目を閉じて指先を立てる。

 

「この場所は、ボクと結びつきが強いからの。思い出の場所なんじゃ」

「そうなんだ。…大事な場所、なんだね」

 

 再び頷いたネムは、桜花と紅葉にそれぞれ撫でる仕草をした。

 その手が触れることはないものの、頭を差し出す二人。

 

 草原には柔らかな風が、吹いている。

 

「…あの、ネムさん」

「うむ。なんじゃ?」

 

 おずおずと、紅葉が尋ねた。

 

「白き森ってなんですか?…それに、あそこにいた黒い大きな人影はなんですか」

 

 紅葉の問いに、ネムは目を見開いた。

 何度か、唇を開け閉めする。

 

「そうか。君たちは、あの森に入ってしまったのじゃな。――無事で良かった」

 

 小さく吐息を吐いたネムは、桜花と紅葉を交互に見た。

 

「…あの場所は、禁足地じゃ。白き森に長く留まるだけで自我を失い、黒の巨人は忌まわしき…災いそのものじゃ」

「自我を……こわい」

「うん。…普通じゃなくて、怖かったね」

 

 震える紅葉の頭にそっと手を当てて、桜花は柔らかく撫でる。

 二人の様子を見て、頷くネム。

 

「本当に、危険な場所と存在じゃよ。…もう、近づかぬようにな」

「はい…そうします」

「うん。ありがとう!」

 

 真っ直ぐ、ネムを見つめ返す二人は元気よく返事をする。

 二人の目を見て、ネムは微笑んだ。

 

 桜花がおとがいに指を当て、閃いた顔になる。

 

「そうだ、ネム。(あみ)を出す魔法ってある?」

「…ふむ。なぜじゃ?」

 

 湖へ目線を向けると、湖面を魚が跳ねていた。

 桜花の口元が緩む。

 

「湖の魚を食べたくて…ダメかな?」

「なるほど。そういうことなら、良い魔法があるぞ」

 

 指先に光を灯したネムが、空中に図形を描き始めた。

 桜花と紅葉は、指の動きにしたがって描き上がっていく図形をじっと見つめた。

 

 

 湖畔に桜色の魔法陣が浮かぶ。

 人差し指を唇に立てた仕草で紅葉とネムを見た後、ささやくように(とな)える桜花。

 

『投げ網』

 

 幾筋(いくすじ)もの光る線が絡まり、網になった。

 網は、水中に沈み、端が狭まっていく。

 

「んしょっ!」

 

 両手で握っていた、袋状にしぼんだ網から伸びた(ひも)を、掛け声を上げて引っ張った。

 

 湖面から、網が飛び出した。弾けた水が、キラキラと光る。

 

「獲れたー!」

 

 桜花の歓声が上がった。

 網の中には、数匹の魚が跳ねている。

 

「おねえちゃんすごい!」

「大漁だよ。えへへ!」

 

 陸の上で跳ねる、魚の周りではしゃぐ桜花たちを見て、ネムはにんまりと笑っていた。

 

 

 森林に向かって、夕陽が落ちている。

 茜色の空に、焚き火の煙が立ち登る。

 

「んー! おいひい!」

「ホクホクだね、おねえちゃん!」

 

 満面の笑顔で焼き魚を食べる桜花と紅葉と、満足げに頷くネム。

 

「ここは水も澄んでおるからの。淡白で脂も乗って、美味かろう」

「うん!」

「はい!」

 

 焼き魚は、二人の腹の中に収まっていった。

 

 

 群青の空に、薄くぼんやりと紫紺の月が浮かぶ。

 焚き火には(まき)が足されて、赤い明かりが桜花たちを包む。

 

「お腹いっぱいだよぅ」

 

 とろんと眠たげな瞳の紅葉が、桜花の膝で丸まった。

 髪を下ろした桜花が、紅葉の額を(こす)る。

 

「くーちゃん、おねむだね。『クリア』」

 

 いくつもの泡が紅葉と桜花の身体を包みこみ、弾けた。

 

「ぬふふ。オーカたちの魔法も、随分と上達したの」

「ほんと? ありがとう」

 

 紅葉の耳を、指先でくすぐる桜花。

 身体はそのまま、狐耳をピクピクと動かす紅葉。

 

 倒木に座る桜花の隣に、ネムも座った。

 

「ねえ、ネム」

「なんじゃ?」

 

 見つめる桜花に、ネムは身体ごと視線を向ける。

 

「あのね、星樹の中の泡の部屋で、ネムの記憶をちょっと見ちゃったんだ。…ごめんね」

「くれはも、ごめんなさい」

 

 ぺこりと頭を下げる桜花に、紅葉が続く。

 二人の様子を見たネムは口角を上げて、ふっと笑った。

 

「…そんなことか。星樹を登る上で、必然でもあるのじゃ。気にせずとも良いぞ」

「そうなの?…ありがとう」

 

 きょとんとした表情の桜花と紅葉を、順番に撫でる仕草をするネム。

 桜花たちは大人しく撫でられた。

 

「…そうだ。ネム、これってネムのじゃない?」

「ん?」

 

 ポーチを手に取り、ごそごそと探る。

 右手をポーチから抜くと、手のひらの上には銀の十字架が乗っていた。

 

 先が全て同じ長さの十字が、紫紺に照らされる。

 

「――それは、銀十字(ぎんじゅうじ)…」

「ネムの匂い…ううん、気配がしたんだ」

 

 瞳を大きく見開いたネム。

 桜花の持つ銀十字に、恐る恐る手を伸ばす。

 

「オーカ。君は、これをどこで…」

「んに。騎士団のクリスって子が、落としたんだ」

 

 半透明のネムの手が、銀十字と桜花の手をすり抜けた。

 すり抜けた手を引いて、拳を握り締めるネム。

 

「……そうか。クリスが持っておったか」

 

 吐息を(こぼ)したネムの顔に髪がかかって、瞳が見えない。

 

「友だち、だったの?」

 

 小さな声で桜花が尋ねた。

 ネムは、銀十字に視線を落としたまま口を開く。

 

「いや…今となってはどうじゃろうな」

 

 桜花の手の上の銀十字を両手で包み込み、ゆっくりと瞳を閉じて、祈るように額を近づけるネム。

 銀十字が緑色に輝き、手のひらから光が漏れ出した。

 

 しばらくして銀十字の光が収まってから、ネムは頭を上げて桜花と目を合わせる。

 

「オーカが持っていてくれ」

「…いいの?」

 

 小さく問う桜花に、ネムは静かに頷いた。

 手のひらに乗る銀十字は、僅かに緑色が灯っている。

 

 膝の上から、浅い寝息。

 気づけば紅葉が、寝息を立てていた。

 

「くーちゃん、寝てる」

 

 桜花の手が紅葉の頭を、撫で始める。

 眠ったまま、紅葉が柔らかく笑った。

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